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神々の寵愛  作者: Memu
第三章
18/20

妄執

「お前っ!!自分が何言ってるかわかってんのか!!」

 吐き出した激情と共に、女の隣りにある壁を殴った。ダンッ、と凄まじい音がなり、其処にあった棚から物が落ちてくる。しかし、そんなものに目をくれる余裕等なく、怒りで血走った目をギラつかせれば、至極の髪の合間から覗く冷たい瞳が此方を見下した。

「妾をお前呼びとはずいぶんと偉くなったものよのう。いつから、己の立場も弁えられなくなったのじゃ?」

「っ...!!それは......いえ、申し訳ありません。ファメル様」

叩きつけた拳を固く握りしめて謝罪を口にすれば、女...ファメルは一転して口元に笑みを浮かべ、ラウの手を両手で優しく握った。

「わかればいいのよ。それと、そんなそっけない口調は悲しくなるわ」

「.........」

何かを探すようにじっくりと眺めた後、「よかった」と小さな呟きを口にして手を離した。ラウには理解できなかったが、何かしら意味のある行動だったのだろうか。実体を持たないくせに、手を取るなんて仕草をして。

「悲しくなる、なんてよく言いますね。私にもカリン様にも関心を抱いていないくせに」

「そう。ラウが動揺するのも無理ないわね」

「わかっているのなら、何故...。冗談でもこんなこと聞きたくありませんでした」

「冗談や戯れの類で言う訳がないじゃない。そんなに嫌だった?()()()()()()なんて」

その単語に反応して揺れ動く表情を見つめ、ファメルは楽しそうにケラケラと嗤った。彼女の笑い声がやけに耳について、反射で手が出そうになるのを必死で堪えた。今、悪魔じみた性格の女を殴ったところで攻撃は当たらないし、何よりただの八つ当たりに過ぎないとわかっていたから。

 霊か何かのように透き通った姿で、これ以上ない存在感を示す彼女のことが、ラウにはどうしても同じ生き物と思えなかった。

「やめて下さい」

 それは懇願にも似た響きを併せもっていた。もう何も聞きたくなかった。彼女が次に言葉を発することを拒んだ。

 はたしてファメルは目を細め、先程までとは違う自愛に満ちた笑みを貼りつけながら、ごく自然に静寂を破った。

「いやよ」

返ってきたのは、完全なる否定以外の何ものでもなかった。やんわりと宥めるような声色からは、冷たくて心ない言葉が発せられる。しかし、そんな対照的な行いですら、如何にもファメルらしく思えて吐き気がする。どうして、同じ感情をもっていて、ここまでの差が生じてしまうのだろうか。

(そうなら、やっぱり、貴方にだけはふさわしくなかった)

「そんなことを仰らないで下さい...」

カリンのいない世界は怖くて、まるで透明な道の上を歩いているように不安定で覚束なくて、その場にずっとうずくまってしまいたい衝動に駆られる。何もしたくなくて、何をする気もおきなくて、閉じこもっていたくて、暗闇の中を心地良い、なんて思ってしまうのだろう。

「_...私はもう貴方様のことを殺したくて仕方ありません」

「...っ!!ふふふっ。ラウ、とぉっても良い表情ね」

長髪を耳にかけながら、舌なめずりするファメルの姿に、ゾクリ、と冷たいものが背筋に走るのを感じた。話が通じない、という次元ではない。ラウの鋭く尖った殺意を正面から余さず受け止めて、彼女はころころと咲った。

「その目つきも可愛らしくて結構よ。今にも射抜かれて殺されちゃいそうだわ」

「この期に及んでまだ私を馬鹿になさるおつもりですか」

 地底を這うような低い声音に、眼前の彼女の笑みはますます深まっていくばかりだ。心中にいろんな感情が廻っていくが、その全ては白に塗り固められ、新たな”殺し”の燃料にされていく。

「あら?別にそんなつもりはないわよ。でもぉ、まだちょ〜っぴりだけ怒ってるかも」

どうしてかは言わなくてもわかるわよね、とファメルは愛らしく首を傾げた。その仕草が少しだけカリンと似ていることに気づき、激しい嫌悪が否めない。

「チッ....。ホントに何なんだよ」

「なによ、ちゃんとわかってるじゃない。......だけど、あなたはやっぱりカリンのことばっかりね」

ふ、と女の姿が揺らめいた。気づいたときにはラウの目線いっぱいに彼女の透き通った顔が広がっていた。感覚は、感触はなかった。だが、何をされたかはわかる。突然のことに、先程の怒りも忘れて、ラウは思わず仰け反ってしまう。

「お前何しやがんだよ」

「なに、って?そうねぇ...」

ふふっ、と本日何度目ともしれぬ笑みをこぼす。それは、幼子の無邪気さと大人の妖艶さが入り混じったような妖しい笑みだった。反射的に臨戦態勢を取るが、如何せん二人の距離は近すぎる。その僅かに空いた隙間をうめるように、ラウの顔を覗きこみながら彼女は言った。

「_イジワルかしら?」


 わけがわからなかった。何を考えているのかも、何がしたかったのかも何一つ。ただ、目の前のファメルの姿が段々と透明度を増していっていることに気づいて顔を上げた。女は何処か名残惜しそうにラウから一歩引き、あっと思い出したように呟いた。

「あの子に”ここからは早い者勝ちよ”って伝えといてちょうだい。いい加減待つのにも飽きちゃったわ」

「一体、何の話...あっ、おい待て!」

「うふふ。じゃあね、ラウ。また近いうちに会いにいくわ」

 満足そうな声と部屋全体に広がる甘ったるい香りを残して、彼女の気配は完全に消えていった。後には放心状態で手を伸ばすラウとファメルから託された意味のわからない言伝だけ。

 未だぼんやりとしたまま手を下ろせば、鼻につく匂いと遠くから聞こえてくる歓声にハッと意識を引き戻される。

(そういえば、上手く躱されちまったな)

