血に染まる首都
03
2018年11月1日
デウス公国首都エヴァンゲルブルグ、首相官邸
大会議室にデウス公国政府の閣僚がそろい、渋面を付き合わせている。
「率直に言おう。
かくなる上は不利な条件をある程度甘受して、和平を模索すべきと考える。
機会は今を置いてない」
首相のヴェンナーは、慎重に閣僚たちに呼びかける。
「お言葉ですが、軍部の若手将校たちが納得しませんよ。
まだ戦力は健在なのに、なぜ負けを認める和平交渉を始めるのか、とね」
国防大臣が顔中に汗をかきながら返答する。
和平のタイミングは今という理屈はわかる。だが、今それを公言しようものなら軍部の跳ねっ返りがクーデターを起こしかねない。
それを怖れているのだ。
軍部の若手将校たちが、下克上やクーデターも止むなしというレベルまでに先鋭化していくのを、あえて止めなかったやましさもある。
それによって軍人たちが戦意と士気を保てるならと放置してきた。そのツケを払うことになるからだ。
「そこを何とかするのが我々政治家の仕事だろう。
軍の過激分子など一部に過ぎない。
本当にクーデターなど起こせやしないさ」
農業大臣が強気で反論する。
「だいたい、軍部の過激分子に怯えるなど政治家の恥だ。
軍人は国民の代表である我々の命令に従うのが義務。その原則を忘れることはならん」
国際通産大臣が補足する。
「我々だけではない。
連合国も、和平交渉を始めるなら今だと考えている可能性は高い。
核ミサイルで多数の地上部隊を喪失したことに加えて、原子力空母2艦の損失は彼らにとっても痛手だったはずです」
外務大臣がたたみかけるように発言する。
“うかつなことを”と非難する視線が彼に集中する。
偽の核ミサイル発射命令に基づいてSLBMが発射されたことは、デウス政府にとって痛恨の出来事だった。
連合軍地上部隊と一緒に二万人の自国民の命を奪ってしまっただけではない。
政府が軍を統制できなくなっているという非難を怖れて、核ミサイルの発射は正式な命令だったと嘘をつかなければならなかったのだ。
徹底抗戦を主張する軍部の過激分子が勢いづく結果になるのは百も承知でだ。
だが、先だっての北海とキーロン湾での戦いが双方痛み分けに終わったのは、見ようによっては好機と言えた。
デウスも連合国も、この辺で手打ちとするべき、という口実が立つからだ。
実際、和平か継戦かで割れていた内閣も、空母機動部隊の喪失を転機として和平に傾きつつある。
閣僚たちも、賛成か消極的賛成でまとまろうとしているのだ。
ヴェンナーは、和平交渉の採決を採ろうと大きく息を吸う。
その時だった。
突然けたたましいヘリのローター音が響き始め、次いで会議室がサーチライトに照らされる。
「何事だ!?」
ヴェンナーは、窓の外に目を凝らす。
おぼろげだが、迷彩服に身を包んだ兵隊たちが、ロープで降下するのが見えた。
「お前たちはなんだ?ここを通すわけには行かないぞ!」
官邸の警護官は、続々とロープで降下してくる兵隊たちに対し、ホルスターからグロック19を抜いて構える。
だが、数発の銃声が響き、彼は地面に倒れ伏していた。
兵隊たちが警告もなく、手にしたHKG36Kを発砲したのだ。
他の警護官たちも応戦するが、火力が違いすぎた。
官邸内になだれ込んだ兵隊たちは、手榴弾やグレネードランチャー、果てはカールグスタフ無反動砲までためらわずに用いてくる。
拳銃やショットガン程度しか持たない警護官たちはひとたまりもなかった。
大した抵抗もできずに、首相官邸は兵隊たちによって制圧されていく。
ヴァンナー以下の政府閣僚たちの脱出も間に合わず、会議室にG36を構えた兵隊たちがなだれ込んでくる。
「皆さん、抵抗はなさらないで下さい。
大人しくしていれば危害は加えません」
「待ちたまえ、君たちは自分が何をしているのかわかっているのか?
