ピーティー! ピーティー!
ジェイキスは、こんどは自分の車で僕たちを街に送った。長いボンネットを持った4座のスポーツカーだ。僕が助手席で、カナとトロンボーンのケースが後部座席だ。ジェイキスは山道を下りながらカナに聞いた。
「もう一度、かい摘んで説明してくれないかい。物覚えが悪くてすまん」
カナは昼間のうちに一度したらしい話をもう一度繰り返した。おかげで僕もそれを聞くことができた。
カナの力が生き物を死の淵からこちら側へと引っ張り戻すには、死へと向かうエネルギーを堰き止めて、その反力を呼び起こすものなのだそうだ。
つまり、演奏中に心臓発作で倒れたミュージシャンであったり、菌や水質のために急に調子を崩した魚であれば、その死の突発性から強い力を引き出してそれぞれの生命力に呼びかけることは出来るのだそうだ。
しかし寿命を迎えつつある老人が、手を尽くされながらゆっくりと、いわゆる心不全状態に近付きつつあるようなケースでは、その生命力の呼応を大きくは引き出せないのだということだった。カナは話にこう付け加えた。
「それが本当だということは、『信じてもらう』のをお願いするより他にないわね。分解して見せてあげられればいいんだけど、そういうものでもない。医者にも機械工にもね」
ジェイキスはハンドルをスムーズに切りながら、考えるようにして黙っていた。下げたウィンドウから夜の風が入ってきている。僕はタバコを出して火を点けた。森の間を通り抜けてきた緑色の空気を焚き付ける。
「こっちも火を点けてくれ」
ジェイキスは片手を離して素早くタバコの箱を僕に押し付けた。その返す手でギアを一つ上げ、ゆったりとした下りのカーブを流した。僕は二本のタバコを咥え、次の直線で片方をジェイキスに返した。
木々の間から、だんだんと街の灯りがせり上がってきた。
さっきのボスの様子を見てというわけではないのだけど⋯⋯いや、きっとそのせいだ。そのせいで僕はどうしてもピーティーに会いたくなっていた。
「ねえジェイキス? ちょっと病院によってくれないかな」
「それは、総合病院の方か?」
街にいくつの病院があるのかを、僕は知らなかった。カナが言った。
「そうよ」
ジェイキスは街を素早く通り抜けて病院へやってくれた。
面会時間ではなかったが、急用だとか、なんとでも言えば彼に会えるだろうと思った。僕一人が裏の入り口から入って彼の病室に向かった。
ところがそこはベッドのシーツが剥がされて空っぽになっていた。僕は冷たい驚きに背筋を刺され、慌ててカナとジェイキスのところへ戻った。
「いない。ピーティーが病室にいないんだ。部屋は空っぽで⋯⋯」
僕が早口にそう言うと、カナが僕の肩にそっと手を置いた。ジェイキスが聞いた。
「知り合いが入院してたのか?」
カナが言った。
「そう。そして退院したんだわ」
「え!?」
僕は驚きの声を上げた。
中華レストラン「ビヨン・ジヨン」は、街の中で港に近い方にあった。なんだかマッチョな男達や“どぎつい”感じの女達が道を行き来している。カナの案内で僕らがやって来たのはそんな場所だ。僕は聞いた。
「病み上がりだろう。本当にこんなタフな店になんか来てるのかな?」
「間違いないわよ」
ジェイキスはさすがに街の空気に押されたりはしていない。けれども不思議そうな顔で聞いた。
「今晩は好きなものを、あんた達に食べさせようと思ってたんだ。用があるのはこんな安っぽい店なのか?」
僕が首を傾げて見せた時には、カナは店のドアに向かっていた。慌てて楽器ケースを取り出し、僕は彼女を追いかけた。
店の中は狭く賑やかだった。いや、それなりには広いのだが人が多い。そして僕とカナは奥に空いた席を見つけ、二人でそこまでグイグイと進んで行った。なぜならその場所からが、ステージでバリバリと演奏するピーティーとタカ・ロンの姿が一番よく見えたからだ。
彼らはすぐに僕たちに気がついて、音と身振りで一瞬のサインをした。ベースの前にはマイクが付けられていて、中高音で歌う音がこちらまでよく抜けてきた。彼らはアップテンポで、ファニーで、コミカルで、ナック(技巧的)な曲ばかりたった二人でやりまくった。
ピーティーは97歳? 僕は何度もその疑問に襲われながら、目の前の海老の殻を剥いては食べた。サウンドが胃袋を蹴飛ばしている。
タカ・ロンがステージを降りてきて僕らの席に座った。ピーティーだけ残して。僕は言った。
「おい、まだおしまいじゃないんだろう?」
彼は置いてある水差しからコップに注いでゴクゴクと立て続けに飲み、その顔をビッショリと濡らす汗をチーフで拭った。それから「もうダメだ」という風に笑って首を振り、ステージを指差した。ピーティーが僕らの方を見て叫んだ。
「ウエルカム・ホーム! マイ・ブロ!」
僕とカナのことか。そしてシャツのポケットから嵐を取り出して見せた。いや、まさしくそんな感じに見えたのだ。
スネアドラムだけだ。その黄ばんだ皮の上だけで、ピーティーは猛然とソロを踊った。雄鶏がブツブツ言いながら時々シャックリをするようなパラディドルから始まり、やがて一体どんなジョークを思い出したのか鶏は腹を抱えて笑いながら部屋の床を転げ回った。
128小節笑ってもそれはまだまだ足りず、頭がおかしくなり始めて周りの壁にドスンドスンと体当たりを始めた。ストライク・リムショットのカンカン鳴る音で、鶏の部屋の家具が一つずつ弾けて吹っ飛んだ。最後は雄鶏自身の羽毛が弾け飛んで、ぶち上がった血圧のせいで自ら煮立ってボウル皿に飛び込み、荒延べのドラムロールの蒸気の中で、まだ脚をバタつかせながら丸の蒸し鶏になって、
「ウォ・ヘイ!」
ピーティーの掛け声からフィニッシュの一発で、蒸し鶏はポップコーンのように弾けて終わった。97歳、化け物だ。大馬鹿野郎だ。店の客たちは一瞬呆気に取られていてから、食器を放り出して拍手喝采、指笛を鳴らし嬌声を上げた。入り口近くのスタンド・カウンターに一人立って飲んでいたジェイキスも、完全に参ってフラフラと頭を振っていた。
ピーティーが息をつきながら立ち上がって、彼の言葉か何かを待って引き潮になった拍手の中で言った。
「ギミ・リル・クールダウン」
また笑い声と拍手が捲いた。ぶっちぎりだ。彼は最高だ。テーブルには次々に、快演と快気祝の奢りの酒を持って人々が押し寄せた。カナの微妙な調子の目線の先で、ピーティーとタカ・ロンは順番にそれを飲み干していった。
ベロベロに酔っ払った男二人を引きずるようにして、真夜中過ぎに店を出る。ジェイキスはいつの間にか支払いをして店からいなくなっていたが、店主は何かの間違いだと言って札束を僕らに返そうとした。
「じゃ店の全員に奢ってやって。あ、僕らは出るから静かにね」
また捕まって、これ以上飲まされたりしたらピーティーがこんどこそ死んでしまう。そうやって、チップもたっぷり払って、でもまだ残った分の金は捨てていくわけにもいかないので四人で分けた。
「不器用なやつ。ちょっと困るな」
皆の居住先を周るタクシーの中で僕がボヤくと、カナは微妙な表情で言った。
「あんなギャングに情が湧いてるの?」
「⋯⋯さあ。分からない」