解かれた記憶の封印
07
2018年8月17日
アキツィア首都、ヨークトー郊外。
タグイ空軍基地医務室。
「すまないね。忙しいところ呼び出しちまった」
小料理屋で突然倒れたエスメロードを基地の医務室まで運んだケン・クーリッジ一等陸尉が、すまなそうな顔になる。
「いや、それはいいんだが…。
なにがあったんだ?」
エスメロードが倒れたという知らせを受けて飛んできたジョージ・ケイン二等空尉はフライトスーツ姿だった。
ちょうど当直だったのだ。
「僕は医療に関しては素人だが、どうやら過去の記憶のフラッシュバックらしい。
彼女、“悪魔の花火大会”の時のことを忘れていたようなんだ。
いや、記憶を封印していたというべきかな。
君は彼女と幼なじみだろ?何か知らないかと思ってな」
ケンは言葉を選びながら返答する。
難しい問題であることを強調するように。
「そう言えば聞いたことがあるな。
当時、俺の実家と彼女の家はつき合いがあった。
弾道ミサイルの至近弾で、祖父を亡くしたとか…」
ジョージは渋面になる。
おぼろげだが覚えている。エスメロードは母方の祖父が大好きだった。誰が見てもわかるおじいちゃん子だったのだ。
戦中戦後の混乱の中ではっきりしたことはわからなかったが、風の噂で聞いた話だ。
「僕のせいだ。
こんなことなら、テレビで慰霊祭の中継を観ようなんてしなければ…」
「あんたは超能力者か?彼女のトラウマのことを知らなかったんだ。
責任を感じることじゃないよ。
しかし、よくフラッシュバックだってわかったな?」
混ぜ返されたジョージの言葉に、ケンは口をへの字にして天井を仰ぐ。
「姉貴だよ。
俺の姉も、“悪魔の花火大会”で旦那を失った。
結婚してまだ2ヶ月なのに未亡人さ。
で、悲しみを受け止めきれずに心を病んじまった」
ケンはそこで一度言葉を切る。
どう説明したものか考えているようだ。
「旦那が死んじまった記憶だけじゃない。弾道ミサイルの撃ち合いがあった記憶そのものも封印して、旦那が今もいるみたいに振る舞うんだ。
だが、当然旦那はもうそこにはいない。
その矛盾で、頭痛や吐き気に苦しんだ。
旦那の死を受け入れるのに、ずいぶんかかったよ」
ケンが歯がみする。
当時を思い出して、辛い記憶を噛みしめているのだ。
「エスメロードも同じように、記憶を封印することで正気を保っていたってわけか」
ジョージがベッドの上に横たわるエスメロードに視線を向ける。
汗をかいて、なにやら苦しそうだ。
「なあ、もし…」
ジョージが真剣な面持ちでケンに話しかけたとき、突然エスメロードがむっくりと起き上がった。
「あああ…今ものすごい音が…。
おじいちゃまはどこ?おじいちゃまは無事なの!?おじいちゃまああっ!」
そして、半狂乱で叫び始める。
普段の貴族のお嬢さんらしいおちつきも気品もない。
まるで幼児退行してしまったようだった。
「エスメロード。
おじいちゃまはここだよ。心配させて悪かった。
おじいちゃまがお前を置いてどこかに行くもんか」
ジョージがエスメロードの肩を抱き、努めて優しい声で語りかける。
理屈も脈絡もなく、ただエスメロードを思う気持ちがジョージをエスメロードの祖父にさせていた。
「おじいちゃま…おじいちゃま。良かった…」
「エスメロード、お前はまだ具合がよろしくない。
いい子にして寝ていなさい。
元気になったら、また遊んであげよう。いいね?」
心底安心した様子のエスメロードをジョージはなだめていく。
とにかく、安心させ落ち着かせる必要がある。そう判断したのだ。
ジョージの気持ちはエスメロードに伝わったらしい。
ベッドに再び横たわると、目を閉じて寝息を立て始める。
「ジョージ、さすがだな。情けないが、僕はどうしていいかわからなかったよ」
エスメロードが寝付いたのを見て、ケンが大きく息を吐く。
ジョージの機転に、素直に感服しているのだ。
「まあ…なんだ。
“悪魔の花火大会”のことは、昨日のように覚えてる。
俺の両親は…弾道ミサイルの直撃で跡形もなかった。
トラウマなのは俺も同じさ」
「ああ…すまない…。
考えなしだったよ。君も辛かったんだな」
ジョージの機転を賞賛することは、彼のトラウマに触れることだと気づいたケンはばつが悪そうになる。
「いや、気にしないでくれ。
俺に声をかけてくれて良かった。
エスメロードのすさまじい強さでつい忘れちまうが、まだ21歳の若い女だ。
悩みも弱さもあって当然だ。
無敵の戦闘マシーンみたいに扱っていいものじゃない」
ジョージはそう言って改めてエスメロードを見る。
ケンも、つられてエスメロードに視線を移す。
最近の活躍を見ていて忘れていたが、エスメロードはまだ21歳の女であることに変わりはない。
戦争の恐怖や苦痛に耐えられる絶対の保証はないのだ。
「なあジョージ。
エスメロードには休暇を取ってもらうべきじゃないかな?
