焔の瘢痕
「いいえ、此処は私がやります!」
「なっ...何故あなたに譲らねばならぬのですか!?先輩なのですから、その辺に座って待ってて下さい」
「そうです。私が先輩ですので、後輩のあなたこそ、私の働きぶりを大人しく見ていなさい!!」
「......はあ」
読みかけていた本を閉じる。欠けた知識があると後々困るだろう、とウルに昨日頼んでおいたものだ。しかし残念ながら、その進捗は芳しくない。魔法や呪い、武器の扱い方等は、知っているものが大半であったし、この島のことも見知った情報が羅列されているばかりであった。
ふと、視線を左にずらす。本の山の中にいくつか可愛らしい装丁の施された厚みのないそれ。ピンクや赤等で彩られた表紙を指でなぞり、そっと山から取り上げる。
_「こむずかしい本ばっかりだけど、何かの勉強?まっ、とりあえず息抜き用に私のオススメ入れといたから」
彼女の言葉を、本を押し付けられたときの満面の笑みとともに思い出しながら、ページをめくる。内容は、ある国の姫...リーシュが父である国王からの命で隣国の第一王子の元へ嫁ぐことになったというようなものだ。よくある、小さな子どもが好みそうな童話の類である。
「嫌です。細かい作業は私の方が先輩より得意ですので」
「むっ、生意気ですッ!私だって細かい作業くらいできます」
表向きには政略結婚であった二人だが、王子はリーシュのことを真に愛していた。最初は王子に対してそっけない態度だったリーシュも段々と心を開き、数年前まで争い諍っていた両国の姫と王子は、互いに想い合うように。だが___。
「へぇ、本当ですか?先輩には私よりもこの部屋を綺麗にする自信がおありなのですね」
「...っ!!ええ、もちろんです。あなたが唸るくらいピカピカに仕上げてみせますので、座って待っていたらどうですか?」
王子はある日思い切って姫に自分の気持ちを伝える。だが、リーシュは「あなたの気持ちには応えられない」と、その場を後にしてしまう。王子のことが嫌いになったわけではなかった。彼女が答えられなかったのは、国王よりある命を受けていたからだ。
国内で内乱を起こすために、秘密裏に王子を暗殺しろ、と。
「うっ......わかりました。こうなれば、カリン様に決めていただきましょう」
「確かに一理ありますね」
___そして、姫は決断する。
「「カリン様」」
「......はい、何でしょうか?」
ページをめくる手を止めて、本を閉じる。二人の従者_ラウとリンカが喜々とした表情で此方を見ていた。
「お寛ぎのところ、非常に申し訳ないのですが」
「私と先輩なら、どちらの方がカリン様のお部屋を掃除するのにふさわしいでしょうか?」
リンカがばったりと城に現れたのは、ラウのやって来た次の日であった。つまりは二日前のことだ。彼女は疲労困憊といった様子で、しかし口ぶりだけは確かに、あの焔の日のことを語ってくれた。遊撃の部隊員たちのおかげで、どうにか裏門の解錠が間に合いそうだったこと。だが、イビーと名乗る遊撃部隊隊長ヌイビェードと全く同じ姿形をした何者かに襲撃されたこと。そして、その場にいた全員の犠牲と引き換えに、リンカを城の外へと逃がしてくれたこと。
彼女たちが何者からか襲撃を受けていたことは知っていた。大まかな説明を受けて、カリンの瞳に暗い色がはしる。やはり、襲撃者は彼だったのか、と。いや、厳密には彼ではないのかもしれない。彼の肉体を操るイビーと名乗った何か、なのだろう。
(これで、禁書の言っていたことに確信が持てました。あの闇の目的は、禁書に封じられた者達に肉体を与えること。そして、肉体を得た彼らと戦わせること...)
