50 聖女お披露目の宴7
「うむ……。作戦のためなら仕方ないな」
言い訳をしつつもジェラートは、シャルロットに食べさせてもらうのが好きなようだ。まるでご褒美を期待する犬のように、キラキラした瞳を向けられる。
(あぁ……、私の旦那様はどうしてこんなに、可愛いのかしら!)
全世界に夫を見てもらいたい気分になりながら、シャルロットはちらりと貴族に視線を向けてみる。
先ほどまではさり気なく視線を向けていた貴族たちが、露骨な態度で王太子夫婦を見始めている。
(ふふ。皆、驚きを隠せないようね)
確かな手ごたえを感じたシャルロットは、皿を手に取り、ジェラートに微笑む。
「どちらのお料理を、お取りいたしましょうか?」
「シャルが食べさせてくれるなら、どれでも食べたい」
ジェラートにとっては、食べさせてもらうことが重要なので、料理の内容は関係ないようだ。ならばとシャルロットは、ジェラートが好きそうな野菜主体の料理を皿に盛っていく。
「……シャルは、俺の好きなものがわかるのか?」
「なんとなくですけれど。ジェラート様は、お肉を残すことはあっても野菜は綺麗に食べきりますので」
肉食みたいな顔つきのジェラートだが、意外と野菜やあっさりとしたものを好んで食べる。フランからは「殿下は、食べ物の好き嫌いはございません」と聞いていたが、五年も観察していればそれなりに好みは把握できる。
「シャルがそこまで、俺を理解してくれていたとは……」
感極まったように、ジェラートは瞳をうるうるとさせる。
驚いたシャルロットは、急いで皿をテーブルに置くと、ハンカチを取り出してジェラートの目元に当てた。
「ジェラート様ったら、泣かないでくださいませ。これくらい些細なことですわ」
「俺にとっては、重要だ。あれほど冷たく接していたのに、俺を見ていてくれたことが嬉しい……」
ぎゅっと、シャルロットを抱きしめるジェラートを目にした貴族達は、一斉にざわついた。
普段は狼のように威圧的で恐ろしい王太子が、なぜか涙を流したかと思えば、大胆にも王太子妃を抱きしめたではないか。今までの王太子夫婦では、あり得ないほどの距離感だ。
「あれは、どういう状況だ……!」
「わからん! 誰か解説してくれ!」
貴族達のわざつきを聞いたシャルロットは、急に恥ずかしくなってくる。
これほど熱い抱擁は、食事を食べさせるよりも大胆な行為だ。
「ジェラート様……、作戦を続けましょう」
「そうだったな」
シャルロットから離れたジェラートは、涙が収まった代わりに、再び期待するように瞳を輝かせる。
そんな夫の口に料理を運ぶと、ジェラートは子犬のように無垢な表情を浮かべながら、料理をもぐもぐと食べ始めた。
これこそ、全世界に発信したかった夫の姿。
シャルロットが反応を伺うまでもなく、貴族達はより一層ざわめきを強める。
「あ……あれは俺の幻か? 王太子殿下が可愛く見える……」
「いや、あれは現実だ! 王太子妃殿下の、女神のごとく慈愛に満ちた振る舞いによって、王太子殿下は変わられたんだ!」
先ほどは癒しの女神のように王太子を包み込み、次は恵の女神のように王太子に食事を与えている。
王太子派貴族の目にはもはや、宗教画のようにこの光景が映し出されていた。
(何を騒いでいるのかまでは聞こえないけれど、高揚感は伝わってくるわね)
王太子夫婦の関係が改善されたことが、少しでも伝わったなら嬉しい。シャルロットは、この作戦に達成感を覚えつつ、ジェラートに食べさせ終える。すると今度は、ジェラートが皿を手に持った。
「シャルのおかげで、心も腹も満たされた。今度は俺が、シャルに食べさせたい」
「えっ! 私にですか?」
思ってもみなかった提案に、シャルロットは驚いた。このような場で王太子に食べさせてもらうのは、大胆を通り越して申し訳なく感じる。しかし、食べさせてもらいたいという欲のほうが断然、勝つのも確か。
「俺もシャルの好きそうなものを、選んでみたい」
「嬉しいですわ。お願いいたします」
(ジェラート様に手ずから食べさせていただくなんて……。私の悪女ぶりが世間に知れ渡ってしまうわ)
心では困りつつも、身体は嬉しくてそわそわしてしまう。先ほどのジェラートもこんな気持ちだったのだろうか。
似たもの夫婦なのかもしれないと思いつつ、ジェラートが料理を選ぶ姿を見守るシャルロット。
前回のように、白いものをてんこ盛りにするのかと思えば、ジェラートが選んだのは、柔らかく煮た料理ばかりだった。
「シャルは、煮込み料理が好きなのだろう?」
「どうしてそれを……?」
「シャルが俺を見ていてくれたように、俺もずっとシャルを見てきた」
会話がなくとも、相手を知ろうと努力してきたのは、シャルロットだけではなかったのだ。
ジェラートが自分に目を向けてくれていたことが嬉しくて、自然と涙腺が緩みそうになる。しかしここで泣いてしまえば、先ほどのジェラートと同じすぎるので、シャルロットはぐっとこらえた。
「嬉しいですわ、ジェラート様! さぁ、食べさせてくださいませ」
自ら口を開けて待つと、ジェラートのほうが恥ずかしそうにしながら、シャルロットに煮込み料理を食べさせ始めた。
それを見ていた男性貴族達は、一斉に胸を押さえ始める。
「くっ! 自らおねだりするとは、王太子妃殿下が可愛すぎるぞ……!」
「羨ましすぎて死にそうだ……。どうして俺は、王太子妃殿下と結婚できなかったんだ……」
「できるわけないだろう! 王太子殿下は、王太子妃殿下が社交界デビューした直後に、結婚を申し込まれたんだぞ」
「そのご慧眼には、恐れ入る。やはり未来の国王は、王太子殿下が相応しいのでは?」
若い貴族が騒ぎ立てる中、派閥の長老である公爵がカッと、目を見開いた。
「啓示じゃ……、これは啓示だったのじゃ。王太子妃殿下を見出せた者こそ、次代の国王であるという、神からの啓示だったのじゃ!」
(けい……じ?)
その部分だけ聞こえたシャルロットは、首を傾げる。貴族は自分達のことで盛り上がっているのかと思ったのに、どうやら違うようだ。
(えっ……。これだけしたのに、スルーなの!?)
既に貴族達は、王太子夫婦には目もくれず、啓示と叫んだ者を囲んで盛り上がっている。誰が叫んだのか気になるが、シャルロットの位置ではそれを確認できない。
「ジェラート様……、貴族が私達を見てくれませんわ。作戦は失敗でしょうか」
「完全に失敗ではないように思うが……。まぁ、これからも地道に作戦を重ねれば、俺達の仲が改善されたと貴族に伝わるだろう」
「そうですわね。これからは、頻繁に夜会へ出席しましょう……」
ジェラートは長期戦覚悟のようだが、小説どおりに進むなら最大の危機はこの宴だ。シャルロットは賛同しながらも、焦りが募る。
(そうだわ! 体調が優れないと言って、今のうちにジェラート様を連れて帰ろうかしら)
さすがに王妃も、本人がいない場で側妃を提案したりはしないだろう。
一刻も早くここから立ち去ろうと決意したシャルロットは、悪女的発想でわざとジェラートに向かって倒れ込もうとした。
しかしその瞬間、弾んだ声が辺りに響く。