5. 両思いになれました
強制的に帰るよう仕向けたがミシュリーは囲いを突破してディンバー伯爵に縋り寄った。
「こんにちは。ディンバー様!わたくしは」
「私はあなたに発言の許可をしていないしする気もない。私の機嫌がいいうちに立ち去りたまえ」
にべもなくはね除けられたミシュリーは涙をためて泣き落としにかかった。
「グレッグ!あなたからも言って!アッシャード侯爵夫人に相応しいのはこのわたくしだって!養女にするならわたくしの方が利益があるって!」
「ミ、ミシュリー?!お前は私の娘だろう?」
「お父様は…いいえ、力のない子爵は黙ってて!!これから大事な話なの!!」
「…グレッグ君。そんな話をしていたのかい?」
子爵は慌ててミシュリーの口を閉じさせようとしたが、ミシュリーは構わず指を組み懇願するように見上げてきた。何も知らなかった頃ならば胸を打つ表情だったが今となっては吐き気がする。
不快な顔を見せればディンバー伯爵が「まだまだ甘い子供だな」と笑った。
「チェンバース子爵。あなたのご息女は気を病んでいるようだ。一刻も早く連れ帰り医者に見せた方がいい」
「そんな!わたくしはお母様のような病気ではありません!わたくしは淑女としての教育をお姉様よりたくさん受けています!お姉様は体を売ることしか興味ありません!
そんな者にアッシャード侯爵家を守れるわけがないわ!髪色だってわたくしの方がほら!ディンバー様と近いですよ!養女にするならわたくしの方が」
「……虫が煩くてよく聞こえなかったんだがチェンバース子爵。貴殿の娘は一人だけだと認識しているが違うのか?」
「え、」
「貴殿の娘は王弟殿下とただならぬ関係を結び、刃傷沙汰で伯爵令嬢に刺された者だけのはずだ。ロイリーヌの近親者と謀りグレッグ君に近づくのはやめていただこう」
「いや、で、ですが」
「ロイリーヌはアッシャード侯爵夫人であり、ディンバー家の娘だ。そうだな?」
チェンバース家のロイリーヌとは別人だ。と圧を込めてディンバー伯爵が睨み付けると、子爵は口をモゴモゴとさせた後に諦めたように「はい、その通りです」と頷いた。
「待ってください、お義父様!」
「グレッグ君、他に言いたいことはあるかい?なければ場所を変えて話そう。話したいのは今年のロイリーヌの誕生パーティーのことだよ。
一度はディンバー邸でやりたいんだ。妻もそう言っているからなんとかならないかい?」
どさくさに紛れて娘になりきるミシュリーに驚いたがディンバー伯爵はあっさり無視した。
「聞いてください!わたくしの方がロイリーヌお姉様より優秀なんです!わたくしの方がお義父様やグレッグの期待に十分応えられますわ!!」
「……グレッグ君。虫の羽音が煩いんだが通訳できるかい?私の娘よりも優秀だとかほざいていた気がするんだが」
うわ、ディンバー伯爵のこめかみがひくついてる。
伯爵は災害で苦労していたからロイリーヌの助言にかなりの感謝しているんだよな。そうでなくとも控えめで頭のいいロイリーヌをいたく気に入ってくれている。
社交が好きで自分を着飾り金を際限なく使うことにしか興味がないミシュリーに勝ち目なんてないのに。
「気のせいでしょう。ロイリーヌより優秀な令嬢はいません。チェンバース子爵令嬢はダンスなどの社交は得意ですが浪費が激しくよく男達に貢がせていました。
今日だって子爵家の資産を食い潰しそうだから私に泣きついてきたのでしょう。
貴族なので政略結婚というのもありますが没落しそうなチェンバース家と繋がったところで我が家に益はないでしょう。王命でもない限りそんな家の者と結婚するなんてごめんですね」
「令嬢もだがチェンバース子爵もろくな噂がないな。娘の傀儡になり夫人を蔑ろにしているともっぱらの噂だ。
資産を食い潰したのは夫人だと責め立て、そのせいで気が触れたというのに医者に診せるまでもなく何処かに幽閉したというが本当か?