彼は、フェルドを取り込んだ闇は、この状況を想定していたのであろう。もしくは、初めからこうなるように仕組んでいたのかもしれない。どちらにしろ、今のカリンでは力も何もかもが不足している。そこへ最高の実戦場を与えてやることで、強引にでもその不足を補わせようとしてくるはずだ。
最終的には、カリンと自分とを戦わせるために。
「_...わかりました」
ならば、受けて立つだけだ。首を小さく縦に振ったカリンに、二人の従者はワッと歓喜の声を上げる。
(あっ......そういえば、忘れてました)
承諾した、と勘違いしている彼らに今更断りを入れるわけにもいかないだろう。仕方がない。
「...少し考えてもよろしいですか?」
「無論でございます!」
「我々、どちらが選ばれても文句等は言いません。ぜひ、善良なお心に従って決めて下さい。先輩も、それで構いませんね?」
「ええ。楽しみですね、ラウ?」
ニコニコとしているが、双方から妙な圧を感じる。間に視えない電撃が飛び交っているようだ。しかし、この場には水属性系統の魔しかいない。色の濃さ等に違いこそあれど、三人共水色の髪や目なのである。珍しいという程でもないが、不思議なこともあったものだ。
(それにしても、一体どうしたものでしょうか。一日交代でなさればよろしいのでは、とは思いますが、そうなると今日どちらが部屋を掃除するのかで喧嘩になりそうです)
全く困ったものだ、とカリンは内心でため息をつく。せめて、もう少し仲良くしてほしいものだが...。やはり、中々溝は埋まらないのかもしれない。出会ったばかりの者と仲良くするのは意外と難しいものだ。だが、同じ場所で同じ仕事をしているのだからこそ互いに......互い?
「...そうです。明日からは交代でするとして、今日のところは二人で協力して掃除したらいいんじゃないでしょうか?」
「二人で...」
「協力...ですか?」
主からの思わぬ提案に、従者たちは思わず顔を見合わせる。完全に息ピッタリであった。実は相性がいいんじゃないか、なんて考えが頭をよぎったくらいである。困惑している様子の二人に向かって、カリンは首を小さく縦に振る。
「...はい、協力です。部屋が前より広いですし、今日のところは二人でした方がいいのではないかと。ほら、もう少しで昼食の時間ですから......」
流石にこの説明で納得はしてくれないか、と途中で思い至り、口をつぐむ。当て所なく視線を彷徨わせれば、十時半を指す時計に目が止まった。昼食にしては少しだけ気の早い時間である。
そっと二人の様子を窺えば、此方の視線に気づいて優しい笑みを返してくれた。ひとまず、提案を蹴られることはなさそうで安心する。彼らの目は、意外と乗り気なようで、初めて見るものに興味津々な子どものようだった。
「素晴らしいお考えですね。カリン様、ありがとうございます」
「流石です、カリン様!」
やんややんやと手放しで褒められ、思わず顔を伏せて小さく頷いた。褒められ慣れてなさそうなカリンの反応に、従者たちはまた顔を見合わせて笑みをこぼした。
「...仲良し、です」
「仲良し...?」
「...リンカとラウくんのことです。先程からお二人がずっと同じ反応をしていたので」
「......そうでしたか」
不思議そうな表情をするラウとリンカへ補足で説明を足せば、二人は気がつかなかったとそう言っていた。
カリンの提案が受理され、問題が丸く収まったと読みかけの本へと手を伸ばす。従者たちは、やけに真剣そうな表情で室内を見て回っていた。
「此方側はだいたい三平方メートル程度ありますので、この棚の体積と......」
「部屋全体がだいたいこのくらいだから、均等にするなら......」
耳を澄ませてみると、どうやら部屋の広さを計算して、綺麗に二等分するつもりのようだ。思うところがないわけではないが、他者と協力すること自体はとても素晴らしいことだ、と十六年の短い歩みの中でも所々に実感するため、口をつぐむ。
リンカが城にやって来てからの変化らしい変化といえば、一階にあった医務室から二階の貴族が泊まるためのいわゆる"ゲストルーム"へと部屋が変更されたところだろう。今は誰も使っていないし、どうせ余っているから、と半ば押し切られる形で決定した。
初めて部屋に通されたとき、城内の華美な装飾に腰が引けていた。しかし、クリーム色の棚、薄桃色のカーテン、オレンジ色のカボチャの置物等、派手すぎず地味すぎない丁度いい塩梅にこの部屋は整えられていた。後からエルに聞いたのだが、どうやら部屋の調度品についてはほとんどウルが意見を出してくれたそうだ。
(とにかく...二人が喧嘩をせず、仲良しなのはいいことです)
カリンの視線の先で、魔法では埒が明かない、と巻尺を取り合っている二人の姿がぼんやりと見える。......今日も平和で何よりだ。
豊かな色彩で彩られた本を開く。読み進めていくうちに、続きが気になってしまった。カリンは、もう少しだけ、と次のページへ手をかけた。
しばらくして、ラウとリンカが部屋の外へと出ていく気配がした。掃除が終わったのだろう。何処を見ても、ホコリ一つありはしない。流石の仕事っぷりである。後で頭でも撫でておこう。不満が出ないように時間を測って...。
カリンの手にあるのは、カシェ島にまつわる歴史書である。中には、島で最初に生まれた我々の祖先が、異空より来たりし二対の龍と契約を結んだというようなことが書かれていた。そして、この本の面白いところは此処からで、当時の生活や文化、宗教観念等について鮮明に綴られていたのだ。特にカリンの目を引いたのは、島の西側で行われていた古い研究についての話だった。当時から、島の東側とは仲が悪かったらしく、戦争のためにさる兵器を生み出そうとしていたらしい。しかし、研究中に起きた何らかの事故によって、研究は頓挫し、その研究に関わる資料は全て呑み込まれて消えたそうだ。
(この研究、気になります。事故の原因すら、この書には記されてませんし...それに"呑み込まれた"んですよね。やはり、禁書と何か関係があるのでしょうか?)
