君が誰かを殺すなら
ファメルとカリンがフェルドについて思念伝達を使って話し合い、ラウがカリンを見つめている間にも、フェルドの話は進んでいた。
『...ラウちゃん、フェルド国王陛下が何を話されていたのかわかりますか?』
ファメルとの話が一段落したことを見計らって、カリンはラウに聞く。
『ああ。フェルドの奴ならさっきから歴代闇の国国王たちの話やら、この国の在り方はどうなんだ、とか言ってたな』
ファメルと話し合いを行っている間、常にラウからの視線を感じていたのだが、どうやら話は聞いていたようだ。
『...ラウちゃん、ちゃんとお話聞いてたんですね』
普段のラウだったら、自分の気に入らない者の話なんて気にも留めないはずなのに、と少しだけラウのことを見直す。
『もちろんだ。俺は凄い”狼”だからな』
何故だろう、心做しか狼の部分を強調して言っていたような気がする。
『カリン、ラウのことは放っておきなさい。ラウはすぐ調子に乗るんだからね』
『ファメル様、そういうことを言うのはやめて下さいといつも言っているでしょう』
ファメルの言葉に突っ掛かるラウの様子を眺めながらカリンは思う。
(ラウちゃん、狼よりも犬の方が似合っている気がします)
『...二人共、一旦落ち着いてフェルド国王陛下のお話を聞きましょう』
『落ち着いてないのはラウだけよ』
『落ち着いていないのはファメル様だけです』
取り敢えず二人を宥めようとカリンが言うと、二人から同時にそう返ってくる。
『ちょっとラウ、妾が落ち着いていないとはどういうことよ』
『そのままの意味です。ファメル様に落ち着きなど存在しないでしょう』
『むっ、妾はいつも落ち着いているじゃないのよ。そう言うラウの方こそ落ち着いてないじゃない』
『なっ、私はいつも落ち着いているでしょう。ファメル様はいつも一体何を見ていらっしゃるのですか』
思念伝達を介して行われる二人の子どものようなやり取りにカリンは首肯しながらこう呟く。
『...お二人共、仲がよいのですね』
『『断じて、良くない!!』』
今度は、タイミングだけでなく一言一句同じ言葉を言う二人。本当に仲がいいのだなと感じる。喧嘩するほど仲が良い、という言葉がこの二人にはぴったりなのかもしれない...まぁ、喧嘩というほどの喧嘩はしていないが。
『ラウ、どうして妾と同じタイミングで同じことを言うのよ。真似しないでちょうだい』
『真似をされているのはファメル様の方でしょう。はぁ、そのせいでカリン様に仲が良いなどというあらぬ誤解を受けたではありませんか』
『嫌な誤解を受けて迷惑しているのはこっちだわ。ラウ、今度会ったらただじゃ置かないからね』
『えぇ、こちらこそ次に会うときには貴方様を氷漬けにして差し上げます』
何やら不穏な会話が聞こえるが、きっと気の所為であろう。きっと...いや、多分。取り敢えず、この二人は当分の間会わせてはならない、そうカリンは心に決めるのであった。
心の中に直接聞こえる二人の会話を一度シャットアウトして、カリンはフェルドの方に意識を戻す。
「__このようにして、歴代の国主たちは闇の国を繁栄させてきた。これは、素晴らしい偉業であろうと思う。だが、私はそれと同時に考えるのだ。何故、彼らは皆一様に国を《《自分が》》繁栄させようとしないのだ、と」
フェルドの矛盾した発言に貴族たちは揃って頭をひねる。我らの国王は、一体何を言わんとしているのだと。フェルドはそんな貴族たちを一瞥した後、言葉を続ける。
「国主たる者の心構えの一つとして、こんな言葉がある。”国主は、国をより良きものにするために国に全てを捧げる者だ”」
フェルドの言ったその心構えは、王族や貴族などの位の高い者たちなら大抵が耳にしたことのあるようなものだった。貴族たちは先程と一転して、今更何を言いだすのか、という表情をしている。
「つまるところ、私が言いたいのは、歴代の国主たちは国に確かに貢献しているが、それは一時的なものに過ぎないということだ。今日の式典のように、歴代国主たちは自身の役目を継ぐに相応しい者を選び、その者に国主としての重責を負わせたのだ。彼らは、国を他の者に明け渡し、国主の座やそれに伴う全てを押し付けたのだ。これが本当に国に全てを捧げたといえるのだろうか」
