十話
自室で仕事をしていたアーノルドのもとに謎のバスケットが届いた。書類から目を上げた彼は首をひねる。
「もう昼食が届いたのですか? しかも可愛らしいバスケットに入っているなんて。料理長は何を考えているんです?」
城の料理長はアーノルドもよく知る勤続三十年の真面目な男だ。こういう遊び心を出すような茶目っ気のある性格ではなく、どこか具合でも悪いのかと心配になる。
掛け布をめくると容器に入った粥とコンポートが現れたものだから、アーノルドは思わず瞠目する。
「この野菜……。こんなにみずみずしいものがあるなんて。よほど新鮮でないとこの色味になりません。それにこのコンポート、苺でしょうか? 貴重な果実をコンポートにするなどなんという贅沢……」
アーノルドはピンときた。これはセオドアの食事ではないかと。
おおかた新人が間違えって運んできたのだろう。本来このバスケットが行くべき先は、ちょうどこの部屋の真上にあるセオドアの居室だ。
「さては料理長、奮発しましたね。あの強面でバスケットを思いつくとは、一本取られた気分です」
騎士団長として多くの功績をあげ、頼もしい皇帝として君臨しているセオドアが倒れたことで皆心配しているのだろう。病は気からと言うし、料理長なりに少しでも気分をリフレッシュしてほしいと考えたに違いない。
結納金の補填にと自身の生活予算を削っているセオドアの食事は、アーノルドたち臣下と変わらないものだった。それはつまり賓客であるルビーが食べているものより質素で、このお粥とコンポートはご馳走だった。
「ああ見えて陛下は食べることが好きですからね。これで元気になってもらいましょう」
アーノルドはバスケットを持ってセオドアの居室へ向かう。
昼食だと言って世話係に預け、再び自分の部屋に戻るのだった。
◇
(……? なにかいい香りがするな。ここ数日食欲が出なかったが、空腹の感覚が戻ってくるような匂いだ……)
目を覚ましたセオドアがゆっくり身体を起こすと、世話係がすかさず水を差し出した。
「どうぞ、陛下」
「すまない。今は何時だ?」
一気に飲み干すセオドア。熱を持った身体に冷えた水は心地よく流れていった。
「十五時でございます。昼食が到着しておりますが、召し上がりますか?」
「今日は食べられそうだ。いつもとは違う匂いがするな」
「どうやら料理長が発奮したみたいです。可愛らしいバスケットで届いておりますよ」
世話係はベッドサイドの丸机にクロスを敷き、バスケットから粥とコンポートを並べていく。
セオドアの腹がぐう、と鳴った。
「貴重な野菜や果実まで使わせて悪いな……。くそっ、俺としたことが体調を崩すなど不甲斐ない」
アーノルドに休むように言われていたにも関わらず、根を詰めすぎてしまったセオドア。こうして風邪をひいてしまったことで、自分の体力は無尽蔵ではなかったことを彼も初めて知ったのだった。
匙で粥をすくい、口に運ぶ。
ほのかに温かく優しい味わいがした。
(美味いな。身体の奥から力が湧いてくるようだ)
もう一口、もう一口とセオドアの手は止まらない。あっという間に粥の器は空になった。
流れるようにコンポートに手を伸ばす。
(あまり甘味は好まないが、不思議と今日は食が進む)
コンポートもぺろりと平らげる。腹が満たされたセオドアは不思議な幸福感を覚えていた。
身体は軽く、頭と心を蝕んでいた悩みはどうでもよくなり、明るく前向きな気持ちで満たされていた。ここまで調子がいいのはそれこそ十年ぶりかもしれない。
(不思議だ。まるで生まれ変わったような感覚がする。毒されていた心身が浄化されたような心地だ)
十年前、留学中だったセオドアは事件に巻き込まれて大怪我を負ったことがあった。その国には運よく聖女がいて、セオドアの傷を癒してくれた。
その時の感覚に似ていると思った。身体の傷だけでなく、心の陰りまでまっさらになったことは今でも覚えている。
セオドアは静かに匙を置き、世話係に顔を向ける。
「夜食も粥とコンポートにしてくれ。貴重な食材を使わせて悪いが、おかげでとても調子がいい。明日には復帰できそうだ」
「ようございました。料理長に申し伝えます」
料理長め、いつの間に腕を上げたのか。いつも黙々と仕事をしている堅物だと思っていたが、こういうものも作れるのだな。
そんなことを考えながら、セオドアは書類を片手に再びベッドに横になる。
身体を動かすのもしんどかったのが嘘のようで、片手間に仕事ができるくらいに回復していた。
――明日からまた執務に励み、民のために働こう。
セオドアはそう決意して、口角を上げたのだった。