考えても今の情報では限りがある。答えは堂々巡りのままだ。今の所、この問いをどうこうする術はない。仕方がない、と嘆息して、カリンは静かに本を閉じた。
少しして、部屋の外から足音が聞こえた。次に読んでいた『魔法の成り立ち』という分厚い本を置いて、ベッドから立ち上がる。そうだ、最近変わったことならもう一つあった。
「カリン!今日も、この私が迎えに来てあげたわよ!!」
バーンッ、と少々乱雑にドアが開けられ、何やらニコニコと上機嫌のウルが入ってくる。ドアと少し間隔を開けて立っていたカリンの姿を見て、目を見開いたもののすぐにまたいつもの笑顔に戻った。いや、勘違いかもしれないが、今の方が先程よりも嬉しそうに見受けられる。
「...はい、ありがとうございます。今日はどんなメニューなのでしょうか?」
ウルと毎日三回食事を共にするようになったのだ。もちろん、リンカとラウも交えて四人で、だ。従者と同じ場所で同じ物を食べろ、というのは、流石に断られるかとも思った。しかし、初めは怪訝な顔こそされたものの、「みんなで食べたほうが美味しいもんね」と二つ返事でそれを了承してくれたのだ。
「そうそう、あのね、今日はなんと!私の好きな肉包みとそれからベリーがのった氷雪甘味よ!はあーっ。考えるだけで、よだれがたれそうだわ...」
「...それに生野菜ですか」
葉物の野菜特有の青臭い香りを感じ取り、追随するように呟く。それを聞いて、隣で垂れた涎を拭っていたウルの表情がピシッと固まる。
「い、いやー、楽しみねー。ジューシーなお肉とサックサックのパイ生地。それに今日のシャーベットのベリーもね、あっちのほうにあるエルフ達に貰った採れたてのものが......」
「...サラダも美味しいですよ、ウル」
「しょうがないじゃない!あんなミドリミドリしたもの!私だって、出されたものはちゃんと食べますけどぉー、でも、あれは本当に食用なのかしら?」
緑だ、緑だ、と文句を言っているが、ウルの瞳もそれは綺麗な緑色だ。まあ、流石に目玉が食用だ、なんてことは言わないが、そういったものを好む一部の者達はいる。もちろん、光の国では法的に禁じられている。それに、彼の国と交流のある東側の国々もそれらを売買して生計を立てる者達を厳しく取り締まっているそうだ。
「...はい、食用です。そういえば、ベリーを下さったというエルフの方々は好んで野菜を摂られているそうですよ」
「そういえば、って、カリンもエルフじゃない」
「...確かに、そうですね」
その後も、ウルが話題を提供し、カリンがその話に耳を傾けながら適度に相槌を打ったり、何かを返したりしていく。ホールへ行くまでの時間は、自身を偽っていた頃には考えつかなかったであろうほど充実していた。
_______
道中、緑からどうにか話をそらそうとしたのだろうウルが言った。
「そういえば、カリンの髪は綺麗な水色よね」
「...?それが、何でしょう」
「うーーん、別に深い意味とかはないんだけど、私の髪ってピンク色じゃない?水色とピンクってなんか対照的でいいなあ、ってそう思っただけ」
「...っ!?」
ちょっとカッコイイと思わない?と、彼女は眩しいくらいの笑顔を見せる。それを見て、カリンの心に浮かび上がった"何か"。その名前のない温かい"何か"を優しく閉じ込めて___。
ただ、何となく、自身の髪に一筋入った純白が気になって、ウルにはバレないようにそっと耳へかける。その時、手に伝わってきた感触に、ほんの少しだけ顔を歪めた。
「ヘイ、ヘーイッ!トビラよ、開きなさーい!!」
「.........」
