一つ目の代償
「さてと、カリン...何かいい案はあるか?」
「...格好をつけた割に、やはり何も考えていなかったのですね」
あれ程自慢げに言った割に、何も考えていなかったらしいラウ。すぐさま、カリンの方へと話を振ってきた。
「俺はカリンの右腕であって、懐刀ではないからな」
「...そのように、自信満々に言われましても」
誰もラウを自身の右腕だと言った覚えはないのだが、確かにほとんど彼に当てはまるであろう。だが、仮にそうだとするとカリンの懐刀とは一体誰を指しているのだろか...。
(懐刀ですから、知略に長けた方ですよね)
「...懐刀ならば、リンカやシンさんあたりでしょうか?」
「シンか...。確かに何考えてるかよくわからん奴だが、頭はいいな。だが、例え百歩譲ったとしても、リンカはないだろ」
「...ラウちゃんの主観を交えないで下さい。リンカは頭いいです」
「いーや、そんなことはないだろ。カリンは何だかんだリンカに甘いから、そんなことが言えるんだ」
カリンがリンカに対して甘いというのなら、ラウは逆に厳しすぎるのではないかと思う。別段、仲が悪いということもなさそうだが、この二人はいつも何かと言い争っている。だが、ファメルのときとは違い、どちらかといえば良く口論をしている。そういえば、この式典の前日も、どちらが式典の日にカリンの護衛をするのか、で揉めていた。なんと言うか、二人とも互いをライバル視しているような関係だろう。
「...誤解です。私は常に皆に平等に接することを心がけていますから...取り敢えず、今は此処を脱出することを優先しましょう」
「そうだな、この話は後でリンカと合流してからでも遅くはない」
リンカと会えることを当然として話すラウの言葉に少なからず勇気をもらう。ラウが言うのだから、きっと...いや必ずそうなるのだろう。リンカに密かに対抗心でも燃やしているのか、隣で何やら真剣に考え始めたラウを見遣りながらカリンはそう思う。
二人が話している間にも黒い焔は会場内を呑み込んでいき、特に守護結界のあった方は近寄れないような状態となっていた。この会場から出る手段も限られてきた中で、横にいたラウがあっと声を上げる。
「カリン、いい脱出方法を思いついたぞ」
「...どんな方法を思いつかれたのですか?」
ラウから聞かされたその方法はごくシンプルなものだった。方法の説明を聞き終え、カリンはそれを二つ返事で了承する。
「...はい。とてもいい方法だと思います」
「はっ、そうだろ。俺はリンカよりも頭がいいからな」
だが俺はカリンの右腕だから、懐刀の座は仕方なくリンカに譲ってやるんだ、とか何とか言う声が聞こえるが、それは軽く聞き流し、ですが、と言葉を続ける。
「...ですが、脱出する前に二つお願いがあります」
「お願い?何だ、それは?」
「...まず、一つ目ですが...ラウちゃん、あちらを___ 」
カリンに促されるままにラウは目線をそちらへ向ける。其処には、自身の目を疑うものがあった。
「何で、あんなものが...」
「...それはわかりませんが、おおよそ闇に呑み込まれたときにフェルド国王陛下が手を放したものと思われます」
「......わかった。そっちは、カリンに任せる。で、俺は何をすればいいんだ」
相変わらず察しの良いラウのおかげで話はトントン拍子に決まっていく。
「...ラウちゃんには、この状況を部下たちへ伝えてもらいたいのです。そして、民への避難を促すように、と」
「...ああ、わかった」
カリンからのお願いを受け、早速とばかりにラウは部下に連絡をとり始める。
『リンカ、シン。聞こえるか?緊急事態だ』
『何が起きているのですか、ラウ。先程、城の方から悲鳴が聞こえてきました』
『緊急事態...、カリン様はご無事か?』
『ああ、カリンなら今は大丈夫だ。ただ、これから一体何が起こるかわからない』
リンカとシンに内心の動揺を知られないようにするためにも、ラウは其処で一度思念伝達を切って一呼吸置く。気持ちが少し落ち着いたのを確認して、次の一文を二人へ送る。
