あの日の誓い 前編
あの焔の日、私は誓いました。必ず、私のこの手であのヒトに復讐すると。
あの焔の日、俺は誓った。何があろうとも俺は、絶対にあなたのことだけを愛し続けると。
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ここは、封印されし島...カシェ島。その西方に位置する大国。ある者は憎しみと怒りを込め、またある者は羨望と称賛を込め、この国を闇の国と呼んだ。
__今日、この国は、彼らのそういった感情が高まる日だ。闇の国、次期女王の披露式典が執り行われるからである。
......そして、今日この日を境に私たちは崩壊へと歩みだす。
「...ねえ、お兄様。今日、闇の国で大きなシキテン?があるんですって。一緒に行きましょ」
その日は、妹の様子がおかしかった。普段、私とあまり会話をしたがらない彼女が、私に話しかけてきたからだ。そして私も、何故だかはわからないが、不思議といつものように彼女の誘いを断ろうとは思わなかった。
思えば、この選択こそが全ての始まりだった。
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ゴオォォ...
全てを呑み込む真っ黒な焔が、排他的な城を式典に訪れた者達を黒く、黑く、くろく、染め上げていく。黒い焔に追われながらも彼らは懸命に走り、あの異色の焔から遠ざかろうとする。彼らの本能が逃げろと告げているからだ。だが一人、また一人と逃げる者達の数は、焔に呑まれ減っていく。
(何故、こんなことに...)
理由はわからないが、城で何かがあったのだろう。式典の最中、いきなり城から甲高い女の悲鳴が聞こえてきて、その数秒後、あの黒い焔が城全体を呑み込んだのだから__。
「...お兄様、あの黒い焔は一体......?」
隣を歩く妹が、驚きと不安の入り混じった声で尋ねてくる。だが、問われたところで、あのような色の焔は見たことがなかった。
「残念だが、私にも焔の正体はわからない。だが、あれに呑み込まれるわけにはいかないだろう。ひとまず、この国を出ようか」
私からの提案を受け、妹は唖然として目を見開いた。そして、その表情のまま私に問いかけようとする。
「お兄様、まさか_____ 」
「いや、これは......私自身が考えて出した結論だ」
私は妹の発言に言葉を重ねて遮った。意図したことだが、そうとは決して気取られぬように。
「あっ...ご、ごめんなさい。お兄様、今のは失言でした」
慌てて口元を押さえて妹は謝罪した。私は、気にしなくていいと返し、念を押すように、早くこの国から出ようともう一度繰り返した。
その時、妹の目が本当は気にしてるくせに、と私のことを咎めたが、気がつかなかったフリをした。
「...............」
妹は暫しの間、私のことを見つめていたが、やがて静かに視線を逸らした。そして、正門がある東側へと歩き出す。
(そう、あなたには視えたのね......)
心中だけで呟きを零して、私も妹の後を歩み始めた。どちらも何も言わない、ただ二人の歩く音が聞こえるだけの時間。いつもと同じ光景に私は安堵を覚えてしまう。このままではいけない、ということはわかっていた。しかし、この距離はもう日常のものとなってしまっていたから。
「少しスピードを上げようか」
後ろに迫る焔の姿を捉え、私は自身の先を行く妹に問いかけた。だが彼女からは、肯定も否定も返ってくることはない。ただ、前を歩む妹のスピードが上がった。きっと、先程のやり取りを気にしているのだろう。しかし彼女は、このような状況でどうしたらいいかが分からないのだ。
......もし、私たちが昔のままでいられたなら、この答えを見つけることはできたのだろうか。だが、それは気づいたときにはもう手遅れだったのだ。だから、しょうがない。そう自分に言い聞かせることだけを、私たちは答えとして抱えている。
不意に前を行く妹の足が止まった。彼女の視線を追いかけ、私も黙ってそちらを向く。其処には黒い焔に追われて逃げる者達がいた。身なりからして貧民であろうことは、すぐに察せられた。
(......あの子...)
