二十八話
中からはすぐに返事があった。
「誰だ?」
「ルビーです。入ってもよろしいでしょうか」
問いかけると、椅子が倒れるようなガタガタッという音がして、つかつかと足音が近づいてきた。
ドアが開いて怪訝な顔のセオドアが現れる。上気した身体にバスローブを着たルビーを見て、ぎくりと身体をこわばらせた。
「……こんな時間にどうしたのだ」
ヒグマと遭遇した木こりのように、セオドアはこわごわと訊ねた。ただし視線は明後日の方向を向いている。
彼の動揺と混乱などつゆ知らないルビーは満面の笑みで答える。
「良いことを思いついたのです! 住民の皆さんに炊き出しをしませんか? いつもの食材であっても調理法や味つけを工夫すれば新しい料理ができます。喜んでいただけるのではないかと思いまして!」
仕事の話だとわかったセオドアは胸を撫で下ろす。深くため息をつき、自分の羽織っていた上着をそっとルビーにかけてやる。
「……? お風呂に入ってきたばかりなので、寒くはないですが」
「だろうな。しかし、そのような格好でうろつかれると困る。部屋の周囲には男の近衛もいるだろう」
「あっ! すみません! 許可をいただくことに夢中で、わたしったらこんな格好のまま……」
ルビーはセオドアの上着をきゅっと両手で引っ張り、はだけかかっていた胸元を隠した。
赤くなってうつむいていると、耳のあたりにそっと大きな手が触れる。
「髪も濡れたままではないか。まったく、君は夢中になると周りが見えなくなるんだな」
「重ね重ねすみません。ほんとうにお恥ずかしい限りで……。一度戻って身支度を整えてきますね」
「……また近衛の前を通るのは癪だな。構わない。俺が乾かしてやる」
「陛下が?」
きょとんとするルビーを室内に招き、椅子に座らせる。
浴室から魔術式の温風機を持って戻ってきたセオドアは、彼女の髪を乾かし始める。
「あのう、自分でやれますが」
「いい。君は炊き出しの話を続けてくれ。そのほうが効率的だろう」
むすっとした声のセオドア。近衛がこの格好のルビーを目にしたであろうことが、脳裏にこびりついて不快だった。
「そういう問題なのでしょうか……?」
大きな疑問を呈しながらも、有無を言わせない圧を感じ取って話を戻す。
「使って問題ない食糧と、炊き出しの設備や会場について確認する必要があるかと思います。調理についてはわたしとエマで担当するので、有志の方に配膳などをお願いできたらと思ってます」
「わかった。明日にでも町長に確認してみよう」
「えっ。よいのですか!?」
「君が民のために考えてくれたことだ。駄目なはずがない」
嬉しくなったルビーは振り返る。
「おっと。急に動くと危ないだろう」
「陛下! ありがとうございます!」
湯上りの余韻が残る上気した笑顔。セオドアはうっと顔を赤くしたが、コホンと一つ咳をして誤魔化した。
「乾いたぞ。ほら、今度こそ部屋に帰って休むといい」
「はいっ! 夜分にお邪魔しました」
嵐のように去っていったルビー。
セオドアはふらふらとした足どりで執務机まで行き椅子に崩れ落ちる。おでこの上に腕を置き、天井を見上げた。
「ああ驚いた。王女には危機感というものが無いのか? あんな格好で男の部屋に来るなんて……」
まさか、自分が手ずから女性の髪を乾かす日が来るなんて。アーノルドの耳に入ったら丸一ヶ月は指を差されてからかわれる事案だ。
後悔しているわけではないが、らしくない自分に戸惑いを隠せなかった。
改めて彼女の髪から香ってきた甘い香りと、艷やかな質感を思い出すと──頭と腹の奥が熱を持って落ち着かなくなる。
「……すっかり眠気が覚めてしまった。……仕事でもするか……」
そんな呟きを残して、キリルの夜は静かに更けていった。
◇
翌日。セオドアとルビーが揃ってモリー町長に炊き出しを打診すると、町長は躍り上がって了承した。自分の町と町民が大切に思われていることに大感激し、芋で良ければいくらでも採れるからぜひ使ってほしいと申し出た。
調理道具と人員も貸し出すし、川沿いにある公園を使うのがいいだろうと現地まで案内した。
「素敵な場所ですね! 風の通り道になっていて気持ち良いです」
「気に入っていただけて何よりです。普段から町民の憩いの場になっているところですから、みな集まりやすいかと」
芝生の上をくるりと回ったルビーのドレスの裾が、大輪の百合のように舞う。わくわくしてきた気持ちそのままに、彼女は公園一帯の瘴気を解毒した。
その日から、セオドアが公務に出ている間、ルビーとエマらは町長たちと協力して準備に当たった。
レシピの確認に、保存のきくものの下ごしらえ。他人を巻き込んで大きなことに取り組むのは初めてで緊張もあったが、それ以上に楽しみながら、準備を進めたのだった。
そしてルビーたちがキリルを発つ二日前。
川沿いの公園には『無料炊き出し会場はこちら どなたでもお腹いっぱいどうぞ!』という旗が掲げられていた。