『フェルドが禁呪を使って、闇を此方側へ喚び出した』
『『...っ!?』』
思念伝達を通して、二人の動揺がラウの方へと伝わってくる。いつもならば、魔法の制御が甘いな、と偉そうに言うところだが、今はそうも言ってられない。三人の話は、まだ長くなりそうだ___。
(さて、一人でどうやってあれを回収したものでしょうか)
幸い、闇はあれを落としたことに気がついていないのか、はたまた、あれに価値はないと見て何もしないだけなのか、闇があれを_フェルドが闇に呑み込まれる寸前まで手に持っていた禁書を取りに行く様子は依然としてない。後者だとしたら、ほとんど何も問題なく取りに行けそうなものだが、前者だとしたらカリンの狙いに気付いた闇に邪魔される、もしくは横取りされる可能性が発生する。また、後者の場合でも、闇の狙いが元からカリンや誰かとの戦闘だと想定するならば、禁書を取りに行けない可能性が高くなる。先程から闇の様子をうかがっているものの、特に目立った動きはなく、自身の足の動作を確認したり、その場でジャンプしてみたりとまるで自分の体に慣れようとしているような動きばかりである。だとするならば、やはり禁書を取りに行ったカリンと戦闘になる可能性が一番高いように思われる。
(まぁ、うだうだと此処で考えたところで、私には禁書を取りに行くしか方法はないのですが...)
ファメルが何も話してくれない以上、禁呪のことや闇のことについて知識を深めるためにも禁書はとても重要なものだろう。そして、そんなことを言っていられる時間もそろそろなくなってきた。燃え広がった焔は、崩れ落ちた扉から外へと広がっていく。それは、やがてこの城を...いや、この国を呑み込んでいくのだろう。
「...それでは、此方も始めますか」
禁書のある、会場の北西側へと向かう。あいにく禁書を取りに行くためには、闇の正面を横切っていく必要がある。
(見逃して下さると有り難いのですが...)
だが事態はそう上手くいかないようだ。カリンがちょうど闇の目の前を通り過ぎようという時、闇が動き始める。闇はその場で大きく飛び跳ね、カリンと禁書の間に立ち塞がる。
「...通しては下さいませんか?」
「.........」
「...ならば致し方ないですが、ここは___ 」
一応の確認として、カリンはそう闇へと問い掛ける。だが、やはりフェルドの意識は残ってはいないようで、闇からは肯定も否定も返ってくることはなかった。それを受けてカリンは、攻撃の構えを取る。カリンにはまだ自身の武器がないため、武器を使うことができない。武器がない、というのは厳密に言えばカリンに適合する武器がないのだ。だから代わりにカリンが取るのは幼少の頃から身につけてきた武術の構えだ。カリンの戦い方は、武術と自身が得意とする氷属性特有魔法:氷華を織り交ぜて戦うというものである。だが、先程カリンの部下に黒い焔に呑み込まれる寸前、魔法を放った者がいた。あの魔法が吸収されたということは、カリンの魔法も効く確率は少ないとみて間違いないだろう。効かないとまだ、決まったわけでもないのだから、これから試してみればいい。そんなことを考えていたときだった。
「......ワ」
「...え?」
目の前にいる闇から、唐突に言葉のようなものが発せられたような気がした。
「ワ...ワレハヤミ。コノヨをカキカえルモノナり」
それはカリンの聞き間違いでもなんでもなく、確かに目の前にいる闇から発せられたものだった。闇は、まだ言葉を話すことに慣れていないのか、だいぶ聞き取りにくい発音ではあったが、それも時間の経過とともに流暢になっていく。
「カりンよ、もっとチカラをツけつよくナれ。ワレもココでつよくなってまっている」
「......貴方は、誰ですか?」
流石の出来事に数秒押し黙った後、カリンは話と全く関係のない質問をしてしまう。だが、闇はそれに言及する様子もなくそれに答える。
