プロローグ
おかげさまでKADOKAWAドラゴンノベルスより書籍発売中(2025/3/5)です。ありがとうございます。
ベルハイム王国第一王女、ルビー・ローズ・デルファイア。彼女が幽閉されていた塔から外出を許されたのは、実に八年ぶりのことだった。
晩餐に同席せよと父王からの伝令を受けたルビーは、久しぶりの家族の再会に胸を躍らせて城へ向かう。しかし待ち受けていたのは、労りでも親子の挨拶でもなく、ただの業務連絡だった。
「アクアマリンの代わりにラングレー皇国に嫁ぐように。話は以上だ」
「…………はい??」
一言命じてすげなく目を逸らした父王に変わり、母であり王妃のデボラと妹のアクアマリンが先を引き受ける。
「身のほど知らずのラングレー帝が、結納金に糸目はつけないから娘を寄越せと言ってきたのよ。困ってしまうわ」
「ラングレー皇国といえば、魔の森に囲まれた薄気味の悪い場所でしょう。わたくしは見ての通り身体が弱いし、やっていく自信がないの」
桃色の瞳を潤ませ、甘ったるい声を出すアクアマリン。ルビーの地味な緑髪とは違って、ベルハイム王族らしい輝かんばかりの金髪をたたえている。色香と儚さを兼ね備えたとびきりの美人だった。
「嫁いで早々に体調を崩すとあちらにも悪いし……。だから、ね、丈夫なお姉様ならきっとうまくやっていけると思ってお父様に推薦したのよ。これはお姉様がわたくしたち家族の役に立つチャンスでもあるもの。お互いの利益になる妙案でしょう?」
「この子は唯一の王女であり聖女なの。なによりわたくしの可愛い娘でもあるのだから、手放すわけにはいかないわ」
デボラは愛おしそうに娘の髪を撫でたのち、立ち尽くしているルビーに歪んだ恐ろしい顔を向ける。
「あの国に嫁ぐのは、化け物のあなたで十分よ」
――姉のルビーが第一王女だったのは八年前まで。対外的には事故死したと発表され、時を同じくして王城の隅にある塔に幽閉された。その塔に逃亡防止の結界を敷いたのは、当時彼女の婚約者であった魔術師だった。
この世界にルビー・ローズ・デルファイアは存在しない。いるのはただのルビー。何もかもを奪われ、ひとりぼっちになってしまった十八歳の少女だった。
「顔を隠して輿入れしなさい。金髪のカツラを用意させたから、あちらではずっとそれを被っていること。顔だけならこの子に似てないこともないのだから」
母デボラが厳しい声で使用人に指図する。盆に載せられて差し出されたのは、アクアマリンの髪にそっくりなカツラだった。
呆気にとられるルビーを見て、彼女の妹は意地の悪さを隠さずに微笑む。
「じゃあ、そういうことだからお姉様。わたくし毎日毎日聖女の仕事で疲れがたまっているの。ずっとお姉様が羨ましかったわ。毎日塔で怠けていたんでしょう? いい機会だからわたくしも休暇をとろうと思うの。結納金を使ってね」
どうやらルビーが『アクアマリン第一王女』として嫁いだ後は、しばらく身を隠したあと、『実はアクアマリンには病弱な双子の妹がいた』という体で再び表舞台に出てくるつもりらしい。
ずいぶん杜撰な計画だし、そこまでして嫁ぎたくないのかとルビーは思った。それほどまでに結納金が莫大な額だったとしか考えられない。そういえば、自分の家族は昔から見栄っ張りで金遣いが荒かったわと思い出していた。
言葉を失っているルビーをよそに、国王夫妻と妹は食事と歓談を再開する。
きらきらと輝くまぶしいドレスを身に纏った美しいアクアマリン。家族の再会だからと精一杯まともな衣類を着てきたルビーだったが、それはこの場で一番みすぼらしく、使用人のメイド服にすら見劣りした。
「……あら? まだいたのお姉様。もう戻っていいのよ。八年もいるのだから、ここより塔の方が居心地がいいでしょう」
とぼけたアクアマリンが猫撫で声を出す。母デボラは忌まわしいものでも見るような顔をして、しっしっと手を振った。
「化け物がいると食事がまずくなるわ。とっととお帰り」
――当然、家族が囲む食卓には、ルビーの分の食事など用意されていなかったのだった。