18 夫が出ていきました6
目を開くと、視界いっぱいにシャルロットの姿が映る。
シャルロットの後ろには、青い空。どうやら、妻に対する許容範囲を超えてしまい倒れたようだと、ジェラートは悟った。
そして今、感情が募りすぎて直視できなかった妻が、自分の目の前で心配そうな顔を向けている。しかもジェラートの手を、祈るように握りながら。
これまで散々、冷たい態度を取ってきた夫に対して、妻がこんなに心配するはずがない。
「あぁ……、これは夢だな」
冷静に考えれば、妻が嬉しそうに、自分の胸へ飛び込んでくるはずがない。先ほどの光景も全て夢だったようだ。
少ない日程で無理をしたせいで、騎乗したまま寝てしまったのだろう。
早く目覚めて、妻に土産を渡さなければ。
そう思ったジェラートは、再び目を閉じた。
――慣れた寝心地のベッドで、ジェラートは再び目覚めた。暗い室内に、見慣れた天井。今度こそ夢から覚めたのだろうかと考えていると、フランの息を潜めた声が聞こえてきた。
「殿下、お目覚めですか?」
「あぁ。今は何時だ?」
「先ほど日付が変りました。ご体調はいかがですか? 王太子妃殿下もご心配しておられましたよ」
「疲れていただけだ……。一日、無駄にしてしまったな」
シャルロットとの朝食に、間に合うよう帰ってきたというのに、結局は疲れて眠ってしまった。シャルロットがまた「頼りない」と、がっかりしていないか心配になる。
しかしフランの視線が、ジェラートに向いていないことが気になり。そちらへ視線を向けたジェラートは、驚いた。
「俺はまだ、夢を見ているのか……?」
ベッドの横では、椅子に座っているシャルロットが、ベッドに寄りかかって眠っているではないか。
妻が、自分の看病をしていたというのか? あり得ない。と、ジェラートは額に手を当てた。
「夢ではございませんよ。王太子妃殿下は一日中、殿下が目覚めるのをこちらでお待ちしていたのです。なぜ、夢だと思われるのですか?」
「俺はずっと、夢を見ていたんだ……。シャルが俺の胸に飛び込んできたり……、心配そうに俺の手を握ったり……。今だって、現実ではあり得ない状況だ」
離婚したがっている妻が、こんな風に疲れて居眠りしてしまうほど、自分を心配するはずがない。
そう思ったジェラートだったが、考えれば考えるほど目が冴えてきて、身体の感覚もしっかりと伝わってくる。
今、この状況だけは現実だと、受け止めるしかなかった。
「そちらの夢も、全て現実でしたよ。この僕が、保証いたします」
ジェラートが絶対的な信頼を寄せているのが、フラン。彼は常にジェラートを最優先に考え、ジェラートに寄りそう姿勢を見せてきた。
そんな彼が「保証する」と言っているのだ。あれらも現実だったと、認めざるを得ない。
「そうか……。今日は苦労をかけたな。もう休んでよい。シャルも部屋へ運んで……。いや、俺が運ぼう」
「王太子妃殿下に触れて、大丈夫ですか? ご無理はなさらないほうが……」
「案ずるな。シャルに見られてさえいなければ、運ぶくらいできる」
シャルロットを抱き上げたジェラートは、彼女の部屋へと向かった。
こうして抱きかかえるのは、初めて出会ったあの日以来。あの時は好奇心のほうが強かったので、シャルロットと目を合わせられないという感情などなかった。
婚約の契約書にサインをした際も、シャルロットと目を合わせられなかった理由は、柄にもなく一人の女性を切望してしまったから。
それからシャルロットの年齢を知り、目を合わせられない理由に『罪悪感』が加わる。
妻が成人するまでは清いままでと思ったのも、妻を好奇の目に晒したくなかったからだ。
貴族の間では『仮初めの夫婦関係に文句を言われないよう、従順な若い娘を娶った』と噂になったが、ジェラート自身に問題があるように見せられたことはむしろ、ジェラートにとっては好都合だった。
そうして三年間をやり過ごし、シャルロットが成人を迎えれば、罪悪感も消えて夫婦として堂々と振る舞える。
ジェラートはそう思っていたが、日に日に募る妻への想いと罪悪感の狭間で、ジェラートの心は修復不可能なほどこじれてしまった。
シャルロットの部屋へと到着したジェラートは、そっと妻をベッドへと寝かせた。
妻の髪の毛を整えるようになでると、ジェラートは少しだけ迷ってから、自らもベッドへと滑り込む。
今日は、夫婦で寝室をともにする日。週に一度、妻と長く過ごせる日を逃さないために、急いで討伐と聖女探しを終えて帰ってきた。
今日は堂々と、シャルロットの部屋ですごして良いのだから、これくらいは許されるだろう。そう言い訳しながら、眠っている妻を見つめる。
目を合わさずに、こうして妻を見ていられるこの時間が、ジェラートにとってはこの上なく幸せな時間。いつも、シャルロットが眠るまで仕事をしている理由も、この時間のためだった。
シャルロットは寝相が悪いので、落ちそうな身体を元の位置に戻すのも、自分の役目のように思っている。
しかし今日は疲れているのか、シャルロットは身動き一つせずに、ぐっすりと眠っているようだ。
それほど疲れるまで、自分を心配して看病をしてくれていたのだろうか。
「シャル……」
愛しい気持ちと、自惚れではないかという気持ちを半々に抱えながら、ジェラートは妻の頭をもう一度なでた。
なで終わったら、ソファへ移動しよう。そう思っていると――、唐突にシャルロットが目を覚ました。
ジェラートは驚き、慌てて妻に背を向ける。
「……ジェラート様?」