ACT1 山中に集落を作る山賊の首領を討伐せよ
うだるような暑さは踏みしめる荒道の土くれをも燃え上がらせるらしい。アリスはフェベレ山に居を構える山賊の集落を目指す道中の半分まで歩いたところで、もう帰りたい気分になっていた。
日よけマントの下に旅用の薄手のノースリーブ。短いスカートから覗く足は驚くほど白い。玉のような汗が光る顔にはオレンジ色の髪の先が濡れて張り付く。この暑さのせいもあって、ふわりとしたポニーテールは、燃えているよう。
「ううう……あづいいい」
黄土色の岩肌や、鬱蒼とした木々それと乾いて土ぼこりを上げる荒道。あまりの暑さのせいで、それらの景色が蜃気楼のように歪んで見える。
いや――。
アリスは、蜃気楼の揺らめきが人の形をとり、突き出された剣先が自分の喉を正確に貫くのを見た。
それはアリスの中に宿るルウェンが見せる数秒から数十秒先の未来予知。
(攻撃感知。生命危険度に基づく対処を検討――対抗措置を開始)
未来予知結果に基づいてルウェンが完全に起動する。ルウェンは独自の判断で対抗措置に必要な術式を構築する。
(対象座標を確認。対抗措置、<<雷神の鋭針>>を発動)
アリスの右肩辺りの空間から、青白く輝く細い矢が数本、形成される。矢は電光を撒き散らして瞬時に加速。アリスの右方五メートルの空間に突き刺さった。
「ぐああああっ!」
何も見えない空間から透明の男の悲鳴が上がった。いや、苦悶に顔を歪めて姿を現した男は、迷彩術式で周囲の景色に溶け込んでいたのだということが分かる。
アリスは慌てて駆け寄り、男の生死を確かめる。しかし予知で見た生命危険度からルウェンが採る対抗措置が、男を生かしておくようなものではないことが分かりすぎるほど分かっていた。
「ちっ……」
アリスが受けた依頼は山賊の討伐。カイゼル団と名乗る山賊集団はフェベレの山に集落を築くほどの大集団で、徒党を組んでは近隣の村だけでなく、リタースデルハイド国の息のかかった市街地まで襲っていた。リタースデルハイドは今、隣のアールハイズ国と戦争状態にあり、とても賊の討伐にまで兵を割く余裕は無い。そこでリタースデルハイドは秘密裏に賞金稼ぎギルドに働きかけ、非公開の賞金首としてカイゼル団首領のルート・カイゼルの始末を依頼した。この男を始末すれば今回の仕事は完了となる。だがそれはあくまで建前で、ギルドとしては二度と山賊が幅を利かせないようできるだけ派手に殲滅することを望んでいる。
アリスとしてはギルドの意向になど興味は無いので、できれば対象以外に無駄な殺しはしたくなかった。敵を生きて捕らえて情報を手に入れておきたかった。
迷彩術式に限らず、魔術は基本的に希少な才能が無ければ使うことが出来ない。本来ならば、才能があり魔術を学んだ者は軍の隊長クラス以上の地位は約束されている。戦場で戦うのが嫌ならば研究者の道もある。なんにせよ盗賊や山賊ごときが魔術を使うというケースは滅多にない。しかし同時にアリスは納得もしていた。協調性のないならず者を大集団に纏め上げるのは、魔術師であれば頷けるというものだ。
普通であれば、なかなか手強い相手、といったところか。
「ま、俺には関係ないけどな」
男のような口調で呟くアリス。この少女が宿すルウェンは神話時代の中心となった伝説の<<翼竜の賢者>>の一人である。神話クラスの実力を持つ魔術師にとって、並みの魔術師などいくら束になろうが相手になりはしない。まあルウェン自体の強さは桁外れだとしても、ルウェンを宿すアリスは戦闘能力皆無のド素人というのが弱点と言えば弱点なのだが。
「だって戦いとか面倒だもんねー」
本当は賞金稼ぎなんてやりたくなかった。気ままな旅の道すがら、路銀の必要に迫られたときに世界中どこでもギルドを通して仕事がもらえる賞金稼ぎギルドに所属してると都合が良かったというだけの話だ。
石切り場のような荒れた岩肌を見せる崖を片手に、荒道を登り続けること約二時間。敵の襲撃を二度三度と撃退したが、その全員の命を奪ってしまっていた。山賊の集落にたどり着いたところで身を隠す術のない自分は、彼らと同じような屍をまた積み上げるはめになるのは明らかだ。これではギルドの思惑通りか、と漏れるため息を抑えることも出来ない。ギルドから自分のところへ依頼が来たのはこれを期待してなのだ。
「やれやれ……皆殺しならもっと適任がいくらでもいるだろうに」
一人悪態をつくアリスの眼下に、人家が見えていた。
山の頂上はくりぬいたような盆地で、そこに山賊たちが作ったレンガの家が所狭しと立ち並んでいた。
「さて、首領の屋敷はどこか……おや?」