少しだけ早口で_彼らしからぬ話し方で話す。その間もフェルドの目は何処か遠くを見つめていて、心なしかいつもよりぼんやりとしているようである。これも、禁呪を使用したことと何らかの関連があるのだろうか。矛盾していないようで、確かに矛盾した話を彼は尚も続けようとする。いつの間にか、先程までフェルドに対して従順であった貴族たちでさえ、この言いようのないおかしさに気づきフェルドの味方をすることもなく、ましてやカリンの味方をすることもなく中立の立場を築き始めていた。だが、フェルドはそれに気づく素振りも見せずに話を続ける。彼の目にはもう何も映ってはいないのかも知れない。或いは、もっと前から___。
「いや、彼らは国に全てを捧げたとはいえないだろう。途中でその役目を放棄し、剰え体のいい理由を故事付け、自身の近しい者にそれを押し付けたのだ。これは、あってはならないことだと私は思う。そこで考えたのだ。そもそも、どうしたら国に全てを捧げるなどということができるのであろうと。すると、ある日私はその問いに対する答えを見つけたのだ。それは、私が死ぬことのないものになればいいのだと」
フェルドが続けて言った如何にもらしい理由に思わず感嘆を覚える。カリンを殺すためだけに良くこれ程までの、嘘を並べ立てられるものだなと。そしてこれは、禁書の影響なのではなく、きっとフェルドという人格が形成したものなのだ。するとカリンの目の前で、フェルドは禁書を手にして椅子から立ち上がり、宣言する。
「だから私は不死の存在となり、この国の永遠の王になろうと思う」
その言葉に貴族たちがどよめきを返す。だが、その反応を意に介さずフェルドは禁書を開く。そして、あるページで手を止め、聞き慣れない言葉を発する。それを禁呪だと理解するのに時間は幾分も要さなかった。フェルドがその呪文の一節を紡ぐ度に、底知れぬ黒い波動が周囲を満たしていく。
『始まったわね』
『カリン様、これは一体?』
思念伝達を通し、ずっと小競り合いをしていた二人ですら、フェルドの持つ禁書の放つ波動を感じたらしく言い合いを止める。
『...禁呪』
『そうよ。フェルドは今禁書に眠った闇を起こすための禁呪を唱えているわ』
『これが、禁呪ですか。確かに、あれから凄まじく禍々しい波動を感じます』
禁書から出る黒い波動は、フェルドが禁呪を唱える度に威力を増していく。常人であれば、立つことも難しいであろう。その波動にさらされた貴族たちは、皆苦悶の表情を浮かべている。
『...このままだと、危険ですね。ラウちゃん、貴族の方々の避難をお願いしてもいいですか?』
それなりの力を持っているとはいえ、彼らは温室育ちなのだ。このような状況にはあまり慣れてはいないであろう。
『承知しました』
カリンからの思念伝達を受け取ったラウが即座に行動に移す。だが、何事もそう上手くはいかないもので、カリンたちの狙いにいち早く気づいたフェルドが禁呪を唱えながら、黒い波動をこの式典の会場にある唯一の扉へと向ける。扉は波動の力を受け、ミシミシと嫌な音をたてる。
『カリン様、如何致しましょうか。私一人が此処から出るだけならどうにかできそうですが、貴族の方々を連れて行くとなると...』
ラウが難しげな表情をする。それ程までに、あの波動は厄介なものなのだろう。
『...《《どのような方法》》を使ったとしても出ることは叶いませんか?』
『ああ。仮に出られたとしても、物言わぬ肉片になっているのがオチだな。まあ、あいつらのことをカリンが黙らせたいと思うならやってもいいぜ』
一応の参考として質問を投げかけたが、ラウから返ってきたのはなんとも不穏な答えだった。
『......ラウちゃん。貴族の方々をフェルド国王陛下から離れた場所へ移動させ、守護結界を張ってください』
『カリン、その沈黙は一体なんだ!?』
短い逡巡の後、カリンはそう結論を下す。いつもとそう変わらないくらいだと感じたのだが、ラウにとっては違ったらしい。ラウはいつもカリン自身が気づけなかったことまで教えてくれる。相手の些細な変化すら見抜く彼のことを、昔の自分は好ましく思い、同時に恐ろしいと思った。今となっては、もう過ぎた話だ、とカリンは少しだけ過去を懐かしむ。
『...ラウちゃん』
『チッ、わーったよ。...カリン様の仰せのままに』
カリンに軽く流されるような形になってしまったことが不服だったのか、ラウは暫くの間考え込むような仕草をしていたが、やがて諦めたのかぶっきらぼうにそう言う声が伝わってくる。とはいえ、ラウはカリンに言われたことならきちんとするため、貴族たちのことは彼に任せておけば安心だろう。すると、必然的に残る問題はフェルドのことのみとなる。
