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短編集

コピー・ガール

作者: 白鳥加寿彦

 わたしにはもう、わたしがだれだかわからない。

 一年前は山崎サヨコだった。その半年前は木崎ヘレン。さらにその前は田中ミキだったかな? 遠藤ハルカかもしれない。どっちでもいいや。

 今のわたしはだれか?

 そもそもわたしってなんだろ? どうやってわたしを定義したらいいんだろう。

 わたしは有名人じゃない。無名人。名無し。人ってさ、自分が持っていないものを持つ人に憧れるものじゃない? だからだと思う、わたしはものすごく、有名人に憧れている。

 田中ミキと遠藤ハルカは、学園ミステリドラマで一躍有名になった若手女優。木崎ヘレンはハーフで超かわいいアイドルタレント。山崎サヨコはファッション誌「アールアール」の専属モデルで最近歌手デビューを果たした人気者。

 わたしはだれかに憧れるたび、だれかを模倣する。洋服、鞄、髪型、メイク、口癖やら振る舞いやら。お金はあるのが幸か不幸かわからない。お父さんはおもしろがり、お母さんは呆れている。

 最初は下手な物まねも、だんだん精密になってくる。街を歩けばだれかが振り返る、遠巻きに視線をもらう、もしかしてと呼び止められる。ひさびさに会う人がわたしをわからなくなって、声をかけると驚かれる。ああ、わたしはあの人になれたな、って感激する。

 でもそういうタイミングで、お父さんが言うんだよね。必ずお父さん。おもしろがっているくせに一番冷静なんだ。

「おまえはほんとう、コピーがうまいなあ」

 萎える。超萎える。するとふしぎなもんで、鏡に映る山崎サヨコも木崎ヘレンも田上木田だか遠藤ハルカだかも、魔法が解けて、ぜんぶ偽物にしか見えなくなる。いくらもう一度似せようとしてもテンでだめ、ごてごてしちゃって離れてく。で、放り出す。

 あとには、あのナントカに似ていたわたし、が残る。これがさ、気持ち悪いんだよね。目は死んでるし鼻は曲がっている、口はへの字で幸薄い。あー、ぶさいく不細工。気持ち悪い。

 一刻も早く変身したい。だれかになりたい。

 次がすぐに見つかればいい。いつもはすぐだった。だけど今回は、なんかだめ。どうにもピンと来ない。原ユリカ? 高瀬ヨウコ? リリー・ホッピン? だめだめ。

 仕方がないから見つかるまでそのまんまでいようと思ったんだけど、そうしたらわかんなくなった。わたしってだれだ? わたしって何者?

 友だちに訊くと、好きな格好をしたらいいって返ってくる。でもなにが好きなんだろうね、わからない。今まで真似た彼女たちってさ、タイプがぜんぜんちがうじゃない? ざっくり言えばきれい系だったりかわいい系だったり。細かく言えば、青が似合うタイプとか、小花柄が似合うタイプとか、ボーイッシュかと思えば、胸焼けするほどガーリッシュとか。冷めてしまうと、なんで彼女たちを選んだのか、もう思い出せない。

 なんだっけかなあ。なんだっけかなあ。



「もう子どもじゃないんだから、遊ぶのもほどほどにしなさい」

 お父さんが言った。

 日曜日の朝は家族でのんびり。朝食を済ませたらお母さんは洗濯、お父さんはリビング、わたしはみんなの食器を洗い終わったところ。天気いいなあ。どこか出かけようかしら、でもわたし、まだだれでもない。だれになるか決めなくちゃっと、テレビを見ながらうなっていたら、いきなりこれよ。

「遊びじゃないもん」

「遊びだろう。知らないだれかになってなにが楽しいんだ」

 別に怒っているふうではないみたい。わざとらしく新聞を広げて、わたしのほうをちらりとも見ない。新聞を読んでいるから仕方ないだろうっていうパフォーマンス。そういう言いかたして、わたしがへそを曲げるんじゃってびくびくしてる。じゃあ言わなきゃいいのに、でもお父さんは、言う。

「知ってるもん、日本の全国民が知ってるよ、芸能人だもん。お父さんだって知ってるでしょ」

「そら知ってるさ」

 ソファの後ろに回って、新聞を覗きこむ。

「テレビ欄じゃん」

「大事だろ」

 お父さんがうそぶく。お気に入りの番組の時間なんか当たり前に記憶してるくせに。

「お、今日のゲストは峰岸マリコかあ。懐かしいな」

 午後七時、チャレンジ系バラエティ「当たって砕けて」。古今東西、いろんなジャンルの芸能人がいろんな初めてにチャレンジする番組。レギュラーチャレンジで鈴木ヨーヘーが家を建ててて、あとはゲストが毎週二人か三人、スポットチャレンジしてる。ときどき二、三回で終わる続きものがあるかな。

「なにやるんだろな」

「峰岸マリコって知らない。なにしてる人?」

「女優だよ、子役上がりの。おまえは知らないかあ、昔はすごかったんだぞ」

「ふうん」

 スマホで検索してみる。見た目はどこにでもいるおばさんって感じ。あ、でも‥‥昔の写真はかわいいかも?