それにそちらのご令嬢は領民に回すための金にも手をつけ貴金属やドレスに消えていると聞く。
どちらが毒婦なのか問うまでもない話だが……おやチェンバース子爵。まだそこにいたのか?金策に回らなくていいのかな?」
視線に気がついたかのように子爵に顔を向けると、彼は顔を真っ赤にしながらも俯き逃げるように部屋から出ていった。
「グレッグ助けて!!わたくしはロイリーヌに貶められたの!これは悪質な陰謀だわ!だってグレッグとわたくしは初恋で結ばれているもの!そうでしょう?!」
拘束されてもミシュリーは諦めず喚いた。
耳が痛い話だ。
「ミシュリー・チェンバース子爵令嬢」
「そんな他人行儀にしないでグレッグ!昔みたいにミシーって呼んでいいのよ!」
「昔も何も一度も呼んだことはないが?そう呼んでいたのは彼の方だろう?それに申し訳ないのだが初恋はあなたじゃないんだ」
「え?」
「今はあなたが初恋の相手じゃなくて心底よかったと思ってるよ。なんせ私が贈ったプレゼントを何ひとつあなたは覚えてないのだからね」
さしてグレッグのことを好きでもなかったくせに放心するミシュリーになんとなく罪悪感みたいなものを感じた。
だがそこに縋られても困るのではっきり言えばディンバー伯爵が食いついた。
「へえ。何をあげたんだい?」
「一番高価なのは髪留めですね。他はリボンや花束ですか。どれも覚えていないくらい気に入らなかったみたいです」
「ネックレスは?!ネックレスをくれたでしょう?!」
「ネックレスは彼の方がくれた、彼の瞳の色のものしかつけていなかっただろう?だから私は別のものを贈ったんだ。
他の者達もネックレスは避けてプレゼントをしていたはずだがそんなことも忘れたのか?」
「あ……」
「それでよく愛だの初恋だのと言えたものだな」
たくさんのプレゼントを貰っていたがみんながネックレスを避けていたことに気づいていなかったらしい。
一心に思い続けていた頃を思い出し、心が悲しくなったが連れていかれるミシュリーを引き留めたいとはこれっぽっちも思わなかった。
私にとってミシュリーへの想いは過去のことになったのだろう。
そもそも勘違いなのだが好ましいと思う部分も確かにあった。そんなことを考えるからディンバー伯爵に甘い奴だと思われるのだろう。
これからはより一層ロイリーヌを愛し守らなければ、と心に誓うのだった。
◇◇◇
「まあ、そんなことが?」
領地に戻り、いつものように王都での話をしていると以前より頬が膨らみ、目の下の隈も消え、血色の良い肌艶に戻ったロイリーヌはピンクブロンドの髪をふわりと揺らして此方を見た。
最初の頃のような疑心に満ちた目も、皮肉めいた言葉のトゲもなくなった。
白い結婚はそうだが心は大分打ち解けてきている、と思っている。
本当はミシュリー達の話をするつもりはなかったのだが、義父のディンバー伯爵が『娘を貶したチェンバース子爵家を訴えたから』とロイリーヌに報告したため隠し通せなかった。
「ごめん。気分が悪くなる話をして」
「いいえ。仕方のないことですから。むしろ家族がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、ロイリーヌが謝ることじゃないから」
私はただ、ロイリーヌに穏やかに過ごしてほしいだけなんだけどなぁ。道のりが遠いな、と反省しているとそわそわとするロイリーヌが目に入りどうした?と聞いた。
するとロイリーヌは頬を染め、もじもじと指を動かしている。とても可愛らしいが初めての態度に目を瞬かせた。
「その、初恋の人がわたしだと……」
「あ!!いや、そ……えと、」
言葉を選んで話したが、主にチェンバース親子の失言を精査していたので自分の方まで気が回らなかった。
