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89話

 それはいつの出来事だったか、もう思い出す事はできない。ただただ、懐かしさを感じる。ぐちゃぐちゃに顔を黒で塗りつぶされた”友人”であったはずの彼らが、オレに向けて笑っていた。ああ、顔はもう思い出せない、認識なんてできるわけもない。それでもオレの記憶は確かに覚えていた。彼らは気さくに、オレに向けて笑みを投げかけてくれていたんだと。


「……おいおい、ノア。どうしたんだよ、お前らしくもない。そろそろ旅も終わるんだ、ようやく私達の剣が魔王の首元へ届く時がきた。普段騒いでるお前が静かだと、不安になるじゃないか」


 勇者だなんて呼ばれていた女がそう言った。

 それに対してオレはこう返すのだ。


「黙ってろよ。オレだって感傷に浸ることくらいあるのさ……そうだねえ、オレたちをここまで信頼して送り届けてくれたこの世界の皆に、なんてな」


 かつてオレは魔王を討伐する名目の元でパーティを組んでいた。剣と魔法の才能に満ち溢れた女勇者、■■■■。そして幾たびもその祈りで皆の命を救い続けてきた、華奢な体の癖に強靭な意思を持った癒し手の■■。勇者の隣で大剣を振るう比類なき豪腕の■■■■■■。そして最後に、オリジナルの星天魔術を得て全体の損傷を減らす、魔術師のオレ。


 負ける気持ち? そんなのなかったね。

 勇者はどれだけ傷付いても、ただの一度も膝を突かなかった。癒し手は数多の危機に出くわしても、ただの一度も意思を折らなかった。豪腕はどれだけ相手が巨大でも、ただの一度も怯みはせず太刀を浴びせ続けてきた。

 そしてオレはそんな皆のことを、ただの一度とて信用しなかったことはなかった。

 

 豪腕の■■■■■■が十秒時間が欲しい、そういえば惜しむべくことなく、自分の身を死地へと飛び込ませてでも時間を稼いだ。勇者の■■■■が敵の強大な魔術攻撃に舌打ちをして、アレをどうにかしろといえば全身の魔術神経を焼き尽くす勢いで、その攻撃をどうにかしてみせた。


 だから――魔王の城、そう言われていた場所にたどり着いた時は、思わず呆けそうになった。少なからずとも、生死のラインを踏み越えるか超えないか、そんなぎりぎりの戦いを想像していたからだ。なのにオレ達を出迎えたのは、まだまだ幼い――白のゴシック・ドレスに身を包んだ、銀の髪の少女だったから。

 まだ高い位置にある太陽に照らされて、それは美しく輝いていた。

 

 ……


「――お願いします。どうか、お帰りください。ここから先は不幸しか招きません」


 ただの少女であるわけがない。ただの少女がこんな場所にいていい訳がない。

 緊張の中、豪腕が剣の切先を向けて問いを投げる。


「そなたの進言は、そうですか、と受け取るわけにはいかぬ。我らは数多の思いを託され、この場にいるのだ。すまないがそこをどいてくれ、適わぬのならば、切り捨てる他ないぞ……!」


「……っ、駄目です。お願いだから、これ以上――入ってこないで! 貴方達が私を殺せるならそうして欲しいけど、この場所じゃ絶対に無理だから!」


 戯言を。そう苦虫を噛み潰した表情で豪腕は大地を蹴った。巨大な剣の切先が少女の腹を捕らえ――硬質な音を響かせて、細身の体を吹き飛ばす。響いた異音に対して、オレ達は何かがあると踏み、その場で各々の武器を構え吹き飛ばされた少女へとにじり寄っていく。


「オイオイ、なんだよ今の音。あんなに薄い生地の下に鉄板でも仕込んでました、か?」


「……ノア。希望的観測に縋るのは止めろ。ただの鉄板じゃ■■■■■■の剣の切先は防げまい」


「微かでしたが、魔術の何かを感じました。きっとそれかと」


 むくりと、まるで何事も無かったかのように立ち上がる少女。オレは内心で、マジかよ――と大量の冷や汗を流しながらボヤいてしまう。あの豪腕の一撃だぞ? なんであんな簡単に立ち上がれるんだと。きっと皆、内心で同じ思考をしたのだろう。驚愕の様子が見て取れた。


「随分と軽いな。ああ、境界越えをしてないのか――それは納得だ、頷ける。せっかくのアレの提言も無視するだなんて、人間は愚かなものだ」


 首をこきこきと鳴らすその姿に、オレは背筋が凍る何かを感じた。

 マズい、マズいマズいマズい。アレは何かが違う。それは言葉にできないけれど、絶対にそうだ。

 触れてはいけなかった。あの提言を聞き入れて、オレ達は一度引き返すべきだった。


「おいお前ら、今直ぐ逃げ――!?」


「逃がすか、馬鹿者」


 指を軽く鳴らした。それだけで世界が漆黒のヴェールに飲まれていく――。

 あろうことかソレは、なんの詠唱さえ必要とせず世界の理を書き換えた。漆黒のヴェールは夜だった、圧倒的な光を持つ星星が無限に煌く宵闇の海。それが魔王の城を中心として円形に、莫大な範囲に対して展開されている。


「……ようこそ。夜天の魔王、リリィ・クルーシャの庭へ?」


 頭の中で警鐘が鳴り響く中、オレはそれに従い、全力で防衛する為の魔術を行使する。恐らくはこの夜天の影響か、星天魔術の効率が劇的に向上している――。これまで使った事の無い程の魔力が溢れ、視界が暗転した。

 

 ぐちゃぐちゃ。内臓が掻き回される。見えない腕で五臓六腑を掻き回されていく。何をされているのかが分からない――次第に前後の感覚さえ失せ、四方から体が圧縮されていく。止めてくれ――情けなく言葉を零しそうになったが、それは適わなかった。言葉を出す事さえ許されない。四肢が潰れた。内臓が潰れた。そして心臓が潰――。


「――――っ、あ! アァ!?」


 放り出されたのは赤い絨毯の上。四肢が千切れた痛みに思わず喘ぐが――無意識の内に自分の体を、健在の腕が抱いていた事に気付く。だが、あの痛みは本物だ。幻痛なんかじゃなかった。体が酸素を求めて、ひゅーひゅー、と情けなく音を零す。


「……お前だけか。やはり、境界越えをしていない連中は当てにもならないな」


 ――痛みさえ凍る。お前だけだと。

 それはどういうことなのか。


「運がよかったな。お前はどうやら私と相性が悪くないらしい――」


 視界いっぱいに広がるのは赤い絨毯。周りを見るのが、オレは怖かった。

 凍ってしまって震えさえ止まった身体。時間さえ止まってしまえと、そう感じた。


「おめでとう、お前は宝玉に見初められる権利を得た。永遠の時間の始まりだ」


 赤い絨毯が黒く染まった。それを拒否する気概など、もうオレには残されていない。だってそうだろ? 酷い血の匂いがするんだ。それにあいつは、お前だけ、そう言ったんだ。どんな苦境にも、首元に突きつけられた死神の鎌にも恐れず、歩みを続けてきた連中が、何も声を上げないだなんてある訳がないんだ。


 どうしてオレはあいつらと死ねなかった――ただそれだけを思い、オレの身体は闇へと沈んでいく。最後に視界に映ったのは、仲間だったものの肉片と――光の無い瞳でオレを見つめているリリィ・クルーシャの顔だった。

 

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