二十七話
我を取り戻したセオドアが確認する。
「皇妃よ。解毒というのは、君が家庭菜園をつくったときと同じようなことをやるということか?」
「そうです。とはいえ比較にならないほど面積が広いので、どこまでやれるかはわかりませんが。気合を入れて頑張ってみます!」
「げ、解毒? 皇妃殿下はいったいなにをなさろうと……」
うろたえるモリーをセオドアが制する。すでにルビーは前を見据えて集中していた。
畑に進み出たルビーは静かに息を吸い、そして地面に手を当てる。大地を蝕む邪悪な瘴気を感じ、うごめく毒を感知する。
(この畑をきれいにして、作物が育つようにしたいの。ラングレーの皆さんの食卓が、彩りにあふれた豊かなものになってほしい)
祈りを捧げ、頭のなかに降りてきた呪文を声に乗せる。
「ルビー・ローズ・デルファイアの名に於いて命ず。哀れな大地よ、我が猛毒をもってその穢れを晴らせ!」
詠唱と同時にルビーの身体から黒いモヤが立ち込める。どこからかぬるい風が吹き始め、しだいに勢いを増していく。
ルビーの髪を巻き上げ、ドレスをはためかせる。黒い嵐は舐めるように畑を吹きまわり、最後は竜巻のように天に向かって昇華されてゆく。
風の後に残された農地は見た目こそ変わらなかったが、ルビーが手を触れてみると完全に解毒されていた。広大な敷地、すべてが。
「――やった! できたわ!」
ほどよい疲労感を感じながら立ち上がる。喜び勇んで振り返ると、セオドアとモリーは顎が外れそうなほど口を大きく開けていた。
「……なんとまあ……。わたくしは老いぼれすぎて、夢ても見ているのでしょうか……」
「奇遇だな、町長。俺も同じ夢を見ているようだ。ここまで規格外の力だったとは……」
セオドアの胸中では、困惑と喜びがないまぜになっていた。
せいぜい庭の家庭菜園程度の効力範囲だと思っていたが、国の食糧庫を担う広大な畑すべてを解毒してしまうとは。
ルビーの能力は、自分の想像をはるかに超える強大なものなのかもしれない。そう思うと、ぶるりと身体に震えが走った。
「やりましたよ陛下! モリー町長! これで作物が育つはずです!」
喜色満面で駆け戻ってきたルビーにセオドアは表情を作る。複雑な感情はいったん胸の中に押し込んだ。
「驚いた。君の能力はこんなにも強いのだな」
「わたしもびっくりしてます! 人間、何でもやればできるってことですね!」
「それは少し違うと思うが……。しかし、我が国がとても助かったことは事実だ。ルビー王女、ありがとう。心から感謝する」
セオドアは屈んでルビーの手を取り、己の額に軽く触れさせた。これはラングレーの皇帝が公的に最大の謝意を示すときのやり方だった。
「わわっ! おやめください陛下。わたしの力がラングレーの皆様のお役に立てるなら、全力を尽くすのが当たり前です。ここはもう、わたしの第二の故郷なんですから」
そんなルビーの言葉に大感激したのはモリーだった。
「皇妃殿下はなんと素晴らしいお人柄なのでしょう。聖女様のようなお力と清らかなお心。ラングレーの民として生まれたことを誇りに思います。冥途のいい土産になりそうです……」
「モリー町長ったら。そんなことを言わないで、ぜひ長生きしてくださいね」
モリーはしわしわの目元を、節くれだった太い指で拭う。
「殿下がそうおっしゃるのなら。この畑が青々と茂り、国中にみずみずしい野菜が行きわたるまでは、老体ながら頑張ることにしましょうか」
その後ルビーとセオドアは昼食の歓待を受けたのち、午後は役所の職員の激励などをして宿に戻った。
農業に特化した小さな町なので、滞在中のスケジュールは比較的ゆったりしたものになっていた。