 なんか来たかも!

 検索してたら画像も動画もたくさん出てきた。資料はばっちり。さて、変身準備だ。

 その日の夕飯は、お母さんが育てたジャガイモのコロッケだった。


   * * *


 半年経ったら飽きた。

 かわいいね、とか、あの女優さんの若いときに似てる、とは言われるけど、峰岸マリコさんですか、と言われることはなかった。当然だよね、年がちがいすぎるし、今の彼女じゃなくて、若いときの彼女を真似たんだもの。

 やーめた、やめた。だけど珍しいことに、お父さんが惜しんでいた。

「なんだ、けっこういいと思ったのに」

 やっぱり日曜日の朝。朝食を済ませたら、お母さんは洗濯、お父さんはリビングのソファ、わたしは食器を洗い終えてからテレビの前へ。

「だって、友だちのだれもわかってくれないんだよ。友だちのお母さんとかは、峰岸マリコみたいねって言ってくれるけど。つまんない」

「なんだ、おまえ。それじゃ結局コピーしたいだけみたいじゃないか」

「ちがうもん」

 峰岸マリコになりたかったの。でも無理ってわかったからやめた。それだけ。

 二階からパタパタとスリッパの音が降りてくる。いつもより早い。ああ、そっか、雨が降っているから、干すんじゃなくてそのまま乾燥機を回してるのね。頭上でゴウンゴウンと重低音が響いている。

「あら、また変身会議?」

「峰岸マリコはいやだってさ」

「まあ残念。せっかく似合ってたのに」

 お母さんまで。ああ、わかった。お母さんたちの世代の人だもんね。世代フィルターよ。当時の流行とか懐かしさとかが相まって、実際以上によく見えるの。それよきっと。

 でもね。残念だけど、今は流行らないの。

 さて、次はなにになろう。また悩み直し。いやになっちゃう。そんな娘をよそに、お母さんは楽しそうにお父さんを誘う。

「ねえ、駅の向こうにね、アウトレットモールができたのよ。ちょっと行ってみない?」

「雨なのに面倒くさいよ」

「雨だからいいのよ。みんな面倒くさがって出てこないわ」

「なるほどね、じゃあ、行くか」

 ラブラブしちゃって。娘の前で恥ずかしいと思わないのかしら。ため息をついたら、お父さんがニヤリと笑って意地悪に言う。

「おまえもそろそろ、彼氏の一人や二人、いないのか」

「二人もいらない」

「じゃあ一人はいるのか」

 わかってるくせに。はいはい、彼氏ね、彼氏。思い浮かぶ顔がひとっつもない。おかしいなあ、バイト先にも何人か、男の子はいるのに。

 その日の夕飯は野菜ばっかりの天ぷらだった。ナスとオクラはお母さんの家庭菜園。嫌いなのに、まったくもう。


   * * *


 わたしにはもう、わたしがだれだかわからない。

 お父さんが入院した。事故だ。会社で、階段から落っこちたんだって。まぬけ。お母さんとお見舞いに行った。お母さん自慢のばらを持って。

 ベッドに横になるお父さんは、なんだか痛々しかった。とっさに右腕をついて骨折。支えきれなくて頭をちょっと打った。だけどそれで記憶がなくなるとかだれかと入れ替わるなんてことはなく、いつもどおりにげらげら笑う、いつものお父さんだった。

「なんだおまえ、また峰岸マリコになったのか」

 だまらっしゃい。

「よく見て。メイクも髪型もちがうでしょう。クローゼット開けて、パッと手に取ったのが、このワンピースだったんです」

「なあんだ」

 ま、直近で真似てたのが峰岸マリコだったから、メイクのクセとかが残っているのは認める。だって真新しい方法を考えるってけっこう手間なのよ。お手本は必要。

 ベッドわきの棚に、お母さんがばらを飾る。深い赤色がきれい。

「咲いたのか」

「先週から咲いてましたよ。お父さんってば、この子のことしか構わないんだから」

 お母さんがわたしをあごで示して、すねたように言う。うん? わたし、そんなに構われていたっけ? っていうかわたしはばらが咲いたの、知ってたし。先週の水曜日。お父さんが落っこちたのは二日後、金曜日の帰りだから、仕方ないんじゃない?

