3. 結婚生活と不穏な影
そうしてグレッグはロイリーヌと結婚した。
私の胸の内を知れば、人は棚ぼただの漁夫の利だのと言うかもしれない。けれど現実はそこまで甘くはない。
妻にはなってくれたがロイリーヌの態度はどこまでもよそよそしくぎこちない。ミシュリーが好きなくせに何を企んでいるの?という視線がいつも突き刺さる。
人馴れしていない小動物を飼うような気分だった。しかし相手は人間で初恋の人だ。悪いのは自分なので刺々しい視線に耐えるしかない。
ミシュリーへの気持ちはロイリーヌの本当の姿を見た時に完全に冷めたが、それを言ったところでロイリーヌの信頼は得られないだろう。
ついでに言えばグレッグは王弟殿下を射止められなかった時のためのキープ要員だった。
だから贈り物は受け取ってくれても肝心な言葉はなく、取り巻きのように近くにいることまでしか許されなかった。
もし初恋の相手が実はロイリーヌだったと気づかなくてもいずれはミシュリーを諦めていただろう。
いくらなんでも王弟殿下のものを奪うなんて大それたことはしないし、侯爵家より下位でもアッシャード家跡取りとして恥ずべきこともしたくない。
ましてや代替品なんて真っ平ゴメンだ。その現実をずっと見ないようにしてきたが、真実を知った今は簡単にミシュリーを手放すことができた。
私はただ一心にロイリーヌが穏やかに過ごせる空間作りに専念した。
まずはミシュリーが出没する社交界から遠ざけ領の邸に拠点を置いた。王子の側近なので毎日というわけにはいかないが頻繁に帰るようにしている。
婚約期間がなかったのでお土産は必ず買って帰った。帰れない時はメッセージカードと花束や刺繍糸など。
母がべったりロイリーヌにくっついているのでその延長で刺繍を覚えたと聞いたからだ。
チェンバース家では刺繍など貴族令嬢が嗜む趣味を一切習えなかったそうだ。
ミシュリーは自慢げに自分の刺繍がどれだけ素晴らしいか話していたのに。貰ったことはないから実際は知らないが彼女は習うなり刺す時間があったのは確かだろう。
邸に帰ったら二人の時間を作った。先に言っておくが子作りではなく互いを知るための会話をしている。それから二人で行動すること。領地経営の勉強を一緒にすることが含まれた。
これは外へのアピールとロイリーヌを守るためと夫婦らしいことをしたい私の我が儘だ。
あとはロイリーヌを着飾らせたいと言う侍女達のリクエストで私や母が買ったドレスを見せびらかす意図もある。
使用人達にロイリーヌを侯爵夫人として守るようにと言い含めていたが、予想以上に両親や使用人達に気に入られ帰る度に仲良くなっていった。
チェンバース夫妻に見放され、ミシュリーに何をされていても使用人に無視されていた話を聞いた後だとその光景が余計に胸に刺さった。
本当は挙式をちゃんと行うつもりだったがロイリーヌを悪女と揶揄する噂は根強く残っていたため彼女は躊躇した。
結果、式は自治領で行ったがドレスはちゃんと純白を纏ってもらった。これは私だけではなく母達の意向でもある。
王家も真っ青な式にはできなかったが純白のドレスはロイリーヌにとても似合っていた。
肝心のチェンバース家だが、ロイリーヌに話を聞き、侯爵家でも調べた上で招待状を送っても誰一人参列しなかった。籍を抜いたから赤の他人だというのだろう。薄情なものだ。
それは予想通りだったが、その後『悪女に誑かされた愚男』としてグレッグの名前が出回り周りから一斉に人が居なくなった。
出所は勿論チェンバース家で噂しか知らない社交界では悪女と愚男が住むアッシャード家として面白可笑しく広まった。
だがこれまた面白いことに王子や側近達である有力な貴族は残った。付き合いもあるのでちゃんと私を評価し、信用してくれているようだ。
『むしろ悪女に首輪をつけたのだから令息令嬢は感謝すべきでは?』と王子が笑い話にしてくれたのだ。
