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バラード・ボス

「とにかく、一緒に来てくれ。ボスのきょうを削ぐな?」


 彼の忠告、ボスの機嫌を損ねてはならないと言ったのが、アイロニーに富んだ冗談であったのは、実際ボスの姿を見るまで僕には知れないことだった。




 彼らのボスは大きな部屋にいた。それに合う大きなベッドに沈むように寝ころんでいる、小さくしわくちゃになった⋯⋯人間だった。男か女なのかもよく分からない。


 頭髪は白くたっぷりと残っていたものの、薄っすらと開けられた目には意識があるのかないのかもよく見て取ることができなかった。


 医学的な区分はよく分からないけれど、それは見るからに具合の悪い人間と見ることもできたし、健康に問題なかった人間がただ限界近くまで老衰しているだけのようにも見えた。


「ジェイキスです。男の方を連れてまいりました」

 ジェイキスはかしこまって言った。しかし老人は、なんの反応を示したようにも見えなかった。ジェイキスはそれきり黙っていた。居づらい時間が過ぎた。部屋の壁には、小さめの絵画が何枚も飾られていたが、老人がそれを見て何か感情を揺らすところは、どうにも想像ができなかった。


 少しして、カナが部屋に入ってきた。彼女は屋敷が貸したシャツとコットンのロングパンツを履き、いつもの腕輪を付けて、ジェイキスの手下の男の一人に付き添われていた。僕は彼女の様子をさっと見た。乱暴されてないか、辛い思いをしてないか、そう気になったのだ。彼女はその視線を辿たどって僕を見ると、子どもを安心させるように頷いた。後について入ってきたもう一人とで、手下たちは部屋の二隅ふたすみを固めた。


 ジェイキスはカナに言った。

「では、頼む」


 カナは黙って頷き、ベッドに横たわった老人のそばへ寄った。なんとなくだが、カナとジェイキスとは話を重ねて段取りが共有されてるような感じがした。僕が蚊帳の外なのかもしれない。⋯⋯実際にそうか。無理にいてきただけで、結局うまい食事をして楽器を練習してただけだ。


 カナはベッドの横に立膝をつき、老人の胸の辺りに手をやって──瘦せこけ過ぎていて、布団の下で本当にそこに胸があるのか疑問に思えてくる──目を閉じると力を集中し始めた。やがて腕輪が光り出し、魚の水槽でやって見せたようなイリュージョンが起きる。誰もが驚いていたはずだが、誰もが静かに固まっていた。儀式だ。


 その光が膨らみ、そして消えていった後で、確かに老人に変化はあった。けれどもそれは、あのトロンボーン吹きや水槽の魚に起きたものほどに劇的なものではなかった。老人は目にほんの少し力を得て、口元にすぐ落ちてしまうくらいの声でボソボソと何か言い始めただけだ。


 それを見てジェイキスも老人の枕元に屈み込み、その声を聞き取ろうと努めた。僕と手下の男たちはただただそれを邪魔しないように動きを止めていた。やがてジェイキスが僕に言った。


「おい、あんた。楽器を取ってきてくれ」


 僕のトロンボーンを? 訳が分からなかったが、とにかくこの場で冗談の飛び出すスジは考えられなかった。急いで部屋を出て行く僕の横目に、肩で大きく息をつくカナの姿が見えた。


 楽器を取って戻ってきた僕に、ジェイキスは演奏の支度をするように言った。僕はゆっくりとマウスピースを温め、その合間にジェイキスに聞いた。

「ボスに音楽を聴かせるの? どうして?」


「あんたが昼間に出していた音をずっと聴かれてたんだ。『音楽家がいるならここに呼んで何かやってほしい』と」

 僕は横になったままカナに手を取られている老人を見た。


 そのとき廊下の方で動きがあって、手下たちが巨大な物体を部屋に運び込んできた。アップライトピアノだ。正規の業者が運搬に使うような掛け足車あしぐるまに載せられていて、ジェイキスの目配せで位置が決められると、それは男たちの見た目にそぐわない丁寧さで床に降ろされた。


 観察するとピアノは長く使われていた様子で、何度も調律が繰り返されたものだった。蓋のかどと蝶番の合わせの部分の磨耗を見れば、どれだけ内側が手入れされてきた楽器か見分けることができるという技だ。僕はそれを、ピアニストに教えられて知っていた。


 カナが来てピアノのキーにゆっくりと触った。澄んだ音が、楽器の内側に美しく反射してから外に出てきた。僕とカナは顔を見合わせて頷いた。音はなかなか悪くない。曲目とキーを決めてから、僕はジェイキスに言った。

「オーケー。始められるよ」


 ジェイキスはボスの耳元に声をかけてから、耳を傾けて小さな言葉を聴いた。

「ああ、頼む。始めてくれ」


 僕とカナは優しいバラードを柔らかい振幅のスイングで奏でた。森の中の屋敷から、その音が窓の灯りのように溢れているイメージの共有があった気がする。ボスの求めで四曲を演奏した。その後でジェイキスはボスのお言葉を取り次ぐ代わりに一度深く頷いた。老人はまた、薄靄のような眠りの中に帰っていったようだった。


 それで僕たち二人は、屋敷から解放された。

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