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1. 前後不覚になるまで飲んではいけない

よろしくお願いします。

ゆるゆるなのでご容赦を。

 


 その日はとても酔っていた。酔うと私は気が大きくなってとんでもないことをしでかすらしい。

 目の前には凍りついた顔の女性。知ってはいたけど関わりたくなどないと思っていた悪い噂がつきまとう令嬢だ。


 私は髪色が同じだからって、顔がほんのちょっと似ていたからってこんな女と寝てしまったのか?!

 互いに一糸纏わぬ姿に項垂れた私は思わず呟いてしまった。


「何でミシュリーじゃなく、よりにもよってこいつなんだ」


 本心ではあったが言ってはいけない言葉だと気がつき手で口を覆うとわなわなと手を震わせた彼女は自分の着ていたものを持って化粧室に行くとすぐさまここに来た時と同じような格好で出ていった。

 勿論私への挨拶はない。先に失礼な態度をとったのは私だ。


 しかしドレスをあんな手早くどうやって着たのだろう?失礼だなと思いつつもそんなことが気になった。



 アッシャード侯爵家嫡男であるグレッグは憂さ晴らしによくパーティーに来ていた。家格、見た目、頭脳、社交性どれも申し分なく家族や周りからも有望視され、王子の側近として抜擢もされた。

 あとは愛する妻が隣にいれば申し分なかったのだがグレッグが愛している女性はなかなか振り向いてはくれない高嶺の花。


 ミシュリー・チェンバース子爵令嬢。

 白磁のような白く透き通った肌、ふわりと柔らかい桃色の髪、瑞々しい木の実のような赤い唇、淑女として申し分ない体のライン。愛嬌もあり笑顔がとても素敵なのだ。

 鈴のような愛らしい声で出迎えてもらえたらどんな辛い日だって楽しく過ごせるだろう。


 想いを募らせどうやったら振り向いてもらえるだろうと考えていたら丁度同じパーティーにミシュリーが来ていたのだ。

 これは好機と最大アピールをして口説き落としベッドに連れ込んだ。


 紳士としてあるまじき行為だが切羽詰まってもいたのだ。この国の王弟殿下がミシュリーを見初めたかもしれないと噂が回ってきていてもたってもいられなかった。

 確認しようにも聞くことはできない。本当だったら目も当てられない。二人の結婚式を見た日には立ち直れないかもしれない。


 そしてこのパーティーは独身者がよく集まるパーティー。ここで出逢えたのは神の巡り合わせだろうと浮き足だった。


 純潔ではないとわかれば王弟殿下も諦める。そして自分が手に入れられる。卑劣な手段だとわかっていても身勝手な誘惑に勝てなかった。


 だがそれが姉のロイリーヌ・チェンバースだったなんて!!あの淫売な悪女とミシュリーを間違えるなんて!!酔っていたとはいえ一生の不覚!と打ちひしがれた。


 そして酔いが醒めると今度はこの件で強請(ゆす)られたり、体を求められたりするんじゃないかと恐れた。

 なにせ相手は貴族令嬢としての矜持はなく、娼婦のように誰彼構わず股を開くはしたない女だ。だからあのパーティーでも婚約者ですらない男に平気な顔で抱かれたのだ。


 そう考えると自分が騙された気がしてきて腹の中がぐつぐつと煮え滾った。



 そんな極端な感情を抱きながら警戒する日々を過ごしていたが、あの日以降ロイリーヌが会いに来ることも姿を見ることもなかった。


 それはそれで悶々としているとある日『ロイリーヌが暴漢に襲われた』という噂が飛び交った。

 ミシュリーへのイジメを知っていた者達は天罰が下ったのだと嗤ったがグレッグは血の気が引いた。


 最後に見た傷ついた顔のロイリーヌに自分が暴漢なのではと思ってしまったのだ。そして彼女が修道院に入るのだと聞き益々バツが悪くなった。

 今まで散々いろんな男と寝てきたのに暴漢に襲われたくらいでなぜ修道院に入る必要がある?何でもっと早くに入らなかった?ミシュリーを苛めたかったからか?なぜ今になってそれも放棄した?それだけ暴漢に襲われたことが辛かったのか?


 やっと自由になれたわね、と友人達に祝福されるミシュリーは満面の笑顔だ。先日まで「お姉様にだっていいところはあるはずだわ」と庇っていたのに。



「グレッグ。()()()()一曲踊りましょうよ」


 差し出された手をじっと見つめた。触れたくてもなかなか触れさせてもらえない手は白く滑らかで細い。ずっと焦がれていた手だ。

 手の甲にキスをしてエスコートできればと何度も夢見ていた。断られるなどと微塵も思っていない笑みも美しい。

 だが、つけている宝石類はすべて王弟殿下の色で嫌でも現実を突きつけられた。


 何についてのお祝いなのだろう。

 その時初めてミシュリーの言葉に疑問を抱いた。



 いてもたってもいられずグレッグは先触れもなくチェンバース家に向かった。

 正直何も考えていなかった。ロイリーヌに会いに行ったとして何を話したらいい?

