90話
一向に身体を起こさないオレを見て溜息を零したリリィ・クリューシャは何度も何度もオレを殺した。文字通り、殺したのだ。手慰み程度に、軽く笑いさえしながら。無様に床を転がされて、どれだけの血を流してもオレが死ぬ事は無かったが。
だがそれも直ぐに飽きたのだろう――呆れたように溜息をついて、城の中の玉座に座り、静かに彼女は眠りについた。
それからどれくらいの時間が過ぎたのかオレには分からなかった。時間の感覚なんて、とうに失せていたのだ。余りにも大きな喪失感がオレをそうさせた。虚無の時間が過ぎ去っていく最中――。オレが考えていたのは失敗した、そのことだけだった。
「(あそこで引き返していればよかった。あの言葉を聞き入れるべきだった)」
後悔という底なんてありやしない感情――そこからオレを拾い上げたのは、奇しくも、オレをそこい陥れたリリィ・クルーシャだった。どれくらいぶりか分からない変化――ふと、目の前に差し込んだ影を見て、無意識の内にオレは顔を上げていたのだ。
乾いた血液が剥がれて肌がひりひりと痛んだ。そして、乾いた喉がじくじくとオレを責め立てた――。
「……ちょうど一年、です。あなたが、そこですべてを投げ捨ててから」
ああ、澄んだ声に怒りが湧き出した。お前がそれを言うのか、と。
「きっと、あなたは私を恨んでいる。だからお願いしたい――私を殺して欲しい」
「……っ、あ?」
ひゅう、と乾いた音が出た。どんな変化が起きてるか分からない身体だったが、身体機能は、どうにかなる前と変わらないらしい。一年――あいつはそう言った。そんな長い間、オレはなにもせず、後悔の海を漂っていたのか。動かない震えただけのオレの身体を見て、リリィ・クリューシャはほんの僅かな――笑みを携えて見せた。
「……まずは、身体を戻そう。時間は掛かるけど、前みたいに歩けるようにはなるから」
……
仲間が死んだ。一年も失意の中でなにもせず時を過ごした。それでも、乾いた喉に染みる水は――呆れるほど、それこそ瞳から涙が溢れそうなほど、美味かった。乾いた身体ではそんなものさえ出なかったが。
二ヶ月か、三ヶ月か、一年か――長い間、オレはリリィの介護を受けて徐々に身体の機能を取り戻していった。筋肉は軋んで使い物にならないので、斬って捨てた。アホみたいな激痛とともに生えてくる腕を見て、化物になった実感を得た。そして、動く筋肉を手に入れた。
吐くって分かってても食える物はすべて食った。どこからかリリィが持ってきた飯だ。出所なんて、圧倒的な味の前には気にもならなかった。甘い、しょっぱい、辛い――すべてが宝石のように煌いて見えた。感じた。
オレが自力で動いて生前と変わらないまでに動けるようになった頃。
玉座に座るリリィの前でオレは胡坐をかきながら、彼女の話を聞いていた。
「……これで、ノアも人並み」
「あぁ……ようやくなぁ……。これで聞かせてくれるんだろう、リリィ。オレの身体に起きてる現象と、お前の存在って何? ってことについてよ」
うん。リリィは小さく頷く。銀のツインテールが緩やかに揺れた。
「私とノアを戒めているのは、黒の宝玉――そう私は呼んでいる。正しい名前は無い、あれは、この世に生きるモノの悪意――不の感情、それの凝縮体だから」
「……で?」
「宝玉は人に宿る。……私は大分前に、暮していた村の風習で、生贄として捨てられた。そのときにたまたま選ばれてしまったんだと思う――死んだ後に息を吹き返して、違う自分が顔を出して、こうなった」