「お兄様、あの子」
私たちの見つめる先に、一人異色の彩を放つ少女がいた。彼女はエルフ族特有の、先の尖った耳を持っていた。そして、彼女の身なりは貧民や平民のそれではなかった。纏った薄紫のドレスに目立ったデザインは見当たらないものの、非常に高価な生地であることは遠目からでも窺える。だが、一番に目を引いたのは、少女の表情であった。このような状況にあろうとも彼女は表情を変えず、まるで精巧な作りの人形のようだ。そして何よりも、私たちが疑問に感じたことがある。
「あの子、どうしてあんな所にいるのかしら?」
彼女が逃げ惑う貧民達よりも後方、つまりは焔の目の前を走っているということだ。
「だってあの子、服装からしてどこかの貴族か何かでしょう?」
妹がようやくこちらを振り返った。先程のことなど忘れてしまったように、いつも通りの声色だった。だから私も、何事もなかったように話し返す。
「その可能性は高そうだ。だが、あの少女がこの場所にいる以上、断定はできないだろう」
そう、少女はこの場所にいる。__城から大分離れたこの場所に。
「そうですね。だって、城を黒い焔が呑み込んでから、まだそんなに経っていないもの。貴族なら、今日は城に呼ばれているはずだから、この短時間でここまで来るには無理があるわ。……ましてや、自分の足で走ってここまで来るなんて」
貴族が徒歩であるなんて、お笑いもいいところだろう。特に闇の国で、そんな真似をする者がいるはずもない。妹の発言はある意味で決定的ともいえる。
「だがそれは、普通の貴族だったらの話だろう」
だから私は、真っ向から妹の意見を否定する。それを聞いて、妹は口元に深い笑みを浮かべた。
「その通りです、お兄様」
心底嬉しそうな様子の妹に、私は肩をすくめた。彼女はきっと私を試していたのだ。妹と私では出来が違う。彼女は私よりも遙か先のことを知っているのだから。
「あの子は明らかに普通じゃないもの。だって、私たちと同じ気がするから」
(私たちと同じ……)
妹が何気なく放ったであろう同じという言葉。だが、私にとっては妹と同じ、と彼女に言われることがどうしようもなく辛かった。私たち二人は、何もかもが違うというのに__。
「……様、お……様。お兄様!」
妹の声に私は自身の意識を思考の渦の中から現実へと戻す。思っていたよりも、長い間考え込んでしまっていたらしい。妹が私を心配そうに見上げていた。
「すまない、少し考え事をしていてね。それより、どうかしたのかい?」
私が話し出すと、妹はようやく胸をなでおろした。そして後方の焔に振り返り、彼女らしからぬ真剣な表情を覗かせて言う。
「ここにもだいぶ、焔が迫ってきています。早く逃げましょう、お兄様」
私も妹に倣えば、黒い焔が次第に迫っていることを視認できた。私たちは、一も二もなく城の東へと走り出した。あの不可解な少女のことは、すっかり思考から抜け落ちてしまっていた。
「はぁ……。流石に国の外まで来れば大丈夫だろう」
ここに辿り着くまでの疲弊を完全には隠しきることができない私の隣で、妹は呼吸一つも乱すことなく、闇の国が黒い焔に呑まれていく様を見つめている。この光景に、彼女は何を感じているのだろうか。乱れた息を強引に整えながら、私も妹と同じ方角をぼうっと眺めた。
「……!」
すると突然、不思議な光が国の正門近くで溢れた。何の光かはわからないが、魔法によるものとは違うように思えた。そうこうしているうちに謎の光は消え、その光源があったであろう場所から、一つの影が空へと飛び上がる。
「お兄様。あの子、さっきの子だわ」
放心した様子で呟く妹の声を頭だけで何とか拾いながらも、私の意識は例のエルフの少女に注がれていた。少女は手に、先程までは見なかった大きな剣を携えていた。その黒い剣身には強い魔力が流れていると、遠目からでも感じ取ることができた。そして、少女は空中で剣を振りかぶり、正面の黒い焔を目掛けて一気に振り下ろしたのだ。