『暴漢は私のことじゃないよな?』なんて聞こうものなら張り手どころじゃすまない暴言だ。かといって『あの時はすまなかった』と言っても殴られるだろう。

 いくら男と遊び歩いているとはいえいびり倒している妹と間違えたのだ。


 よくよく考えたらあの後ミシュリーは大丈夫だったのだろうか?家の中では女王気取りだというロイリーヌがミシュリーを苛められる機会を逃すとは思えない。

 だが今日までイジメが更に酷くなったという話は聞かなかったし、グレッグに対してのミシュリーの態度も変わらなかった。


 そうこうするうちにチェンバース家に着いた。ああどうしよう、と焦っていると門が開いた。


 出てきたのはロイリーヌでドキリとする。彼女は此方に気づかずなぜか『一人』で歩きだした。貴族令嬢は大抵お供がつく。従者だったり侍女だったり。女性の一人歩きはそれだけ危険なのだ。

 そしてもうひとつ気がついた。ロイリーヌが持っている鞄は旅行鞄だ。しかし令嬢自身が持ち歩くことは少ない。あの革の鞄は空でもなかなかに重いのだ。


 もしかして、今日が修道院に行く日なのか?そう考えてぞわりとした。


 確かに噂に聞くロイリーヌは素行が悪く、いくら待っても貰い手は現れないだろうと言いきれるほど悪評が出回っていた。

 だけど家族は家族、娘は娘だ。暴漢に襲われたとあればさすがに同情くらいするだろう。


 振り返り門を見たがそこには見送りも引き留める者もいない。修道院に行くための馬車もない。とぼとぼと歩くロイリーヌは家族にも捨てられたのだと知った。


 いやそんなはずはない。ミシュリーはいつもロイリーヌを心配していた。仲良くなりたいと、姉の良いところを見つけたいといつも言っていた。

 そんな心優しいミシュリーの親が見捨てるなんてするはずがない。


 そうだ。ロイリーヌはきっと黙って出てきたのだ。今にきっと気づいた家族が出てきてロイリーヌを引き留めるはずだ。

 だが閉ざされた門が開くことはなくチェンバース家は静かだった。どんどん離れていくロイリーヌにグレッグは焦った。


 約束もなくいきなり現れたら変質者呼ばわりされるかもしれない。なんと話しかけたらいいのかもわからない。

 出会い頭に殴られるかもしれない。暴漢が自分だと騒がれたら一巻の終わりだとさえ思った。


 そうこうしている間にもロイリーヌの背中はどんどん小さくなっていく。もしかしたらこのまま見送った方がいいのかもしれない、そう思った時だった。


 ロイリーヌの前にガラの悪い男が三人現れた。友人か何かと思ったが鞄を引ったくったところで違うと気がついた。

 追いついた時には男達の姿はなくへたりこんだロイリーヌしかいなかった。



「立てるか?」


 そのまま立ち去る訳にもいかず手を差し出しだが、グレッグの顔を確認したロイリーヌは自力で立ち上がり嫌味とも取れそうなくらい丁寧な言葉で礼を述べた。

 少しカチンときたが被害者はロイリーヌだ。捜索を憲兵に頼もうと提案したがなぜか拒否された。


「いいのか?中には大事なものがあったのだろう?」

「あったかもしれませんがもう手元には戻ってきませんから」


 お金もほとんどありませんし。と無表情で話すロイリーヌは暗い。とても男を取っ替え引っ替えできるようなしたたかな女には見えなかった。

 それだけ暴漢に襲われたことが堪えたのだろうか、と考え「うぐ」と唸った。


 真実はわからないがやはり罪悪感的なものに心を刺されている気分になる。いやしかしミシュリーに似ても似つかないこんな悪女を引き取るにしてもなあ、と眉を寄せればロイリーヌが頭を下げた。


「見ず知らずの者にお心を砕いていただきありがとうございます。荷物はわたしが探しますのでどうかお気になさらず待ち人のもとへお行きください」


「え、いや待ってくれ。私達は互いに知っているはずだが?」


 待ち人って?もしかしてミシュリーに会いに来たとでも思っているのか?

 会えるならそうしたいが先触れなく会いに行くのはさすがに気が引ける。それに見ず知らずと言われてカチンともきていた。

 昔、家族と行ったパーティーでチェンバース一家から挨拶を受けたから覚えている。そこでミシュリーに一目惚れしたのだがその時にロイリーヌもいたはずだ。



「申し訳ありません。わたしのような者があなた様のような方にお目もじ叶うはずがありません。誰かとお間違えなのでしょう」


「そんなことはない!それに先日のパーティーで私達は」


「そんな記憶はございません」


 まるで使用人のように線引きするロイリーヌにイラついて、思わず言わなくてもいいことを口にしようとした。しかしそれは被せ気味に呟かれた氷のように冷たい言葉で遮られた。

 ここは人通りは少ないが公共の往来だ。じっと冷たい視線で睨み付けるロイリーヌに息を呑んだ。なんでそんな顔で睨むんだ?鞄を盗られる前に助けなかったからか?


