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今夜カナがボスを診る

 僕は食事を終え、また一緒になって運ばれて来ていたコーヒーのサイフォン・セットに手をのばしかけたが、ふと思いついて言った。

「ねえ、コーヒーれてよ」


 彼女はタバコをもみ消すと、黙ってやって来てランプに火を点けた。それからガラス容器の中で湯が上がってくるのをじっと見ていて、ある瞬間に平たい竹のステアを差し入れて──僕は朝、それを使いもしなかった──短くかき回した。その軌跡とスピードが途中で微妙に変化するのを僕は見た。(わざ)の気配が強くする。


 コーヒーが出来上がると、彼女はそれを黙って差し出して、またソファに戻った。僕はその香りを吸い込み、それからゆっくりと味わった。すごく美味い。彼女は新しいタバコに火を点けたが、その様子はさっきより明らかに落ち着きを取り戻していた。僕も黙ってタバコを吸った。それが最後の一本だった。短くなるまでゆっくりと吸ってからもみ消し、僕は言った。


「美味かったよ」


 特別にコーヒーの方だけ褒めると、きっと彼女はまたヘソを曲げると思ったのだ。彼女は手早く食器をワゴンに片付け、部屋を出てまた鍵を掛けた。僕は何も載ってないテーブルの上を見た。灰皿があって、タバコの空き箱はなかった。




 少しだけ空が翳り、また晴れた。低い壁の向こうを、食品雑貨店のトラックが右に通り過ぎ、少し経ってから左に通り過ぎた。僕はそんな様子を、タンギングの練習をしながら眺めていた。一通りの音符でやってしまうとポケットに手を突っ込み、タバコがないことで少しばかりガッカリした。


 メイドがまたドアを打ったのは午後3時頃だった。この屋敷にはお茶とケーキの時間まであるのだろうか。なんだか頭がこんがらがってくるような気がした。

「どうぞ」


 扉が開き、メイドが入ってきた。なんだか彼女の目つきは、今までで一番鋭いような気がした。彼女はワゴンの替わりに小さな紙袋を持っていた。扉を素早く閉めると、そこに耳をあてて外の様子を確かめた。それから紙袋の中身をテーブルの上に開けた。僕が吸ってる銘柄のタバコが四つだ。


「ああ、ありがとう。ちょうど切らしてたんだ」

 僕は礼を言って財布を取り、紙幣を出そうとした。けれども彼女はそれを身振りで押しとどめた。僕は言った。

「いや、でも⋯⋯」


「よかったわね。午後のトラックにぎりぎり間に合ったわ」


 それから部屋の小さな灰皿を引き寄せて自分のタバコに火を点けた。二口吸う間僕の顔を見ていてから彼女は唐突に言った。


「⋯⋯ルシリー」


 僕はそれが何のことかわからず黙っていた。


「それがわたしの名前よ」


 ああ。彼女は聞かれてから半日以上経ってから自分の名前を教えてくれたわけだ。そして言ってしまってから、やはり居心地悪そうに服の袖をいじったりした。


「ありがとうルシリー、タバコ。⋯⋯でもそれじゃ吸うとき気分がツッカえる。取っときなよ」

「じゃあわたしに何か演奏して」

 ルシリーは早口で、僕の言葉に被せるように言った。なるほど。それは中々良いアイデアかもしれない。僕は「北京ダック」という短い曲をやることにした。これはある作曲家がチャイニーズレストランで酒を飲み、金がなかったので代わりに作って残した曲だと言われている。そのせいでふと今思い出したのだ。


 僕は楽器を取って、その歯切れのいい曲をサラサラと演奏した。最後の三つつらなったスタッカートが部屋の天井に吸い込まれて消えると、僕は楽器を下ろして言った。

「おしまい」


 ルシリーは澄まして頷くと、ドアのところまで行き、顔をちょっとだけ傾けて言った。

「わたし音楽のことはよくわからないけど、なかなか可愛い演奏だと思うわ」

 それだけ言うと、また少しだけ向こう側の様子をうかがってから素早く出ていった。鍵を閉める音は小さく小さく鳴った。僕はポツンと部屋に残ってタバコの封を切り、「可愛い」とはどういうことなのか長い間考えていた。


 その日の夕方に、部屋にジェイキスが来た。

「俺の名前はジェイキスだ。自己紹介が遅れて悪かったねぇ」

 昨夜僕らを連れ出したリーダー格の男は、ドアを開けるなりそう言ったのだ。


「今夜、カナさんがボスを診るよ。君も同席したまえ」

 僕はその理由について考えた。カナの行動に何か意に沿わないことがあれば、僕に拳銃を突き付けて無理を聞かせることができるかもしれない。僕はそれを顔に出さず、まずは食事に礼を言った。


「わかったよ。ずいぶん美味いものばかり食べさせてもらっちゃって、あなた達は丁寧なのか強引なのか分からないところがあるね」


 ジェイキスは気を悪くした風もなく笑って言った。

「俺たちの稼業はね、巨大なスタンド・アローンだ。君が上司や雇い主にとやかく言われない仕事なのと同じで、俺たちは警察や法律にとやかく言われないようやっている組織なのさ」


「僕だって雇い主の言うことにはある程度耳を貸さなきゃ。そりゃ、豪華客船や銀行に勤めて働くよりは我が通ることは多いと思うけどね。⋯⋯それが、乱暴と丁寧とどう関係がある?」


 ジェイキスは言う。

「独自の価値観で判断し、独自の価値観で行動し続けるしかない。そういうのは時として、知らずに世間と乖離かいりしてしまうこともあるのさ」


「⋯⋯知らずに、ねぇ」

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