そのお陰もあり噂はあまり広がらず、私はことあるごとに外でロイリーヌを褒めた。
本人を目の前にすると照れが強くなってあまり口が回らないのだが、王子や側近達には常に自慢している。
『ピンクブロンドの髪は美しく、肌も透明感がありお澄ましをしている姿は女神が佇んでいるようだ』とか
『私よりも領地経営に長け、領民の声を率先して聞き手を差し伸べている』、
『手足が小さく触れれば壊れてしまいそうなほどたおやかだが、苦労を知っている手に感服している』、
『少しでも分かち合いたいし甘やかしてあげたい。彼女の笑顔を守りたい』など。
本心ではあるがまあまあ恥ずかしい。
なにせ本当はロイリーヌに信頼されていないのだ。勝手なことばかり言う私を軽蔑しないかいつもヒヤヒヤしている。
けれどその努力が報われる形で少しずつロイリーヌの悪い噂が減ってきた。
相変わらずミシュリーが頻繁に参加しているパーティーの面々には伝わっていないが地道に続けていくしかないなと考えている。
そんな頃にとある事件が起こった。
王弟殿下付きの侍女にミシュリーが刺されたというのだ。
王弟殿下も浮き名を流している御仁で子はいないがお手つきの女性は多い。その中に件の侍女がいて以前からミシュリーといがみ合っていたらしい。
しかもその侍女は伯爵令嬢らしく上下関係を気にしない子爵令嬢のミシュリーに相当腹を立てていたとのことだ。
そのミシュリーもロイリーヌを追い出したことで跡継ぎとして婿探しに本腰を入れなくてはいけなくなり、王弟殿下との関係を精算しようとしたところで事件が起こった。
命に別状はなかったが、侍女との件でミシュリーは王弟殿下とただならない関係を結んでいたのではと広まった。
見知りの間では公然の秘密だったとはいえ未婚のミシュリーには手痛い醜聞だ。
そして実は他の令息とも婚約者があるなしに関わらず関係があったことも露見し一気に立場が悪くなった。
王弟殿下のお気に入りだから言えなかっただけで盗られた婚約者の令嬢達から相当恨まれていたのだろう。
そのゴタゴタで王弟殿下自身も国王に睨まれ、辺境の魔獣討伐とそこを治める辺境伯の娘との結婚が命じられた。
そうなるとミシュリーとの関係も自動的に終わりを告げ、社交界では波が引くようにミシュリーの周りから人が消えた。
彼女についていたのは王弟殿下ありき、ミシュリー個人にはなんの魅力もない、ということが明らかになってしまった。
山積みになっていた釣書もミシュリーは片っ端から遊んでは捨てるということを繰り返していたので誰からも相手にされなくなり、チェンバース家が打診しても男爵や商家すら門前払いになっているという話だ。
望ましい結果かどうかはわからないが、これでロイリーヌも穏やかに過ごせるだろうと思った。
そう、思っていた。
王都にあるアッシャード家の応接室に居座る場違いな者達にグレッグは痛くなった頭を押さえた。
目の前に座っているのは先触れもなくやってきたチェンバース子爵とニコニコと愛想笑いをしているミシュリーの二人だ。
本来なら門前払いにするのだがロイリーヌについて重要なことがあると縋りつかれ仕方なく邸内に入れた。用心のために憲兵への伝令と腕っぷしの強い者を控えさせている。
私自身がやれなくもないがロイリーヌから話を聞いた今は目の前の義父を殴らないでいられるか自信がない。そのための控えだ。
「お久しぶりねグレッグ!元気にしてた?」
ハツラツとした持ち前の明るさを押し出してミシュリーが切り出した。未だにお友達感覚でいるらしい。
恋い焦がれていた時は呼び捨てでも喜んだが今となっては成人したのに礼儀を弁えない不敬な者にしか見えない。
何をもって元気にしていた?と聞けるのか疑問に思ったが淡々と返した。
「それで、何の用だ?」
ろくな話じゃなかったらわかっているんだろうなと子爵を睨み付ければ彼は大量の汗を吹き出し目を泳がせた。