移ったように頬を赤くしたグレッグは視線を泳がせ、そして咳払いをした。
ここまで来たら隠してもしょうがない。潔く告白して『え、勘違いしていた上にストーカーですか?気持ち悪い』みたいな嫌味も甘んじて受けよう、そう思った。
「ええ、その通りです。初恋はあなたでした」
「……っ」
「パーティーで初めて挨拶した時、あなたの笑顔に一目惚れしたんです。それからずっと忘れられなくて……ただ、名前をうっかり忘れてしまって。
二度目に会った時は黒髪だったから自信がなくなってしまい……」
名前を覚えていない上に〝黒髪ではなかったはず〟と思い込んだせいで酷い過ちを犯した。
それを謝ればロイリーヌは頭を振った。それから潤んだ瞳で何度か空気を噛んだ後まっすぐグレッグはを見つめた。
「実はわたしも、その、一目惚れで」
「え、それって…」
もしかして私のことか?と恐る恐る聞いてみれば、コクンと可愛くロイリーヌが頷いた。
それを見てぎゅうっと胸が痛くなる。か、可愛い!尊い!!ますます顔を赤くするロイリーヌに負けじとグレッグも赤く染まったが口はゆるゆると締まりなく開いた。
「え、じゃあ、その、りょ、両想いだな!」
「はい…」
「初恋のロイリーヌと結婚できて私は幸せ者だな!」
「わたしも初恋のグレッグ様の妻になれて幸せです」
ああっ心臓痛い!嬉しいけど苦しい!恥ずかしげに俯くロイリーヌの耳や首も赤く染まり抱き締めたくなった。
「あの、ロイリーヌ。だ、抱き締めてもいいだろうか?」
「え?……あ!はいっどうぞ!」
夫婦なのに変な会話だが二人は手を握ったこともほとんどないのだ。抱き合い方がぎこちないのも致し方ない。
だけど互いの体温を直に感じ暑くなりながらも幸福感に浸った。
その後、チェンバース家は離散し子爵家は取り潰しになった。子爵夫妻は平民落ちして農民として働くことになり、一人娘は鉄格子のある修道院に隔離された。
ディンバー伯爵の苦情以外にも被害を受けた家から通報され重く見られたためである。
一躍おしどり夫婦として有名になったアッシャード夫妻は領民や他家と連携し自治領や国の繁栄に一役買った。
それを妬み時折心ない者達から昔の噂を引き合いに出され『黒髪の悪女』と罵られることもあったが、愛する夫達に支えられたロイリーヌは以前のように自分の殻に閉じ籠ることなく背筋を伸ばし臆することなく胸を張って歩いた。
生まれた子供達には黒髪など一切いない。
そのうち根も葉もない噂だと廃れていき、ロイリーヌを黒髪だと揶揄する者はいなくなった。
芝生の上にシートを広げ、ロイリーヌと子供達が楽しげにケーキを食べたりお喋りしている光景を見ながらグレッグは目を細める。
妻の笑みにあの時ちゃんと気づけて、行動に踏み切って良かったと心の底から思った。
愛する子供達に囲まれながらロイリーヌは夫を見た。
此方を見ると思ってなかったのか目が合いあたふたとして、それから格好をつけて手を振っている。そんな彼が可愛くも愛しくてにっこり微笑み手を振り返した。
あの時グレッグの手を振り払っていたらきっとわたしはここに居なかっただろう。
初恋の相手が本当はわたしだったということも知らないまま交わらない人生を送っていたかもしれない。
ただまあ、嫁いだ頃に知っていたら信用できなかっただろう。グレッグの誠意と優しさを浴びるように受けて、ようやく心のしこりが解れたところで胸の内を知れたから本当に良かった。
「母様は幸せ?」
「ええ、勿論よ。あなた達やあなた達のお父様がいてくれて幸せよ」
わたしの唯一。一人に絞りきれないけれど大切な家族よ。
それを持たせてくれた愛する夫にロイリーヌは感謝を込めて嬉しそうに微笑んだ。
読んでいただきありがとうございました。