「ワレはヤミだ。それ以上のことはわからない。ただ、カリンのシツモンがワレにフェルドのどれだけのものがハイッテイルのかという意味ならば...ワレはフェルドのキオクを持っていて、アヤツのマホウを使うことができるだけだ、というのが答えだ」
「...そうですか。ならば貴方には、フェルド国王陛下の意志を...この国を変えたいと、私を殺したいという思いを継いでいますか?」
「ああ、そうだな。ワレじたいにそういうメイカクな思いはあまりないが、ワレの中にはたしかにフェルドがいる。それが、ワレにこの国を変えろと、ワレのめのまえにいるモノをころせといってくる。...それにワレの中には、何かを壊したい、誰かを殺したいというキモチが存在する」
向こうには此方の質問に答える義理など全くといっていい程ないはずなのだが、闇は律儀にもカリンの問いに答えを返す。この様子を見ると、とても自分の部下や貴族たちを葬ったものと同じには見えない、というのがカリンの率直な感想だ。
「...なるほど。質問に答えていただき、ありがとう御座います」
「いや、ワレもちょうどいいリハビリができた。もう、シツモンはおわりか?」
「...はい。つまり、今までの話をまとめると私と戦いたいという気持ちはあるが、まずはお互いに力をつけてから戦おう、ということですよね」
「ああ、そうだ。だから...ワレラのキュウシュウとなるモノたちへ、これを」
まだ不慣れな言葉遣いで闇は"キュウシュウ"と言う。カリンはそれが何を示すのかわからず、少しだけ首を傾げるが間もなく仇讐という言葉に辿り着く。単語の意味からしても、これが一番合いそうではあるが、一つ引っかかるのは闇がこの言葉をカリンと誰に向けて言ったのかである。そうこう考えている内に、カリンに向けて何かが闇から投げてよこされる。
「...本当に宜しいのですか?」
「モチロンだ。もっていけ」
カリンの手元にしっかりと収まった禁書は、近くで見るとますます禍々しく強大な魔力を帯びていた。中に封印されていた闇がいないというのに、禁書の魔力は健在なようである。禁書はとても丁寧な装丁がされており、表紙には何も書かれていない。カリンは禁書を開いて中を確認しようとするが、ページには何も書かれていない。すると、カリンが開いたページに文字が浮かび上がってくる。
「...【ワタシの閲覧を望む者よ。ソナタに試練を与えよう】......?」
「カリン、お前は今キンショからのシレンに臨むことができる。シレンとはキンショから与えられるダイショウのことだ。シレンに臨まないのであれば、今すぐにキンショを閉じたほうがいい。ただし、シレンに臨まなければキンショの閲覧は叶わない」
「...ならば、選択肢は一つです。私は禁書の内容を知らなければならない」
カリンがそう言い切ると、禁書に新たな文字が浮かび上がる。
「...【試練に臨む覚悟ができたようでなによりだ。だが...そうだな】」
【まずはソナタの望みを聞かせてもらおうか?カリン】
「...あなたは___ 」
それは自身の近くから聞こえているのか、それとも遠くから聞こえているのか、その声は女なのか男なのか、何もわからない声が確かにカリンに聞こえた。念の為辺りを見渡しても、誰もいない...それどころか、カリン以外の者が誰もいなくなっている。声の主はきっと彼女の手元にある禁書だ。いつの間にかカリンの周りは、式典会場ではなく何もない空間が広がっていた。
「...此処は、精神空間ですか?」
【そうだ。そういえば、ソナタは昔ここに来たことがあるのだったな】
「...はい、契約のときに一度だけ」
昔、ファメルと契約したときもカリンはこの空間に来たことがあった。ファメル曰く、此処は神々やその従者階級の者たち等、この世の理から少しだけ外れた存在の者たちが創り出せる空間のことらしい。精神空間は特にそんな者たちの心の中の世界の一端のことだとも言っていた。そして、この空間の最大の特徴は、カリンたちが普段いる世界と時間の流れが違うというところだ。精神空間のほうが時間の経過が遅いため、現実にはほとんど影響しない。
【では、本題に移ろうと言いたいところだが、その前にソナタに問わなければならないことがある】
