十二話
セオドアに食事を届けた翌日。
起床したルビーが居間に出ていくと、エマが明るいニュースを報告する。
「ルビー様、朗報です。陛下のご体調が回復されたそうですよ! 早起きされて日課の朝の鍛錬に励んでおられるそうです」
「ほんとう!? 思ったより早くご回復されたわね。よかった!」
セオドアはこの暮らしができる恩人でもあるので、ルビーは心から嬉しく思った。
「材料も余っているし、今日も食事をお持ちしようかしら? 芋粥は味付けを変えて、野苺はパンにつけられるようにジャムにしたりして」
「素敵なアイデアですね。朝食をとったらさっそく取り掛かりましょうか」
回復してきているということなので、昨日より芋の粒感を残した粥にした。ジャムを煮込むと離宮いっぱいに甘い香りが立ち込める。
『お身体の調子が回復されて安堵いたしました』という手紙を添えてバスケットに詰め、城へ向かった。
門の前では昨日と違う騎士が番をしていたが、やはり二人を睨みつける。
「王女殿下はお通しできない。これはセオドア陛下の命令だ」
「ええ、いいわ。昨日みたいにこれを渡してもらえるだけでいいの」
ルビーはバスケットを差し出した。騎士は胡乱な目でそれを見下ろす。
三人の間にしばしの沈黙が流れた。
「……ああ! 毒見を気にしているのね。エマ、お願い」
「かしこまりました」
昨日と同じように毒見をしてみせる。
けれども騎士はバスケットを受け取らなかった。
「下賤なメイドが口をつけたものなど陛下にお渡しできぬ」
「なっ……! それならそうと初めに言ってください。でも、ルビー様が作ったものなのですから、わたくしが毒見しないと意味がないでしょう」
エマが抗議するが騎士は固い表情を崩さない。ドスのきいた声で言い放つ。
「はっきりお伝えするが、我らはルビー王女殿下を歓迎していない。聖女アクアマリン様をお迎えするために陛下がどれだけ骨を折ったか知らないだろう。代わりにあなたが来てしまったことで陛下は余計な仕事が増え、心労がたたって体調を崩されてしまったのだ!」
「そんな! わっ、わたしのせいで陛下は……」
色を失うルビー。
そんな状況になっていたのだと知って、足元が音を立てて崩れ落ちるような気がした。
「すべての原因を作ったあなたの差し入れなど、陛下は見たくもないだろう。今すぐ立ち去りなさい」
「昨日の騎士は受け取ってくれたのよ! せっかくルビー様がお作りになったのだから……!」
エマが叫ぶと騎士は眉間に皺を寄せた。
「……昨日? ああ。もしかしてあなたがたは報奨金の話を耳にしたのか? それでそのようなことを思いついたのか」
「ほっ、報奨金? なんの話ですか。わたしはずっと離宮にいるので知りません」
「しらじらしい! ベルハイムの強欲王女め! どこまで陛下を馬鹿にするおつもりか!」
そう叫ぶと騎士はルビーの持つバスケットを振り払った。
地面に粥とジャムがぶちまけられる。エマは息を呑んで口元を手で覆った。
「……わたしを不敬だと思いますか? 別に処刑していただいて構いませんよ。セオドア陛下のためならいつでも死ぬ準備はできていますから」
騎士は土埃のついたバスケットを踏みつけて踵を返す。
二人の鼻の先で、城門は固く閉ざされたのだった。
◇
離宮に引き返したルビーとエマ。
二人の間にはお葬式のような空気が漂っていた。
「わたしったら、一人で呑気に暮らしていたことが恥ずかしいわ。あの騎士様の言うことはもっともよ。もう差し入れは控えて静かに暮らしましょう。ほんとうならここも出ていくべきなんでしょうけど……。エマ、外になにか伝手はない?」
「お役に立てず申し訳ありません。実家は親きょうだいでぎゅうぎゅうですし、そもそもそんな場所にルビー様はお連れできません。親戚筋も全員平民なので、ここと同等の暮らしは難しいかと……」
「いえ、いいのよ。自分で考えなくてはいけないわ」
これ以上セオドアに迷惑をかけず、できれば自活して暮らしていきたい。
何かいい考えはないかと頭をひねっていると、床で追いかけっこをしているマイケルとブラッキーの姿が目に入った。
負傷して療養していたブラッキーも、もうすっかり元気である。
「……そうだわ! 裏の森に池があったわね。そこならきれいな水が使えるし、畑を作れば食料もとれる。ここから移り住みましょう」
「いけませんルビー様。あの森は『魔の森』に続いているため危険です。安心して暮らせる場所ではありません」
「大丈夫よエマ。あなたが仕事をしている間に何度か散歩に出かけているし、毒使いの力を使えば有毒植物も無毒にできることがわかったの。土も空気も無害にできるのよ」
「る、ルビー様にそのような能力が? 確かになぜ畑で野菜が育つのか不思議に思っておりましたが……。まるで聖女様のようなお力ですね」
毒使いの能力について自分から尋ねることがはばかられていたエマ。ずっと心に抱いていた疑問がすっと解消する。
しかし『聖女』というワードを口にしてしまい、「すみません!」とすぐに謝った。ルビーにとってはいい言葉ではないだろうと思ったからだ。
「気にしないでエマ。この力についてはわたしもよく分からないところが多いの。結果として毒は消えるんだけど、聖女のように浄化しているのとは違う気がするわ」
まあいいわ、とルビーは話を戻す。
「ポイズンラットに頼んで木材を集めてもらうから、二人が暮らせるだけのログハウスを作りましょう」
「わたくしは平気ですが、この離宮より快適さでは劣るかと……」
エマが心配そうな顔をする。
けれどもルビーは杞憂だという明るい表情で笑った。
「全然大丈夫よ。だってベルハイムにいたころ住んでいた塔は、この離宮のお手洗いより狭い空間だったのよ。窮屈だと思うこともあったけど、今ならお父様の優しさだったと理解できる。あれに慣れておけば、どんな場所でも暮らしていけるというメッセージだったに違いないもの」
「…………」
エマは途端に渋い顔になる。これまでいくつか怪しい点はあったが、今完全に理解した。幽閉されていたというのは事実で、ルビーは家族から虐げられていたのだと。
そして本人はまったくそれに気付いておらず、どこまでも前向きな受け止めをしていることに。
(このお方は、わたくしがお守りしていかないと!)
エマは強く決意する。
かつて不義をはたらいた贖罪だけでなく、この何一つ穢れのない人間の心を守っていきたかった。
幸い自分には貧乏を生き抜く知恵がある。実家は子供が増えるたびに簡易的な増築を繰り返しているので、小屋を建てるやり方も分かる。
(貧しい大家族であることに感謝する日が来るなんて)
嫌だ嫌だと思っていたことが、こんなところで役に立った。
可笑しくなったエマが微笑むと、「どうしたの? 何か楽しいことを思い出した? 聞かせてちょうだいな」とつられてルビーも笑う。
お葬式のようだった空気はどこかへ吹き飛び、離宮にはいつもの朗らかさが戻ったのだった。




