二十九話
あらかじめ宣伝していたとあって、公園には時間前から住民が集まり始めていた。
十時になってポイズンラットたちが鐘を打ち鳴らすと、ぞろぞろと人が流れ込む。
「お料理は充分たくさんありますからね! 好きなお料理の前に並んでくださ~い!」
ルビーが弾んだ声を張り上げる。
この日のために用意したメニューは三種類。芋を使った総菜とデザート。そして魚を使ったスープだ。
公園の入り口に掲げられた看板を、訪れた住民たちは興味津々に見上げる。
「ベルハイム風ポテト炒めに蜂蜜ぐるぐるポテト? 聞いたこともない料理だわ」
「魚料理も食べられるのか? これは嬉しいな」
めいめい気になる料理の最後尾に移動する。すでに百人近い住民が集まっていた。
「慌てずとも料理は十分な量が用意されておる! 皆の衆、順番に並んで待つように!」
モリー町長が住民たちに声をかけて回る。大盛況だった。
ベルハイム風ポテト炒めを受け取った女性が、配膳するルビーに駆け寄ってきて訊ねる。
「これ、すっごく美味しいです! 皇妃殿下に恐れ多いのですが、作り方を教えていただけませんか?」
「もちろんです!」
ルビーは手に持った配膳用のお玉をエマにバトンタッチし、女性と大きな調理鍋の近くに移動する。
「ポイントはいくつかあるんですけど、まずは芋の種類です! ぜひ、煮崩れしにくいバイフェン芋を使ってください」
「ホッフェン芋より安価ですから、それは助かりますね」
「二つ目は、皮ごと水からゆっくり加熱することです。皮を剥いてしまうと旨味成分が溶け出てしまうので」
「沸騰した湯ではなく、ということですね。わかりました」
女性は鍋の中で静かに茹でられている芋を見て頷いた。
二人はフライパンの近くへ移動する。調理しているボランティアの住民の手元を示しながら、ルビーは説明する。
「植物オイルとにんにくの欠片を入れて火をつけます。香りが出てきたら切ったバイフェン芋を入れて、焼き色がつくまで炒めます。今日はお肉屋さんのご厚意でベーコンを入れてますけど、なくてもすごく美味しいですよ!」
「干し肉で代用しても美味しそうですね。肉の脂が入ることで味わいが一段階上がる気がしますもの」
「それは名案ですね! 最後に軽く塩こしょうを振って完成です」
熱心にメモをとっていた女性は相好を崩す。
「ありがとうございます! 思ったより気軽な作り方で……自分たちでも再現できそうで嬉しいです。友人もレシピを知りたがると思うので、皆に共有してもよろしいでしょうか?」
「もちろんです!」
上機嫌な彼女たちの隣の列では、セオドアがぐるぐる蜂蜜ポテトの調理を担当していた。
汚れても構わない質素な格好をしているので、彼が皇帝本人だと気付く者はいない。
「ねーねー。お兄さんもコーテーの家来なの?」
最前列でポテトの仕上がりを待つ男児が訊ねる。セオドアは絞り袋から油に向かって、潰した芋を絞り出す。油に接地した芋は軽快な音を立ててあぶくに包まれる。
「まあ、そんなところだ」
「コーテーって怖い人なんでしょう? 魔物をたくさん殺したり、家来を怒ったりするって聞いたよ。お兄さんも怒られたことある?」
「……まあ、そうだな……」
セオドアは言葉少なに俯き、油の中で踊るぐるぐるポテトを見つめる。
「でも、ぼくたちを守るために頑張ってくれてるんだよね。お母さんがそう言ってた!」
男児の言葉に、セオドアははっとして顔を上げる。男児はニカッとすきっ歯をみせて笑った。
セオドアは黙ったまま再びぐるぐるポテトに目を落とす。こんがりとキツネ色に変化したそれを皿に移し、気持ち多めに蜂蜜をかけてやる。
「できたぞ。おまえの言葉は皇帝に伝えておく。きっと喜ぶだろう」
「ありがと! お兄さんもお仕事がんばってねー!」
一番右の列では、ボランティアの住民が魚のスープを配っていた。
料理を受け取った住民が首をかしげながら訊ねる。
「すり身を団子にしてるのか。旨そうな匂いだが、これはなんの魚なんだ? ここいらで採れる川魚は食えないだろう」
「あたしは仕込みの時にはいなかったから、分からないんだよ。皇妃殿下にお伺いしてこようか?」
「いやぁ、恐れ多いからいいよ」
「どうかしましたか?」
ちょうど様子を見に来たルビーが声をかけた。
「あっ、これは皇妃殿下。ご機嫌麗しゅう……」
「かしこまらないでちょうだい。気を使っていては、せっかくのお料理も楽しめないでしょう?」