「......」
【カリン...ソナタは何故ワタシを望む。そして、その先に一体何を求める?】
「...私は闇をフェルド国王陛下を止めたいです。そのための方法を知るために、禁書の閲覧を望みます」
カリンが禁書の閲覧を望むのは、ただ其処に止めなければならない者がいるから。そして、それはカリンの大切な者たちのためになると信じているから。だから、そのために...そのためだけに彼女はどんなことでもするだろう。
【それは、ソナタの部下や貴族たちのためか?】
「...はい」
【なるほど。では、ソナタに一つ教えてやろう。その者たちは生きているぞ】
「......!!本当ですか」
禁書からの思わぬ情報に、カリンの表情がほんの少しだけ明るくなる。闇によって呑み込まれた者たちの生存はカリンもずっと気にかけていたので、生きていて一安心といったところだ。その様子が可笑しかったのか、禁書はククッ...と笑いをもらす。
【ああ。皆、息はしているぞ】
「...それは、どういう意味でしょうか?」
続く禁書の言葉にカリンの表情は一転して暗くなる。心做しか、先程より声が低いようだ。禁書はそんなカリンを本の中より見上げて思う。やはり、コイツらは面白い、と。この島に囚われた歪んだ存在。それは、永き時を生きる禁書にとってこの上なく楽しい暇つぶしになりそうだ。
【この本には、フェルドとかいう者が封印を解いた闇以外にも封じられたものがいてな。まあ、あの闇ほどに強力なものはいないが、中にはそこそこ強いものもいる。あの闇はな、ソイツらに肉体を与えようとしているようなのだ】
「...その肉体に使うために殺さなかった、と」
【そういうことになる】
「...そうですか。情報提供、ありがとうございます」
禁書からの情報に礼を言うと、カリンの手に収まっていた禁書が少しだけ動いたような気がする。
【クククッ...この悲劇を招いた元凶によく礼など言えるものだ......】
「...?すみません、何かおっしゃいましたか?」
【いや、それよりも本題に移ろう。ソナタに与える代償だが___ 】
「...それは___ 」
禁書より聞かされる代償の内容。禁書曰く、カリンにはこの代償が似合うらしい。禁書からその代償の大まかな説明を受け、カリンはそれを二つ返事で了承する。
【では、ソナタの禁書の閲覧を許可し、代わりに代償を与えよう】
その言葉を最後にカリンの意識は精神空間から現実へと引き戻される。目の前には闇がいて、これから敵になる相手だというのに懐かしく感じられる。そして、遠目に此方を心配そうに見つめるラウの姿を発見する。ラウはカリンと目が合うと、少しだけ顔を歪めた。それは、哀れみや同情の視線ではなくただただ何もできなかった自身を責めるものであった。
「戻ってきたようだな。代償は、《《それ》》か」
「...はい、これで貴方と対等な場所に立つことができそうです」
カリンの言葉に闇はそうか、と一言返した。それは、その一言にいろいろな感情や思いが入っているようなものだった。こういうところはラウに似ているなと思って、敵になるのだからとそれを消す。
「ただし、ワスレルナ。カリンよ、そのキンショはお前を主と認めたわけではない。そのこと、忘れるでないぞ」
「...心得ておきます」
「......アあ、そウしロ」
「...?」
闇は少し間隔をおいた後、そう呟く。その呟きは闇がカリンに話しかけ始めたときほど、拙く辿々しいものだった。
「...あの、どうかされましたか?」
「.........」
カリンが問いかけてみるものの、闇から反応は返ってこない。先程までの会話が嘘のように、まるで理性的でない印象を与える。闇の異変は更に続き、体から黒い瘴気のようなものが上がる。
「...大丈夫ですか?」
「......グ」
こういうときに何をしたらいいのかがカリンにはわからず、取り敢えず闇に声をかけてみる。だが、返ってきたのは苦しそうな呻き声のみであった。
(こういう場合、一体何をすれば...)
