34 聖女の居場所3
これが悪女役の定めなのだろうかと考えていると、フランが「その小さな発見が、重大だったのですよ」と言いながら、地図に三角印をつけていく。
「僕が把握しているカルデラ湖は、こちらになります」
「五つか。だいぶ絞れたな」
「まずはこちらを順番に捜索し、同時に他にもカルデラ湖がないか、調査させるのはいかがでしょうか」
「それが良さそうだな」
ジェラートとフランがそう手順を決めると、最後にどの順番で回るかで、皆が地図とにらめっこし始めた。
やっとここまで誘導できたので、余計な回り道はせずに一直線でヒロインの元へ行きたい。
そう思ったシャルロットは、ヒロインの住まいがあるカルデラ湖を指さした。
「私はこちらからが、良いと思いますわ」
「ふむ。その根拠は?」
また何か気がついたのかと思い、ジェラートは尋ねたのだろうが、シャルロットに根拠などない。そこがヒロインの居場所だと、小説を読んで知っているだけ。
けれど適当に決めたと思われて、行き先を変えられるのも困る。
シャルロットはこれまでの経験で、ジェラートが拒否しないであろう作戦を取ることにした。
(ごめんなさい、ジェラート様! 私、やっぱり悪女です!)
ガシッと、ジェラートの胴に抱きついたシャルロットは、まぶたをパチパチと開閉させて潤いを得てから、上目遣いにジェラートを見つめた。
「ジェラート様と一緒に、こちらの近くにある温泉へ行きたいんです! 疲れに良く効く温泉らしいので、ジェラート様や皆様を、癒して差し上げたいですわ!」
「よし、行こう」
間髪入れずに了承したジェラートは、行き先を定めたかのように窓の外の一点を見つめる。行き先の方角はそちらではないが、今のジェラートは遠くを見つめるだけで精一杯だった。
「殿下……、そのように安易な決め方でよろしいのですか? こちらから順番に回ったほうが、効率的かと思いますが……」
焦った近衛隊長がそう提案するも、ジェラートは狼よりも鋭い視線を、近衛隊長へと向ける。
「貴様は王太子妃の心遣いを、受け取れぬというのか?」
ジェラートから発せられる威圧に身を縮ませたのは、近衛隊長だけではなかった。その場にいた騎士団全員が、身の危険を感じながら一斉に敬礼をする。
「王太子妃殿下のお心遣いに感謝し、我々もお供いたします!」
「わかればよい。――フラン準備を始めてくれ」
「承知いたしました、殿下」
今のは完全に私欲だ。と、フランだけではなくその場にいた誰もが思ったが、二週間も休みなく働き続けて、疲れているのも事実。久しぶりの温泉、楽しみだな。と皆が心に秘めながら、準備を始めるのだった。
その日の午後。ハット家の玄関前でジェラートは、準備が整えられた馬車や騎士団の姿を、じっと見つめていた。
「シャルも同行するのに、馬車も騎士も足りないのではないか?」
貴族女性が旅をするとなると、ドレスやら帽子やらで、かさばる荷物が多くなる。美容道具なども、普段から使っているものを全て持参するので、それだけで荷馬車一台分になってしまう。
それに今回は、街道を外れて田舎道を通ることになるので、盗賊や魔獣に襲われる危険もある。ジェラート一人で、シャルロットを守り切る自信はあるが、それでも万が一を考えると騎士が多いに越したことはない。
慣れない旅で、妻に不便な思いをさせたくないジェラートは、これだけの準備では足りないのではないかと、先ほどから不安になっていた。
「非公式の訪問ですし、あまり騎士を増やすと逆に目立ち、危険かと思われます。王太子妃殿下のお荷物については、気にする必要はないとおっしゃられておりました。ハット家で、馬車を出すおつもりなのでしょうか」
先ほど、準備についての打ち合わせをアンとした際に、そう告げられた。フランがそう説明していると、玄関の外へ、シャルロットとアンがちょうど出てきた。
「お待たせいたしましたわ、ジェラート様」
にこりと微笑んだシャルロットを目にして、ジェラートは言葉を失った。
いつもの、バラのように可憐な妻の姿は、そこにはなく。髪の毛は、女性騎士のように後ろで一本に束ねられ。服装は、狩りや乗馬をたしなむ女性が着用するようなパンツスタイル。
荷物と言えるものは、背中に背負ったリュックと、なぜか手に携えている『弓』。それだけだった。
貴婦人らしさは消えたが、それが本来の妻の姿だったように、よく似合っている。
「あの……、変でしたか?」
ジェラートにじっと見つめられて、シャルロットはたじろいだ。
今回は単なる旅行ではないし、ジェラートも討伐へ出かける際の服装。それに合わせたつもりだったが、どうやら失敗したらしい。
(やっぱり、ジェラート様のお好きなドレスのほうが良かったかしら……)
シャルロットが後悔していると、ジェラートが「いや」と思いのほか、明るい声が返ってくる。
「そなたの、そういった服装は初めて見るので、新鮮だと思って。その弓は?」
「温泉地から湖までは距離がありますので、お食事用の獲物でも狩ろうかと思いまして……」
そう言いながらシャルロットは、はたと気がついた。あの辺りは、ぷかぷかキノコという、木の周りを浮遊する『美味な魔獣』が生息していると小説に書いてあったので、騎士達よりも、弓が得意な自分の出番だと思ったが。
(考えてみたら、携帯食くらい準備しているわよね……)
ハット家では、狩場へ行ったら食料は現地調達が基本なので、携帯食の存在をすっかりと忘れていた。
(久しぶりに狩りができると思って、浮かれてしまったわ。変な子だと思われたらどうしよう……)
せっかく夫と心を通わせつつあるのに、夫の好感度を下げたくない。伺うようにジェラートを見ると、夫は口元に拳を当てて咳払いするように笑った。
「どうやら、俺の杞憂だったようだな」
(ジェラート様は、何を心配していたのかしら?)
シャルロットは不思議に思い首を傾げながら、馬車へと乗り込んだ。