こんなことをしていたら国は滅びるぞ!」
ヴェンナーは、自分に向けられた銃口に憶することなく進み出る。
そして、中尉の階級章をつけた指揮官に声をかける。
射殺されない確信はなかった。
だが、ここで屈してはなんのための首相かという意地がそうさせたのだ。
「あなた方売国奴に任せておいたら、どのみちこの国はお終いです。
我々がその過ちを正させて頂く」
ヴェンナーはそう返答した中尉の目を見て愕然とした。
その目は確かに正気だが、狭窄しきっている。
自分の都合の悪いものは全て悪と断じ、悪を正すためには何をしても許される。
本気でそう信じている目だった。
「これが結果か…」
ヴェンナーは嘆息する。
金融危機や失業率の高騰で閉塞した国をなんとかするために、極右政党のそしりを覚悟でデウス国家社会党を旗揚げした。
国民の不満を吸収する形で政権を取り、議会を形骸化させ、国民の自由を制限し、軍備を拡張してきた。
それが結果的にはこの国の、国民のためになることを信じて。
だが、ヴェンナー自身は本気で独裁者となるつもりはなかったし、戦争も本心では望んでいなかった。
どこかで軟着陸できるはずだったのだ。
だが、結果としてデウス公国は出口の見えない戦争に突っ走り、反撃を受けて自国領土に侵攻された。
首相の自分が知らないところで自国領内への核攻撃という暴挙が強行され、なんとか和平を模索してみればクーデターが起きる。
どこで間違ってしまったのだろう?
ヴェンナーは兵隊たちに首相執務室に閉じ込められながら、自問し続けた。
デウス公国北部、レドネフ空軍基地
『心ある兵たちよ立ち上がれ!
愛国者たちよ団結せよ!
売国奴、敗北主義者どもを一掃し、この戦争を完遂するのだ!』
クーデター軍によって選挙されたテレビ局で、表向き首謀者ということになっている陸軍大佐がヒステリックな演説を流している。
デウス国防空軍飛行隊指揮官である、アウグスト・バロムスキー中佐は、演説を冷ややかに聞き流しながら電話をかけていた。
「ああ、こちらは予定通りだ。
それで、そっちは手はず通りに行くんだろうな?」
『もちろんだとも。
今回のクーデターで、デウスはもう国家としての体裁さえ自力で維持できないのを露呈したからな。
連合軍が介入して、クーデター軍はその背後関係ごと消滅して一環の終わり。
万事予定通りだ』
電話の相手の返答を聞いて、バロムスキーはほくそ笑む。
ようやく、あの忌まわしい“悪魔の花火大会”以来自分たちが抱いてきた悲願が達成されるのだ。
長かった。
一人の忠良な軍人の下面を被り続け、復讐心を悟られないようにいつも注意を払い、そして八つ裂きにしても飽き足らない憎き連中の命令に従ってきた。
全てはこの日のためだったのだ。
「忘れないでくれよ。
それで戦争が終わってもらっては困るんだからな」
『もちろんだ。
終わらせてなどやるものか。
世界は徹底して変わらないといけないんだからな』
バロムスキーは念を押す。
このまま連合国に勝利されては意味がないのだ。
世界が混沌に包まれた果てに、一度全てが滅んでもらわなくては。
幸いにしてこの電話は多重回線だ。
世界中の回線を経由して話す形になっているから、電話の相手方が探知される可能性はない。
通話音も3重のスクランブルがかかっているから、盗聴も不可能だ。
物騒な話をしても気にする人間はいない。
「では、くれぐれもよろしく頼むぞ。
世界が変わった後で会おう」
『ああ、世界は変わる。
また連絡する』
バロムスキーはそう言って電話を切る。
いまだ蛮勇演説が流れ続けているテレビの電源を切る。
はっきり言って不愉快だった。
こちらの思惑通りクーデターを決行してくれたのには感謝している。
だが、演説の内容はすっからかんでまるで傾聴に値しない。
増長した挙げ句に軍人の道を踏み外した跳ねっ返りが、子供の駄々のように不平不満を並べているだけだ。
自分たちには何を犠牲にしても成し遂げるべき悲願がある。
こんなやつらとは違うのだ。
バロムスキーは、外の滑走路から響いてくるジェットエンジンの音に耳を傾けながら、今後のことを考え始めた。
2018年11月2日
アキツィア南部、フューリー空軍基地
エヴァンゲルブルグで発生した、デウス軍の過激分子によるクーデターから一夜が明けた。
クーデターに共鳴したデウス空軍の万一の動きに備え、パイロットたちはスクランブル体勢で待機している。
その中には当然エスメロードたちフレイヤ隊の姿もあった。
「どうも気になるわね。
今クーデターを起こしても先がない。
むしろ分別のある軍人なら、今こそ和平の好機だと判断してもおかしくない」
インターネットでクーデターの情報を見ながら、エスメロードは疑問を口にする。
「いや、良くある話じゃないか?
