十五話
「……アーノルド。これは夢か? 俺には今目の前で、ルビー王女とメイドが水遊びをしているように見えるのだが。ちなみにここは魔の森の真っただ中だ」
「奇遇ですね。わたしも同じ夢を見ているようです。それに加えて、ルビー王女の周りを飛び回るダークドラゴンの幼体まで見えています」
二人の女性は衣服が濡れるのもお構いなしに、互いに水をかけあってはしゃいでいる。
それを茂みの奥から見ている自分とアーノルド。
なんだかいけないことをしているような気がして、セオドアはそっと目線を外した。
「俺にはあの王女がわからない。魔の森の泉に入るなど自殺行為だというのにぴんぴんしている。それにダークドラゴンの幼体だ? すべての災いの元といわれている冥府最恐の魔物だぞ……?」
「……いったん城に戻りますか? 万が一これが現実であっても、今お声をかけるのはマナー違反でしょう。部屋に戻って温かい飲み物を飲み、少し仮眠をとりましょう。我々は非常に疲れている可能性があります」
「そうしよう。なんだか頭も痛くなってきた」
セオドアとアーノルドは力なく引き上げた。
この日は休息をとり、翌日ふたたび偵察にやってきた。
泉が近づくにつれて香ばしい匂いが漂う。嫌な予感とともに覗いてみると、ルビーとメイドが串に刺した野菜や肉を焼いているのを発見した。ダークドラゴンの幼体と丸々と太った鼠も地面で肉をつついている。
清浄な泉のまわりには、離宮の庭で見たような豊かな畑が広がっていた。どうやって手なずけたのか小型の有毒魔物がその辺を走り回り、楽しそうに活動している。
どう見ても楽しいバーベキュー会場だった。
(――夢ではなく現実だった)
夢の方がまだよかったと――セオドアとアーノルドは眉間を揉んだ。
彼らはこの日もルビーに話しかけることができず、よろよろと城に戻ったのだった。
◇
「ねえエマ。なんだか最近、誰かに見られているような気がするの。あなたはなにも感じない?」
「わたくしはなにも感じませんけど……。ルビー様の眷属になりたい魔物や動物の視線でしょうか?」
「それだったらある程度感覚的にわかるのよ。でも今回のは違う。どちらかというとこちらを警戒している気配というか、不審な感じがするというか」
離宮から引っ越して二週間ほどが経った。
二人で造ったログハウスは快適だし、毒使いの解毒能力を使えば森から食料はいくらでも手に入る。マイケルやブラッキーもすこぶる元気だし、なによりセオドアに対する申し訳なさもない。
充実した日々を過ごしていたのに、ここにきて誰かの視線を感じるようになった。心当たりがないだけにルビーは戸惑いを感じていた。
「城に出入りしなくなりましたので、あちらで何か起こっていても情報が入ってこないのです。申し訳ありません」
「もしかして、わたしたちが離宮からいなくなったことに誰か気がついたのかしら。変に気を遣わせるのも悪かったから黙って出てきちゃったけど……報告したほうがよかった?」
「いいえ、そんなものは必要ありません! 門番の騎士も皇帝陛下もルビー様に失礼すぎます。伝えたところで何かが変わるわけでもありませんし、だったら関わらないほうがいいです」
「そっ、そういうものなのね」
すっかりルビーに入れ込んでいるエマである。
そんなことを話していると、玄関のほうからコトンと小さな音がした。一拍遅れて素早く走り去るような足音も聞こえた。
「今、なにか音がしましたね。……もしかしてルビー様の言っていた不審者でしょうか?」
エマの表情が引き締まる。
武器がわりのモップを手に取り見に行こうとする彼女を、ルビーが引き留める。
「危ないわエマ。マイケルに見てきてもらいましょう」
「チュウ! チチッ」