聞きそびれた本題は不確定なレールの上を走っている。だが、整備の行き届いていないレールの先は必ず自分の望まない一つの未来へと繋がっている。走り出した電車の終点は変わらない。ならば、せめてレールだけはあの子に敷かせてあげてほしい。それくらいの権利も望めないのなら、あの子に”生きて”という資格が自身にはないと突きつけられているようだ。

 絡みつく香りを振り切り、ラウは部屋のドアを開ける。広い廊下を横に走り抜ければ、一面の窓ガラスが眩しい日差しとその中を歩く者達を映し出す。今一番逢いたかった方の姿を彼らの中心に見つけて、ガラス越しに彼女へ触れた。その手が明らかに震えていたことに気づき、傍目にもわかるように口角を上げた。...早く、そっちに行こう。まだ、きっと俺にはその資格があるはずだから。

﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢

 西にある鉄製の門をくぐり、先に広がる薔薇やヒマワリ、水仙、菊...美しい花園を抜ければ、お目当ての訓練場に辿り着いた。赤を基調とした兵団服に身を包んだ屈強な者達。確実に三百はいるだろう。もちろん、闇の国にもたくさんの兵士がいるが、国王からの命で常に戦時中のようなヒリつきを保ち続けていた彼らが、訓練場に立ち寄ることなど滅多に無かった。

 だからこそ、赤々としたその集団を見て、カリンは戦慄を覚えたのだ。まだ、自国が呑まれてから日は浅い。一週間も経たずして、このように殺気が薄まるはずがない。高めた闘志が綺麗サッパリ消え去ることなどないのだ。そう考えれば、もし戦争が続いていたとして、自分達は間違いなく負けていたであろう。

 _彼らとは()()()()。これが光の国で得た初めての教訓であった。

 衝撃から立ち直り、いつもの無表情を浮かべるカリンと隣で未だ圧倒されたままのリンカを余所に、光の王と王妹は兵士達へ近づいていく。それに鍛錬中の兵士の何人かが気づき、手を止める。

「やあ。みんな、鍛錬のほどはどうかな?」

「はっ!皆、励んでおります。陛下におかれましては、お日柄もよく___ 」

「ストーップ!!!長いお話はなしなし!!」

「おお。これはこれは姫...いえ、王妹殿下。お二人でこのような所まで足を運ばれるとは...。どのようなご入用でございましょうか?」

ウルの良く響く声量のせいなのか、徐々に視線が集まってきていた。まあ、当の本人は”姫”と呼ばれたことが気に食わなかったのか、はたまた兵士の視線がすぐにエルに戻ってしまったことが不満なのか、頬を膨らませていたが。

「いや、なに大した用ではないんだが、兵士長はいるかい?」

「ええ。この時間は訓練場にいるはずですが...」

其処で言葉を切り、二人はぐるりと周囲を見廻した。しかし、広い、という言葉だけでは言い表せないほど、広大な訓練場だ。特定の人物を探すとなると、時間がかかりそうだ。

 二人の間を陣取っていたウルも背伸びをやめて、彼らを真似るように視線を動かす。少し遠目にだったが、カリンの位置からも確かに彼女が目を輝かせたのが見えた。

「久しぶりね!()()()()

 キラキラと瞬く瞳を見開きながら、ウルはその場から駆け出した。エルの静止の声すらも間に合わなかったほどだ。彼女はこの状況に集いつつあった兵士達の中でも一際小さくひょろりとした青年に抱きつく。

「ぐあっ...!!」

爆弾のような勢いにジャンプまで上乗せされたそれを受け、ウルの腕の中からは苦しそうな呻き声が発せられた。エルがわなわなと唇を震わせているのがみえる。これは一時間の説法コースだろう。後から、ウルにはリンカの淹れた紅茶でも持っていってあげよう。

「もうっ、今度城に来たら遊んでねって約束したじゃない!待ってたのに...こんなとこで鍛錬ばっかりしてぇー」

「あ...あが......。ウル様息できない...」

「わっ!?うそ、だめだめ。こんなところで死んだらいけないわ。生きなさい、グレイスーー!!」

ようやく拘束から解放されたグレイスは、ブクブクと口から泡を吹いていた。それに更に追い打ちをかけるが如く、ウルは彼の身体を前後に揺さぶる。

「ウル、そこまでにしなさい。流石にグレイスが可愛そうだ」

「えー。今いいとこだったのに。グレイスの死んだフリごっこ」

「ウル様、これ以上はやめて下さい。本当に死にます」

エルに窘められ、ウルは口を尖らせる。失神していたヒョロ男が起き上がり、そんな二人のやり取りを見て呆れ気味に笑った。

(日頃からウルに振り回されているようですが、彼からは嫌な気配を感じません。これも、ウルの人徳、なのでしょうか)

「...エルさん。此方はどなたですか?」

「ああ。彼...グレイスは我が国の兵士長だ。細身ではあるが力が強く、頭も回る。とても優秀な子だよ」

「陛下にそう言って頂けるとは光栄の極みであります。して、こちらの方が例のお客人でしょうか?」

 グレイスの視線が一気にカリンへ移り、食えないキツネ目が細められた。なるほど。確かに相当なやり手らしい。ならば此方も、と、少々対抗気味にカリンはニコリと作り笑いを貼り付けた。

「そうさ。彼女はカリン。隣国にて保護したウルの()()()だ」

「...ご紹介にあずかりました。初めまして。カリンと申します」

観衆に晒されながら、会釈程度のフラットなお辞儀をするカリン。あまり慣れてはいないため、少々動きがぎこちなかったはずだが、見れるくらいにはなっていたはずだ。

 顔を上げれば、周囲の兵士達がほう...と深いため息をついた。良かった、失敗したわけではないようだ。見れば、彼らの中にはいつの間にかリンカが紛れ込んでいて、一人手を叩いていた。...とても楽しそうで何よりだ。

 しかし正面の彼だけは、カリンから一時も目を離さないまま、呆れたように呟いた。

「_...へえ、ウル様のお友達なんですか。それはあなたも運が良いことでしたね」

(運が良い...?)