 ミシュリーと勘違いして抱いたからか?そっちだって散々男と遊んできたのだから誰に抱かれたって同じだろう?

 それとも俺はそんなに下手くそだったのか?とあらぬ方向に考えがシフトしたところでロイリーヌが去ろうと歩きだし慌てて手を掴んだ。

 その手はガサガサとしていて水気がなく、手の平が少し固かった。剣ダコというわけではなく使用人達の手に似ている気がした。


 ミシュリーとも他の令嬢とも違う手に驚いてパッと離せば、ロイリーヌは己の手を掴み唇を噛んだ。それはまるで傷ついてるように見えて心がざわついた。


「このまま一人にしてはまた誰かに襲われるかもしれない。きみはそれでもいいかもしれないが私は違う。迷惑と思うかもしれないが送らせてほしい」


 これが得策とは思えなかったが今度は荷物どころか命を取られる可能性だってある。それはさすがに寝覚めが悪いと言い聞かせ馬車に乗せた。



「何をなさっているのですか?」


 同乗することを渋ったロイリーヌだが最後は折れて対面して座った。しかしグレッグの行動に驚き目を丸くしている。


「手首を縛っているんだ。こうすれば何もできないからな」


 未婚の男女が二人きりで乗るのは外聞がとても悪い。私達の場合はもう遅いのかもしれないがポーズくらいはとっておいた方がいいだろう。


 手首を縛っていれば物理的に手が出せないという理由にはなる。

 自分への言い訳にしかならないが自信満々に安心しろ、と言ってやればロイリーヌは固まったまま口元を引くつかせ、そして顔を背けてから「そうですね」と同意した。肩が震えているのは気のせいだろうか。


 手首を縛ったまま馬車はロイリーヌが入るという修道院に向かった。

 しばらくは互いに窓の外を見て会話もなく進んでいたがふと気になって彼女を見やった。確かに面と向かってロイリーヌと話すのはこれが初めてだ。

 致してしまったあの日はミシュリーだと思っていたからカウントに入れていいのかわからない。


 そこであれ?と思った。

 確かに私はミシュリーに恋をして前も後ろもろくに見えていないほど盲目になっているがそれでもさすがにこれは間違えないだろうと思った。


 私が知っているロイリーヌは『黒髪』なのだ。

 だけどあの時は黒ではなく桃色で、だからミシュリーだと思った。

 今だって黒髪なのだがその黒がおかしい。まだらになっていて所々が白く……いやピンクブロンドに見える。白髪にしては毛先が白く、ブロンドに見えるのはなんか変だ。



「……あなたは本当に黒髪なのか?」



 その問いにロイリーヌは少し此方を見て眉を寄せたが答えずまた窓の外を見た。

 なぜだろう。さっきから視界に入っていたのに背筋がピンと伸びた綺麗な座り方に少し見惚れた。


 ほどなくして修道院に着いたがそこでロイリーヌはとあることに気がついた顔をした。


「荷物の中に紹介状があったのを忘れていました」


 紹介状があるのとないのとでは修道院での生活が大きく変わる。なくても入れるが不便さが違うらしい。

 それでも私といるよりはマシだと思ったのかロイリーヌは礼を言ってまた去ろうとした。そして私もまたロイリーヌを引き留めた。今度は手を掴んだまま。


「鞄を捜索しよう。中には大切な物もあるんだ。それが見つかるまで邸に居ればいい」


 どうしてそんなことを言ったのかまだわからない私が居る。

 今だってミシュリーが好きだし彼女の言葉を信じている。



「わたしを囲えば余計な火の粉が飛んで来ますよ?」



 こいつは悪女で私を騙そうとしているのかもしれない。彼女の言う通り囲えば悪評が出るだろう。


 けれど見れば見るほど、噂ほど悪女には見えないんだ。話す度に普通のご令嬢に思えるのだ。なんでかはわからない。罪悪感で正しく見られなくなっているのかもしれない。



「構わないさ。乗りかかった船だ。最後まで面倒を見てあげるよ」



 だから初めて見るロイリーヌの笑みにこんなにも心が打たれたのかもしれない。


 だが微笑むというより吹き出したように見えるロイリーヌに首を傾げれば下を指された。

 視線を下げればグレッグはまだ手首を縛っていて、その格好で馬車を降りていたことにやっと気付き顔を赤くした。



「あなたって思っていたよりうっかり屋さんなのね」



 もっと完璧主義なのだと思っていたわ、と微笑む彼女はどこか懐かしい感じがした。






読んでいただきありがとうございます。

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