夕食はセオドアや眷属と共に宿の食堂でとった。離宮にいたとき提供されていた料理と似たようなものだが、農産地ということもあり、素材の味を生かす薄めの味付けが多かった。
「ごちそうさまでした。おいしかったですね、陛下! バイフェン芋を揚げて塩を振ったやつなんて、シンプルなのにびっくりするほど食が進みました」
「外側のカリカリと、中のホクホクとした食感が素晴らしい対比になっていたな。皮付きのまま揚げるというのもおつだ」
「ふふっ。ずっと思っていましたけど、陛下って食べているときすごく幸せそうなお顔をされますよね」
いたずらっぽい顔をしたルビーの指摘に、セオドアはかあっと顔を赤くする。
「――知らない。自分では分からない」
「からかっているんじゃないですよ。陛下が幸せそうなので、わたしも楽しくなるってことです。ありがとうございますと伝えたかったんです」
「……そうか。なら、まあ、良かったんじゃないか?」
返答に困り、居心地が悪くなってきたセオドアはそそくさと席を立つ。
「今日は疲れただろう。明日も市街地の視察だ。部屋に戻って休むといい」
「おやすみなさいませ。陛下もゆっくりお休みになってください」
形式的には夫婦の二人だが、道中の宿では一人一部屋を手配してもらっている。これはセオドアによる強い希望で、『ラングレーに不慣れな皇妃が疲れを溜めないように』という名目での配慮だった。
ほどなくルビーも席を立ち、自分の部屋へ戻った。
◇
あとは自分でできるからとエマにも休んでもらい、ルビーは備え付けの浴室でシャワーに入ることにした。
ここは皇帝が泊まる宿とあって町一番の高級宿。ざばざばと水圧の保たれた水が流れ出る。
身体を流しながら、ルビーはふと考えた。
(当たり前のように水を使っているけど、それができない国民もいるのよね。キリルでは湧水を使っていると言っていたけど、それだって水を汲む人たちの苦労があるわけだし……)
ルビーは蛇口を絞り、水の勢いを弱くした。
(今日畑を浄化させてもらったけど、実際に収穫できるまでは少し時間がかかるわ。他にわたしができることはないかしら……?)
すぐにでも住民の役に立て、喜んでもらえることはないだろうかと頭を悩ませる。
今日一日の出来事を朝から振り返り、夕食のシーンに至ったところでハッと思い至る。
「そうだわ! 炊き出しをしましょう! ベルハイム風の味付けにしたら、目新しくて喜んでもらえるんじゃないかしら!?」
貴重な葉物野菜や果実を使うことは避け、豊富に採れるバイフェン芋かホッフェン芋を使おう。
美味しい料理を作って、住民にお腹いっぱいになってもらいたい。
幸い、あらかじめセオドアから「ラングレーは貧しい国だ。場所によっては非常に質素な食事になる場合がある」と聞いていたので、ログハウスから調味料を積んできていた。
「ベルハイム風にしつつも、キリルでも再現ができるようなものだと一番いいわね。ああ、楽しみだわ。さっそく陛下にお許しを貰わないと!」
手早く湯あみを終えたルビーはバスローブを羽織って室内に戻る。濡れた髪を拭くのもそこそこに、こっそり廊下に忍び出た。夜勤の護衛がぎょっとした表情を見せたが、「大丈夫よ。陛下にご用があるだけだから」と声をかけて制した。
隣の部屋のドアの下からは、灯りが漏れ出ている。
「まだ起きていらっしゃるわね。水音も聞こえないから、湯あみの最中でもなさそう」
一瞬、明日の朝でもいいんじゃないかという考えが頭をよぎったが、ぶんぶんと頭を横に振る。
「準備が必要なことだから、早いほうがいいわ。滞在の日数だって限られているわけだし」
もし断られたら断られたで、他にできることがないか考えなければいけない。
ルビーは自分が湯上がりのバスローブ姿だということをすっかり忘れ、セオドアの部屋のドアをノックした。