同情、そんな感情がグレイスからは見え隠れしている。だが、そんなものを向けられる覚えもなければ、誰かに同情してほしい、等とは考えたこともない。

「...ええ、そうですね。私が大変なところを国王であられるエル様、そして、妹君のウル様に助けていただき、心より嬉しく思っております」

「そう...あなたは確か貴族のお家柄なのだとか」

「...はい。マライルという貴族の出です。とはいえ、森の中にひっそりと屋敷が佇んでいるものですから、あまり世情には詳しい方ではありません」

「世情、ですか。そうですよね、小さな箱庭しか知らないお嬢様なのでしょうから」

 彼からの言葉の端々には一定の毒、のようなものを感じる。しかし、それを嫌なものだとは不思議と認識することができなかった。何故、だろうか。一つ言えることは、ただの悪意だけで彼が話をしていないように感じるということだろう。

「...何が言いたいのですか?」

「はあ、では率直に。僕はあなたに牽制がしたい。思い上がらないで下さい。決して、ウル様のことを理解できるなどとは...」

「...理解、ですか。でしたら、この牽制は意味を成さないでしょうね」

「それは、どういう意味でしょうか?これを聞いても尚、あの方を理解するとでも?」

理解ができない、とでも言いたげに、此方を見つめてくるグレイス。だが、それこそがカリンの言いたかった答えなのだ。彼の表情こそが、今の彼女の推論の正当性を裏付けている。

 いつの間にか、周囲はシン...と静まり返っており、彼らからの無言の視線が向けられていた。エル達もこの状況を静観するらしく、腕を組んで此方のやり取りを吟味していた。

「...いえ。理解など初めからできるわけがないんです。他者のことを完璧に知るのは不可能です。思い上がるもなにも、元からこの牽制は無用のもの...意味を成さないのです」

「いやあ、それは理解できなかった、又は理解しようと努力することができなかった者達のただの言い訳に過ぎないのではありませんか?」

「...確かに言い訳に近いのかもしれません。しかし、その中には言い訳とは隔絶的に違うことが一つあります。理解しようとした、という事実です。真の意味で、理解することはきっとできません。考えることは皆一様ではありませんし、その方の考えに共感することができたら良いのでしょうけど、現実はそうでないことの連続です。言いたいことはわかっても、納得がいかない。だから、理解できないんだ、という悪いスパイラルの出来上がりです。これは双方にとって、望まないことに違いないでしょう。その方のことを理解しようとはじめに思っていたのなら尚更......」

「では、今あなたは...」

「...はい。ウル達のことを理解しようとしている真っ最中です。そして、その中にはグレイス...あなたのことも含まれます。先程までのやり取りは全て私を試すため、で相違ないですか?」

 グレイスはカリンの言葉にハッと細い目を見開いた。その様子に、先程まで傍観の姿勢を取っていたエルが吹き出すように笑い始めた。エルがこんな風に笑うなんて見たことがない。そう感じたのは、カリンだけではなかったはずだ。張り詰めていた糸が断ち切られたように、集った兵士達も笑い始め、口々にグレイスをおちょくったり、小突いたりしている。

 その中で、ウルだけがこの光景を唇を噛み締めながら見つめていた。いや、厳密に言えば、兄だけを食い入るように、焼け付くように視界に収めていた。

「ははっ。完敗じゃないか、グレイス。なかなかどうして、今度のお友達には骨があるだろう」

「全くですね。そこまで、気づいていらしたとは...。失礼いたしました、お客人よ。僕達一同、あなた様を心から歓迎する所存であります」

 グレイスに合わせて、その場に居合わせた全兵士もカリンへ向かって敬礼する。他人事ならば壮観だ、の一言で済ますところだが、それが自分へ向けられた途端に背筋を伸ばしてしまう。

 だが、この状況に_正しくは中盤からであったが_納得していない者がいた。兵士達の隣で肩を震わせ、怒りという感情を体現している彼女。全身からオーラを発し、その場にいる者達に畏怖という感情を刻んでいく。

「お兄様、グレイス!?これは一体どういうことかしら?説明してちょうだい」

「っすまない。カリンという魔を客観的に見極めるためには、グレイスを巻き込むことが最善だと判断した......」

「...構いません。私がエルさ...陛下と同じ立場であったなら、同じようなことをしたと思います」

普段と変わらぬ無機質な声がカリンから発せられた。それを頭の中で反芻して、エルは静かに目を見開き、グレイスはカリンの視線に目礼で応じた。

「糾弾されてもいいと......カリンにはその権利があると、そう思う」

普段の自信がなくなってしまったかのように、エルは後ろめたそうに呟いた。しかし、カリンには思うことがある。エルのしたことは国王として、国を治め国民を庇護する立場にあるものとして、当然のことをしただけだと。だから、謝罪をする必要性もなければ、謂れのない糾弾をするつもりも毛頭ない。

「...糾弾も権利も不要なものです。......ウル、他者のために怒れることは美点ですが、今は矛先を収めて下さいませんか?」

 後ろの彼女へ視線を移せば、ウルは呆れたように首を横に振った。それだけで、あれ程濃密に渦巻いていたオーラが消え失せた。魔力のコントロールが余程秀逸だということが窺える。

 思わず、感嘆の声がもれ出る。まじまじとウルのことを見つめていると、彼女からはニコリと強気な笑みが返ってきた。それにぎこちない笑みを返していれば、グレイスが動いたのを視界の端に捉えた。