独特なリズムの掛け声に合わせて(かどうかはわからないが)、カリンの背丈の二倍程あるドアが内側から開け放たれる。城の三階にあるホールはとても広く、装飾も目がチカチカするほど煌びやかだ。
ドアの左にラウ、右にリンカが立ち、敬礼する。リンカの近くには空のワゴンが置いてあり、ホールの中央にはカリンと部下たちが全員座れるんじゃないか、と思うくらい大きな長テーブルに昼食が並べられていた。二人で話していたとおりの品と他数品、どれも美味しそうに湯気を立てている。
早く早く、とウルに手を引かれ、手短なイスに二人腰掛ける。
「ほら、ラウとリンカちゃんも座って。あなた達の主は腹ペコだそうよ」
ウルに言われ、二人の従者はその場で一礼して、ようやく席につく。それを一応は目線だけで見送ってから、ウルは早速とばかりにフォークを手に取り、ミートパイへ突き刺した。切るという工程等知らない、と童子のように大きな口でかぶりつく。
「んん〜〜っ!!」
歓喜の声を上げて、手足をバタバタとさせる彼女を無言で見つめて、カリンも自身の前へ置かれた料理の品々を一通り眺める。目当ての物を見つけて、此方へ皿を寄せる。赤い細工の施された白い平皿には、一口大にカットされた野菜とその上にかけられた茶色っぽいドレッシング。...美味しそうだ。そう思うのに、フォークを握ったままの手が動かない。
_やはり、食事は苦手だ。
「んふんふふ?」
まだ、リスみたいにモグモグと口を動かしたまま、ウルが不思議そうに言う。食べないの?とか、多分そんなところだろう。
「.........」
鉛のような右手を動かし、手前の野菜を掬い上げる。それらを口へ押し込み、咀嚼する。
_野菜とそれからドレッシングの香り。ドレッシングはオニオンをベースにした少し酸味のありそうなものだ。全体的に野菜との親和性が高く、とても優しい味わいがした。きっと、シェフの方達がカリンの食べやすいように、と配慮してくれたのだろう。そのサラダは、自身の前の一皿しか置かれていなかった。
「んふふーふ...美味しいね、カリン」
「...はい、そうですね」
「_あっ、そうだ!カリンもこれ食べない?お肉もちゃんととったほうがいいわよ」
「...では、少し頂いても__っ!?」
カリンが返答を言い終えるよりも早く、彼女の口の中に無理やりミートパイが押し込まれる。途端、口内に広がる強烈な旨み。サクサクに焼かれた少し焦げ目のあるパイ生地はとても香ばしい。さらに、中にしっかりと詰められたお肉はケチャップ、赤ワイン、オニオン等を合わせたソースと相性が良く、噛めばジュワッと大量の肉汁が溢れ出してくる。そしてそんな生地と中身を一息に詰め込めば、溢れた肉汁にパイ生地が浸かって、口当たり良く解けていく。
...だが一つだけ問題があった。ミートパイを一番美味しく食べるための黄金比のような温度が、カリンにとってはいかんせん熱い。
「......お、お水を「水?はい、どうぞ」ゴクゴクッ...はあっ」
想像以上の熱さに目を白黒させているカリン。ウルから手渡された水を一気に飲み干して、ようやく熱が落ち着いていく。カリンは暑さや熱さにとても弱い。これは彼女だけに限った話ではなく、元来水系統の魔法を得意とする者達の間では珍しくない症状だ。
二杯目の水を自分で注ぎながら、右正面をちらっと盗み見る。まだほんのりと湯気の残るポタージュスープをスプーンで一掬いし、ラウは真剣そうな表情で息を吹きかけていた。その隣でリンカは、ホカホカのパンをポタージュにつけて食べていた。
「.........」
考え事をしながら、手に持った水を一口飲む。すると、口の中でピリッとした感覚がはしり、反射的に顔をしかめる。
(舌、火傷しました...)