『カリン。そいつの様子、なんかおかしくないか?』
カリンとは少し離れた場所にいたラウもこの異変に気づいたらしく、思念伝達を送ってくる。
『...そうなんです。ですが、私では一体何をどうすれば良いのかがわからず』
『何をどうすれば良いのかって、そいつはお前の敵だぞ』
『...はい、承知の上です』
離れた位置にいるラウのことを真っ直ぐ見据えながら思念伝達を送ると、ラウからは呆れたようなため息が聞こえてきた。流石のラウでも、この出来事を看過することはできないのか、と思うが、遠目に彼が微笑む様子が目に入った。
『流石だな。それでこそ、俺のカリンだ』
『...ラウちゃんのものになった覚えはないです』
『うっ、いいだろ。ちょっとぐらい、俺もカッコつけさせろよ』
『......冗談ですよ』
思念伝達にかける魔力量を少しだけ少なくして、カリンはそう伝える。それが、果たしてラウに届いたのかどうかはわからないが、彼は驚いたような表情でカリンの方を見て、近年稀に見るスピードで此方へやって来る。
「カリン、今なんていったんだ?」
「...何も言っていませんよ」
「いや、それ絶対違うだろ!?」
全く抑揚のない声、一つも変わらない表情、だというのに、何故かラウはそれを見抜く。こういう場面を見ると、彼はエスパーか何かなのではないか、などと現実味のないことを考えてしまうときがある。無論、そんな事実は全くと言っていいほどないのだが。まあ、何かはともあれカリンは、この状況を一体どう切り抜けたものか、と思っていると、その答えが出る前に完全に二人にその存在を忘れられかけていた闇が苦しそうにうめき声を上げる。
「ぐっ...グアアア......」
「...ラウちゃん、どうでしょうか?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
カリンに問われ、ラウは目を瞑って闇の方へと意識を集中させる。数十秒の間そうしていたが、その後目を開けて首を横に振る。
「...原因はわかりませんか」
「だめだな。こいつは体の構造が他と違いすぎる。だから、どこが悪いんだかさっぱりだ」
「...そうですか。ありがとうございます」
薄々気づいてはいたが、やはりこの闇は他のものたちとは体の構造から全てが違うようだ。胴体から足が六本生えていて、それにそのまま口が引っ付いているものなど、この島を何処を探しても見つからないだろう。
「すまない、俺の力不足だ」
「...いえ、お気になさらず」
この件に関して、ラウが気に病むことはない。カリンはそういうものと相性が悪いのか、ほとんどの魔法を扱うことができない。その点、ラウはそういった回復系魔法を一通り修めているため、そのほとんどを扱うことができる。ただし、相性が良いかと問われればそんなに良くはないのだとか。とはいったところで、此処にもしそういう魔法専門の者が居たとしても、状況は全くと言っていいほど変わらないだろう。二人の目の前にいる闇は、今も苦しそうに呻き声を上げている。だが、カリンたちにはそれをどうすることもできない。闇の気持ちを汲み取って少しでも共有することすら、何も___。
『......か...』
「...?」
『き...える...か』
打開策の見つからない中、カリンに何ものからかの微小な魔力波が伝わる。初めはそれが何を示すものかわからなかったが、もう一度先程よりも幾らか強力な魔力波が伝わり、カリンはようやくそれを自身への思念伝達だと認識する。思念伝達の声の主は大分弱っているようだ。
「...聞こえています。その声は闇ですか?」
「カリン?どうしたんだ」
『ああ、今はジカンが惜しい。てみじかにいくぞ_ワレはもうすぐ消える』
「...消える、ですか」
『そうだ。セイカクには消えるのはワレそのものではなく、今カリンと話しているワレの意思がな』
闇から伝わってきた言葉を噛み砕き咀嚼して飲み込んでようやく理解をしようとする。横にいるラウの声も今の彼女には届かない。闇の意思が消える...なら、それが失われたとき、闇には一体何が残るのだ。
『予定では、もう少しあとになるはずだった...』
「...予定ですか?」
「一体、さっきから誰と話して___ 」
先程からわかっていたことではあるが、やはりラウに闇の声は届いていないらしく、困惑した表情でカリンに問いかける。カリンはそれに闇の方を見ることで返し、会話に戻る。
『ワレラがキンショをみたダイショウだ。こんなに、はやいとは思わなかった』
「...我らが、ですか」
