第2話 ジャ〇プのスポーツ漫画かと思った
作業を終えた僕らは村へと戻った。
村の前まで着き、マーシャが慣れた様子で木製の簡易的な門を開けるのを横で眺める。
この村の周りは柵で囲まれており、何箇所かにある門からしか出入りが出来ない仕組みになっている。
と言っても所詮その柵は大した高さもない上に木製だし、門だってこうして簡単に開けられる。ハッキリ言って防衛としての機能はほとんど期待できない。だがこれで問題がないのがこの村である。
そもそもこの地域──merha地方──は、昔からこんな感じらしい。そこにあるのどかで危険とは対極な村。それがここだ。
村の中に入ると、点々と家が並んでいる中に、一際大きな二階建ての建物の存在が目立つ。
僕は一人、その大きな建物に入る。
この建物の二階は、ずらーっと十数個の部屋になっており、僕もその部屋の一つに住ませてもらっている。ここで生活している村の人は結構多く、マーシャもその一人だ。と言ってもマーシャは少し事情が違う。ちなみにそのマーシャはと言うと、村に戻るや否やアリスに会いに行くと言って消えた。
そして一階には、村長の部屋の他に食事をする場所や風呂といったものがある。なぜ一階に村長の部屋があるのかと言うと、ここは元々客人の部屋兼村長の家みたいなものだったからだ。だがそれもはるか昔の事らしい。
自分の部屋へと戻り、おフトゥンにダイブ。軽くベットで仰向けになる。
何となく疲れた。
……そういえば、ここには何故か女の人しか住んでいないんだった。
魔法もチートスキルもなくて俺TUEEEEもできなくて……となると異世界テンプレに残されているのはたった一つ、ハーレムなわけだけどここではそれにも期待できなかった。マーシャ含め、何か全体的に癖があると言うか、魅力がないと言うか、ボケ全振りというか……
まあ要するにこの世界は『終わってる』というわけだ。
……しかし、これだけのことをどうしてさっきまで忘れていたのだろう。もはやド忘れどころの話ではないのだが。マーシャの言う通り、退化し始めているのかもしれない。
「あー色々考えてたらなんか急にくしゃみが……しかもこれ出るか出ないか際どいやつだ」
兎にも角にもタイミングを逃さないためにもスタンバイモードに入る。
説明しておこう。読み飛ばす事を推奨する。
スタンバイモードとは言わずもがな、
寝転んでいた体を起こし、ティッシュを片手にいつでも来いという気概(ここ大事)で最大時速320kmをも超える豪速球をティッシュというキャッチャーミットに収める準備をすることであり、気持ち作りも含め、これらが完了してはじめてスタンバイモードと呼べるのだ。
ちなみにこの受け止める作業をキャッチャーとして考えるか、あるいは豪速球を打ち返すバッターとして考えるかの争いは紀元前から存在しており、人類が戦争を始めたきっかけもこれらしい。エビデンスはコンセンサスでアグリーでアライアンスでオールライト! ってネットに書いていたから絶対に本当の事だと僕は信じている。
それだけじゃない。ディベートっていう単語が大好きな三浦くんも本当のことだと言っていた。三浦くんは、授業中も、食事中も、休み時間も、数学のテストで赤点をとった時も、国語のテストで赤点を取った時も、化学も歴史も……その他全ての科目で赤点を取っても、いつもディベートって言っていた。そんな彼が言うことだ。まず間違いない。
スタンバイモードが完了した。
閉じていた目を開く。気合い十分、準備万端、ついにその瞬間が──
ちょうどその時だった。どこからか現れた虫がズボンの中に侵入したのは。
取り出そうと必死に探るも、視覚という情報がない上にいるのかいないのかも分からないような虫だ。なかなか追い払えない。
ようやく指で掴んだ。
と同時に鼻からは豪速球が放たれる。幸いにもスタンバイモードのおかげでなんとかキャッチャーミットに受け止められた。
さらにその時だった。
ガチャ、という音ともにドアが開く。
「ほれ、ここが今日からあんたの部屋だ」
そう言いながら、この村の長であるCavezaさんが当然のように部屋に入って来た。
カベッサさんはマーシャの祖母にあたる人物で、マーシャがここに住んでいるのはカベッサさんの孫だからということもある。だから他の人とは少し事情が違う。
カベッサさんは男嫌いらしく、初めはあまり歓迎されていなかった。今では少しは良くなった、と思いたい。
「ちょっ、何ですか急に。びっくりするじゃないですか」
誰だってくしゃみをした直後、あるいはその瞬間には無防備なものである。故に仕方の無い事である。
「急にって。ノックもしたし、だいたい誰か来てることぐらい足音でわかるだろ。ていうか、あんた……」
表情筋が引退してるのかってぐらいに無表情なカベッサさんの筋肉がピクリと動いた。
そう、仕方の無い事である。
数枚まとまったティッシュに粘性のある白い液体がついていることは。そしてもう片方の手が薄い布の中にあることは。何せ咄嗟の事だったのだから。
「だからノックにも反応がなかったわけかい……あんたこんな昼下がりによくもまあ……」
カベッサさんの軽蔑の眼差しと呆れたような声色で、僕はようやく《《そう》》見えていることに気が付いた。
空間を無が走る。
そして、ほぼ同時に開口した。
「いやいやいやいや」
「あーわかったわかった」
「これはちょうどくしゃみが出て!」
「そうかいそうかい。つまりあんたはそんなやつなんだね」
「エー〇ール!? じゃなくて、つまりこれは鼻水なわけでアレがアレで……えーっとーわかるでしょ?」
ダメだ。まるで聞く気がない。どうしたものか。
「んーこれは考え直した方がいいのかね……」
困った、というようにつぶやき、
「まあ待たせるわけにも行かないからね。とりあえず入りな」
ドアの後ろ、廊下の方を向きながらそう言った。
入りな?