「お二人の寛大なお心、痛み入ります。...それで、皆様はなぜこのような場所に?」

「ああ、そうだったね。そちらが今日の本題だ。グレイス、ウルとカリンのために訓練場の一角を貸してくれるかい?」

「無論です。ウル様のワガママには日頃から慣れておりますので_...お前達も話は聞いていたな」

彼の指揮に合わせて、みるみるうちにスペースが空けられていく。散乱していた痕跡がすっかり消え失せるころ、グレイスはエルとカリンの元へ近づいてくる。ウルとリンカは図体の大きな兵士達に混じって、楽しそうに作業を手伝っていた。その様子を横目で満足そうに眺めて、彼は視線を此方に移した。

「では、僕はこのあたりで失礼させていただきます」

「なんだ、見ていかないのかい?」

「はい。気にならないと言ったら嘘になりますが、戦った後のウル様にはあまりお会いしたくないので...それでは、お先に」

「ああ。また、近いうちに___ 」

それだけ言い残し、グレイスは訓練場を後にしようとする。しかし、カリンの前を横切る際、思い出したように足を止めた。視線を上げれば、潜めるように低い声で切り出した。

「一つ言い忘れていました。カリン殿の魂からは混じりモノの匂いがします。端的に言えば、グチャグチャで統率が取れていない......どうか、気をつけてください。貴殿がそれに呑まれることがないように」

カリンにだけ聞こえる程度の声量でそれだけ言うと、彼は手をヒラヒラと振って去っていった。

 彼の姿が消えた場所を見つめて、カリンはぼんやりと考え事をする。

「...本当に良かったのでしょうか?」

返答等を求めない、ぼやきの類いであったはずだったが、それが聞こえたらしいエルが笑って告げた。

「君の対応は正解だよ。あの場でのカリンの応答に少なくとも私とグレイスは満足している。現に彼、途中から何も言い返せなくなってただろ。ははっ、あれは傑作だったな」

「...いえ、そうではありません。グレイスの言葉は私を図るためのものでした。しかし、その中には確かな挑発の意思と僅かな本音が見えました。彼が言ったことには、少なからず彼の本心が含まれていたはずです」

「......そうかい。君は本当によく見ているよ」

エルは何処か物憂げに目を伏せた。その意図がわからず、首を傾げていれば、少し遠くから自身の名を呼ぶ声が聞こえた。そちらへ視線を向ければ、ウルが笑顔で手を振っていた。どうやら、準備は整ったらしい。

「...それでは、行ってまいります」

「ああ。頑張ってくれたまえ。妹はとても強いからね」

隊員達の間を通り抜ければ、この場所の中でも一二を争う程、大きな土俵へと辿り着く。手前にあった土塊の階段を数段登れば、其処にはすでにウルが待っていた。

「いっち、にー、さぁん、しい......あっ!カリンも一緒にやる?」

「...準備運動、ですか。立派ですね」

「ふふーん、褒められたわ!それで、カリンもどうかしら?」

「...そうですね。では、ご一緒します」

腕や足を伸ばし、筋肉を適度にほぐしていく。その後、基本的な動作の確認を行う。一通りを治め、正面へ視線を戻せば、先程見たオーラが彼女の周囲を美しく彩っていた。

「カリンのオーラはとても澄んでいるわね。やる気は十分かしら!」

「...はい。それで、どのようなルールで行うのですか?」

「もちろん、何でもアリの総力戦!一対一を覆さなければオッケーよ。ちなみに、勝負がついてるのに、相手を傷つけるのはなし。あと、できるだけ怪我をさせないようにね。審判はグレイ...あれ、いないわ。どこに行ったのかしら?」

「......急ぎの仕事だそうです」

「むっ、逃げたわね」

「.........」

まずかったかもしれない。カリンの顔を見つめながらウルは両の拳を握った。それが振り下ろされる先は、一体どこなのだろうか。微妙に目を逸らすカリンから何かを察したのか、ウルがそれ以上彼のことを尋ねることはなかった。

 代わりに、ウルのオーラ...闘志が目に見えて上がっていく。左半身を半歩下げ、構えの姿勢を取る。勝ち気な新緑色の瞳が、此方を視界に捉えた。

「...ウルは素手で戦うのですか?」

「ええ。...あっ、カリンは好きな武器使っていいからね。できれば、あのカッコいい剣とか」

「...いえ。私も武器は使用しません。確認なのですが、魔法は使用してもいいのですよね?」

「もちろん、いいわよ。剣のことは残念だけど、カリンの魔法も楽しみね。やっぱり、水かしら?」

「...さて、それはどうでしょうか」

 その場で数回ジャンプをして、ゆっくりと肩の力を抜いていく。構えた、とは言い難い、とてもラフな体勢だ。だが、カリンにとってはこれが一番戦いやすい。二人の目線が交錯する。刹那、カリンの視界の中からウルが消えた。

 チリ、と灼きつくような熱気を感じて、咄嗟に左半身を後退させる。すぐ隣を熱線が通り抜けた。

「っ___...!?」

「あら、避けられちゃった」

土を固めただけとはいえ、その強度には筆頭すべき点がある。願失石の一種である魔力を持つ鉱石。同種のものより光沢があり、暗い光を放っている。魔力鉱石や魔鉱石と呼ばれることの多いそれらが、建築業界に頭角を現してから、その様式は一変した。

 金属に混ぜてみると面白いことに柔らかくなり、様々な形に変えることができた。それを武器制作に転用すれば、弾力性のある変幻自在な兵器を量産することが可能だ。

 時の建築者がその話を聞きつけ、魔力鉱石をペースト状になるまで磨り潰し、建物の建築に利用していた木材に塗ってみたそうだ。当時は、燃えやすく腐敗しやすい木材に変わり、コンクリート製の建物が増えてきていた。彼はもしかしたら木材の利用価値を増やそうとしたのかもしれない。そして、変化は起きた。金属のときと同様、木材がみるみるうちに柔らかくなっていったのだ。しかし、金属のように変幻自在とまではいかない。だが、確かに元来の木材にはなかった伸縮性が生まれたのだ。