『......すまない、もうジカンがあまりないようだ。だが、ワレが今意思を失うとカリンを殺すだろう。だから、今からワレはこのコクエンをつかってこの国を呑み込む』
闇から告げられる内容にカリンは息を呑む。ラウはそんなカリンの様子を心配げに見つめるが、それ以上干渉することはない。
「...っ!!他に方法はないのですか」
『ああ。そうでもしなければ、ワレの中にあるショウドウを止めることができない』
「......わかりました」
『すまないな...』
闇はもう一度謝罪をするが、カリンはそれに返す言葉を持ち合わせてはいない。謝らなくてもいい、と返したところでそれが何の意味も持たないと彼女は知っているから___。
その謝罪を最後として、闇から思念伝達が送られてくることはなかった。それと、時間を同じくして闇が何やら自身の中心に魔力を溜め始めている。この魔力を使って、この国を呑み込むつもりらしい。なるほど、確かにこの魔力量なら国の一つや二つ落とせよう。
「カリン、闇は何と言っていたんだ?それに、この魔力は一体...」
「...闇は今からこの国をあの焔で呑み込むそうです」
「はあ?いいのか、そんなことさせて」
「...はい、致し方ありません。そうしなければ、今此処で私達を殺さなければならないようなので」
それは双方にとって本意ではないでしょう、という言葉を言いかけてやめる。それを口に出してしまったら、何かが変わってしまうような気がしたから。
「そうか。よくわからないが、わかった。取り敢えずは、当初の作戦通りにするか」
「...はい。私もそれがいいと思います」
カリンの了承を得てラウは自身の作戦通り、この会場にあるテラスへと向かう。だが、途中でカリンがついて来ていないことに気づき、振り返る。
「カリン、行かないのか?」
「...もう少しだけ、此処にいてもいいでしょうか」
「ああ。好きにしろ」
ラウの視線の先のカリンは、闇のことを見つめていた。其処にどんな思いが渦巻いているのかはわからないが、これは今の彼女にとってきっと必要なことだという気がした。やがて闇はその中心に魔力を溜め終え、ゆっくりと此方の方を向く。
「グッ...グオオオオオ!!」
「カリン、これやばくないか?」
「...ですね」
二人は互いに頷きあうと、テラスに向かって走り出す。闇はそれを追いかけるように、テラスの方へと魔力の照準を合わせる。
「カリン、行くぞ!!」
「...はい」
ラウからの言葉を受けカリンは城のテラスから身を乗り出す。テラスを囲むようにある柵を蹴り、城から飛び降りる。それを見た後ラウも、カリンと同じように飛び降りる。そう、ラウの考えた作戦とは単純明快...テラスから飛び降りて城を一気に脱出するというものだ。二人が飛び降りた瞬間、闇が魔法を発動させる気配を感知し、城のテラスからはあの黒い焔が溢れ出る。急激な高出力魔法の発動にカリンたちが先程までいた部屋は爆発を起こし、それによって発生した爆風が二人の背中を押す。カリンとラウは、想定していたよりも城から少し離れた場所に着地する。一方はまるで何かの手本を見ているように綺麗に、もう一方は風の影響が急に消えたせいでバランスを崩し、それを誤魔化すように体を回転させて崩れたバランスを強引に戻す。
「うわっ...あっぶねぇーな」
「...ラウちゃん、流石です」
横で一部始終を見ていたカリンに手放しで称賛されるが、普段とは違ってあまり嬉しくはなさそうである。というか、嬉しそうではあるのだが、何かそれよりも他のことを考えているような___。
「...っ!!ラ、ラウちゃん!?」
「カリン、ごめんな...」
僅かな動揺が見られるカリンの前で、ラウはその髪に手を伸ばす。美しく流れる水色の髪。その中でラウが手に取った部分だけが、純白に染まっていた。人間は老化とともに髪が白く染まることがあるらしいが、この島で暮らす者たちにとって白とは死そのものを表す色である。我々の大半は、生まれたときに白以外の何らかの色に髪が染まっている。それが、その者の持つ一番強い属性を示しているのだ。だが年齢を重ねるにつれ、髪が白く染まることはない。髪が白く染まることには、二つのパターンがある。一つ目のパターンは、この島でも極稀にしか見かけることのない生まれつき髪が白く生まれたもの。そしてもう一つのパターンは、何らかの大罪を犯したためにその罰として髪を白に染めるのだ。この島のものは皆、生まれつき白髪という例外を除き、自身の髪を全て白くすると死に至るのである。
「...私は大丈夫です。髪が白くなったといっても、一部ですし」