御伽噺だ。間違いないね。呆れたようにポーズを取って見せたが――笑えない。何せ目の前で仲間も死んだ。そしてオレも選ばれているんだ、笑えるなんてありえない。この身体を取り戻すまでの期間で、どうにか取り戻した食と言う楽しみが無ければ、後悔と怒りで気が狂ってどうにかなりそうだ。
「つまり、違う自分って、オレの仲間を殺したお前と、今のお前は別人ってワケ?」
「そうなる――宝玉はこの玉座を中心としている。ここに近ければ近いほど、黒の意識は私達を飲み込まんとするの」
「じゃあなんでお前はそれを知っていながら、そこに座ってるんだよ」
「……自意識じゃない、身体がそうしているだけ。黒の意識は負の感情に強く反応する、きっと……きっと私には楽しみもなにもないから、黒の宝玉に帰ろうとしているのかも」
「お前は……ずっとここに?」
いつからいたのだろうか。そんな疑問が頭を掠めた。
それでも、きっとオレがいる期間との比較だなんて、話にもならないほど長いのだろう。
「うん――そう。ずっと、魔王だ、だなんて剣を掲げてくる人たちを相手にしてた。上手く追い返せることもあれば、ノアの時みたいに飲まれてしまうときもあった」
今のリリィに怒りを吐いても仕方が無い。頭では理解してる。こいつはあの時の、仲間を殺した――夜天の魔王ではないのだから。だがそれでも、それでも……湧き上がる怒りが、オレの身体を突き動かした。渾身の力を込めて繰り出した右手は何の妨害も受けずに、リリィの首をしっかりと捕らえる。
「お前が……ァ! お前、さえ、いなければ……ッ! なんでお前がここにいたんだよ、ふざけんなよ、黒の宝玉!? 笑わせんなよ!! そんな陳腐な御伽噺であいつらは死んだっていうのかよ、なぁ!?」
指先が皮膚を突き破った。肉が潰れ、リリィの喉元から眼に痛いほど鮮やかな鮮血が溢れ出す。それでも止められない――こひゅっという奇妙な音が聞こえたが、一切力を緩めることなく、ただただ溢れる感情のままに、掴んだ首だけで小さなリリィの身体を持ち上げた。生温い血液が腕を伝い零れ落ちていった――。
「なんで、オレも……あいつらと、殺して、くれなかった……!?」
「っ、がふっ……ごほ、っぶ」
白い唇から血が伝っていた。喋る事なんてできないのに、それをしっかりと言葉を紡ぐ。
――殺していいよ、と。
その瞬間だ、目の前で喉を潰され、力のままに持ち上げられても――オレをただ見つめるリリィの瞳に、感情が爆ぜたのは。こんな少女にオレは何をしている、そんな感情。堪らず反射で腕を引けば、白い身体は床にあっけなく崩れ落ち、だらんと四肢を放って動かなくなる。
「……っごほ、っ……! そ、れが……宝玉の、感情」
もぞもぞと蠢きあっという間に傷が治っていくリリィの喉――それを見てほっとしたのも束の間だ。オレの意識が飲まれている、そう指摘をされたのだから。オレはオレだ。それ以外であるわけが無い、いや、それ以外であってはならないのだ。
だがそれでも、どれだけ言い訳をしても、あの昂ぶる感情を忘れることはできなかった。
細い喉に指を食い込ませたあの感覚は、忘却しがたい――快感のようだったから。
「――なぁ、リリィ。一回、殺してく」
あの禍々しい感情を忘れたい一心で紡いだ言葉が遮られる。
オレの身体の顎から下が、一瞬で消し飛ばされたから。
馬鹿みたいな魔力の波動がリリィから発せられだのだ。
「……ノアは私を殺してもいい。けど、中途半端はだめ」
薄れいく意識の中でオレは思わず、怒りも、悲しみも、喪失感でさえも超えた感情を抱く。
――超理論やめてくれよ、という呆れの感情。
久しぶりに感じたその感情をどこか懐かしく感じながら、オレの意識は闇へと沈んでいった。




