北端の街で
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2020年10月27日。
トリジア連邦の紛争地帯、北端の街ミーナス
ついにここまで来た。
マット・オブライアンは、そう思っていた。
紛争地帯のど真ん中で、しょっちゅう耳に銃声や砲声が聞こえる。
怖くないといえば嘘になる。
だが、ここに最大の取材対象がいるのだ。
ジャーナリストとして、ここで尻込みすることはできなかった。
きっかけは、5日前にかかってきた電話だった。
ニコルソンから教わったアドレスとアカウント、そしてパスワードは、いわゆる裏サイトにログインするためのものだった。
裏サイトといってもいろいろある。
銃や麻薬、果ては人身まで売買する完全に違法なものもある。
一方で、政府機関やテロ組織、マフィアなどがいろいろな情報をやりとりするグレーなものも存在する。
マットが見たところ、そのサイトは情報交換を目的としたもののようだった。
もし、“自由と正義の翼”が存在していた頃から運営されていたとすれば、“飛龍”と連絡を取ることも可能かも知れない。
マットは早速スレッドを作る。
そして、「“深紅の飛龍”ASDAF-5-11-2求む。値段応相談」という書き込みを入れた。
1日待ち、4日目になっても反応はなく諦めかけていた。
だが、突然マットの携帯に非通知の着信が来たのだ。
『何者だ。なぜ俺を探す?』
相手は名前も名乗らずそういう。
マットは深呼吸して切り出す。
「私はユニティアのインターネット放送局、“ライズインフォ”の記者で、マット・オブライアンと申します。
デウス戦争のことを取材しています。
当時の真実を明るみに出すつもりです。
よろしければインタヴューさせていただきたい」
電話の相手は少し考える様子になる。
『あんたをどうして信用できる?
言っちゃなんだが、命を狙われる心当たりは山ほどある。
インタヴューに来たのが殺し屋だったなんてオチはごめん被りたい』
「待って下さい。
そう思うならどうして電話をいただけたんです?
私が殺し屋でないことは信じてもらうしかありません。
取材の場所はお任せします。
日時を指定して頂ければ、私がうかがいます」
電話の相手はまた考えているようだった。
どうか応じると言ってくれ。マットは胸中に願った。
『わかった。
だが、俺がいる場所は相当に危険だぞ。
命を差し出す覚悟がいる。
それでもいいか?』
「こちらからうかがうと申し上げた言葉、二言はありません。
これでも、戦場を取材した経験もあるんです」
取材が許可された場所が戦闘がすでに終了した地域だったことは、伏せておくことにする。
『わかった。また連絡する』
その日は、電話はそこで切れる。
マットは、世界のどこに行くことになってもいいように支度を始めるのだった。
かくして、指定された場所は現在進行形で紛争のまっただ中の街、ミーナス。
一応、各国の軍で構成される平和維持軍が警護にあたっているが、それは各国の企業や領事館を守るためだ。
現地の人間同士の戦闘には、自分たちが巻き込まれない限り完全に見て見ぬ振りを決め込んでいる。
マットが取りあえずの逗留先と決めたホテルも外国資本であり、平和維持軍が周りを警備しているから戦闘に巻き込まれないだけ。
ホテルの外壁には、無数の銃弾の跡が残っている。
「ひどいもんだな」
ホテルのロビー、ユニティアのテレビ局であるNTCのニュースクルーの一人が話を振ってくる。
防弾ガラスの窓の外には、射殺された遺体が野ざらしになっている。
「ええ…。平和維持軍とはついていても、結局は在留外国人を守るだけなんですから…」
“平和維持軍”とは名ばかりのやり方に辟易しながら、マットは相手をする。
「あんたも紛争の取材に来たんだろうが…気をつけなよ」
「ええ。まあこれが仕事ですから」
マットはそう答えて、ふと違和感を覚えた。
彼らニュースクルーの機材が、あまりに本格的すぎることだ。
大きなポータブルライトや、野外発電機まで用意している。
もちろん通常の取材であればそれは合理的だ。
だが、戦場のレポートとなると話は変わってくる。
銃弾が飛び交う中だ。
どっしり腰を据えて撮影や録音ができるものではない。
場合によっては走って逃げなければならない。
あまり本格的な機材は、ただのお荷物なのだ。
だが、その時の彼のは不安は漠然としたものにとどまるのだった。
翌日の早朝、マットはタクシーを呼び、指定された場所へと向かっていた。
紛争の当事者たちも、タクシーにまで銃撃を浴びせる気はないらしく、銃口を上に上げる。中には手を振ってくる者までいる。
見た目よりは平和なのかな。
マットは思う。
長く続く民族対立がついに飽和し、選挙の開票に不正があったことをきっかけについに武力衝突が起きた。
だが、マットが見る限り、戦闘を行っているのは一部の過激分子だけという印象だ。
「“寒いですが、初雪はいつですか?”」
「“例年より遅い。10月20日に少し降っただけです”」
運転手からの質問に、マットはよどみなく答える。
事前に決められていた暗号だ。
「マット・オブライアン?」
「そうです」
運転手は客商売の顔を脱ぎ捨て、険のある表情になる。
おそらく傭兵かPMCだろう。
雰囲気は、今まで取材してきた元軍人と同じだ。
「すまんが注意してくれ。
さっきから妙なやつらがつかず離れずでつけてきている」
「“飛龍”を狙っているんですかね?
私がつけられた?」
「その可能性もあるが…。目的はあんたかもな」
混ぜ返された言葉に、マットは肝を冷やす。
上司であるロッドマンに口を酸っぱくして言われたとおり“戻れない”ところに自分は踏み込んでいる。
当然、デウス戦争のカバーストーリーの内側を暴かれたくない人間たちにとっては、死んで欲しい存在になっていることもあり得る。
「いかん、頭を下げろ!」
運転手にそう言われて、マットは反射的に頭を下げる。急に追い越しをかけてきたSUVの窓が下ろされ、中からアサルトライフルの銃口が突き出されて銃撃してきたのだ。
窓ガラスに放射状の穴が開く。
「掴まれ!」
運転手はそう言ってアクセルを踏み込む。
あちこちに擱座した車両や破壊された建物の残骸が散乱する道を、危険なほどの速度で疾走していく。
そのすさまじいドライビングにSUVはついてこれず、やがて後方に見えなくなる。
「車を変えるぞ。やつらすぐに追ってくる」
運転手とマットはタクシーを乗り捨てると、かつては倉庫だったらしい建物の中に隠してあったSUVに乗り換える。
ガラスの厚さと質感からして、防弾であるらしい。
車内には、アサルトライフルやショットガンが置かれている。
「ちらっと見えたんですが、さっき撃ってきたやつらの銃はHKG36でした。
この辺じゃポピュラーなんですか?」
「なんだって?
そんなはずはないぞ。この辺で使われてるのはお定まりのAKシリーズさ。
どうやら、本格的に狙われていると見ていいな。
使えるか?」
「子供物ころは狩りが趣味でした」
そう言って差し出されたワルサーP99をマットは受け取り、スライドを引いて装填する。
そして、ベルトにたくし込んだ。
素人が持っていて役に立つとも思えないが、ないよりはましだろう。
紛争に巻き込まれたというレベルではない。
作為的に命を狙われているのだから。