『...ファメル様、禁呪の詠唱を止めるということは可能なことなのでしょうか?』
『そうね、結論から言うと不可能よ。禁呪の詠唱が始まった時点でもう誰にも止めることはできないわ』
ファメルのいう、誰にもという言い回しにカリンは取っ掛かりを覚える。
『...誰にも、ですか?それは、フェルド国王陛下にも止めることができないということでしょうか?』
『.........えぇ、そうよ』
長い沈黙の後、ファメルから想定していたものの中で最も最悪な答えが返ってくる。禁呪を詠唱している本人であるフェルド自身がそれを止めることができない。つまり、あの詠唱はフェルドの意思に、禁書の中に眠っている闇の意思が介在しているのだ。そして、その意志はフェルドのものよりも強い。だから、フェルドの意思を変えたところで禁呪の詠唱を止めることができないのだ。そこまで、考えたところでカリンはある一つのことに気がつく。フェルドは魔の中でも比較的強い部類である_この島では、魔力やその者自身の強さがそのまま意志の強さに比例していると言われている。では、フェルドの意思よりも闇の意思の方が強いということは、フェルドよりも闇の方が強いということなのではないか。それも、フェルドの意思を叩き潰してしまえるくらいには、その闇が強いということだ。
『...フェルド国王陛下が眠りから覚まそうとしている闇は、それ程までに強力なのですか?』
『そうね。実力でいうと妾とほぼ互角よ』
『...互角ですか』
互角ということは、闇を倒して禁呪の詠唱を止めることも不可能であろう。此方にはカリンとラウがいるとはいえ、向こうにはフェルドがいるのだ。どうやっても、分の悪い賭けにしかならない。ならば、此処はフェルドが禁呪の詠唱を終えるまで待つのが最良だろう。
『カリン様、首尾はどうでしょうか』
『...ラウちゃん、貴族の方々はどうされたのですか?』
今抱えている問題をひとまず片付けたところで、思念伝達でラウの声が聞こえる。カリンが視線を少し上げて横を見ると、其処にはいつの間にかラウがいた。
『それなら問題ありません。結界は強力なものを張ってきましたし、護衛としてその辺で遊んでいた兵士を数名つけておきました』
カリンがラウの報告を聞きながら、貴族たちの方へ目を向けると確かに結界とその周りにこの会場内の警備を任せていた部下の姿があった。だから、ラウのいう遊んでいたとは正しくは何をしたらいいのかわからず困っていたのだろう。
『...そうですか。ラウちゃん、ありがとうございます』
『はいっ!!』
カリンは当然のこととしてラウに礼をしたのだが、何故であろうか。ラウはとても嬉しそうである。その反応の意図が理解できず、カリンはまた少しだけ首を傾げるのだった。
『それで、カリン様。そちらでは、禁呪を止めるための策は何か見つかりましたか?』
『...それが......』
ラウからの問いに言い淀むカリンを見て、彼は一転して表情を暗くする。
『禁呪の詠唱は止めることができないのですね』
『えぇ、妾の知識を合わせても無理よ。どうあっても、闇を封印という眠りから解き放ってしまうわ』
ファメルの放った完全なる否定の意見に、ラウは頭を抱える。
『左様にございますか。ファメル様ともあろう方でも無理なのですね』
『むっ、それは妾に喧嘩を売っているのかしら?』
『いえ、滅相もございません。ただ、かの高名なファメル様でさえわからないのだな、と思っただけです』
『!!ラウ___ 』
『...ラウちゃん』
放って置くとまた喧嘩に発展しかねないため、ファメルの言葉を遮ってラウの名前を呼ぶ。
『カ、カリン様...』
『...ラウちゃん。いつも言っていますが、ファメル様に喧嘩を売るのはやめて下さい』
『はい...』
カリンに叱られシュンとするラウ。だが、此処で彼に優しくすると直ぐに調子に乗るため取り敢えず放置しておく。
『...ファメル様』
『な、何かしら?』
カリンに唐突に名前を呼ばれたからか、ファメルからは戸惑ったような言葉が返ってくる。
『...貴女様にはこれといって非はありません。ですが、敢えて一つ申し上げるとするならば、ファメル様はもう少し大人な対応を身につけて下さい』
『うっ』
カリンからの思念伝達を聞き、明らかに狼狽えるファメル。先程までカリンに叱られ凹んでいたラウが、一転してとても上機嫌になる。