国が負けて戦犯扱いされるのを怖れる馬鹿どもが、周りに無理心中を強いるってやつ」
「それは一理あるけど…」
相手をするジョージの言葉に、エスメロードは拳を顎に当てて考える。
実際、前世で自分が生きていた国でもかつて同じようなことが起きかけた。
敗戦という現実を受け入れられない軍人の風上にも置けない者たちが、無条件降伏を回避しようとクーデターを起こしかけた。
軍のトップが分別のある人間であったために事なきを得たが、軍人が命令に従わず反乱を企てたという最悪の状況には変わりはない。
一方でこちらの世界でも、切迫した状況の中軍人が命令を無視したり、独断で軍事行動を起こしたりという事例は枚挙に暇がない。
(だが、今の状況はどうもおかしい)
それがエスメロードの考えだった。
クーデターを起こしてエヴァンゲルブルグの首相官邸、各省庁、鉄道、テレビ局などを占拠。
待ちの中心はほぼクーデター軍に掌握されている。
が、それだけだ。
テレビでは抽象的な内容の蛮勇演説が流され、戦争の継続が主張されるばかり。
具体的になにをどうしろというのか、全く伝わってこないのだ。
「まるでクーデターそれ自体が目的であるかのようね…」
エスメロードにはそうとしか思えないのだ。
日常や人間関係に不満を爆発させ、目的も要求もなく通り魔事件や立てこもり事件を起こす人間がいるのは、残念なことに事実だ。
今回のクーデターも、まともなビジョンなどなくただ爆発しただけにしか思えなかった。
「しかし先輩、目的もなくそんなことしますかね?
クーデターなんて成功しようが失敗しようがリスクが大きすぎる。
仕事も家庭も失う確率が高い。
なにか得るものもなしにできるとは思えないなあ」
そう混ぜ返したリチャードの言葉に、エスメロードは閃くものがあった。
(得るものがある。
誰かがなにかを得る。
そしてその誰かは、必ずしもクーデターの当事者とは限らない…?)
その考えから逆算すれば、デウス軍の若手将校たちが過激分子化したことも説明がつく。
「リチャード、お手柄よ」
「え…どうしてです?」
全く状況が見えない様子のリチャードに返答することなく、エスメロードはパイロットピットの外に出ると、公衆電話の受話器を取った。
「ケン?エスメロードよ。
お邪魔だったかしら?
折り入って、ひとつ調べて欲しいことがあるの」
エスメロードは言葉を選びながら電話の向こうのケンに対して伝えていく。
自分のカンが正しければ、調べれば必ず痕跡は見つかるはずだった。
エヴァンゲルブルグのクーデターの黒幕が誰であれ、彼らの思い通りにさせるわけにはいかない。
ここで対応を誤ることは、本当に全てが終わることにつながってしまう危険があるのだ。




