炎上する水面
02
エスメロードは力の限り走っていた。
だが、前を行くジョージの背中は遠ざかるばかりだ。
追いつかなければ。ジョージが遠くへ行ってしまう。
だが、その背中は空しく小さくなるばかりだった。
「ジョージ、行かないで!」
どんなに叫んでも、見知った背中はどんどん先へと進んでいく。彼女を置いたまま。
「エスメロード、どうした?エスメロード、大丈夫か?」
「ああ…?」
誰かに揺り起こされて目を開けると、視界には見知った自室の天井が映る。
ぼんやりした頭のまま、周りを見回す。
ここは自室のベッドの上だ。傍らにはジョージがいる。
そして、自分もジョージも素っ裸だ。
(ああ…また寝たんだったか…)
獣のように激しく交尾をして、そのまま心地よく疲れて眠ってしまっていたのを思い出す。
なんだかんだでジョージとは身体の相性がいい。
最近は自分から求めることさえあるのだ。
(なんだろう…すごく生々しくて…哀しい夢だった…)
エスメロードは、漠然とした不安が消えなかった。
人肌恋しさから、エスメロードはジョージに抱きついて、その胸板に顔をうずめる。
ジョージもそれに応じてエスメロードを抱き返す。
だが、エスメロードの不安はむしろ強くなっていた。
(ジョージは自分を見ていない…?)
自分以外のなにかを見ている。とても怖ろしいなにかを。
そんなことを漠然とだが感じたのだ。
2018年10月24日
“バッファローハント作戦”と命名された、連合軍の海軍と空軍の合同作戦が発動される。
手順としては、連合軍空軍航空隊のエアカバーを露払いとして、ユニティア海軍の原子力空母、“イントレピッド”および“レプライザル”から飛び立った海軍航空隊が地上施設と敵艦隊を殲滅する。
しかる後に揚陸艦から海兵戦力を送り込んで制圧。
目標はデウス公国首都エヴァンゲルブルグと、海軍北海艦隊の軍事拠点であるキーロン湾、そして、北部最大の航空隊の拠点たるレドネフ空軍基地。
作戦の主力であるユニティア海軍と空軍は、先だっての核攻撃で多くの戦友を殺されたことで復讐に燃えていた。
一方の、アキツィアを中心とした他の連合軍は、当然のように乗り気ではなかった。
拙速に攻撃をしかけるのは危険だし、デウス軍はいまだ策を残していることが予想されたからだ。
そして、その予想は最悪の形で的中することになる。
北海、公海上。
北海を悠然と航行するユニティアの空母打撃群を、海中からうかがう者があった。
デウス海軍潜水艦隊所属、“ヒルドルブ”Ⅳ型原子力潜水艦である。
数は合計8艦。
全長139メートル、水中排水量13800トン。
武装は魚雷発射管10門とミサイル用VLS8基。
その外見はロシアのヤーセン級原子力潜水艦に酷似している。
だが、X字型の水平舵やポンプジェット推進器など、先進性のある技術が盛り込まれている。
加えて、船体の大型化を甘受して多重構造とすることによって、原子力潜水艦としては規格外の静粛性を実現している。
さらに、このⅣ型は、前級であるⅢ型までとは根本的に設計思想が異なっていた。
乗員居住区は置かれず、代わりにDNAプロセッサーが配置され、完全無人化されているのだ。
このDNAプロセッサーは、従来のものとは桁違いの計算速度を可能としていた。
もはや、コンピューターという表現では、この装置の正確さと緻密さを表現するには不適切と言えた。
加えて、このシステムは幅、奥行き、高さがそれぞれ4メートルしかない。
有人潜水艦に比べてはるかにスペースに余裕があるため、その分兵装が2倍積めた。
海面に上げていたブイアンテナを収容した8艦の“ヒルドルブ級”は、魚雷をスタートアップさせ、攻撃態勢に入る。
感情も慈悲も持たないロボット潜水艦の艦隊が、いよいよ牙を剥くときが来たのだ。