すると、カベッサさんの後ろから見知らぬ女の子がスっと現れた。
女の子はちょこんとお辞儀すると恥ずかしそうにそのまま下を向いた。
色白い肌に、背中まで伸びた透明感のある銀髪が部屋の光でキラキラと輝いている。下を向いていてもどこか気品溢れるその姿は、どこぞの国の姫だと言われても疑う余地もないほどに綺麗だ。
それにしても、だ。
カベッサさんを見る。
「え、どういうことですか? 話が見えないんですけど……」
一難去ってまた一難とは言うが、一難去らずにまた一難とはこれ如何に。
「仕方ないねえ、アンタは。愚かだよ全く。愚か者だ。ほんとに脳内どうなってんだい」
「これこっちのせいなことある?」
「いっぺん死んだらいいのに」
「僕専属のアンチの方?」
カベッサさんは、めんどくさそうにため息を吐いた。
「まあとにかく、この子はEmilyだ。今日からこの部屋で生活する、つもりだったんだけどこんなことがあったあとじゃねえ……」
「こんなことも何も……僕はただくしゃみをしていただけなのに。ティッシュを捨て損ねただけでこんな面倒なことになるんだったら、そりゃスマホ落としたら映画にもなるわ。…………は?」
何を言ってるんだ? 混乱してきた。
よし、カベッサさんにあとは託そう。村長だし。こんな時でもカベッサさんなら何とかしてくれるだろう。だって村長だもん。
救いを求めるように目を向けると「は?」という顔をしていた。
「は?」
「は?」とも言っていた。
助けはないのか?……いや、ある。ここには可愛らしい銀髪の少女がいたんだった。きっとあの子は笑顔で受け入れてくれるはず。
「は?」
ああそうだ、死のう──
「まあうじうじぐちゃぐちゃ惨めったらしく何言ってるかは知らないけど、とりあえず様子見でよろしくね」
「このばあさんのこと誰が好きなん?」
ツッコんだ頃にはこのばあさんはあのばあさんになっていた。いなくなるのが早すぎてジャンプのスポーツ漫画かと思った。
「あ、あの……」
声をかけられ我に返る。そう言えばここにはもう一人いたんだった。
「ご迷惑をおかけします。エミリーといいます。よろしくお願いします」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「(あのばあさんには)お互い苦労させられますが、よろしくお願いします」
「は、はい!」
跳ねるようにもう一度ペコリとお辞儀をしてくる。
カベッサさんがいなくなった事でより緊張しているらしい。おどおどしていて、ハムスターとかモルモットとかそんな感じの小動物を見ているみたいだ。
とりあえず、だ。
「えーーっと……じゃあいくつか聞きたいことがあるんですけど良いですか?」
「は、はい。もちろんです」
相変わらずおどおどしている。
「ありがとうございます。じゃあまず、どうしてこの部屋で生活することに?」
「あ、実は私この村の前で倒れていたらしいんですけど、それ以前の記憶が全くなくて。その話をしたら村長さんがしばらくここで暮らしていいって言ってくださって、それで」
なるほど、村の前で倒れていた人ってのはこの人のことか。それにしても見た目に反して、受け答えがしっかりしている。
「なぜカベッサさんがこの部屋を選んだのかはわからないけど……分かりました」
「は、はい。お願いします」
そう言いながら少女は再び頭を下げた。
その小動物感はなんというか、一言で言うならば、そう。癒しそのものだと思う。
ひとまず事情は把握した。
「じゃあ僕は少し用事があるので出てきますね」
部屋を出る。
決して気まずいからそうしたわけではない。いや、まじで。ほんとに。