「......ヒリヒリします」
「わーっ!!カリン、ごめんなさい!もしかして、熱かったかしら?舌も出てるし、ヤケドしちゃった!?大丈夫?とっ、とにかく冷やさないと」
何故か席を立ってアワアワと忙しない動きを見せながら、涙目で此方を見つめてくるウル。彼女のアドバイスに従えば、確かに少しだけ良くなった気がした。
(流石は宮廷医師です)
彼女にそのことを告げ、感謝を述べると、ウルはいつも通り笑って席に座り直した。
「そういえば...」
ようやく一口、ポタージュスープを口にしたラウが、何かを思い出したように呟いた。その場にいた三人の視線が一斉に集中し、居たたまれなくなったらしい彼は皿ごとスープを飲み干した。
「ゲホッ、ゴホッ......うわっ、あっちいなこのスープ!」
「ちょ、ちょっとラウあなた一体何をしているのです。と、とにかく私は此処を片付けますので、あなたはその間に洗面に」
「あはははっ。ラウってばおもしろーい、流石に動揺しすぎよ」
「.........」
リンカに言われて、ラウは口元を抑えてホールから走り去っていく。その慌てようにウルは腹を抱えて笑っている。
「はぁー。ほんっとおもしろかったわ。ね、カリン?」
「......ラウくん、大丈夫でしょうか」
「心配することはありませんよ。...多分、カリン様に見つめられたことにより、致死量を超えてしまったのでしょう。本当に羨ましい......」
何やら拳を握って呟いているが、きっと聞かないほうがいいであろう。カリンは視線を戻して、食事を再開するが、どうしても気になって時折チラチラとドアの方を見ていた。
少しして、外から足音が聞こえてくる。次いで、ドアがノックされ、その存在に気づいたらしいウルが顔を上げる。リンカがサッと席を立ち、ドアを開けに行く。
「お兄様っ!!」
ドアを開け終える前に、その姿を認めたウルが嬉しそうな声を上げる。ホールへと入ってきたエルは、そんな妹に対して微笑みかけ、カリンたちを見て片手を上げた。なるほど、いつにも増してウルの機嫌が良かったのはそういうことか。リンカが敬礼したのを横目で見て、カリンも立ち上がって一礼する。
「...エルさん、お久しぶりです」
「ああ。すまない、仕事が立て込んでいて」
どことなく疲れた様子のエル。良く見ると、彼の目の下には少しだけ影がさしていた。闇の国があのような状況になっている中、停戦関係にある此方の国で王がゆっくりとした休みを取れる程の時間はないに等しいだろう。現に、エルがこの時間にホールへ現れるのは初めてのことだった。
「あっあの、お兄様......え、えっと、食事がまだ済んでおられないのなら___...」
モゴモゴと口ごもるウルに、カリンは少しだけ首を傾げる。しかし、彼女の言わんとすることを察したらしいエルは、それに頷きを返した。
「朝から書類仕事やら何やらに追われていてね。実はまだ食事をとっていないんだ。だから、ウル。昼食の時を共にしてもいいかな?」
「もちろんですっ!!じゃあ、疲れてるお兄様を席まで連れて行ってさしあげないと」
「ははっ。そんなに押さないでくれ」
背中を押されて上座の席へと連れて行かれるエル。二人とも何処か嬉しそうに、カリンの目には映った。
「それでは、私は食事を___ 」
「いや、それなら大丈夫だ。先程、ホールの外でラウに会ってね。食事を持ってくるように頼んでおいたんだ」
「...そうでしたか」
食事を取りに行こうとするリンカに、未だ引きずられたまま後手に答えるエル。彼の帰りが遅かったのは、そういうことだったらしい。
(初めからこの状況を見越していたのでしょうか?エルさんはやはり侮れない方のようですね)
というか、ウルのことをそれだけ大切に想っているのだろう。この兄妹もやはり仲良しだ、とカリンは少しだけ口元を歪めるのだった。
「食事をお持ちしました」
「ああ」
ラウが持ってきた食事を並べ終え、上座の彼がナイフとフォークを手に取れば、自然と食事が再開した。先程とは違ってカチャカチャと金属が擦れる音だけが聞こえる、それは静かな会食であった。とはいえ、先程と同じくカリンの隣に腰掛けているウルは終始楽しそうに顔を緩めていた。彼女にとっては、兄と取る食事というのは余程大切な時間なのだろう。ならば、自分が長居をして、彼らの団欒の時を邪魔するのは無粋だろう。