『大人な対応って...。ファメル様、子どもっぽいですもんね』
『妾は子どもじゃないわよ』
『こうやって、すぐに突っ掛かってくるところが子どもみたいなんですよ』
ラウに図星をつかれ、ファメルは言いどもる。ラウのいうことは確かに正論であったが、彼は今ファメルのことをとやかく言える立場ではない。
『...ラウちゃん』
『......』
『...ラウちゃん、あからさまに目を逸らさないで下さい』
カリンの言わんとすることが伝わっているのか、ラウは一向にカリンと目を合わせようとしない。
『......』
『......』
『はぁ、わかりましたよ。私が悪かったんでしょう?』
カリンがラウのことを見つめ、ラウが明後日の方向を見続ける謎の時間が続いた後、先に折れたのはラウの方だった。少々...いやだいぶ投げやりではあったが。
『そうよ。早く謝ってちょうだい』
『はいはい。モウシワケアリマセンデシタ』
『ちょっと、欠片も気持ちが籠もってないじゃない』
『全く注文が多いですね。私はちゃんと謝りましたよ』
意識しているのか、それとも無意識なのかまたも喧嘩を売り始めるラウと、先程のカリンの言葉など忘れたというようにその喧嘩を買おうとするファメル。二人とも年上なのに、存外子どもらしいところが多いのだなとカリンは諦め半ばに感じる。
『...まあまあ。ファメル様、一旦落ち着いて下さい。ラウちゃんは取り敢えず黙っていて下さい』
カリンからの思念伝達にラウが傍目にもわかりやすくしょげる。
『これが、落ち着いていられるわけないじゃない。だって、カリンも聞いていたでしょう』
対照的に、ファメルはカリンに思念伝達で同意を求めてくる。
『...はい。確かに聞いていました』
というか、二人が三人用の思念伝達で会話しているため、聞きたいと思わなくても聞こえてくるのだが、という思いは伝えることなく自分一人の中で留めておく。
『...ですが、ファメル様。一つお考え頂きたいのですが...』
『えぇ、何かしら?』
カリンはできるだけ深刻そうに思念を送る。思念伝達を通したファメルからは、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
『...ファメル様、ラウちゃんは先程確かに気持ちは籠もっていませんでしたが、ファメル様に対して謝りましたよね』
『そうね』
『...確かに気持ちのあるなしは、相手側からの誠意に関わる重要なことです。ですが、考えてもみて下さい、《《あの》》ラウちゃんが謝ったんですよ』
『っ!!確かに...』
カリンの言葉に、ファメルは驚きつつ同意の言葉をもらす。二人の話を見かねたラウが、会話に割って入る。
『あの、二人ともなんか私のことディスってませんか?』
『妾たちがラウのことをディスるわけないじゃない』
『...そうですよ。私はただ事実をいったまでです』
こういう場面のとき妙な結束力を見せる二人からの言葉を受け、ラウはうっと言葉を詰まらせる。
『ひ、ひどいじゃないですか。それに、二対一なんてずるいです』
その後に伝わってきた言葉はまるで拗ねた幼子のようなものだった。その言葉にずっとラウに喧嘩を売られ続けていたファメルの気は晴れたらしい。
『ふふふ。ラウ、年相応のその話し方のほうがあなたには似合ってるんじゃないかしら?...あら、この言葉は禁句だったかしら。カリン。殺気が此方まで伝わってくるわよ』
『_ファメル様、今の言葉お取り消し願います』
ファメルが上機嫌のままに放った言葉に、カリンの眉がピクリと動く。彼女の横にいたラウが事態の深刻さを悟り目を見開く。今はフェルドのことなんて気にしている場合じゃない。
(あの反応、そしてこの殺気...。ヤバいな)
『カ、カリンさ_ 』
『カリン、殺気を収めなさい。妾に対して怒りを覚えるのはまあわからなくもないけど、早く仕舞わないと死者が出るわよ』
ファメルからの指摘を聞き、ラウは会場の端へと目を向ける。その視線に気づいた貴族たちが結界の中で何事かを言っている。何だその殺気は、だとか、我々を殺すつもりか、などと特に気に留める必要のない程度の罵声がラウの耳に聞こえる。
『ダメね。妾の声は届いてないみたい。_まぁ、貴族たちの数が減らせるいい機会かも知れないわ』
およそ感情というものが欠落した意見に戦慄を覚える。それでも尚、体から殺気が溢れ続けているカリン。その表情は髪で隠れており、ラウの方からは見ることができない。
