9話
ふわりと体が浮かぶ感覚がした。まどろみの中、これは夢か、と自覚しながらロイは夢を見る。いつかの記憶が、焼け付いた景色が、ゆっくりと虚ろな意識の中、再生されていく。
……
そこは地獄と言っても差し支えない景色だった。大地は荒れ血が染み込み、水は汚染された大地から染み出した有害な物質で濁りきっている。そんな中をロイは一人、ボロボロの鉄の剣を片手に彷徨い歩く。纏っていた白の制服は既に見る影もなくちぎれ飛び、露出した肌からは見るも無残な傷跡が見て取れた。
「……東の大国、クソみてえな兵器を打ち出しやがって」
突如として飛来した鉄の塊が戦場の中空で爆ぜたのだ。そこから吹き付けられたのはとてつもない熱量を持った爆発と、鉄くず。爆発によって生み出された熱は皮膚を焦がし、光は瞳を焼払い、そして鉄くずは人間の四肢をこれでもかというくらい、簡単に穿つ。辺りを見渡せば、痛みに蠢めく人間や、既に事切れた人間が蟻のように散らばっていた。
魔法を使わない技術に関しては東の大国がどの国よりも先を行っている。魔法に頼りきった様が、つけがこれが、と思わずロイは嘆息し、どうにかしてこの惨状が広まるのと止めるため、ぐちゃりと何かを踏みつけた足の気持ち悪さも無視して、先へ、先へと進む。
体の半分が溶けた兵士が助けてくれ、とロイの足へと縋り付いた。赤をベースに様々な液体が混じり合った、気色の悪い汁がロイのズボンへとついたが、気にもとめず、ロイは手に持っていた剣でその兵士の首を切り飛ばし命を絶つ。
「礼はいらねーぞ」
中央大国へ所属するSランクギルド、蒼穹。ロイはそれに所属していた。これまでも命を捨てるような戦場へは何度も何度も回されたが、これほどまでに吐き気を催す場所は初めてだった。だが、ここで自分が引いてはいけないということもわかっていた。
これ以上前線が押されてしまえば、この惨状を生み出した兵器の射程へと街が入ってしまうから。そして、まだこの地獄に取り残されたギルドの仲間がいるはずだから。
何時間、戦場に身を置いたかも覚えていない。そして、いくらこの地獄を彷徨い続け敵を斬り殺したかも覚えていない。ロイ自身が保有するSSランクのアビリティ、不退転の意思。そして常在戦場が発動し、加速度的に自身のステータスが向上していく。
ようやく辿り着いたそこでは、今まさに一人の少女が図体の長い機械で出来た人型にその命を刈り取られんとしているところだった。その少女は腰まで伸びた銀の髪を、赤い血に汚して、ただ振り下ろされるであろう剣を何をするのでもなく待っていた。その少女ーー当時は蒼穹に所属していたリーシャは、先程放たれた東の大国の兵器から身を守るために全ての魔力を使い果たし、対抗する術を持たなかったのだった。
振り下ろされた剣が迫る。が、それはリーシャの命を絶つには及ばない。直前で差し込まれた、ロイの剣がそれを遮っていたから。それを驚愕の瞳で見たリーシャは、どうしてか感情が爆発し、己自身を助けたロイに向かってあろうことか呪詛のような言葉を投げつけてしまう。
「……なんで、なんで止めたのよぉ、もう、こんな汚い世界、嫌なのに、もう嫌なのに!」
命を助けたのにも関わらず、憎しみのような言葉を投げつけられたロイ。わずかに走った心の痛みに頬を歪めたが、それでも彼は振り返り、言うのだ。
「うるせーバカ、てめえ今自分で命捨てただろ、で、俺が今拾ったからそれは俺のもんだ、生きろや脳みそすっからかんのバカが!」
その姿はどこか眩しく見えた。きっとリーシャが命を救われたからそう感じるのかもしれない。だが、どうしてか……彼の言葉はリーシャの胸へと、心へと染み込んだのだ。同じギルドに所属していながらも、一度も話したことがない世間の評価は最低のロイ。だが、そんなクズみたいな彼は、リーシャをリーシャの才能抜きで初めて扱った、そんな気がしたから。
