40 ヒロインと悪女2
「……ジェラート様? どうしましたの?」
「それは、こちらのセリフだ! 急にどうした、顔色が悪いではないか」
小説の内容を知らないジェラートにとって、シャルロットの行動は不可解でしかないはず。
それにも関わらず、ヒロインを置いて追いかけてきてくれた。その事実が嬉しくて、シャルロットはジェラートの背中に腕を回した。
「具合が悪いなら、すぐにでも下山しよう。聖女には後日また、会いに戻れば良い」
ひたすら心配しているジェラートに向けて、シャルロットは涙を浮かべながら微笑む。
「……違いますわ。私、嫉妬してしまいましたの」
「嫉妬……?」
「ジェラート様が他の女性と抱き合っている姿を、初めて拝見しましたので……」
これからは、何でも話せる夫婦になりたいと約束したばかりなので、シャルロットは醜い自分の感情を告白してみる。
するとジェラートは、青ざめた表情に変化した。
「あれは誤解だ! 聖女は、俺と誰かを勘違いしているようだ。聖女と会ったのは初めてで、やましいことなど断じてない!」
「はい。信じておりますわ。それでも心配になってしまうのです。ジェラート様を恐れない女性は、二人目でしょう?」
「確かに、俺を恐れていないことには驚いたが、恐れなければ誰でも良いというわけではない。俺は、シャルだから結婚したいと思ったんだ。シャルが一目惚れだったように、俺も……」
言葉を濁したジェラートは、照れながらもシャルロットを見つめ続ける。「自分だけを見てほしい」という約束を、守ってくれているようだ。
先ほどシャルロットも感じたとおり、ジェラートを恐れないだけで惹かれるわけではないことを、本人が証明してくれた。小説では描写されることのない、可愛く照れた表情とともに。
これは、小説とは異なる世界を作り上げることができたという証拠に思えてならない。
「『俺も』なんですか? その先を教えてくださいませ」
「シャル……。そなたはどこまで、俺を追い詰めるつもりだ?」
「悪女からお逃げにならなかったのは、ジェラート様ですわ。観念してください」
「そなたといると、いつまでも心が休まらないな……」
困ったようにジェラートが微笑むと、「あの……」と山小屋の角からヒロインが顔を覗かせた。
「私のせい……ですよね? ごめんなさい……。考えてみたら、あなたがカカオのはずないのに……」
しょんぼりとする表情が、ジェラートとどことなく似ている。
(この二人、似た者同士だったのかしら?)
「こちらこそ、お騒がせしてしまい申し訳ありませんわ」
ジェラートから離れて、シャルロットは丁寧に頭を下げると、ヒロインはぶるぶると顔を左右に振った。
ヒロインは『悪かった』という気持ちが強いのか、先ほどのように怯えられる様子はなく、シャルロットは少し安心する。
「自己紹介の途中だったな。俺は、ジェラート・ブリオッシュ。ブリオッシュ国の王太子だ。そしてこちらが、妻のシャルロット。王太子妃だ。今回は訳あって、そなたに会いにきた」
(私を、妻として紹介してくれたわ……)
小説では身分を明かすまでに時間がかかったが、ヒロインの性格を知らない今のジェラートは、すんなりと身分と妻の存在を明かす。
もしヒロインの性格を知っていても、そうしたか? なんて想像は不要だ。妻として扱ってくれた事実だけで、シャルロットの心は満たされる。
一方、その言葉を聞いたヒロインは、壁から覗かせていた顔が、目だけに後退した。
「おっ……王太子様と、王太子妃様……!? わわ私、なにか悪いことを……まさか、魔獣を飼っていたからですか? でもでも、カカオは私を置いていなくなってしまったんです……」
慌てながらも、魔獣を思い出して悲しんでいる様子。ヒロインにとっては、よほど大切な家族だったことが伺える。
「待て、慌てるな。俺達は、そなたを捕らえにきたわけではない」
「ほっ本当ですか…………?」
ジェラートがなだめるようにそう告げると、ヒロインは山小屋の角から覗かせていた両目を、さらに片目だけという状態にひっこめた。
聖女が臆病すぎる性格だと知り、ジェラートは困ったような顔になる。
怯えられることには慣れているジェラートだが、いつもの相手は貴族なので、相手もそれなりの礼儀はわきまえている。これほど露骨な態度を取られるのは、初めてだ。
「ジェラート様、宝玉の説明からされたほうが早いと思いますわ」
「そうだな……」
(ヒロインも盲目的に、ジェラート様へ好意を寄せていたわけではなかったのね)
懐から宝玉を取り出すジェラートを見ながら、シャルロットはそんなことを思った。
小説ではジェラートにだけ心を許していたヒロインだが、それはジェラートがいち早くヒロインの性格を理解し、怯えられぬよう配慮していたから。
それがなければ、ヒロインもジェラートに怯えるようだ。
理由は貴族とは違い、容姿に対してではなく、庶民にとっては雲の上の存在という事に対してのようだが。
結局『ジェラートを恐れない女性』がまだ、自分だけだと気がついたシャルロットは、ジェラートにとって『特別』なままであることが嬉しくなる。
「そなたも、聖女物語は知っているだろう? その物語に出てくる宝玉が、これだ」
眩く光り輝いている宝玉を、ジェラートはヒロインに向けて差し出すように見せた。
ヒロインは、神秘的な光景を目の当たりにして警戒心が一気に抜けたのか、身体の半分が山小屋の角から出た状態で、魅入られたように宝玉を見つめる。