2. 見つけた初恋の人
前半ロイリーヌ視点、後半はグレッグ視点です。
◇◇◇
バスルームから出たわたしは溜め息を吐いた。あの後本当にアッシャード侯爵家に連れてきたグレッグはとんでもない爆弾を落としてくれた。
『両親は今領に行っていて当分此方には来ない。だから気兼ねなく過ごすといい』
使用人達はいるけれどそんな情報知りたくなかった。
「やはり出て行くべきかしら」
ここに来たのは単なる気まぐれだ。何でもできると聞いていたのにどこか抜けていて可愛らしい彼に絆されてしまった。
でもそれも仕方のないこと。ずっと彼をお慕いしていたのだ。出逢ったあの日から彼の笑顔に、瞳に釘付けだった。
だからあの日、ミシュリーの命令で参加したパーティーにグレッグがいると思っていなくて、命令に背いて話しかけてしまった。
久しぶりに話せたグレッグに嬉しくてはしたないと思いながらもすがってしまいそのまま個室のベッドまでついていってしまった。
でもわたしは忘れていたのだ。その日わたしはミシュリーとして参加していたことを。
知らなかったのだ。
あの日以降ほとんど会うこともお話しすることもなかった彼がミシュリーを好きになっていただなんて、知らなかった。
後日、家の仕事を手伝っている時にミシュリーへの釣書を見つけてしまった。そしてその中にグレッグの釣書もあってわたしは再度絶望の底へと落ちた。
わたしを拾ってくれたのもきっと妹へのアピールのひとつなのだろう。あの子は姉想いで心優しい妹ということになっているから。
本当の妹は、放心した顔で朝帰りしたわたしの乱れたドレスを見て「暴漢に襲われたのね!さすがはお姉様だわ!!」と嬉々として家中から社交界に笑い話として触れ回った悪魔だ。
ドレスを一人で着ることなんて造作もないのに、その時は細かいところまで気が回らないほど動転していた。
あんな妹が好きなのかと思うと長年温めた恋も冷めるというもの。
ここに残ったところでまた傷つくだけだわ。
そう思ったロイリーヌは失礼だと思ったがグレッグの部屋へと向かった。本来なら明日にしてくださいと言われても仕方ないはずなのに侯爵家の人達はなぜか優しく案内してくれた。
メイドの人達も妙に親切で湯浴みも手伝ってくれて、髪をとても誉めてくれた。色素の薄い髪を指に絡めて眺めたが、言うなら早い方がいいとノックした。
許可を得て部屋に入れば此方を見たグレッグが紙の束を落とし椅子から転げ落ちた。
そして床に尻餅をついたままロイリーヌを凝視している。
「え?え?…な、か、髪はどうした?!」
「ああ、これですか?元の色はこういう色なんです。妹には不吉な色と言われ……なんでもないわ」
顔を赤くし声まで裏返ってるグレッグの動揺ぶりを不思議に思ったが気にしないことにした。
金でもなく桃色でもない髪色は妹に『不幸を呼ぶ色』だと叫ばれインク瓶を投げつけられた。
『お姉様には黒がお似合いだわ!ほぅらこっちの方がお似合いよ!魔女みたいで!』
ドバドバとかけられた黒い水に視界も心も黒く染まった気がした。
黒になってもわたしは変わらないとわたしだけが思っていた。気づいたらわたしの友達はみんなミシュリーの友達になっていた。そこにわたしの繋がりはなかった。
わたしといると不幸になるから一緒にいない方がいいんだって。なんてミシュリーは優しいの。できる妹は違うね。とみんなミシュリーを褒め称えた。
そう、グレッグも。
大方、このほんのり桃色の髪を見てミシュリーを思い出したのだろう。よくよく思い出せばあの夜も『ミシュリー』と呼んでいた。
ドレスなんて一着もないからミシュリーからお古を借りたし、ミシュリーになりきっていたから彼は何も悪くない。ミシュリーへの愛の言葉を自分のものだと勘違いしたわたしが悪いんだ。
「明日、ここを出て修道院に行きます」
「……えっ紹介状は?あれがなければ不便なのだろう?」
「不便ではありますが入ることは可能です。お手数をおかけしました」
何を期待していたのか自分でもわからないけど最終的には修道院に行くのだからこれで良かったんだと思った。
だけどなぜか引き留められた。わたしはもう勘当された身だし引き取ってくれる家もない。純潔でもないから悪評が現実になっただけだ。
ここまでどうしようもないわたしが出て行くというのになんで止めるの?この髪のせいで妹を連想してる?黒はインクだから洗えばすぐ落とせるもの。
あの子の綺麗な桃色には程遠いけどグレッグにはそれで十分なのね。あーあ。初めてこの髪の色が嫌だと思ったわ。
嘆息を吐いたロイリーヌはネグリジェの前を思いきり開いた。渡されたネグリジェは前開きで素肌が全部丸見えになる。
いきなり素肌を見せたロイリーヌにグレッグは目を瞪ったまま固まった。