 魔力鉱石の存在は島全体へと可及的速やかに広まっていった。まだ、停戦前であったことも大きいのだろう。両国とも潤沢に魔力鉱石を使用し、軍備やら何やらを革新的に向上させた。

 停戦になった今でも国を豊かに保つために魔力鉱石は多くの場で使われている。その一つが、カリンの立っているこの土製のリングだ。現に、足元が乱数的に小さな白い光を灯している。この光こそが魔力鉱石だ。表面を削れば削るほど白くなっていく、彼の鉱石の最たる特徴だ。

 それが、ウルの放った拳を受け止めて、グニャリと形を歪め、遂に耐えきれなくなったように彼女を中心として無数の亀裂を走らせた。足場が波打つように、その衝撃波はカリンの元へも届いた。

 悪くなった足場の上で攻撃されたら、たまったものではない。ここは一度、体勢を整えなければ。そう思い、足場の安定した場所まで退避しようとするカリンだったが、その最中、何気無く後ろを振り返ってしまい、やむなく行動を中断する。

「なぁんだ。やめちゃうの?......でも、私はやめないよ」

ひび割れたそれの上を独特のステップと共に駆け回る。同じようなドレスに身を包んでおきながら、よくそんな動きができるものだ。時に無邪気に無秩序に、そして何よりも奔放に。縦横無尽に駆けてくるウルの姿は速度という概念を超える。カリンの耳が音を捉えても、彼女の残像を目に入れることだけで手一杯だ。

「どう?早いでしょ、カリン。あなたに私が追えるのかしら?ふふっ、降参したほうがいいんじゃない?」

「...確かに今の私ではウルの姿を見ることができません。ですが、方法ならば他にもあります」

ウルの速度の要はこの壊れたリングだ。破損した際の衝撃で土塊に角度ができ、それを有意に活用することで、爆発的な速度を生み出している。逆に言えば、角度さえなくすことができれば、彼女の勢いの大部分を殺すことができるだろう。

 目を閉じ、右の手を上に上げる。意識を集中させ、体内に巡る魔力を上へ上へと高めていく。他の情報はいらない。地を踏みしめる音も、ウルの姿も、歪む足場も、自身の呼吸音さえ、何もいらない。そうしてカリンは厳かに口を開いた。

「...庵をあらみ頽れる面影。水流に泣く仔らを見咎めるモノ」

ゆっくりと目を開ける。開いた双眸からは滲んだ水彩の絵の具のような水色の光が溢れてくる。零れた一匙の魔力から、足元へ少しずつ水が染み出してくる。

「詠唱...?でも、こんなの聞いたことないわ」

薄い壁でも通したように、ウルのくぐもった声が困惑という感情を示した。

「...愛しき吾子を珠玉で包み、何処か知らない場所へとゆきましょう。......我らが神聖なる契約の下に水ノ神ウォルカの力を借り受ける。___水属性 特殊魔法:水天の坩堝」

水鞠が波の綾を纏い、軽やかに浮かび上がる。照る太陽の光を反射し、光の失せた瞳で此方を見つめているカリンの姿と、そして...眼前まで迫りくるウルの拳を写し取った。

 ぱしゃり、と風船を割るように呆気なく、水鞠が壊れた。だが、彼女の拳がカリンの元へ届くことはなかった。割れた鞠から溢れた水が天に向かって、柱を伸ばしたのだ。

 それは徐々に滝幅を広げていき、水壁になり、ついにはカリンの周囲をぐるりと囲み、リング全体に水を溢れさせた。しかし、不思議なことにその内の一滴たりとも、リングの外へは出ていない。場外の者達から見れば、カリンを目とする巨大な渦がとぐろを巻いているようだろう。

「むむっ、やるなぁ。見えないから、魔法で()()つもり?ってことは、やっぱり、水属性魔法の使い手なのね」

「......ええ、そうですね」

 きっと、ウルはこの水の中を駆け回っているのだろう。彼女の発言から、それだけは確かだった。だが、カリンの狙いは全く別のところにある。渦の影から少しずつ水流を地面へと侵入させていく。

 変化はすぐに現れはじめた。ウルの姿と水の挙動が一致しだしたのだ。

「っ___...!?」

ウルが気づいたときには、彼女の姿は肉眼で捉えられる程度となっていた。

「どういうこと?リズムが乱されていくわ!...いや、地面と歩調がかみ合わない?カリンがやったの......」

驚いたような彼女の声が、水音に紛れて聞こえてくる。ウルが壊したリングを平面に直し終えて、カリンは無感情に生成した渦を一気に収束して霧散させた。

「...これで、綺麗に見えます」

「...っ!確かにその通りね。でも、この水消してよかったの?」

ウルはスカートの裾を力いっぱい絞った後、自身の濡れた髪の端を指でつまみながら問う。蛍光ピンクの髪は、カリンの出した魔法のせいで、全体的にぺっとりとしていた。対してカリンはサラサラとした髪を靡かせながら小さく首肯した。

「...ええ。もう必要ありませんので」

「そうね」

じゃあ、と、ウルは髪を持ち上げているのとは反対の手で、何かしらの紋様を描いた。最後に、くるり、と全身で円を描けば、面白いことにジュッと微かな音を立てて、被った水が余すことなく蒸発していった。

「ぜんぶ消えたわ。それで、どうするつもり?私の速度を殺せても、カリンは躱すのでせいいっぱい...___っいない!?」

 いつから、彼女ではないものへ向かって話しかけていたのだろうか。針が次の時へ動くときには、ウルの体は左へと傾いていた。額に汗をにじませる彼女の皮一枚となりで、繰り出された拳がほんの僅かな感触とともに空を切った。フッ、と止めていた呼吸を一息に吐き出し、少しばかり脱力する。感触に手を開け閉めし、感じた高揚を繰り返せば、不思議と心が満ちていくようだった。

 その気持ちよさのまま、横に目を向ければ、白い頬から一筋の血液を溢して笑うウルと目が合った。彼女はニコニコといつも通りの...いや、それ以上の深い笑みを口元に浮かべていた。