『確かに、私もうるさい貴族の方々がいなくなって下さると正直有り難いです。ですが、そのようなことをするとカリン様が悲しまれますので』
『......そう』
長い沈黙の後にファメルは一言だけそう伝える。彼女の感情が読めないのはいつものことであるが、こう元気のない返答をするのは珍しいなとラウは思う。そのように思ったところでどうということもないが、ただ少し気になっただけだ。
『あなたはいつもカリンのことばっかりだわ...』
『?...それは___ 』
『気にしないでちょうだい。ただの独り言よ』
独り言なら何故それを伝えたのだろう。まるで、誰かに_ラウに聞いてほしかったみたいじゃないか。だって、そんなの...俺のことが___、そこまで考えたところでラウは思考を中断する。これ以上はダメだ。これ以上先のことを考えてしまっては、もう戻れなくなる。そうなったときにラウはカリンに合わす顔を持ち合わせてはいなかったから。
『カリン様のためにも、貴族の方々を殺すわけにはいきませんので。ここは...』
ラウはそこで思念伝達を途絶えさせ、今尚殺気を放つカリンへと歩み寄っていく。その余りにも無防備な歩みに、つい先程までカリンに嫌悪の感情を向けていた貴族たちでさえ黙って彼の行動を眺めている。貴族たちがラウを静観している間にも彼は歩みを止めずついにカリンの真正面_目と鼻の先まで来る。そして、ラウはただ無条件に彼女への慈しみを持って静かに抱きしめた。
『...!?』
カリンからは微かな動揺が返ってくる。それすらも、今はただただ愛おしく想い彼女をギュッと抱きしめた。その際ラウの手に触れる髪に此方から触れてみたくなり、彼女の髪を撫でる。暫くそうしていると、カリンの周囲を渦巻いていた殺気が徐々に薄れ跡形もなく消えていった。
「...ラウちゃん、ありがとうございます」
「いえ。これも私の務めですので」
『...あのラウちゃん、少し言いづらいのですが』
ラウの腕の中でカリンは少しだけ身を捩る。それには気づかなかったフリをしてラウは返す。
『はい?何でしょうか』
『...その、私から離れて下さい』
近距離にいるのだから先程のように話せばいいというのに、カリンは頑なに思念伝達を通して会話をしようとする。ラウはカリンのその行動をいじらしく思う。
『やだ』
『...離れて下さい』
『絶対、やだ』
カリンの言葉にまるで駄々っ子のようにごねるラウ。この状況が余程嬉しいのか、先程から彼の耳はぴょこぴょこと揺れ動いている。
『...〜っ、やはりラウちゃんは犬です!』
『はっ。確かに俺は狼だが、それ以前にカリンの犬だからな』
『...そういう意味ではありません』
一方通行なやり取りを続け、カリンは一周回ってラウに対して感心を覚える。その時、ずっと二人の話を聞かされ続けていたファメルが怒り気味に二人に割って入る。
『二人とも。妾を除け者にして、いちゃつかないでちょうだい』
『...私はいちゃついているというような覚えはないのですが』
『いえ、カリン様。私たちは今確かにいちゃいちゃしていました』
カリンは心外そうに思念を送るが、何故かファメルではなくラウからお墨付きを貰ってしまう。
『...してません』
『いいえ。していました、なんなら現在もしています』
キリッとした表情で躊躇いなくそう思念伝達をするラウ。彼からの思念を聞き、カリンはラウから離れようとする。だが獣人であるラウの力には敵わず、一向に離れることができない。そして、またもや二人に除け者にされてしまったファメルは先程よりも怒った様子で思念伝達をする。
『もういいわよ、あなた達のせいで気分が悪くなったわ』
『...大丈夫ですか?』
『大丈夫なわけないじゃない。もう、妾は帰るわ』
そう自身が伝えたいことだけ伝えてファメルは直ぐに思念伝達を切ろうとする。
『...待って下さい、ファメルさ___ 』
『そうそう、伝え忘れるところだったわ。闇の気配がさっきから濃くなっているの、多分もう禁呪の詠唱が終わるわよ。まぁ、二人で頑張って何とかしてちょうだいね』
何故だかファメルは少しだけ棘のあるような言い方で告げた後、今度こそ彼女からの思念伝達は途絶えてしまった。あの様子からして、今日のところは仮にカリンがファメルを喚び出そうとしても、彼女がそれに応じることはないだろう。つまりは、この状況をカリンとラウだけでどうにかしないといけなくなったというわけだ。




