森の中の屋敷
車は街を離れ、台地の斜面をジグザグに登っていった。僕たちの他には通行する車もない道路を薄黄色のヘッドライトが照らし、却ってその照射以外に周囲がまったくの暗闇に沈む木々の世界であることを示す。自身の身体の大きさや腕力や影響力が、世界にどれほど大きなものなのか。そのバランス感覚がグニャリと歪んでいくのが感じられた。
やがて、その闇の世界の中にあって強固な力の塊であることを示すような、巨大な屋敷の灯りが見えた。囲いは低く、門扉もない。それは自らを世界から守る知識の乏しさとは真逆の、最も強い動物のサバンナの昼寝のような印象を放っていた。
車は石畳の引き込み道を静かに進み、玄関の前に駐まった。映画で見るよりもずっと現実的な造りの屋敷は、ずいぶんと硬く重い空気に包まれているものだという発見があった。灯りは点いているものの、中の人間の存在感が外までほとんど溢れてこないのだ。
楽器ケースを持って僕は車を降りる。リーダー格の男が後に続く。それから男の子分の何人かも。後ろからやってきた車でも、同じようにカナと男たちが降りた。
僕は車に乗っている間、もっとうまい立ち回りがあったかとずっと考えていた。何かをどうにかしていれば、カナを傷付けずにここへ連れてこられない方法もあったかと。玄関の光の中でカナが僕の方に向いた。その表情は言っていたような気がする。
──他に方法なんてなかったわ──
それは僕のまったくの気のせいか? いや、そう思わせる本物の欠片があったはずだ。男の開けた玄関から、両脇を固められてまずカナが、それから僕が中に入った。
広間は明るく照らされ、それなりの装飾と、有名な彫刻のレプリカがあった。金はかかっている。けれども想像していた派手々々しくて趣味の悪い感じがしない。この屋敷の主はやってることこそギャングでも、趣味の全てが悪趣味というわけではなさそうだった。
リーダー格の男は部下を使って僕たち二人を別々の部屋へ案内した。物腰は丁寧だが、そこには交渉の余地や遠慮のようなものはなかった。そして僕の通された部屋はホテルのスイートのように豪華だった。バスルームと簡単なキッチンまで付いている。着替えや酒までがあって、それら全部自由にしていいというのがすごく不気味な感じがした。部屋の鍵だけがガチャリと固く掛けられた。
翌朝、僕は目を覚ましてシャワーを浴びた。とにかく突っ張らかっていても仕方がなさそうだ。一日か二日は大人しく待つ。それで僕が閉じ込められたままなら少しばかり大きな声を出す。もし一週間そのままなら、この広い庭の見える洒落た窓に、酒瓶を口の方からぶっつけて叩き割ることにしよう。
夏の気配のする朝の日差しが、芝と植木とその向こうの森を照らしていた。心を決めて景色を見ると、なんだか胸がスッキリとした。クローゼットのシャツは女もののように滑らかでツルツルとしていた。もし三年くらい閉じ込められていたら自然に去勢されてしまいそうだ。
扉を叩く音がした。打ち方が神経質で早い。僕は応えた。
「はい」
ドアの鍵が開いて朝食のワゴンが押し込まれ、それに続いて顔立ちのいい女殺し屋のような感じのやつが入ってきた。キングサイズのタバコを咥え、念力で草を枯らそうとする人のような目付きをしている。キビキビとしているがあまり丁寧とはいえない動作で、彼女はドアを閉めた。注意して目と耳を働かせていたが、鍵のかかる様子はなかった。
その殺し屋がなぜメイドの格好をしているか、僕はしばらく分からなかった。煙のせいで乾いた声で彼女は言った。
「卵はどうしましょう。スクランブル? 目玉焼き?」
それで初めて、僕は彼女が殺し屋のような様子のメイドなのだと思いあたった。急におかしな場所に放り込まれて頭が働いていないのと、彼女の放つ気配がそれくらい強烈なのだということだ。
「じゃあ、スクランブルで」
彼女はそれを聞くと目線だけで頷き、ワゴンから大きな灰皿と卵を持ってキッチンに入った。彼女は僕の立ってる窓際と部屋の扉とを結ぶ線から離れて立ったことになるのだが、僕にはどうもそれが脱出の可能な機会のようには思えなかった。なんとなく、胸だか頭に硬い豆がめり込む感触が浮かび上がるのだ。大っきな音のするやつ。キッチンの壁の端から、彼女の吹き出すタバコの煙が見えた。
バケット、サラダ、一口玉葱を丸のまま煮たスープ、ベーコンとソーセージ──これを目玉焼きに載せるのも手数のうちだな──、切られた二つぶんのオレンジ、ミルクとコーヒー ──サイフォンの抽出器がある──、それから出来立てのスクランブルエッグ。僕を戸惑わせるには十分なメニューだった。僕はテーブルにつき、彼女は横の前に立った。飲み物が注げる位置だ。僕は言った。
「すごく豪華だな⋯⋯」
「ほんとうよ。わたしなんか昨日のパンとスープだけ」
彼女は嫌味っぽく言った。その言葉の調子を聞くと、彼女が見た目よりもずっと若いような気がした。僕は大きく息を吸い、そして吐いた。美味そうな匂いが混ざり合って通り抜けた。