おそらくアリスを襲った男達の他に、アリスを偵察していた者もいたのだろう。その報告を聞いて集まっていたのか、アリスの行く手を阻むように数十人の男達が迷彩術式を解いてゆらりと現れた。
「お前ぇ、何者ンだ?」
一目でならず者と分かるようなごろつきたち。その中でも一際大きな剣を担ぐ大男が叫んだ。
アリスは男の声に負けないよく通る声で、言い放つ。
「俺はここの首領、ルート・カイゼルに用がある!」
「うちのボスになんの用があるのか知らねぇが、ここに来るまでの間、俺らの仲間を殺しておいて、はいそうですか、と通すと思ってんのか?」
周りの男達から野次は上がらない。仲間を殺された怒りが、沸点すれすれまで高まっている緊張感が辺りに充満していた。
「襲われたから対処したまでだ! もう一度言う。俺はルート・カイゼルに用がある!」
大男が「くどい!」と叫ぶ前に、アリスの背後で悲鳴が上がった。
ルウェンの対抗措置に焼かれて、アリスを不意打ちしようとしていた男が絶命する。
男達の間に動揺が走った。
「て、てめぇ!!!!」
男達が各々手に持つ武器を握り締める。まさに一触即発だ。
このまま猛り狂った男達が襲い掛かってくれば、彼ら全員を殺してしまうことになる。いくら相手が村や町を襲って悪さを重ねる悪党だとしても、割り切れるものではない。アリスは思わず唇を噛んだ。
「くそっ……」
一旦退いて別の侵入路を探すか、とも思ったが連中の集落は周囲をぐるりと崖に囲まれていて、ここの他に入り口はなさそうだ。さすが山賊だけあって守ることも考えてここに集落を築いたのだ。
「にゃははー、アリスたん何を難しい顔してるのかにゃー?」
「うわぁっ!」
突然横からにゅっと突き出された顔はギルド所属の賞金稼ぎ、レイクスベック。童顔の少年で、周囲の女の子にやたらと人気がある。しかしベックは何がいいのかアリスに付きまとい、事あるごとにちょっかいを出してくるのだ。
魔術で身を隠しているわけではないのに、近寄られるまでまったく気配を感じさせなかった。この童顔の少年のどこにそんな技術があるのか、誰も想像できないだろう。だがアリスは彼が凄腕の剣士だと知っていた。
「優しい優しいアリスたんは、哀れ山賊たちを罪の鎖から自由にしてあげることもためらって、苦悩に苛まれてる。アリスたんの悩む顔、とーっても可愛いにゃ!」
「マジで死ね」
「ひっ、ひどいアリスたん! ボクは悩めるアリスたんを助けるために、わざわざやって来たんだよ? どうかにゃー、アリスたんは人を殺したくないんでしょ? だったらここはボクが引き受けてあげてもいいにゃ」
大げさな身振り手振りでまくし立てる少年の登場に、山賊たちもあっけにとられていた。ベックがどこから現れたのかまるで分からなかったからだ。気付いたときにはアリスの横に立っていた、迷彩術式や転移魔術ではありえなかった。
「てめぇ、ふざけてんじゃねえ! 殺すぞ!」
叫んだ大男の首が飛んでいた。
ベックは相変わらずアリスの顔を笑顔でみつめていた。だがアリスはベックのその手にいつの間にか握られている片刃の剣に、真新しい鮮血が滴っているのを見た。
アリスとベックの位置から山賊達の場所までゆうに十メートルはある。その距離を一瞬で首を刎ねて戻ってくるなど、人間業ではない。いや、一瞬と言うのも生ぬるい。なにしろアリスはおろか、手練の山賊達の一人たりとも、ベックがアリスの横から動いたように見えなかったのだから。
「にゃはは、アリスたんボクに任せにゃサイ!」
「ちょっ、ま、待て! お前がやったら俺の金が!」
アリスは別にベックと組んでいるわけではない。ベックに仕事を横取りされれば、アリスに入る賞金はゼロだ。
「いやー苦労したにゃ。アリスたんに振られた仕事の内容を調べたら、まだ公開賞金首にも載ってない山賊団の大物の始末だっていう話じゃにゃいか」
「いやお前、調べたって……」
簡単に言うが、ギルドが人を指定して寄越した仕事を、簡単に他に漏らすわけが無い。どんな方法で調べたのか、想像したくも無かった。
この人を食ったような童顔の少年は、ギルドの力を象徴する闇そのものだ。アリスはその笑顔の裏にある闇が恐ろしくて、思わず目を逸らした。
「にゃは。じゃあひとつ手品を披露するにゃー! さあさ、みなさんお立会い。種も仕掛けもないんにゃから!」
ベックが山賊達に向き直り、手にした剣で真横をゆっくりと指した。構えにしても妙な格好だ。
男達が疑問の視線を向けた瞬間、全てが終わっていた。
数十人いた山賊の全員の首が同時に斬られて血飛沫が上がった。
ベックがアリスの方を振り向いて笑う。
「にゃにしたと思う?」
アリスはルウェンに守られてることも忘れて、全身に絡みつくような恐怖を感じていた。
そして斬られて死んだ山賊達が全員同時に倒れた。