それはそうよね。ミシュリーとは雲泥の差がある体型だもの。
瑞々しくて柔らかくて真っ白い肌のミシュリーに対してわたしはガサガサで骨張っていて日差しでほんのり焼けている肌だ。
ふくよかな胸のミシュリーに対してわたしは肋が浮いていて胸も申し訳程度、比べるまでもない。
「グレッグ様。わたしはミシュリーではありません。いい加減正気に戻ってください」
あなたが冷たくあしらってくれないと、わたしはどうしても踏み留まってしまう。酔っぱらっていたからわからなかっただけなのにもしかしたらと期待してしまう。
どうか、わたしを嫌ってほしい。完膚なきまでに見捨ててほしい。そう考えれば考えるほど涙が滲んで視界が歪む。
本当はわたしを見てほしいのに。
本当はわたしを選んでほしかったのに。
瞬きで零れた涙と一緒に見上げれば、グレッグは鼻血を吹き出してその場で倒れた。
◇◇◇
「馬鹿者!未婚の女性が男の前で服をはだけさせるなど!あんなはしたないことをするな!!」
鼻に千切った布を詰めたグレッグはまだ赤い顔でロイリーヌを叱った。
しまりのない顔に対して『何を今更』という顔で見てくるロイリーヌに怯んだが、この動悸がどうやったらおさまるのかわからないほど動揺していた。
目の前にはガウンを羽織っているものの薄地のネグリジェ一枚しか着ていないロイリーヌがいる。しかも先程あられもない姿を見てしまった。
それを思い出しまた鼻血を吹き出しそうになり上を向いた。
グレッグは女に慣れているわけではない。
あの日だって酒の力を借りて暴走しただけだ。だから好きではない女性でも阿婆擦れと噂されている女性でも動揺するし反応もする。
だけどそれ以上にグレッグは『気づいて』しまったのだ。
自分が一目惚れしたのが桃色よりも薄い髪色だったということに。
社交界デビューをして久しぶりにミシュリーに会った時に、あの時確かに違和感を覚えたがロイリーヌは黒髪だったしミシュリーは記憶のように可愛くなっていたので勘違いだろうと思っていた。
あの時に自己紹介をしたはずなのに見惚れていて頭に残らなかった自分を、そのままにした大馬鹿者の自分を殴りたい気持ちになった。
あの時グレッグに微笑み自己紹介をしてくれたのはロイリーヌなのに。なんで初恋の人を忘れていたんだろう。あまりにも愚かな自分に泣きたくなった。
「ロイリーヌ嬢」
だが本当に泣くわけにはいかない。ここで泣けばロイリーヌに情けない男だと更に呆れられてしまう。好感度など底辺だろうが意を決して居住いを但し彼女を見据えた。
「これまでのあなたのことをすべて教えてほしい。家でのことも、これまでのことも」
「そんなことを聞いてどうするんですか?」
訝しい顔で見返され胸がズキズキと痛む。信用など一切していない目だ。
それもそのはずで再会して以降アピールするためもあってずっとミシュリーの近くにいた。他の女性になど目もくれず、ロイリーヌにも目を向けなかった。
あれだけ鮮明に覚えてるはずなのにまったく役に立たない記憶だった。何が初恋だよ。笑えるほど泣けてきた。
「私はあなたを傷つけた。その責任をとらせてほしい」
私は愚かなことをした。初恋の人をミシュリーと勘違いしてロイリーヌを汚した。その前に気づけばまだマシだったかもしれなかったが愚かな私は気づかず彼女を傷つけた。
酔っぱらいに迫られて逃げることができず体を許すしかなかったロイリーヌはさぞかし恐ろしい想いをしたことだろう。
たとえ噂が本当で遊び歩いていた悪女だとしても襲った私の罪がなくなるわけではない。
「迷惑だと思うだろうが不自由しない生活を保証する。勿論私から愛は望まない。ロイリーヌ嬢が他の誰かを愛しても私は生涯をかけてあなたを支え続けよう」
そう言うとロイリーヌは目を瞪り、それからくしゃりと歪めて唇を噛んだ。そんなに噛んだら傷ができてしまいそうだ。
「なぜ、そこまでするのですか?なにもかも、今更どうしようもできませんし、あなたの家名に傷がつくかもしれないのですよ?」
「構わないさ。私はあなたにそれだけのことをしたのだから」
体を合わせたのは一度きり。けれどその一度が貴族令嬢にとって致命傷になる。
これで脅せばいい金になっただろうにロイリーヌは侯爵家の心配をする。これのどこが悪女なんだろう。きっと私の目はずっと曇っていたのだろうな。
「ロイリーヌ嬢。私と結婚してくれ」
差し出した手を掴まれることはなかったが、ロイリーヌは無垢な涙を零し、グレッグの心を騒がせた。
そして念願だった初恋の人を手に入れ、望んだ形ではなかったが足りなかった心を満たすことができた。
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