「...ウル...?すみませんが、早く外傷の手当てを......あの」

「_...ふ、ふふっ。あははははっ。とぉーってもとぉーっても楽しくて愉しくて仕方ないわ。一体、今のは何なのかしら?原理も気配もまったくわからなかったわ」

正面で壊れてしまったように笑い続けるウル。何が彼女の感情を駆り立てたのかはわからなかったが、それを受けたカリンは流れるような美しい所作のカーテシーをした。

「...あなたのご期待に沿うことができたようで何よりです」

顔を上げると、ウルは狂った笑いを止めて、面食らった表情で此方を見ていた。もう一度、視線が合えば、彼女は表情を段々と和らげて、いつもの屈託のない笑顔をカリンへ向けた。

「そうね、楽しませてくれたお礼に、ちょっとだけ私の魔法を見せてあげる」

 軽く握られた両の拳から予備動作なく、それらを包み込むように美しく揺らめく炎が発生した。彼女の周囲に皮膚を焦がす程の熱気が生まれる。その様子を見て、カリンの心臓がどくん、と大きく脈打った。しかし、胸に手を当ててみるも、普段より少し早い心音が返ってくるのみで、カリンは心中で首をひねった。

 目の前でウルはさらに強く拳を握った。それに呼応するように、二ィッと深い笑みを浮かべる。指の隙間から赤い液体が滴り落ちても、彼女はずっと笑っている。

「_炎鐔焦熱拳(プロメテウス)

熱気の質が上がった。目に見えてわかるくらいまで薄い赤色を帯びているそれが、チリ...とカリンの髪先を焦がした。今まで見てきたどの魔法とも違う。

(これは、特有魔法(オリジナル)の詠唱...?)

思考を巡らせながらも、カリンの双眸はしっかりとウルを捉えている。彼女の一挙手一投足に目を光らせ、此方も構えの姿勢をとる。焼け付く熱気の中でまたどくん、と大きく心臓が跳ねた。

「......(リバース)!」

そして、変化は起きた。両の炎を靡かせて、拳を正確に動かし元の位置に戻せば、彼女の美しい赤が黄、緑と色を変え始めたのだ。その中に見逃せない色が幻怪に蠢き、カリンの目を釘付けにした。

(黒い...焔......)

 彼女の脳裏に思い描かれるのは、あの忌まわしき日の記憶。カリンが大切だと思っていた全ては、黒焔の中へ呑まれ、蹂躪され尽くした。家族も、国民も、家も取り戻したもの全てがあの日奪われた。

(国王陛下が私を殺すためだけに、全ては失われてしまったのですね......)

この心は全ての機微を奪われてしまった。だが、なくなったそれが痛むのを思い出したような気がした。___それが合図だった。

「カリン...?」

優しい誰かの声が聞こえる。

(焔を...私を...()()()()()()......)

しかし、それ以上の情報が塞き止められたように、カリンの中へ入るのを拒んだ。炎を湛えたままの拳が動くのを感じ取り、彼女は一心に地を蹴った。

﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢

 ウルはひどく動揺していた。先程までの自分と同格くらいに見積もっていた目の前の少女の攻撃が急激に鋭さを増したからだ。左手上段から繰り出される突き、崩れた体制を狙っての回し蹴り、一度後退してからのフェイントの交じる絡め技。それを避けて、跳んで、去なして、偶に反撃を返す。カリンの重心を無視したような技の数々に、よくも、そんな器用なことができるな、と感心すら覚えてしまう。

「.........」

だが、やはり何処かがおかしい。計画性があるようで、その実、全てがデタラメに見えて仕方がない。何かを考えているようで、考えていないような...。一言で言い表すならば、気味が悪い。普段のカリンらしくない。

「......ねえ」

 ウルの拳から発せられていた多様な色彩は、混ざり溶け合い、やがて芯が黄色く、外にいくにつれて、双眸に似た緑が入り混じった美しい色合いへと変化していった。一見すると、若菜のように瑞々しく爽やかな色にも思えるだろう。

「.........」

声をかけてみても、何も返答は得られなかった。しかし、意識がないわけではなく、むしろ普段のカリンからは想像もできないほど剥き出しの敵意を此方に突きつけてきていた。

「...フゥー...ッ」

彼女の視線の先は、ウルの拳へと向けられているようで、それを目掛けて一直線に駆けてくる。しかし、あの原理のわからない移動法を使うことは二度となく、おかげでカリンを視認することができる。

「...__いと」

「え?今、何か......ぉ、わっ!」

思考に気を取られていたせいで、危うく攻撃を食らってしまうところだった。間一髪といったあたりで放たれた右ストレートの拳を躱し、すれ違いざまに聞こえた言葉をよくよく思い返してみる。

(ころさないと...?_いえ。消さないと、かしら?)

耳を澄ませば、何かに取り憑かれたようにそう繰り返しているのが聞こえてくる。これが、カリンがおかしくなってしまった原因なのだろうか。だが、原因が明らかになったところで、どう解決していいのかがわからない。

 その後も変わらぬ攻防が幾度も交差し、疲労が蓄積されていく一方だ。何度目かの反撃の後に、ウルは額の汗を拭った。もちろん、反撃が届いてはいないが、何とかそれくらいの時間を稼ぐことができた。

「はーっ、はーっ」

「...フーッ、フーッ」

 お互い、肩で息をする程に消耗した状態。もう、どちらかが倒れてもおかしくはないだろう。しかし、視線だけは逸らすことなく、互いの姿をその目に映していた。

 話すことは何もなかった。二人は一心に睨み合うと、同時に駆け出した。その時、カリンの重心が少し前に傾いたような気がした。いける...!