「は……」
男性は深々と下げていた頭を上げる。
「で、では僭越ながら。この魚はなんだろうって話をしてたんです。ご存じかわかりませんが、キリルは山脈が瘴気をせき止めております一方で、山から流れてくる川水は毒されています。川魚は食べることができないので、どのようなわけだろうと」
「ふふっ。そのことね! もしよかったら説明するから、こちらに来てくれない?」
ルビーは男性に先だって、公園脇の土手を越える。
男性は慌てた。皇妃ともあろう人物が軽快にドレスの裾をさばいて土手を上り、人気のない河原に降りていくからだ。
「皇妃殿下。どちらへ行かれるのですか?」
「ここよ。川の中を見てほしいの!」
「は、はあ……」
言われるがままに川をのぞき込むが、特に変わったことはない。黒みがかった透明な水に、見慣れた毒魚が泳いでいるだけだ。
「申し訳ありません。俺にはよくわかりません」
「あなたが食べたすり身の団子は、この魚なのよ」
ルビーは川を泳ぐ魚を指さした。男性は仰天する。
「えっ! こいつは毒がありますよ。まさか皇妃殿下、それと知らずに……!? おえっ!」
思わず喉を抑える男性だが、ルビーはおかしそうに笑い声を立てた。
「ごめんなさいね。大丈夫、大丈夫よ。あなたの言う通りこの川の魚には瘴気由来の毒があるけど、この種だけは違ったの。カワムチという名前なのよね?」
「ですが、カワムチも有毒だというのは有名な話ですよ。祖父母の代から言い伝えられてることです」
「もちろんそれも事実だわ。けれどカワムチが他の魚と違うのは、身体全体ではなく特定の臓器だけに毒が蓄積していることなの」
「えっ! もしそれが本当ならば大発見ですよ。なんせこの川の魚はカワムチばっかりですから……」
「毒が蓄積している肝臓を取り除けば食べられるわ」
男性はまだ信じられない顔をしている。手に持ったままのスープ皿と川を交互に眺めて、深々と感嘆の息をついた。
「いや~……。皇妃殿下が嘘をおつきになるはずがないことは分かってますし、実際オレもぴんぴんしてるからなあ。でもやっぱり、魔法にでもかけられた気分ですよ」
「わたしも驚いたわ。芋以外の食材があったらいいなと思って川に来てみたら、偶然気がついたの」
「毒の有無だけでなく、場所までわかるなんて。皇妃殿下は聖女様のようですね」
男性はルビーに尊敬のまなざしを向ける。ルビーは照れくさそうに頬を緩ませた。
「大したことではないわ。この件は町長にも伝えてあるから、キリルの名産にカワムチが加わる日も遠くないはずよ。さっ、公園に戻りましょう!」
再び土手を越えて公園に戻ると、気を揉んだ表情のセオドアがやってきた。
「王女よ。どこへ行っていた」
「あっ、陛下。ちょっと川へカワムチを見に行ってました」
「俺の側を離れるときは必ず近衛に声を掛けろ。この人混みでは近衛も君を見失うことがある」
「わかりました。心配をおかけしたようですみません」
しゅんとするルビーを見て、セオドアは少し罪悪感を覚える。
「――別に怒ってはいない。次から気を付けてくれたらいい」
「もちろんです。形だけとはいえ陛下の妻なのですから、なにかあったら大事になってしまいますものね」
反射的にセオドアは言い返したくなったが、開いた口からは言葉が出てこなかった。
――この気持ちは、今この場でじっくり向き合うものではない。
彼は無理やり気持ちを整理して、炊き出しのほうに顔を向ける。
「……大盛況だな。住民はみな喜んでいる。質と量に満足したのもあるだろうが、疲れが取れるようだとか、気持ちが軽くなったとか。精神的にもいい影響を及ぼしているようだ」
「嬉しいです。皆さんの協力があって実現できました」
ルビーはその名の通り、宝石のようにきらきらした瞳を向けて目を細める。川から流れる一陣の風が、二人の心を爽やかに駆け抜けた。
――朝十時に始まった炊き出しは午後三時まで続けられ、大成功のうちに終了した。大量に用意した料理はほとんど空になり、残ったものはボランティアで手伝ってくれた住民とで分け合った。
ルビーがすっかり仲良くなったボランティアたちと雑談しながら片付けをしていると、公園に一人の子どもが駆け込んできた。
「お料理、まだありますか。くださいな!」
痩せた身体にぼろぼろの服をまとった、ちいさな女の子だった。