僕は門外漢だが、パイロットっていうのは精神に不安定を抱えていてできる仕事じゃないだろう?」
「同感だな。
考えてみると、今までよくフラッシュバックが起きなかったもんだ。
彼女は、いつどかんといくかわからない爆弾をしょって飛んでいたことになる。
一度精神科に見せた方がいい」
ケンの言葉に、ジョージは素直に同意する。
2人とも、エスメロードが心に爆弾を抱えながら今まで戦っていたことに、肝を冷やさずにはいられなかったのだ。
「気遣いはありがたいけど…その必要はないわ」
かけられた言葉に2人が振り向くと、エスメロードがベッドの上で身体を起こしていた。
まだ青ざめているが、先ほどまでの取り乱した雰囲気はない。
「そうは言うけどな、パイロットである君がよく知っていることだろう?
メンタルに爆弾を抱えて飛ぶわけにはいかないだろう」
「そうとも、隊の2番機として見過ごせない。
せめて、カウンセリングと医者の診察は受けてくれ」
ケンとジョージは口を揃える。
2人が正しいと悟ったエスメロードは「わかったわ」とため息交じりに返答する。
そのまま力が抜けたようにベッドに横たわる。
「今はっきり思い出した。
そもそも私はなぜ傭兵パイロットになってまで戦おうとしたのか…?
心のどこかでずっとトラウマになっていたんだ。
祖父が亡くなったときのことが。
もう同じことはごめん。私が戦ってみんなを守るんだって…。
ずっと忘れていたけどね」
エスメロードは天井を見つめながら語る。
ケンとジョージはかける言葉がなかった。
彼らも“悪魔の花火大会”で大切な人を亡くしている。
エスメロードの悲しみの深さは理解できるつもりだった。
だが、それが実家に勘当され、傭兵パイロットという危険な立場となってもなお戦う動機だったとは。
「理不尽なもんだな…。これが戦争の結果、そうして得たものが…」
ジョージは誰ともなくつぶやく。
エスメロードは違和感を覚えた。なにがどうとははっきりしないが、ジョージの声に不穏なものが混じっているように聞こえたのだ。
こんなことは初めてだった。
いつも飄々としているジョージが、なにかに呪縛されているように見えたのだ。
それも、極めて危険ななにかに。
「ま…まあ、とにかく明日カウンセラーと精神科医を予約しよう。
エスメロードの気持ちはわかるにしても、とにかく専門家の意見を仰ぐべきだ」
「そうだな…。
敵が強いから戦死したならそれは仕方ないと思える。
でも、本人の心の問題が元でくたばったんじゃ目も当てられん。
いいな、エスメロード」
ケンの言葉で、ジョージの不穏な様子が消えて、いつもの調子になる。
「わかった。
仰せのままに。
2人には今夜は迷惑かけてしまったわね」
エスメロードは、素直に2人の言うことを聞いておくことにする。
頭痛はすでに止んでいるが、心には風穴が開いたような感覚が残ったままだ。
2人の気遣いが純粋に嬉しかったのだ。
首都奪還は一時的な勝利に過ぎず、さらに戦いは続く。
フランク大陸の台地は、さらに血とオイルで汚れることを運命づけられていた。