黄緑の炎を纏った拳に力を込めた。後ろでためて、彼女とすれ違う瞬間を狙う。一度、体勢が崩れたせいか、カリンの放った攻撃が空を切った。それを見て、拳の照準をカリンへと合わせる。

「私の勝ちね!カリン!」

炎の先が吸い込まれるように彼女の腹を殴った。一呼吸遅れて、彼女の不規則な息遣いが聞こえてきた。炎はカリンの全身を包むように広がり、しかしカリンの衣服でさえも燃やすことはなかった。その後、黄緑の中にいたウルの手がカリンへと当たる。触れたところから布越しに彼女の温もりが伝わってきた。たとえは良くないかも知れないが、今朝食べたミートパイのような心地よい温かさだと......。

「あれ、カリンって水使いよね?わわっ!あったかかったら、ダメじゃない」

ウルは慌てて黄緑の炎を消して、倒れ込んできたカリンを抱きとめる。心許ない、なんて言葉では言い切れないほどに軽かった。顔を覆っていた水色の髪を退ければ、彼女の意識はもう此処にはなかった。粗く浅い呼吸を続ける白い顔のカリンから視線だけは切らさずに、周囲へ声を投げかける。

「みんな、手伝って!!ノーリ、ドヴァーは私と一緒に部屋までカリンを運んで!トリーからセミーは医務室に行って、道具を取ってきてほしいの!ソーラクたちはリングの片付けね!終わったら、自分の鍛錬に戻っていいから」

 張り詰めていた糸が切れたように、静寂がどよめきへと変わった。そして、ウルの声を聞き、皆が動き始める。一拍遅れて、場外にいたリンカも我に返ったようにウルの方へと向かった。

「王女様、私は何をお手伝いすればよろしいのでしょうか?」

「あら、リンカも手伝ってくれるのね!それなら、先に部屋へ戻って、カリンを寝かせるための準備とか医療機器を置くためのスペースの確保とかしててもらえるかしら」

「はいっ、喜んで!!」

威勢のいい返事を残して消えた彼女のことを横目で見送りながら、リングへ上がってきた長身の副長と隊でも一二を争う程に図体の大きい兵士へ腕の中のカリンを預ける。

「ウル王女、ここは私が」

「ありがとう、ノーリ」

副長の女...ノーリはウルに恭しく敬礼してから、慎重にカリンを背に乗せた。隣を見れば、体格の良い男...ドヴァーが、そんな彼女たちを優しく見守っていた。

「呼んでおいてごめんね、ドヴァー。ノーリ一人でできるみたいだから、ドヴァーは訓練に戻ってくれていいのよ?」

「いやあ、俺の仕事ならまだありますよ」

「えっ......?わあっ、ちょっとなにするの!?」

近づいてきたドヴァーにより、あっという間にウルの視界は先程より二倍ほどの高さにまでなってしまった。興味深げに普段とは一味違う景色を楽しんでいると、隊員達の中を一人だけ反対へ歩いていく眩しい向日葵色が目に止まった。

「王女様も疲れてるでしょう。道中の移動は俺に任せてください」

「.........」

(どこへ行かれるのかしら?)

 カリンから刺激を受けたことも事実だが、エルに良いところを見せたかったというのも、戦いでウルがわざわざあの炎を使った理由だ。だからこそ、称賛とまではいかなくとも、労いの言葉を一つくらいは掛けてほしかったものである。

「__王女様!」

「っ...ドヴァー、ごめんね。ちょっとぼんやりしてたわ。話の続きは何だったかしら?」

情けない。肉親に気をかけるばかりに、近くにいる者を疎かにしてしまった自分のことが。しかし、無理矢理に取り繕った明るさでは、あまりにもわかり易かったのだろう。ドヴァーは普段の優しく柔らかな言葉をさらに和らげて、好々爺のようにそれほど年の離れない王女へ目尻を下げて微笑んだ。

「......いえ、良いのです。話ならいつでもできますからね。今は部屋に着くまで、お休みになってくだされば」

それだけで良いのです、とドヴァーは念を押すようにもう一度言った。揺り籠のようだった。振動と温もりがじんわりと全身に広がっていくようで、とても心地が良い。

 しばらくして、背にかかる重さが少しだけ広がった。ドヴァーが耳を澄ませば、小さな呼吸音が聞こえてきて、万が一にも落とさないように背負い直す。こうしてウルのことを背に抱くのはいつぶりのことだろうか。知らぬうちに医者として、王妹としての責務を果たすようになり、成長を感じる反面、ほんの少し寂しくも思ったりして。しかし、まだまだ軽くて小さな彼女を感じて、頑張らなければ、という気持ちが湧き上がってくる。 

 気持ちも新たに歩みを進め、段々と訓練場からは遠ざかっていく。あの赤みを帯びた鮮やかな黄色はもう何処にも見当たらなかった。

﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢ ﹢

 ピーッ、ピーッと高い機械的な音が規則的に鳴り響く。頭の奥底で煩わしい程に鳴り続けるその音は身を捩っても、音が遠ざかることも、ましてや音が消えることもなく、仕方なしに上体を起こそうとした。しかし、何故だろうか。異様に体が重く、何らかの要因がカリンが起きようとするのを拒んだ。

 まぶたを開けば、ここ数日見慣れた天井が目に入る。音の先を探して、上体を起こそうとするが、結局、その動作は中断された。甲高い機械音に紛れるように聞こえてくる息遣い、体を動かせば返ってくる布団を引っ張るような感覚、そして、自身の左手から伝わってくる温かな感触。

「......ウル」

視線をやれば案の定、其処にはカリンの手を握りながら布団の上に突っ伏して眠るウルの姿があった。彼女は兄と良く似た白衣を着用しており、その周囲には空になったいくつかの医療器具が散乱していた。

 音の主を探して、さらに視線を彷徨わせれば、ベッドと隣接して何やら大掛かりな機械が置かれていた。その機械から一本の大きな管が繋がっており、それはカリンのもう一方の腕に固定されていた。この機械から鳴っているようで、音が聞こえれば、機械についている何かのスイッチがチカチカと点滅していた。