どこへ行っても一言二言目には才能が、才能が。徹底的にあげておきながらも、自身が失敗してしまえば手首を返して才能に驕った結果がーと野次ってくる周囲。そんなねじ曲がった世界観で生きてきたリーシャにとって、この瞬間、この場で初めて話した彼は、どこまでもまっすぐに、素直に生きているように感じて、羨ましかった。そんな彼に声をかけられて、救われて、嬉しかった。
知らぬ間に、思わずリーシャは声を漏らす。
「は……い……」
それだけを言い残してリーシャは崩れ落ちた。限界が訪れたのだ。最後の光景は、自身を殺そうと剣を振り上げていたロボットがロイに切り壊されている景色。
ロイは後ろで倒れた音がしても振り返らない。どうせ限界だ、すぐ倒れると悟っていたから。この世界にどれだけいても倒れないのは俺だけの特権だ、と、ロイは今しがた切り壊したロボットに片足をかけ、その先に広がる景色を一瞥する。おおよそ、大群。数を数えようとすることすら馬鹿馬鹿しい数がそこにはあった。その奥には、あの爆発する鉄の塊を打ち出したのであろう、空を突くような巨大の鉄の筒も並んでいる。
無言で倒れたリーシャへと手を向け、不退転の決意が発動していないとロイ本来の力では起動すら出来ない結界魔術をかける。強固なそれは、例えもう一度鉄の塊が空で弾けてもリーシャの身を守るだろう。
「さーて、援軍はゼロ。お国がこんな死地に援軍寄越すわけねーもんな。それに俺の人望もそんなねーから、個人的なギルドの助けもねーだろう。ま、俺とリーシャは切り捨てて戦略級の魔術ぶっ放して終わらせましょうって魂胆かね」
虚空へと手を伸ばす。その先に現れたのはステータスカードだ。
不退転の決意、そして常在戦場。共に同名アビリティすら確認されておらず、Sランクさえも超越したアビリティ。それらが限界量まで引き出された結果、ロイのステータスはトチ狂ったことになっていた。
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ロイ・ローレライ
筋力SS、耐久、魔力、幸運
アビリティ
・不退転の決意SS
・常在戦場SS
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筋力以外のステータスが表記されていなかった。これはどれだけ歴史を遡ってもありえない事態であり、それすなわち、ランクとして評価することが出来ないほどを表している。死地を亡霊のように彷徨い、出会した敵を全て殺し、数多の傷を負いて、修羅と成り下がった果て、ロイだけが見ることのできる境地。
ステータスの暴力を持って、ただ一刀の元に幾千もの敵を切り捨てる。その一刀の前に距離なんて些細なものは意味を持たない。溢れんばかりの尋常ではない魔力が、距離という概念さえ意味を無きものへと返すから。
切り払われた幾千もの機械兵はその場で爆ぜ、そして連鎖をしたかのように爆発する。巨大な炎の海を生み出し行くそれを見ながら、ロイはこれだけの距離があっても飛来する鉄くずに体を打たれただ立ち尽くす。その瞳は、目の前に広がる惨状を見下していた。
「……アホ、くせえ。こんなくだらない領地争いで、先生は死んだのかよ」
その後、しばらくの時間、炎上する機械兵を見守ることに費やしたロイは、リーシャを護っていた結界を解除して背中へと担ぎ上げ、今まで歩いてきた死地を歩き帰る。時折、血だまりに足を取られながらも、この救った命は持ち返らねば、と気合を込めて歩いていくのだ。
全てを切り裂かんとする一刀を放った位置から離れるほど、背にかかる重さは存在感を増していく。不退転の決意はもはや意味を無くし、離れれば離れるほどにステータスが下がっていくのだ、負担も増していく。決着がついたことにより、戦場が終わった今、もう一つのアビリティである常在戦場の効力も失せた。だんだんと素のステータスが近づいてくるほど、明確な重さと四肢の痛み、疲れが足を鈍くする。