人間には聞き取ることのできない超音波によって連絡を取り合った8艦の原子力潜水艦は、一斉に魚雷と対艦ミサイルを発射したのだった。
デウス中部上空。
「ユニティアの艦隊が壊滅か。
案外とふがいないものだな」
『静粛性の高い潜水艦に至近距離から攻撃されて、ほとんど一方的にやられたらしい。
生存者は、全体の二割にも満たないそうだ』
フューリー基地から、司令であるシュタイアー直々の通信で、エスメロードはユニティア艦隊の全滅を知らされる。
補給艦が辛うじて生存者を収容して逃げおおせたらしい。
あくまで空母機動部隊のが標的だったらしいデウス海軍の潜水艦は、護衛についていたユニティア軍の潜水艦を無視して魚雷とミサイルを撃ち続けた。
ユニティア海軍の潜水艦2艦は奮戦し、デウス海軍の潜水艦6艦を撃沈、2艦を航行不能に追い込んだ。
なぜ潜水艦を無視するような行動を取ったのかは、浮上したまま航行不能となった1艦を調べてわかった。
中には乗員が乗っていない。
完全自動化されたロボット原子力潜水艦だったのだ。
多少値は張るだろうが、いくら撃沈されようと人死にが出ず替えが効く。
合理的な用兵と言えた。
静粛性の高い潜水艦は空母機動部隊にとっては天敵のような存在だ。
しかも、撃沈されることも怖れない無人潜水艦となると、死に神のようなものだろう。
何はともあれ、ユニティアの空母機動部隊を欠いた以上、デウス北部に対する同時多発攻撃は不可能となった。
『それで司令、撤退しますか?』
ジョージが無線に割り込む。
攻撃の主力であるユニティア機動部隊が壊滅したなら、エアカバーを行う意味がない。
『いや、撤退はまだ早い。
作戦変更だ。目標をキーロン湾のデウス海軍機動部隊に絞る。
君たちのエアカバーを露払いとして、敵空母ヨルムンガンドおよび護衛部隊を撃沈する。
海自の“トリスタン”および“イゾルデ”の艦載機が攻撃を受け持つ』
「フレイヤ1コピー。これよりキーロン湾へ向かう」
無線に応じたエスメロードは、F-15Jの進路をキーロン湾へと向ける。
今思えば、最初から敵空母機動部隊に目標を集中すべきだったのだ。
連合軍の全航空戦力を投入すれば、空母1、駆逐艦8の部隊などものの数ではない。
ユニティアのごり押しで、同時多発攻撃という現実味のない作戦が強行されたのが、けちのつき始めだった。
(ようやく現実味のある作戦が行われる)
少し安堵した気になったエスメロードは、F-15Jの操縦桿を握りなおした。
北海、デウス北端より北西400キロの海上。
DDH-183“トリスタン”およびDDH-184“イゾルデ”は、分類上はヘリ搭載護衛艦とされる。
だが、国際情勢の変化(得にデウスの軍事的先鋭化)に伴って、STOVL機の発着艦に対応するように改修されていた。
外見は、海上自衛隊の“いずも”型護衛艦そのものの姿をしている。
相違点としては、艦首にスキージャンプ台が増設されていることだろう。
この改修によってF-35BJを運用可能となっている。
格納庫が手狭なため、多数の固定翼機を艦内に収容することは現実的でない。
だが、それは問題とならないのだ。
“トリスタン”および“イゾルデ”の本来的な任務は、地上基地所属のSTOVL機の洋上補給基地であるからだ。
『こちらピーコック隊。発艦許可を願う』
『許可する。気をつけてな!』
『スワロー隊、発艦する』
『進路クリア、発艦どうぞ!』
今正に、補給を終えたF-35BJの部隊が続々と“トリスタン”“イゾルデ”から飛び立って行った。
対艦攻撃のためにあえてステルス性能を犠牲として、4発の93式空対艦誘導弾を主翼に外付けした計28機の部隊が、整然とキーロン湾に向けて飛行を開始した。
デウス公国北部、キーロン湾。
『各機注意しろ、空母および陸上基地より敵機がすでに上がっている』
上空のE-767からの警告に従い、フレイヤ隊は早めに対空ミサイルの安全装置を解除する。