「違います、これは私たちが背負うべきものです」
心配をかけないように作り笑いを浮かべながらカリンはそう言うが、珍しく従者モードのラウにきっぱりと返されてしまう。私たちと敢えて複数を指したのは、カリンの従者全員が、ということだろう。王族としてそういう判断をしなければならないこともあると昔教わったことがある。だが幼き日のカリンにとって到底納得のいくものではなかった。その考えは今も変わることはない。カリンは闇から貰った禁書を胸にぎゅっと抱く。
「...私にも背負わせて下さい。あなた方に守ってもらうばかりの私は私ではありません」
「......っカリン様」
「...王族なのだから守られなければならない、ということは勿論わかっています。ですが、この状況下...王族だからではなく私が私自身がそうしたいと思ったのです」
「だから、それを抱えていくと、そう仰るのですね」
自身の胸の内をとつとつとカリンは語り始める。それはさながら何かの確認作業をしているようにも見える。彼女の言わんとする事を察したラウは、いつもより遥かに険しい表情でそう溢す。カリンはその言葉に一つ頷きを返し、話を再開させる。
「...ラウちゃんの言いたいこともよくわかります。今後、仮に私が王位を継ぐことになったとして、この髪色は大きな問題となるでしょう。きっと、民に私の話を聴いてもらうことすら難しい___ 」
「そこまで、理解しておられながら何故」
「...私があの時確かにこの選択をしたいと思ったからです」
そう、あの時確かにカリンは決断した。たとえ彼女自身が罪を負うことになろうとも、この国を助けるという選択をすることを。国は王族だけでは成立しない。王族と民と、そしてその者たちが国という一つの組織を営むことのできる土地と其処で暮らす皆の安全を守るための法があって初めて成立する。その要素のどれ一つ欠けさせることはできない。それが、王族としての使命である。
「...それに従者とは、確かに主を傍で守り、時に正しき方向へ導くための助言をする者たちのことを指します。ですが、それ以上に従者は主の思いを汲み取り、その意志に寄り添う者たちなのでしょう?」
ラウはその言葉にヒュッと息を詰まらせる。カリンの言う従者の姿...それは、昔ラウが彼女に教えたものであった。一年という長いようで短いあの逃避行の中での掛け替えのない二人だけの想い出の一つ。その懐かしさを噛み締めながらラウは、考え込んだ末に首肯する。
「そうだな...わかったよ」
「.........?」
「ああ、いいさ。それなら、とことんまで足掻いてやろうじゃねぇか」
「...ラウちゃん?」
カリンの見つめる先でラウは暗い笑みを浮かべる。暗くて冷たいその笑みは、彼女が彼と出逢った当初に見たことのあるものだった。彼が悪巧みをしているときに見せる表情。でも、昔とは少しだけ違う。今はそれに楽しいという感情が視える気がするから。
「カリンの望むままに、どんなことでも叶えてみせる。それが、俺たちの生きる意味だ」
「...ラウちゃん、何だか楽しそうですね」
「ああ。カリンがいるから、毎日楽しいよ」
「...ですが、無理はしないでください」
俺たちの生きる意味、とは随分と大層な存在になってしまったものだ、とカリンは思う。あの時はただ必死だった。少しでも民を救いたくて日々努力していた。その行いに報いを与えるように、目を細めながら嬉しそうにラウは笑う。
「そうだな...善処するさ」
「...約束、です」
「わかった。じゃあ、カリンも無理はするな...約束だ」
「...はい」
そうして、二人は約束を交わす。このいつどちらが欠けるともわからない状況の中で明日を願う。偽りの自分を演じ続ける少女と少年は、いつか自分が自分でいられるそんな夢を見て...その隣に大切な人がいてくれる幻想を胸に抱く。両者とも、約束が果たされることなどないのだろうと心の何処かでそう考える。でも、この約束に何か意味を見いだすために、いつかこんなこともあったと二人で笑いあうために、今日に偽りの笑みを置く。それを嘲笑うように頭上に城から砕け散ったガラスが降り注ぐ。そして、それに呼応するように城は黒い焔に呑み込まれて原型を失くす。
「カリン、逃げるぞ。みんなでこの国を出よう」
「...もちろんです」
だが、決して二人の笑みが途絶えることも、その歩みが止まることもない。きっと彼女たちにとっては、この状況でさえも絶望するに足りないものなのだろう。それ以上の絶望を二人はもう知っているから___。




