第二十三話
セオドアの目の前に並べられたのは、見たこともない料理の数々だった。
芋を細かく刻んで平坦な丸型に成形し、こんがりと焼き色を付けたメイン料理。色とりどりの野菜をトマトの汁で煮込んだというスープ。新鮮な青菜は塩を振ってそのままサラダに。そして食後にはデザートもあるという。
「せっかく陛下がおいでなのでベルハイム料理を作ってみました。お口に合えばよいのですが」
ごくり、とセオドアの喉が鳴る。
もともと食事が好きなセオドアだが、結納金捻出のために一年近く粗食が続いていた。こんなご馳走を並べられて心中穏やかではなかったが、平静を装ってゆっくりとカトラリーを手に取る。
「いただこう」
会話もそこそこに料理を口に運ぶ。焼いた芋料理だ。
(……美味い。ホッフェン芋のはずだが、外側はサクッとカリカリしていて、中はほっくりしている。甘みが濃く、旨味が凝縮されているようだ)
「そちらはガレットというものです。つなぎを使わず、お芋のでんぷん質だけで焼き固めているんですよ」
「ガレットというのか。我が国にはない料理だな」
瞬く間にガレットを食べ終えたセオドアはトマトスープに手を伸ばす。野菜の出汁がしっかり出ていて、疲れた身体に沁みわたるようだった。
(……ああ、この感覚だ。粥を食べたときもこのように心の奥から浄化されるような心地がした)
安っぽい例えをするならば、ひとくち噛みしめるごとに回復薬を飲んでいるような感覚だ。自然と身体が軽くなり、五感がひときわ冴えわたる。頭を悩ませていることも「まあ、どうにかなるだろう」と前向きな捉え方になれる。
ルビーの料理を食べると、必ずこのような効果が現れた。
彼女の料理を食べるのはこれで三回目。もはや偶然とは思えなかった。
食事を全て綺麗に完食したセオドアは、今日ここに来た本題に入る。
「素晴らしい食事を振る舞ってくれて感謝する。さっそくではあるが、王女にいくつか訊ねたいことがあるのだが」
「なんでしょう?」
食後のお茶を持ってきたルビーは、セオドアと自分の前に一つずつマグを置いて着席した。
「まず畑のことだ。我が国では瘴気の影響で農作物は芋しか育たない。その他の野菜は採れてもごくわずかで、多くを輸入でまかなうしかない状況だ。しかし王女の畑ではこんなにも多くの野菜が育っている。それはなぜなのだろうか?」
「ああ! それでしたらお答えは簡単です。このあたりの土と空気は毒されてましたので、それを解消しましたら通常の土に戻りました。あとは普通に種をまいて育てるだけです」
「…………毒を解消?」
「はい。わたしも詳しいことは分からないのですが、毒使いの能力を使ってみましたところ、どうも瘴気由来の毒のようです。瘴気を払うことで毒もなくなったということになるのかと……」
「瘴気を払う、だと!?」
とんでもない言葉が飛び出して、セオドアは思わず大きな声を出す。
浄化の力を持つ聖女にしかできないと思っていた瘴気払い。それが、このルビー王女にもできるということなのか?