「「……なっ!?」」
目の前で起こるあり得ない光景に、私たちは一斉に声を上げた。こともあろうに少女の剣は、あの焔を二つに切り裂いたのだ。
「す、すごい!」
妹の言葉に、確かに凄いな、と心の中だけで同意する。私たちが何をしても効かない、無駄である、と結論を出して、逃げたはずの焔に立ち向かい、尚且つその黒い焔に攻撃を当てるなんて__。
「あっ、あの子がこちらに飛んできます。……気絶しているのでしょうか?」
少女は剣を振るった衝撃か、正門の外壁を越え、ちょうど此方に飛ばされてきているところだった。私は少女が落ちてくるであろう位置に立ち、彼女を横に抱きかかえる。……所謂、お姫様抱っこというものだ。咄嗟に一番受け止めやすく、少女に負担のかからない体勢にしただけなのだが……なるほど、これは、いささか恥ずかしいな。
「お兄様。ナイス、お姫様抱っこです」
親指を立てて、妹は私に微笑みかけた。
(妹よ、恥ずかしいからあまり言わないでくれ)
その上、彼女には茶化す意図など全くなく、天然でこれを言うのだから本当にたちが悪い。
「……はは、ありがとう」
乾いた笑いを顔に貼りつけて、私は何とかそれに応じる。妹はそんな私を見て、不思議そうに首を傾げたが、それ以上に言及してくることはなかった。
少女を抱きかかえたまま、私は軽く彼女の容態を確認する。
「ふむ。やはり、気絶しているようだな。目立った外傷はなさそうだ」
それを聞いて、考え込む仕草をみせる妹だったが、やがておずおずと私に問いかける。
「私にも、診せてもらっていいですか?」
「もちろんだ」
私に異論などあるはずもない。私からの了承を受け、早速とばかりに妹は少女へ駆け寄った。私は妹の目線に合わせて、少しだけ腰を低くした。少女から少しだけ距離を開けた位置に立って、固く目を閉じた彼女を見据える。__瞬間、妹の瞳は柔らかな緑色に光りだす。
「…………」
無言のままに少女を見つめ、妹は目を閉じた。そして、彼女がゆっくりと目を開けば、其処に新緑色の光はなかった。
「何か、見つかったかい?」
私の問いかけに、妹は少女を訝しげに見つめる。
「……お兄様。この子は、一体何者なのかしら?」
ようやく返ってきた答えは、私の想定するものとはかけ離れていた。一体、妹には何が見えたのだろうか__。
「この子を診てみたら、重度の栄養失調でした。何より、この子の心臓の動きが明らかにおかしいんです」
結果と交えて、妹は疑問を口にした。
(栄養失調……。この少女は貴族ではないのか?それとも、やはり彼女は__ )
考え出しても、きりがない。一先ず、栄養失調云々については、この少女に聞いてみた方が早いだろう。となると、気になることは一つ。
「おかしいとは、どういう意味かな?」
妹は何やら小難しい顔で、医師として覚えた違和感について語り始める。
「この子、心臓の動きが早すぎるんです。エルフは、寿命が他の種族に比べて長いでしょう。その分、心臓がゆっくり動くんです。だから……」
「おかしいんだね」
尻すぼみに消えてしまった説明を引き継ぐと、妹は力なくうなずいた。
「……そうです」
心なしか元気のない妹に気づくも、私はひどく穏やかな心持ちだった。私が強引に引き継がなければ、あの結論は埋まらなかっただろう。そして、妹はそんな自分のことをどうしようもなく許せないでいる。
「それで、この少女をどうするつもりだい?」
私は普段より少し明るく、少し優しく妹に問いかけた。彼女はとても驚いて、そして、微笑んだ。久方ぶりに見る彼女の笑みだった。
「国に連れて帰ります」
私もつられて妹に微笑み返す。
(……妹と笑いあったのなんて、一体何時ぶりだろう)
心の底から嬉しいと、そう思った。__だから、彼女が悲しげに微笑んだことには、何も触れなかった。私は今を壊したくなかったから。