眼下の水面に見える巨大な艦影は、デウス海軍の空母“ヨルムンガンド”だ。
外見は中国海軍の001A型航空母艦そのものだ。
だが、飛行甲板のスキージャンプ台からFA-18EおよびEG-18Fが飛び立っているのはいささか奇異に映る。
まあ、これはエスメロードが前世の記憶を持っているからで、実際にはなんの不都合もない用兵なのだが。
「フレイヤ隊、ブリュンヒルデ隊、敵機を落とすぞ。
攻撃隊をやらせるな!」
『ブリュンヒルデ1コピー。突っ込むぞ!』
エスメロードの言葉に、ブリュンヒルデ1ことガートルード・ベイツ二等空尉が応じる。
「FOX-2!」
『FOX-2』
2機のF-15Jと1機のF-2で構成されるフレイヤ隊。
そして、3機のF-3で構成されるブリュンヒルデ隊が戦端を開く。
迎撃に上がって来るFA-18Eの部隊に向けて、12発の99式空対空誘導弾が同時に放たれる。
その命中精度はすさまじく、12発のうち10発が命中だった。
空母の護衛についている蘭州級に酷似したフリゲートも対空ミサイルを放ってくるが、フレイヤ隊およびブリュンヒルデ隊に追従できるものではなかった。
『なんかデウスらしくないな』
「仕方ないさ。デウスは陸軍国だからな。
空母機動部隊は、海外から出来合いの物を仕入れてるわけだし」
精密さと質実剛健さを重んじるデウス軍にしてはお粗末で雑な対空砲火に、ジョージとエスメロードは失笑を隠せない。
実際、陸軍と空軍に比して、デウス国防海軍、得に洋上艦隊は質が優れているとは言えなかった。
あまりにも急速な軍拡に伴って、陸軍と空軍、そして潜水艦隊にリソースが割かれざるをえなかった。
畢竟、洋上艦は海外のメーカーに設計の段階から丸投げされる形になった。
例えるなら、身体に合った服を仕立てるのではなく、服に身体を合わせざるを得ないのだ。
現実的でないのは火を見るより明らかだ。
フランク・レーマ戦争の敗戦以来軍備を制限され、洋上艦隊の運用にブランクがあるからとくに。
「FOX-2!」
エスメロードは、また1機のFA-18Eを撃墜していた。
連合軍航空隊は、地上基地および敵艦隊からの対空砲火を完全に無視して敵航空隊を殲滅しつつあった。
『こちらアキツィア自衛海軍ピーコック隊、デウス艦隊に対する攻撃を開始する!』
ちょうどいいタイミングで、“トリスタン”および“イゾルデ”から発艦したF-35BJの部隊が到着する。
主翼に外装された93式艦対空誘導弾が同時多発的に放たれ、デウス海軍機動部隊に襲いかかる。
艦対空ミサイルとCIWSの対空砲火が放たれるが、敵のレーダー照射を感知して回避行動を取るように設計されている93式を撃墜するのは困難だった。
護衛のフリゲートが次々と炎に包まれていく。
やがて、守る者のいなくなった“ヨルムンガンド”にも無数の対空ミサイルが降り注ぎ、炸裂する。
頑丈な作りの空母だけに、ミサイルの直撃にも良く耐えた。
だが、やがて傾き始め、ついには爆発炎上しながら横転したのだった。
「こちらフレイヤ隊。敵空母機動部隊の壊滅を確認。
ミッションコンプリート、RTB!」
作戦目的を果たせば長居は無用だ。
デウス空軍の航空隊が駆けつけてくる前に、連合軍航空隊は帰還していく。
結果として、デウス公国は虎の子の機動部隊のうちの1つを失陥し、いよいよ首都を含む北部の防衛さえ不可能となっていく。
連合軍による空と海からの攻撃を防ぐためには、空母機動部隊が最低でも2つ必要とデウス軍幕僚本部は試算していた。
デウス政府は、いよいよ本格的に連合国との講和を模索せざるを得なくなる。
一方、連合軍にとっても空母打撃群2つの失陥は痛く、結果としては双方痛み分けであった。
だが、この時誰も予測してはいなかった。
両陣営ともに和平を模索し始めたことが、更なる流血の事態を引き起こすことになるのを。