残りのサラダを咎められない程度にかきこみ、席を立つ。隣のウルが不思議そうに視線を上げた。
「カリン、どうかしたの?」
目が合った彼女の表情はやはり、いつも以上に緩みきっていた。
「...いえ。食事も終わりましたし、部屋へ戻ろうか、と」
サッと一礼し、ホールを後にする。この間、一度もウルのことを見ることはなかった。少しして、自身の後ろに一つの気配を感じる。
「...リンカも食事が終わったのですか?」
「はい。ホールのことは先程の件もあり全てラウに任せてきましたので。私はカリン様をお部屋までお送りいたします」
それは任せた、ではなく、押し付けたの間違いではないのか、なんてことは冗談でも言わないほうがいいだろう。リンカの様子を伺うが、貼り付けた笑みの裏で、何やら良からぬことを考えているような感じがした。まあ、ただの気のせいだろう。
「...そうでしたか。わざわざ、ありがとうございます」
「いえ、私がカリン様と一緒に居たかっただけですので」
「......そうですか」
一瞬、本音が見えたような気がするが、きっとこれも気のせいだ。そう思うことにしよう。この件に関しては、リンカの方から、聞いてこないでくれ、というオーラが視える。だから、仕方がないのだ。
「カリーーーーン!!!」
「...っ!?わっ......」
考え事をしていたら、不意に誰かが後ろから抱きついてきた。それが誰かは先程の声でわかっている。わからないのは、何故彼女が此処にいるのか、ということだ。
「もうっ、おいていくなんてひどいわ!カリン、いつからあなたはそんなにハクジョウになったのかしら?」
「......どうして、此処にウルがいるのですか?」
「なあに?私がいるとダメなことでもあるのかしら?」
ウルからの対応にカリンは自身の考えが失策だったことを悟る。彼女の態度から見て、それは明白なのだが、何故か?と問わずにはいられなかった。何故、ウルが一人で追いかけてきたのか?何故、おいていったなんてことを言うのか?
_何故、兄ではなくカリンを選んだのか?
「...いえ、そんなことありません。ですが、どうしてウルが此処に来たのですか?エルさん、とお話はできたのですか?」
「どーして、ここでお兄様の話が出てくるのよ!いいかしら、カリン?私はあなたとの食事を楽しみにしていたの。確かにお兄様との久しぶりの会食も楽しかったけどね。でも、あれは私とあなた、それとリンカちゃんにラウとの食事なのよ。だからね、主催者である私にはカリンのことを部屋から連れ出して、そこから部屋に送ってあげるっていう使命があるの!!」
「...な、なるほど。そうだったのですか」
何処か嬉々とした様子で語るウルに半ば気圧されるような形で頷けば、彼女はいつものように笑った。
「そーそー。それじゃあ、出発進行ー!おー!」
「......おー!」
「ほらぁ、リンカちゃんも一緒に!!」
「え、私もで御座いますか?「ええ、もちろんよ!」...で、では失礼して。コホンッ......ぉ、おー!」
「わー、よくできました!よしよーし」
「ちょっ、ちょっと王女様。いきなり頭を撫でないで下さい」
「んーと、それは...いきなりじゃなかったらいいってことかしら?」
「いえ、やはり駄目です。断じて駄目です!先程の言葉は訂正させていただきますっ!」
「んむぅ、なによ〜〜。そんなつれないこと言うんなら、私にも考えがあるんだからね」
「早朝から一時間かけて髪をセットしたのですが...ううっ。カリン様、王女様を止めて下さいませ」
彼女の綺麗な紺碧色の髪がボサボサにされていく様を無言のうちに見つめる。リンカの良く手入れされた長髪が目の前でくずされていくように、カリンもまた何か自身の積み上げてきたものを壊されたようなそんな気分になった。しかし、そうなる理由がわからず、内心で小さく首をひねった。
何処か遠くを眺めるようにぼんやりと正面で繰り広げられるやり取りを目に納めていれば、その内こちらを向いたウルと目が合った。
(どうしてでしょうか。嫌な予感がします)
怪鳥の巣のような惨状から手を放し、自身と静かに見つめ合う新緑の双眸は少し目を細めて、二ィッと嫌な笑みを浮かべた。
「カリン、覚悟よーー!!」