「そういえば、お父さん、どうして落っこちたの」

「どうしてってなんだ」

「ほら。たとえば、なにか悩みがあってつい考えこんでいたとか。はたまた、きれいな女子社員に見とれたとか」

「こら」

 お母さんがとがった声を出す。失言。口に手を当てると、怒ったと思ったお母さんが笑った。お父さんも。

「やっぱりあんた、峰岸マリコが抜けてないわ」

「まったく」

 あ。いやあな感じ。

「おまえはほんとう、コピーがうまいなあ」


   * * *


 回り回ってようやくのこと、わたしはわたしを見つけた気がする。

 入院したお父さんを、お母さんは毎日のように見舞う。そうしたらお母さんの庭には雑草が茂るようになってきて、わたしは仕方なく、余暇に手入れを手伝うようになった。

 峰岸マリコから完全に冷めたわたしは、でも峰岸マリコっぽい服を脱ぎ捨てきれるわけでもなく、なんとなく「ぽさ」を残したまんま、庭にたたずむ。外にいる時間が長くなったせいか日焼けした。冬でも日焼けってするのね。痛くはないけど、白い柔肌が台無しだわ。

 お父さんは月曜日に手術をした。ただの骨折のはずが、思わぬ長期化。検査したら脳に悪いところが見つかったんだって。階段から落ちたのもそのせい。急にめまいがしたんだって。

 本人は、おまえにいい男を見つけてやれないかとつい考えこんで、とかうそぶいてたけど。

 ともかく手術は成功。ケガのこともあるし、あとは様子見。もう一週間くらいで帰れそうとのこと。よかった。

 よかった。

 日曜日はお母さんにくっついて、いっしょにお見舞い。峰岸マリコは避けて、これは去年買った服。だれの真似なんだったっけ、まあ、いいや。

 病室に入ると先客がいた。ラフだけど清潔感のある背中。お父さんの会社の人かな? 振り返ったら、あらま、まあまあいい男。お父さんの部下だって。

 おじぎ。父がお世話になっております。ありきたりな、当たり前の挨拶を、お父さんが笑う。やめてよ、こういうの慣れてないんだからさ。

 でもちがったみたい。

「おまえはほんとう、コピーがうまいなあ」

「えっ? 今日はだれでもないと思うけど」

「ばかいえ、お母さんそっくりじゃないか」

 なにそれ!

 でも納得してしまった。だって思わずお母さんを見たら目が合ったの。あ、たぶん今のわたし、こんな顔してるんだろうなって思っちゃった。悔しい。

 お父さんったら、心底おもしろそうにげらげら笑う。なんだ、元気じゃない。心配して損した。心配してたんだよ。脳は怖いって言うじゃない、障害が残ったり、性格が変わっちゃったりとかさ。

 損した。損した!

 部下さんが笑いをこらえている。恥ずかしいったらない、もういたたまれなくって、お花の水でも替えてこようと思ったのに、お母さんに先を越された。

「お水、替えてきますね」

 花瓶を抱えて部屋を出て行くお母さん。そんなのってあり? だけど部下さんも空気を読んでか、じゃあ、と切り出す。

「ぼくは、これで。早くよくなってくださいね」

「おう、ありがとうな」

 愛想よくにこやかに去って行く部下さん。爽やか。どこかのお父さんに、爪の垢を煎じて飲ませたいわ。

 って思っていたら。

「いい男だろ。あいつはな、若いころのおれにそっくりだ」

「やめてよ、失礼でしょ」

「失礼ってなんだ。誉め言葉だぞ、おれは出世頭だったんだ」

「過去形なわけ?」

「もちろん、現在進行形だ」

 ふふんと鼻を鳴らす。調子だけはいいんだから。

 だけどそれきり、いきなり黙る。黙ってわたしを見つめてる。だからわたしもお父さんを見つめ返した。ちょっと寂しくなった頭。しわくちゃでちっちゃい目元。たぷたぷと垂れ下がったほほ。胸元で組んだ、がっしりとした手。

「おまえはほんとう、お母さんにそっくりだ。おれのパーツが一個もない」

「‥‥そんなことないよ。だって」

 わたし、いやってくらい自分の顔を見たの。

 細い毛。太い眉。垂れ目。低くて曲がった鼻。気を抜くと引力に負けちゃう口角も、みんなみんな、お父さんにそっくり。

 お父さんのことが嫌いなわけじゃない。だけどわたしの顔って男の子みたいなんだなって思って、悲しかった。

 でもお父さんからフィルターだと、お母さんそっくりに見えるのね。


「おまえは、斉藤キヨカになりなさい」

「だあれ、それ」

「‥‥おまえなあ」

 冗談です。ぺろっと舌を出す。

 ベッドの端に腰掛けたら、お父さんの手が伸びてきて、わたしの頭をなでた。斉藤キヨカ。わたしは、斉藤キヨカ。

 きっとなるよ。コピーじゃない、オリジナルの斉藤キヨカに。

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