十九話
「俺は、君と離縁するつもりはない」
セオドアはうつむきながら、一思いに言い切った。
「……ん? ですがそれでは、陛下はなにも得をしません。むしろ厄介ごとが増えるでしょう」
「どうしてこう思うのかは俺にもよくわからない。だが決断を急ぐ必要はないと思った。ただそれだけだ」
「そ、そうですか? 陛下がそう判断なさるなら、わたしが口を挟むことではありませんが……」
ルビーに伝えたことが、今のセオドアのすべてだった。
どうして彼女を手放したくないのかはわからない。料理の件でもないし、生い立ちに対する同情でもない。
ただもう少し側においておきたい、彼女と関わっていきたいという気持ちが決断に待ったをかけていた。
「離縁しないとなると、いっそう申し訳ありませんね。書類上は妻である以上、わたしになにかあったらこうして面倒をみていただくことになってしまいますし……。なにかお礼させていただけませんか? と言っても、わたしはなんの財産も持ち合わせていないのですが」
困り顔のルビー。
礼などいらん、と言いかけたセオドアだったが、これはいい機会だとはっとする。
「では、先日差し入れてくれた粥とコンポートをもう一度作ってくれないか?」
「そんなことでいいのですか?」
「どちらも美味かった。ずっともう一度食べたいと思っていたのだ」
思いがけず面と向かって褒められたルビーは赤面する。
誰かに褒められるなんて何年ぶりだろう。こんなに嬉しい気持ちになるのねと、忘れかけていた感情を一つ取り戻した気がした。
「怪我が治ってからでいい。それまではゆっくり休め」
「ありがとうございます」
部屋を出ていくセオドアの背中を見送って、ルビーはほうと息をついた。
「お粥とコンポートが好きなんて、皇帝陛下の食の趣味はわからないわね。でも、せっかく希望してくれたのだから気合を入れて作りましょう。満足いただけたら森暮らしの許可をいただけるかもしれないし!」
ふんすと意気込んでいると、派手な音を立てて救護室のドアが開いた。
「ルビーさまぁあああ!!!!」と半泣きで駆け込んできたのはエマだ。マイケルを背中に乗せたブラッキーも一緒だった。
「エマ! ごめんなさい。心配かけてしまったわね」
「ご無事でほんとうによかったです! 血まみれのルビー様を発見したときは生きた心地がしませんでしたっ!!」
「そうよね。驚かせてしまって悪かったわ。釘を打つときはこれからもっと気を付けて取り組むわね。わたしを運ぶの、重かったでしょう」
「わたくしの力では時間がかかってしまいそうで途方に暮れていたところ、ブラッキー様が助けてくださったんです。ルビー様を背に乗せてお城まで飛行なさいました。わたくしはマイケル様と急いで追いかけたのです」
「ブラッキーが? そうだったの。いい子ね、ありがとう」
ルビーがブラッキーを抱きしめると、彼は「キュイィーン!」と得意気に鳴いた。
雛だったときのふわふわとした羽毛は生え変わり、艶のあるしっかりとした羽が生えている。ずいぶん逞しくなったわねとルビーは嬉しくなった。
「ルビー様の危機をお知らせくださったのはマイケル様です。そのおかげですぐにお助けすることができました」
「マイケル! やっぱりあなたは頼りになるわね。最高の親友よ!」
左手にブラッキーを抱えながら、右手で飛びついてきたマイケルを受け止めるルビー。
柔らかな毛を幾度も撫でると、マイケルは「チュ~……」と身を摺り寄せて甘えた。
「セオドア陛下がね、この国にいてもいいっておっしゃってくださったの。これからも、みんなで一緒に楽しく暮らしていきましょうね!」
「それはようございました。お供させていただきます、ルビー様」
「チチィッ!!」
「キューン!!」
救護室らしからぬ朗らかな声は、その日の面会時間が終わるまで続いたのだった。