「...わっ......!」
迫りくるウルの両手を危なげなく回避すれば、背後から短い悲鳴と次いで鈍く重たい音が木霊する。
「いったぁーいっ、ちょっと避けるなんてひどいじゃない!?」
おでこをおさえた彼女が涙目のまま抗議する。おさえられた額の中心部が少しだけ赤くなっていることを目視で確認するが、幸いその他の外傷は見当たらなかった。
「...申し訳ありません。つい、反射で...それよりお怪我は大丈夫ですか?」
「まっまあ、これくらいは魔法ですぐ治るから大丈夫よ」
ウルの言った通り、彼女の手から黄緑色の優しい光が額の傷へ向けて溢れ出し、それが消える頃には真ん中の赤色は同時に消えてなくなっていた。ホッと胸を撫で下ろして、何となくリンカへ視線を移せば、いつの間にやら先程までより大分ましな髪になっていた。
「...流石はリンカ。毎朝、私の髪を梳いてくれますし、プロみたいな手際の良さですね」
起床時の自身の髪を思い出して率直にそう呟く。そして、それが聞こえたらしいリンカは恥ずかしそうに顔を赤くして一礼する。...まったく、自分の周りにはやけに耳の良い従者ばかりがいて困るものだ。
「ありがとうございます、カリン様。恐縮です」
「...いえ、そんなことは」
「ずるい」
「...はい?」
カリンとリンカが揃ってウルの方を見れば、其処にはふくれっ面をした彼女がいた。
「ずるいわ!カリンはリンカちゃんばっかり構うんだから。私にももうちょっと関心をもってほしいところだわ」
関心がある、なんて口が裂けても言えなかった。感情のない自分に心がある、とは到底信じがたかったのもあるだろう。カリンとしては考えついたことをそのまま伝えただけだ。別にリンカだけを特別扱いしているつもりもなければ、ウルに線を引いているわけでもない。
「......ですよ...」
「え...カリン、今なんて言ったの?」
聞こえなかったのではなく、信じられないといった様子で、ウルは目を丸くして問いかけた。何故だか、カリンは彼女の目を真っ直ぐに見つめてそれを口にしていた。
「...いいですよ。......頭、撫でても」
ウルの言葉に正面から答える気はなかった。この短期間でわかったこと、彼女はきっと感情で生きている。怒ったり、泣いたり、とにかく他人の感情に人一倍共感して、そしてそれを自分のことのように悩んだりしてしまうタイプの子だ。だからこそ、自身の何気ない発言でウルを傷つけることは望まない。例え”関心”がカリンの中から欠落していても、あるもないも声に出してはいけないと、それだけはやけにはっきりとわかった。
目の前の彼女はようやくカリンの言ったことを頭の中で処理しきったのか、嬉しそうに笑った。「本当?」と、無邪気な笑みに似合う子どものような弾んだ声で自分に言った。カリンが小さく頷きを返せば、パッと一層表情をほころばせ、恐る恐る髪に触れてきた。
「...リンカのときよりもずいぶん優しく触るんですね」
「う...えっ、だって、また避けられると思ったから...。何よ、その無表情!なにか違ったかしら?」
「...いえ、そんなことは」
壊れ物を扱うくらいに優しく撫でられるものだから、少々のむず痒さのようなものを覚えてしまう。その全てから目を背けるように横を向けば、途中から完璧に気配を消していたリンカの姿が見える。じっと、何かを言いたげな表情で見つめてみるものの、残念ながら彼女が此方を向くことはなかった。
内心で小さくため息をついて、仕方なしに視線を戻せば未だ楽しそうにカリンの髪を撫で続けているウルと目が合った。
「いいわね、カリンの髪。私と違って優しい色だしー...それに触り心地もいいわ。サラサラで全然絡まなくて。ほら、どこかカリンに似てるの!」
「......そうですか」
素直に礼を言えばいいはずなのに、上機嫌に語るウルへ全てを傾けていれば、何故か言葉に詰まった。最近、こんなふうに自分のことなのにわからないことが増えたような気がする。「...ウルに。一つお話があるのですが......」
気がつけば、あまりにもおざなりに話を逸らす自分の声が聞こえた。普段ならこんなことはしない。そういえば、エルの登場で有耶無耶になってしまっていたが、ラウはあの時何を言いかけていたのだろうか。
「なにかしら?何でも言ってくれていいのよ!!」