子爵は元々甘言に弱く調子に乗りやすい性格らしい。ミシュリーが最初に母親から奪い取った相手だ。
父親を味方に付けたミシュリーはまず抵抗する母親を貶め、操縦できるようになると守られていたロイリーヌを苛め始めた。
無視は常時、使用人にも加担させ下女のような仕事をさせていた。ミシュリーの機嫌が悪い日はロイリーヌを鞭で打ち食卓をひっくり返し這いつくばって食べるよう命令した。
言うことを聞けば嘲り、聞かなければ鞭や蹴ることもしていたという。
外に漏れなかった理由はミシュリーの命令で家の者全員がロイリーヌのイジメに加担させられ、それを盾に脅されていたとのことだ。
本来チェンバース家の中で絶対権限を持つ父親が何もしなかったのはミシュリーに騙され続けていたからだった。
子爵も聞こえの良い言葉ばかりを選び取り、都合のいいことばかりを言うミシュリーを信じこみロイリーヌを嫌うようになっていった。
親子の縁を切らせたのもミシュリーの告げ口のせいだろう、と冷めた笑みを向ければミシュリーが嫌な笑みを浮かべた。
「実はね。グレッグもそろそろお姉様に飽きたんじゃないかと思って気を遣って来てあげたの」
「は?」
本当に何の話だ?という顔をすればミシュリーは笑顔で続けた。
「ほら、お姉様ってば我が儘な方で我を通せないとすぐ癇癪を起こすでしょう?そのせいでグレッグも大変なんじゃないかと思って。
グレッグはわたくしを不憫に思って、わたくしを守るためにお姉様を引き取ってくれたのだとお父様から聞いたの」
チラリと子爵を見れば彼はミシュリーを満面の笑みで見ていてうんうん頷いている。侯爵家を貶める噂をばら蒔いていたくせによくそんな嘘がつけたものだと呆れた。
ミシュリーの使い込みで子爵家が以前よりも早く傾いているのは調べでわかっているが、それでこちらに助けを求めに来るのはお門違いだということに気づいていないらしい。
「それで?」
「ロイリーヌは浪費家でもあってアッシャード家の資産を食い潰す勢いで使っているでしょう?
いくら我が愛娘ミシュリーのためとはいえ国でも名高いアッシャード侯爵家がロイリーヌなんかのために家が傾いては一大事だ」
「ええ。なのでわたくし名案を思いついたの!」
ぽん、と手を打つ様は完璧に作られた令嬢だが、『迷案』のまちがいじゃないかと思った。
「可哀想なことにお姉様は一人の方に固執することはありえないの。今はグレッグがお金を与えているから大人しくしていたでしょうけと、そろそろ我慢できなくなって如何わしいパーティーに出たり男性を買ったりするはずだわ!」
ああ、そういう如何わしいパーティーに出ろってこっそりロイリーヌに手紙を渡そうとしたよな。
ミシュリーの筆跡だとバレてるし、質の悪い下男をアッシャード家に住み込みで働かせようとしたよな。侯爵家を舐めてるよなお前達は。
「家にいた頃も何度も止めるように言ったんですが聞いてはくれませんでした。
いつかは心を入れかえると思って静観していたのですが、あなた様の真意を知って私も心を鬼にすることにしました」
真意ってなんだよ。財政難を食い止めていたのがロイリーヌだとやっとわかって返せってことか?冗談じゃない。
「わたくしも悲しいわ」と嬉々とした顔から涙を溜めるミシュリーに表情変化が激しくて内心引いた。
「グレッグあのね。ロイリーヌお姉様が家に戻ればまたイジメが復活すると思うの。見えない場所を殴られたり蹴られたり。
折角戻ってきたわたくしの私物もまた全部盗られてしまうわ。あなたから貰った……えっと、なんだったかしら?」
「…ネックレスか?」
「そうそれ!それも絶対に盗られるわ!だから、ね?そうならないためにもわたくしには避難所が必要なの!」
「避難所、ねぇ」
そんなものどこにあるんだか、と思いつつ続きを待ってやればミシュリーはしなりと体をくねらせて色っぽく誘うようにグレッグを見つめた。
読んでいただきありがとうございます。