どうにか、戦場から抜け出し駐屯場の入り口にたどりついた瞬間にロイは膝から崩れ落ちた。わらわらと向かってくる何人かの足跡が聞こえたが、それを見上げることすらできないまま。
そうして単身でリーシャを救い相手も全滅させたロイであったが、状況を元にギルド、及び国が下した判断は……相手方の機械兵が何かしらの原因で自爆し方がついた、であった。
ギルドやその周囲から認識されているロイのステータスではあの数と渡り合う事などできないと判断されたためであったーー。
……
ふと、ロイは頭部に痛みを感じて目が覚める。重たい瞼を擦ると、何事かと言わんばかりに腕を頭の上に伸ばす。冷たくて細い何を掴んだ。なんだこれ、と頭を起こすと、そこには冷たい笑顔で笑っているリーシャがいるではないか。ロイが掴んだのはリーシャの指先であった。
「あれー……もしかしてもうそんな時間? はっはー店主も意地が悪いねぇ、ちょっと仮眠とらせてって行って寝かせてもらったのにさ、起こしてくれないなんて」
「生憎様、楽しそうにお酒飲んでたのは知ってるわよ、店主から聞いたから」
「えっちょ、店主ぅ!? 何嘘なんてついてくれちゃってんの!?」
「無理だよロイ君、リーシャ様は魔術師ギルドの統括様でお偉いんだから、こーんな場末の酒場の店主が嘘なんかつける訳ないだろう?」
呆れたようにため息を零して笑う店主を尻目にロイは頬をひくつかせながら、どうしようどうしよう、と超焦りながら次に発する言葉を考える。ていうかなんでリーシャが俺はここで飲んでるって知ってたんだ、と疑問に思うが、それを質問できるような雰囲気ではなさそうだ、とロイは必死に考える。
勿論、リーシャが街中に飛ばしている監視の目、青い鳥を通して見ていたのだから知っているのは当然だ。それを見ていた結果、大事な会議の最中に膨れたり、微笑んでしまったりもしている。
「……はぁ、まあいいわよ、適当に待っててって言ったのもあたしだし。あんたに善性な行動を期待したりもしてないからね。で、それは置いておいて、あんたが起きるまで待ってたんだけど、あたしが待った時間はどうしてくれるの?」
それを聞いて店主は思わず微笑んでしまう、何故なら店主は寝ているロイを興味深そうにじっと覗き込んでいるリーシャを見ていたからだ。勿論、藪蛇になりそうなので言葉にするようなことはしない。
「そこはかとなく胸に刺さるが……へい店長、彼女にウィスキーを、ロックで」
ロイはとりあえず驕って誤魔化すことにした。分かり易っ、とリーシャは零したがどうにもロイの表情が面白かったようで、くすくすと笑うと、店主から渡された琥珀色で満たされたグラスをくるくると円のような軌道で動かし、液体を上手くかき混ぜる。鼻を近づけると、昇るアルコールの、ウィスキー独特の香りがリーシャを満たす。
「……ふふ、これで許しましょう。せっかくだしご飯も食べて行こうか?」
「お、それもいいねえ。せっかくだ、店主も混ぜて話してやるよ、Sランクギルドのきったねー内情ってやつをさ! まーじでドロドロしてんだもーんヤダヤダ」
「ロイ君、私は他のお客の相手で忙しいからね、リーシャ様とお話をするといい」
空気を読んだのか、それともリーシャの鋭い視線に怯えたのか、店主はそそくさと他にも来店していた客の元へと向かって行ってしまった。なんじゃそら、とロイが呟くも、まぁいいかとばかりにリーシャへ振り返って、キラキラとした目で、自分自身の中で最高の思いつきだと思っていることを相談する。
「聞いてくれよリーシャ、俺、この街で何でも屋やろうと思うんだけど、店ってどうやって出せばいいのよ!?」
「……何でも屋?」
リーシャは琥珀色の液体を軽く飲みながら、眉を顰めて首を傾げたのだった。