45 聖女お披露目の宴2
「……あの日の約束」
まったく思い出せなくて、オウム返しになってしまうと、ジェラートは今にも泣きそうな顔になってしまう。
「温泉で約束しただろう……。別居について……」
(あ……。その話ね……)
別居と聞いて、シャルロットはやっと思い出した。あの時は、ヒロインとの関係がどうなるかわからなかったので、別居を止める判断については保留にしていたのだ。
「申し訳ありません、ジェラート様! けれど、あの時は結局、答えが出たようなものでしたわよね。私だけを見てくださると、誓ってくださいましたし……。次の日も、色々と伝え合いましたもの……」
(私ってば、皆の前で「大好き」と言ってしまったのよね……)
思い返せば、使用人や騎士団がいたにも関わらず、自分達は朝からなんという会話をしていたのだろう。シャルロットは今さらながら、恥ずかしくなってくる。
「あの旅は、シャルの気持ちをたくさん聞けて嬉しかったし、俺も勇気を貰えた……。だが、シャルの口からはっきりと聞きたい。別居は止めると。そして、離婚もしないと……」
思いつめたように、ジェラートは瞳を潤ませる。
夫は、あの時の熱が冷めてしまったわけではなかったようだ。
(ジェラート様、もしかしてずっと気がかりだったのかしら……)
シャルロットは小説の内容を変えることができたことで、すっかりと安心していたが、ジェラートにとっては現在進行形で、夫婦問題が未解決のままだったのだ。
今すぐ夫を安心させたいと思ったシャルロットは、手を伸ばして夫の髪の毛をなでる。ジェラートは甘えるように、シャルロットの首元に顔を埋めた。
「別居はもう止めたいです。離婚もしたくありません。王太子宮へ戻る許可をいただけますか?」
「許可する。そして今後一切、別居は禁じる」
そう宣言したジェラートは、顔をあげて「……っと、言ったら嫌われるだろうか」と不安そうに呟く。
そのギャップが可愛くて、シャルロットの悪女心がくすぐられる。
「ふふ。それは、ジェラート様次第です。ジェラート様が他の女性に関心を持った瞬間に、今度こそ私は、実家の領地へ帰らせていただきますわ」
「そのような事態には、決してならない! 今までも、これからも、俺の瞳に映るのはシャル一人だけだ!」
一途な夫の姿は、何度見ても嬉しさがこみ上げてくる。
シャルロットは五年間も夫の気持ちに気がつかなかったが、『離婚はしない』と頑なに拒否していた夫の態度が、唯一の合図だったのかもしれない。
夫が離婚したくない理由は、王太子妃を務める者が必要だからだと思っていたが、そうではなかったと、今なら素直に思える。
「本当ですか? 例えばこの先、ジェラート様が側妃を娶るというお話がでたとしても、今のご意思を貫いてくださいますか?」
小説では、夫婦仲が改善しないままストーリーが始まる。ジェラートはシャルロットへの気持ちを隠したまま、初めはただの使命感で、ヒロインの世話を焼いていただけなのかもしれない。
そして王太子の責務として、仕方なくヒロインを側妃にと迎えた。
小説のシャルロットも、少しは報われてほしいという気持ちから、シャルロットはそんな質問をしてみた。
しかし、それを聞いたジェラートの顔が、一瞬に曇ってしまう。
「シャル……、なぜその話を……」
「……え?」
ただの例え話のつもりだったので、シャルロットはぽかんとジェラートを見つめた。
するとジェラートは、探るような視線をシャルロットに向ける。
「……母様から聞いたのではないのか?」
「いえ……何も伺っておりませんが。もしかして……」
シャルロットの、心臓がどきりと動いた。
「あぁ……。母様が、ショコラを俺の側妃にしたがっているんだ……」
(そんな……。側妃ルートは消えたんじゃなかったの!?)
ショコラと出会った際に、ジェラートは確かに『ショコラを養女にすることも可能』だと提案したはず。
ショコラはそれを喜び、シャルロットのことを「シャルお姉ちゃん」と呼ぶようになった。それで側妃ルートは消えたと思っていた。
しかし、小説でも側妃については王妃から提案されたもの。
王妃の気持ちを変える必要があったのだと、シャルロットは自分の認識の甘さを悟った。
けれど小説での王妃は、ジェラートとヒロインの親密さに目をつけての提案だったはず。
王宮へ戻ってから、ジェラートとショコラはろくに顔も合わせていないのに、なぜなのか。
「ショコラ様は、養女にする予定では……?」
「俺もそのつもりで両親に話したのだが、逆に俺とシャルの仲を指摘されてしまった」
(そうか……。王妃様は私とジェラート様の夫婦仲が改善したことを、まだご存知ないのよね……)
聖女誕生祭では、ジェラートが子作り宣言めいた態度を取ったが、シャルロットが別居したままだという事実はそのままだ。
そして、旅の途中の出来事など知るはずもないし、王宮へ戻ってからは夫婦の義務も中止している。
どうみても、関係が改善したようには見えないだろう。
血の気が引くような感覚をシャルロットが味わっていると、ジェラートが食い入るようにシャルロットを見つめる。
「心配するな、シャル! この件は、必ず拒否してみせる!」
「はい……」
側妃を娶るかどうかの最終判断は、ジェラートに委ねられる。こればかりは夫に頼るしかない。こくりとうなずくと、ジェラートは少し緊張した様子に変わる。
「それで……だが、手始めに俺達の夫婦関係が改善された証拠を作りたいと思っている」