セオドアの驚きようを目の当たりにしたルビーは慌てる。
「すみません! あの、わたしもほんとうによくわからないんです。すべて結果的にそうなっている、という話だと思ってください。まったく大したことではないんです」
(いや……それが事実なら国の一大事なのだが……)
動悸が止まらないセオドアは思わず心臓のあたりを強く押さえる。
初手の質問で大ダメージを食らったが、聞きたいことはまだある。ここで怯むわけにはいかなかった。
「ひとまず次の質問をさせてもらう。表にいるダークドラゴンのことだ。見たところ王女に懐いているようだが、どのようにして知り合ったのだ?」
「ダークドラゴン? 誰のことですか?」
「表の小屋に住んでいるだろう。君が怪我をしたとき城に運んできた」
「ああ! ブラッキーのことですね。陛下、ブラッキーはダークドラゴンとやらではありませんよ。鳥です。ただの鳥さんですよ」
(王女はあれを鳥だと思っているのか……災害級の魔物を……)
まさかの答えにセオドアは愕然とする。
ルビーは嬉しそうにブラッキーとの馴れ初めを語りだした。
「初めてこの森に散歩に来たときのことでした。たまたま怪我をしていたブラッキーを助けたんです。あっ、ちなみに目の前の池はその時に解毒しました。有害物質で真っ黒でしたから、落っこちたこの子が見えなかったんです。離宮に連れて帰って手当てをしたら眷属になりたいということでしたので、その日からわたしたちは友達になりました」
「王女はどんな相手でも眷属にできるのか? 我が国にはテイマーという職業があるが、魔物やダークドラゴンをテイムできる者はいない」
「どうやら有毒生物に限られるみたいですね。ですから魔物さんが多いです。あとブラッキーは鳥ですよ」
「なるほど……。さきほど泉を解毒したと言ったが、土や空気と同じようにということか? 対象物の毒を抜くということができるという理解でいいのだろうか」
「抜いているというより、なにかで上塗りしている感覚がします。すみません、そのあたりは自分でもよく理解できていません。結果的に毒がなくなるというのはその通りです」
ルビーの口から語られたのは、セオドアが予想していた内容よりはるかにとんでもないものだった。聖女ではないが、実質的に聖女と同等の能力を持っていることがわかったのだから。
しかし、全てを鵜吞みにするほどセオドアは楽観的な性格ではなかった。自分の目で見るまでは“ルビーが嘘をついている”可能性も捨てきれなかった。
「王女よ。その能力を実際に見せてもらうことはできるか? 俺は自分の目で見たものしか信じない」
「皇帝陛下なら当然のお考えだと存じます。もちろんお見せできますよ。なにで試しましょうか?」
「そうだな……。では、ヘルスパイダーで試してみよう」
セオドアとルビーはログハウスから出て魔の森に入る。
あたりを探していたセオドアは、木の幹に張り付いた大きな蜘蛛を見つけると、べりっと剥がして戻ってきた。
「ヘルスパイダーは身体の色で毒の強さがわかる。赤ければ赤いほど毒が強く、逆に白いほど毒が弱い。産まれたばかりの幼体のようにな」
セオドアがわしづかみにしているヘルスパイダーは林檎のように真っ赤な体幹だ。つまりルビーが解毒できるというのなら、この個体は真っ白に色が変わるはずだという。
「危ないですよ陛下。その子は結構強いですよ」
「問題ない。戦場でさまざまな毒を浴びてきたから、ヘルスパイダーごときにやられたりはしない」
「そ、そうなのですか? でも心配なので、さっそくやっちゃいますね」
セオドアにつかまれてじたばたしていた蜘蛛は、ルビーがそっと撫でると嘘のようにおとなしくなった。
そのままルビーはいつものように両手を組み、ヘルスパイダーに向かって祈りを捧げる。
(蜘蛛さん、どうかわたしの声を聞いて。陛下に信頼いただく機会なの。あなたの毒をちょうだいね)
強く念じれば、脳裏に例の呪文がくっきりと浮かび上がる。あとはそれを声に乗せるだけ。
「ルビー・ローズ・デルファイアの名に於いて命ず。気高き蜘蛛よ、我が猛毒をもってその血を召さん」
ルビーの手から黒い霧が漂い始め、真っ赤な蜘蛛を包み込んでいく。
やがて霧は再びルビーの手に吸い込まれていき、雪のように真っ白な蜘蛛が姿を現した。
「……できました!」
ぱあっと花が咲いたような笑顔でセオドアを見上げるルビー。
けれどもセオドアは氷のように冷たい表情をしていた。眉間には深く皺が寄り、鋭い眼差しは射貫くように蜘蛛を見つめている。
一瞬でルビーの表情もこわばった。
「あのう、陛下……?」
「……感謝する。すまないが、俺はもう戻る」
王女の話していたことはすべて真実だった。すぐに戻ってアーノルドに共有しなければならない。
セオドアは唖然とするルビーを残して馬に飛び乗り、急ぎ皇城まで駆けたのだった。