 _取り敢えず、このままではウルが起きてしまいかねない。カリンはどうにかスイッチへ手を伸ばして、躊躇いなくそれを押した。途端に、音と点滅が止まる。ふう、と息を吐いて視線を戻せば、彼女は穏やかに眠っていた。先の出来事をあまり鮮明に思い出すことはできなかったが、逆にそれこそが自分は倒れたのだ、ということの証明になっている気がした。

(ウル、あれからずっと此処にいたんですよね)

 具体的な時間はわからなかったが、訓練場での戦いから数時間が経過しているようだった。ただ確かなのは昼過ぎから戦いが始まり、今はカーテン越しに差し込んだ窓の外の光が濃い朱色に染まっているということだけだ。

 ウルにしっかりとホールドされているのとは反対の手で彼女に触れようとしたが、生憎と途中で機械から伸びた管によって牽制されてしまった。仕方なく、ウルと繋がれた方の手で彼女の手を撫でた。カリンのことを献身的に診てくれていた彼女を、このままの状態にしておくのは流石に忍びない。周りを一周見廻して、机上に置かれた小さな手持ちのベルではなく、先のドアに目を留める。

(外に誰かいます)

注意深く音を拾えば、それが一人のものであることがわかった。しかし、カリンの知る中にこの音を持つ者は存在しない。多分、光の国に従事する誰かなのだろう。カリンは無言のまま、一方的に此方の声を伝えるためだけの思念伝達の経路を組み上げていく。

『___...聞こえますか?カリンです』

ドア越しにでも動揺が聞こえてくる。どうやら、声は届いていたようである。すぐに返答が伝わってきた。

『はい、聞こえております。それで、ご用件のほどは何でしょうか?』

やや低めの硬い声音で、端的な文章がカリンの中に流れ込んでくる。

『...ウルを部屋まで運んで頂きたいのですが。できれば、静かに来てほしいです』

『承知しました』

ぷつりと外の従者からの思念伝達が途絶え、次いで向こう側で動く気配を感じた。ドアがゆっくりと開き、外から上背のあるやや筋肉質な女性が入ってくる。健康的に焼けた肌に彫りの深い顔立ち、そして、右肩から腕にかけての入れ墨。描かれているのは昔、本で見た島南東部に位置する場所に生きる、特有の文化を持つ部族が使う紋様。

 従者の女性は部屋の様子を確認して状況を察したらしく、すぐにウルをベッドから引き剥がしてくれた。手に感じていた温かい感触が消える。彼女は何も言わずに眠る王女を抱きかかえ、カリンへ一礼を返して、静かに部屋を出ていった。

 残されたカリンは、二人を呆然と見送る形となり、手持ち無沙汰に視線を彷徨わせる。すると、先程までウルの居た場所に見覚えのある本が一冊置かれていた。カラフルで華やかな装丁のそれ。今朝、読んでいたあの本である。

 _続く内容はこうだった。実の父である国王より、隣国の王子の暗殺を言い渡されたリーシュであったが、彼女はなんと、このことを婚約者である王子へ話してしまった。一連の話を聞かされ、「あなたを殺したくないの!」と愛する姫に懇願される。王子は大臣へと秘密裏にこの計画を伝え、結果、停戦の協定を破ったとして、リーシュの父は国外追放を余儀なくされた。その後、姫と王子は正式に婚姻を結び、末永く幸せに暮らしたのだそうだ。

 だが、カリンにはどうしても納得のいかない点があった。主人公であるリーシュだ。彼女の取った行動が不可解で仕方がなかった。何故、彼女は王子を殺すことができなかったのだろうか?何故、彼女は父親の命令に背いたのだろうか?何故、彼女は...振り上げようとした刃から手を放すことができたのだろうか?

 わからない。だが、カリンには一生彼女のような振る舞いはできないのだろう、ということだけはわかる。そして、それが、ひどく空虚に感じられて仕方がなかった。

 ベッドから上体を起こし、深いため息をつく。続く動作で自由な方の手を伸ばし、力任せに管を引き抜いた。管は注射器のような形で腕と繋がっていたようで、ズルリと針が抜けていく感覚だけが後に残った。無感情に軽くなった手を見下ろしていれば、やがて腕に滲んだ血液と傷跡が何事もなかったかのように消えていった。

 カリンは無意識に温もりのあった方角へと足を下ろす。茜色の窓に背を向け、ポケットの中に手を入れる。そのうち固い石に似た感触が当たり、自然と反対の手で胸を撫で下ろした。願失石を取り出せば、黒漆の表面は相も変わらず美しい輝きを帯びていた。

 あの時、訓練場でカリンが剣を使わなかったのは使()()()()()()からなのだ。元来、この島で採掘される鉱石は少なからず魔力を含んでいる。カシェに住む者たちの間で、これらの石は古くからお守りとして使用されることが多い。害となるものを封じ込めたり、時に願掛けをしたり。その中でも願失石は特殊な部類に入る。対象の願いを必ず叶えてくれる、誰もが魔法を使える世の中でも「まるで魔法のようだ」と称される霊妙の鉱石だ。だが、無論そのような石にもデメリットは存在する。一つは、代償を必要とすること。そして、もう一つは、対象の願いに関係のない場合、願失石はただの石ころとしてしか機能しない、ということだ。

 ウルとの戦いは、カリンの望んだ復讐には不要のものだ。もし、あの場で剣を使用しようとしたとしても、きっと石の形から変わることはなかっただろう。

(だから、わからないんです)

 カリンの手の中で願失石は形を変え、一振りの大剣の姿となる。彼女は大きく美しいそれを見て、両手できつく抱きしめた。自分はやはりあの姫君のようにはなれない。何故なら、少女はこの剣を手放すことができないでいるから。ずっと、復讐の先に残るものを指折り数えているから。

「...私はあなたのようにはなれないんですよ」

溢れ出た言葉は一体、誰に向かって投げられたのだろうか。

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