メキシカン!
「もっとギスギスするかと思ったよ」
カナの運転する車の横に乗って僕は言った。彼女はタクシーかバスに乗って来たのかと思ったけれど、病院の外には古いデザインのセダンが停めてあって、彼女はその運転席に乗り込んだ。
「まあね。ピーティーは人生経験も長いし、今回のことも自業自得だから」
「そういえば、何か重大な病気じゃないのかい?」
車は町の斜面を少し下り気味に、僕の下宿先に向かっていた。楽器をピックアップするためだ。赤信号の先頭で車を止めると、カナはガックリと疲れた声で言った。
「アルコール中毒からお腹の失調。まったくいい歳なんだから、それくらい加減ができないものなのかしら」
こういうもので貴賎はいけないと思うけれど、病気の種類には説得力の強いのと弱いのとがある。酒絡みというのはどうしても後者の部類、かな。そういえば、僕はある引っ掛かりを思い出した。車は信号が変わって前へ出た。
「ねえ⋯⋯ あの人自分で97歳だと言ってたけど本当? とてもそんな歳には見えない」
「ええ、そうよ」
「それは君の力がどうにかしたものだって言ってた」
カナは二呼吸分だけ黙っていてから言った。
「まったく、オシャベリね」
「ちょっとどんな種類の状況なのかよく分からない。まず本当なの?」
「わたしは天才発明家で、彼の身体は92パーセントが機械なの」
「はぁ!?」
僕はつい大きな声を出してしまった。すると彼女は少しだけ鬱陶しそうに言った。
「ウソよ。じゃあなんで入院してんのよ」
僕は大きなため息をついて言った。
「ユーモアが分からなくて失礼したね」
タカ・ロンは寡黙な男だった。カナのバンドのベーシストだ。僕たちがスタジオに着いた時には、彼は熱心にスケールを上り下りで鳴らし、その音色を確かめていた。練習熱心なんだ。カナが言った。
「こちらニシオ。やってもらうことになったから」
「どうぞよろしく」
僕が挨拶すると、彼はスケールの中に三つだけスラップを鳴らして小さく頷いた。気さく⋯⋯なのかな。 判断に迷う。とにかくそんな風にして、なし崩し的にそのバンドを手伝うことになった。スタンダードナンバーの譜面を何枚か照らし合わせ、アレンジの箇所を書き込んだ。二曲はトロンボーンでソロを取ることになった。
初めてのバンド、初めての場所で演奏するときには、僕の身体はいつも心地よい緊張感に包まれた。その夜のレストランの名前は「プレブラ」。どことなく異国的な語感のするのは、遠くの国にある街の名前から取ったからだそうだ。
昨日のセラカーントよりもこじんまりとしたした造りの店だった。柱や梁に、木彫りのインディオや神々の装飾がある。不思議な高揚と、何かに見守られているような安心感との両方があった。ギグの前にハラペーニョの乗ったピザを楽屋のテーブルで食べた。そのときにカナが言った。
「あなたは神経質な方のプレーヤーなのね」
「どういうこと?」
「ピザをピッタリと畳んで食べるからよ」
「唇が腫れるじゃないか」
それは長い間で僕が自然と身につけている動作だった。もうまったくの無意識の動作。けどそうしても、僕は辛い味付けの食べ物は好きだった。
「うん。すごく美味いね」
そう言って食事を続ける僕を、カナは不思議そうに眺めていた。タカ・ロンが一瞬だけこちらを見て笑った気がする。本当に、勘違いかと思うほどの一瞬だったけれど。なんだか不思議な男だ。
料理を食べに来ているお客の入りはよく、演奏も万事滞りなく進んだ。2回目のギグで僕がトロンボーンソロの曲を吹き終えたとき、のっそりとした大柄なスーツの男がショットグラスが四つ載った盆を持ってステージの方へやって来た。僕が首をかしげると、ピアノの方からカナが小さく鋭く言った。
「オーナーよ! お店の!」
僕は慌てて深々と頭を下げ──こちらの都合で編成を変えて、急に僕がステージに立っているのだから──僕らはグラスを受け取った。オーナーと四人でそれを飲み干すと、店の客たちが囃した。次の曲に入る前にカナが意地悪そうに言った。
「お酒じゃ口は腫れないの?」
「音が滑らかになってすごくいいんだ」
僕は冗談を言った。するとロンが突然、トロンボーン曲のサビの部分を高速で弾いた。僕は楽器を取ってそれにピタリと連いて吹いた。サビだけの繰り返しを3コーラス。それからベルの部分をカウボーイがリボルバーの煤をそうやるようにして吹き払った。お客はその3コーラスの「オマケ」で手を叩いて喜び、ロンが僕をピッと指差してからガッツポースをした。
カナはそれを最後まで見ていてから片眉を吊り上げて言った。
「この酔っ払いどもめ」
「まだ一杯だけさ」
そんな風にして、僕はなんというか、⋯⋯そう。“溶け込んで”いったわけだ。