任せろ、と言わんばかりに走り出すマイケル。ドキドキしながら待っていると、彼は口に包みをくわえて戻ってきた。
受け取ったルビーは緋色の目を丸くする。
「高価そうな包み紙だわ。いったいなにかしら?」
「危険物ではありませんか? ルビー様」
「ええ。毒の気配は感じられないわ」
袋の口を結ぶリボンを引っ張ると中から小さな箱が現れた。
ぱかりと開けて出てきたのは、赤い宝石があしらわれたネックレスだった。
「見てエマ! とんでもないネックレスが入っているわよ」
「……ほんとうですね」
明らかに高価そうなネックレスを見たエマは、贈り主やこのごろの不審な視線の正体を一瞬で見抜いた。
この貧しい皇国内において、このようなものを持っているのは皇帝のほかにいない。
(陛下は気がついたのだわ。ルビー様が離宮を離れたことに。そして何らかの理由で機嫌をとろうとなさっている)
セオドア帝は無骨な人間だと聞いている。おそらく常に彼の横で不敵な笑みを浮かべている宰相が入れ知恵をしたのだろう。エマはそう確信した。
こんなものに騙されてはいけない。次は何をたくらんでいるかわかったものじゃない。
エマはそう言いかけたが、ルビーは頬に手を当ててまったく見当違いなことを言い始めた。
「こんな高価なもの、落とした人はすごく困っているでしょうねえ。きっと外で遊んでいる子《眷属》たちに驚いたんだと思うの。悪いことをしてしまったわ……」
「お、落とし物?」
「落とし物以外に理由がある? きっと持ち主はどなたかにプレゼントするつもりだったのよ。だってほら、こんなに美しく包装されていたのだもの。元に戻すのを手伝ってくれない?」
「は、はあ……」
「どうしましょう。どこかに届け出たほうがいいわよね。このままわたしが預かるわけにもいかないし」
その言葉にエマははっとする。
「ではお城に届けましょう。確かに高価なものですから、騎士団に拾得物として申し出れば安心です。きっと持ち主を探して返却してくれますよ」
ルビーを冷遇したセオドアに良い感情のないエマは、うまいこと受け取り拒否することができてほくそ笑む。
自分が冷遇される立場になって、少しは反省してほしいと思った。そもそも面と向かって来ずに贈り物だけ置いていくという姿勢も気に食わない。
「それはいい考えね。じゃあさっそく持って行きましょう。落とし主は気が気じゃないでしょうから」
「承知しました。外出の準備をしますね」
ルビーとエマは久しぶりにお城へ足を運んだ。
セオドアへの差し入れを拒否された時以来だから、二か月ぶりほどになる。
見張りの騎士は、一回目の差し入れの時と同じ人物だった。ルビーが姿を現すとなぜだかひどく慌て、中に入るように促してきた。
「いえ、ここで失礼いたします。家の前で拾った落とし物を届けに来ただけですので。騎士団の皆さまで落とし主を探していただけると聞きました」
包みを見た騎士はぎょっとする。それは皇室御用達宝飾店のもので、送り主が誰なのか一目でわかってしまったからだ。
「王女殿下。ぜひ中にお入りください。温かい紅茶や甘味はいかがですか? 城内の見学もできますよ」
『今度ルビー王女が訪ねてきたら必ず中に通せ』とセオドアから言いつかっているため騎士は必死だ。近くにいた騎士に合図を送り、セオドアへ報告に走らせる。
しかし、ルビーもここぞとばかりに遠慮する。
「魅力的なお誘いですが、わたしもさすがに理解いたしております。これ以上セオドア陛下にご迷惑はかけられませんので、用も済みましたし戻ります。エマ、行きましょう」
「はい。もうすぐ夕食のお時間ですし、真っ暗になる前に帰りましょう」
「あっ! 王女殿下――!!」
家路についたルビーとエマ。
途中でエマは振り返り、唖然とする門番の騎士に向かって『ざまあみろ』と口角を上げてみせたのだった。