青いインクの吹き抜ける街
トランクとトロンボーンを抱えて僕がその街に降り立ったのは梅雨の明ける頃だった。夜行列車に長い間揺られていて、台地の端に引っ掛けるようにして作られた駅を出て街を見下ろしたときの気持ちを今でもよく覚えている。
街の向こうに見える海岸線に向かって、ビルと家屋の群れがなだらかに広がっていた。その二つの軍団が棲み分けている隙間々々に、木や茂みを持った大小の公園があった。海の方から吹く風が、そんなジオラマに塗料を薄く吹き付けていくように、街全体が青い光線で縁取られているような感じがした。
大きく息を吸い込むと、そんな青の色が僕の内側にあるイメージの世界までをも浸たしてしまいそうだった。僕は一遍にこの街が気に入った。そこで出会った人も、起きた物語も、やがては大切な思い出を含む一冊の本のようになって僕の心に留められることになる。とにかくその表紙の色は、青い光線の一吹きなのだ。
楽器を抱えて街を転々とする。そんなミュージシャンがたくさんいた。輝かしいジャズの時代だ。ある者たちは徒党を組んでマネージャーを雇い、大きな街やホテルラウンジの仕事を手堅く契約して周った。またある者たちは綿毛のようにフワフワと飛びながら、小さなバーやレストランに時々で縒り集まって音楽を奏でた。
やがては音楽の流行が変わり、オーディオの嵐が皆を地表から吹き飛ばす日がやってくると予言書に書いてあったとしても、そんなことは御構いなしの気のいい連中のエネルギーで世界は満ちていた。金色のポリッシュ(楽器用磨きぐすり)、黒ツヤを放つスーツ、琥珀色のウィスキー、それらの時代だ。
そんな稼業連中の一人としてやってきた僕は、まず街の下宿を見つけて週極めの契約をし、それから仕事の口を探すために、この青い光の街を1日か2日飲み歩いてみることにした。仕方がない。仕事のためだもの。
幸い前の街で気前のいい仕事が続き、しばらくは上等な酒と食事をとることもできた。浪費グセがつくのは良くないが、あまりのケチは運まで遠ざけてしまう。これは家訓というほどでもないけれど、遠くで暮らす両親と船乗りになった兄とが僕に教えた考えだった。
そうそう、楽器を忘れていってはいけない。「ちょっと音を出してみろよ」とか、どこでそんな風に言われるかは分からないから。
平日の夜だったが、街はまずまずの賑わいを見せていた。飲み人が蠢いているのは駅からは少し海の方に出たあたりで、下宿の場所もこちらの歓楽街の方に近い。
僕はこういう時に、大きくもなく小さくもない路地の大きくもなく小さくもない店に入っていくことを好んだ。これは確立したハウツーというより、個人々々独自で無数にあるやり方の一つだ。大きな方から小さな方へ試す者も、逆のもいる。側から見たら何も考えていなさそうなのもいる。それぞれのやり方で上手くいく者と、それぞれのやり方で失敗する者とがいる。
そういうのは、太古の海での進化のレースに似てるような気が少しする。ハルキゲニア、三葉虫、シーラカンス⋯⋯そんな感じ。僕は新しい街に来るたびそんなイメージを思い浮かべる。
さて夜の町を歩いていると、ある一角に魚の形の看板を掲げたレストランがあった。緑の字に赤い縁取りのペンキの仕上げで、看板にはこう書いてあった。
「セラカーント」
僕はその響きを舌の上で小さく試しながら、店の扉を開けた。