「...何でもというわけにはいかないでしょう。それで、今後のことについてお話したいのですが......仕事をいただけませんか?」
「へ...?しごとぉ?いったい誰のかしら?ええ、もしかしてカリンの.........はあ。なるほどね。まあ、話はわかったわよ」
ウルは大きくため息をついた後、カリンの想定通り渋い表情でそれを了承した。彼女には悪いが、流石に城にタダで置いてもらうわけには行かない。前々から考えてはいたことだ。
「...体調も大分良くなってきましたし。何でも言ってください」
「何でも、って言われてもねえ。......あっ、そうだ!一つだけ言ってみてもいいかしら?」
髪から手を放し、代わりにウルは目を輝かせながらずいっと顔を近づけてきた。綺麗な緑の双眸は近くで見れば、中心に向かうにつれて少しだけ黄みがかっているようだ。頷きを一つ、彼女に返した。
「えへへ、やったあ〜!!カリンと戦いたかったんだよね、ずっと」
「...そうだったのですか。戦い、となると広い場所が必要かもしれませんね」
「それなら、兵士達の訓練場を使うのはどうだい?」
一つの中性的な声が話に割って入った。それが誰かはすぐにわかった。耳にあまり聞き馴染みはなかったが、正面のウルが何処か嬉しそうに笑っていたから。
「彼処ならスペースが有り余っているはずだからね。皆、快く貸してくれるさ」
「ナイスアイディアです、お兄様!みんな、いっぱい訓練してても、お兄様が言ってくれたら空けてくれるわ」
「...鶴の一声、というやつですね。ウル、訓練場まで案内していただけますか?リンカも行きましょう」
「はい。もちろん、お供いたします」
薄められていた影が戻り、リンカが此方へと近づいてくる。しかし、何かに気づいたようにエルの後ろを眺めた後、首を左右に振る。
「_そういえば、ラウはホールで片付けをしているのですか?」
「ああ。彼ならウルが出ていってすぐに部屋を飛び出していったよ。何かに急かされているように大慌てでね。みなは、会っていないのかい?」
エルが首をすくめながら返した。ホールを出てから時間はあまり経っていない。まだ、あの大きなドアはカリンの背丈ほどになって見える位置にある。そう見逃すものだろうか。
「会ってませんわ。案外、その辺の部屋にいたりするんじゃないかしら?」
「...ですね。途中で急ぎの用を思い出したけれど、仕事があるので他の者を呼びに行ったとかも考えられます。流石に此処を通っていったのを、私たちが見落としたなんてことはないでしょうし」
「そりゃそうよ。んじゃあ、早く行きましょう!ラウなら何も言わなくても、カリンの姿を見に来るんじゃない?とにかく、私は早く戦いたくて仕方がないわ。とーっても楽しみなの!!」
我慢ならないといった様子でカリンの手をとり、そのままぐいぐいと引っ張っていくウル。そんな二人の背中に「走りすぎると転んでしまいますよ」と声がかかる。ウルがそれに元気良く返事を返すものの、彼女のスピードは一向に変わることはなかった。こんなに嬉しそうにするのなら、もう少し早く言い出せば良かったかもしれない、と少しだけ後悔した。
(......?)
ふと、自身の胸元のあたりに違和感を覚える。何だろうか?小さなものが揺れ動いたような、そんな感覚だ。自然とカリンの足はスピードを落としていく。先を行くウルは繋いだ手を引かれるかたちになり、不思議そうに此方を見る。
「どうかした?......カリン?」
「......っいえ、何でもありません。それより、早く向かいましょうか。楽しみなんですよね」
「っ!!そっかぁ〜、うんうん」
何処か感慨深げに呟くウル。それはどういう意味だ、と尋ねる前に、また彼女に手を引かれて走り出す。転ばないよう注意しながら、ウルの表情を後手に眺める。もう一度目に収めたかったのかもしれない。理由はよくわからなかったが。
初めて見る彼女の顔だった。優しくて生暖かくて、胸の辺がもやもやとする、そんな笑顔。いつもとは違う。にひひ、といった表記ができそうな、子どもの成長を見守る者達_ジルや母のような_の心の底から嬉しくてたまらない、といった感情から溢れ出た無償の笑顔。
...それに笑い返すことができたら、どんなに良かっただろうか。




