87話
黒龍は強烈な息吹を放った後、砂になって消えていった。鱗の一つさえ残さずだ。まだまだ戦いが続くものとを思っていたロイは、あっけない結末に思わず肩を竦めて、ほっとしたように溜息を零す。
その背後に控えているマリアしか知らないことではあるが、あの息吹の一撃で黒龍は己の保有する魔力のキャパシティを超過したのだ。強制的にブーストされた身体に、ありえない超速再生、そして極めつけとしてあの息吹。限界を超えた龍の身体はそれに耐えられず崩壊した。
「……まさか、たったお二人で、最強種の龍を屠ってしまうだなんて。あぁ、貴方に助けを求められたことを、あの出会いに感謝を!」
神に祈りを捧げるようにマリアは地に跪いて、天を仰ぐ。無論――演技の一つである。本当に龍を屠るとは思っていなかった、もしロイが死んでも聖女と祭られている自信が龍を殺すつもりであった。思わぬ誤算――あまりにも、歓喜に溢れた誤算だ。
「ロイ、気をつけろよ」
「あ?」
「――あの女、どうも胡散臭い。根拠を出せといわれれば私の勘としか言えないが……何だか嫌な感じがする」
鞘に刀を仕舞いこんだエリシアは腰に手を当てながら、怪訝な瞳でマリアの姿を見据えていた。ほんの一瞬だ、黒龍と相対していたときにエリシアが感じた一瞬ばかりの奇妙な感覚。それがまだエリシアの中で尾を引いているのだ。
「俺には分からんがな。……でも、お前が言うならあながち外れてもなさそうだ、気をつけておくよ。あとなんか薬ない? あの息吹を握り潰した時にさ、左腕が爆発してんだよね」
赤く腫れあがり、赤い雫を絶え間なく零し続けるロイの左腕を見たエリシアは眉を広める。
「爆発とかいうな……だが、傷は本当に酷いな。応急手当になるか分からんが、少し待っていろ」
そう言ってエリシアは瞳を閉じるとロイの傷口に手を翳す。すると数秒後――ほんの僅かに緑色の光が灯り、ごくごく僅かではあったが、ロイは左腕の痛みが軽くなったのを感じた。こいつは剣の才能だけじゃなくて魔術の才能まであるのかよと嘆息しつつ、呆れたようにロイは軽く笑う。
「……ち、あの黒龍が暴れたせいか精霊が声を聞いてくれない」
「へぇ、精霊?」
「あぁ。ほんの少しだけだが、精霊魔術を使えるんだ。亡霊だった時に覚えてね、魔力を使わないから私でも練習できた――最も、精霊様のご機嫌次第だが」
困ったように陽光色の髪を揺らす。とりあえず街に戻るしかないか、そうエリシアがロイの手を引いて歩みを進めた時だ――マリアが立ち上がり、ロイの元へと歩み寄る。それに対して、エリシアは瞳を細め警戒した面持ちで迎え入れた。
「……何をする気だ」
「安心してくださいませ、悪いようには致しません。――神よ、この者に癒しを」
うん、とロイは首を傾げる。ロイはマリアの見てくれで神官職、アイリスに近い職と思っていた。だがよく見ていたアイリスの治癒魔術の時の祈りの文句と比べて、余りに短いとそう思ったからだ。
だが起きた事象は劇的。見て分かる程の濃厚な魔力の本流が走り、複雑怪奇な魔術の陣が次々と大地に展開されていく。それらはすべて濃い新緑色のまばゆい光を放ち――ロイを、そしてエリシアをも祝福する。
「……嘘だろ、お前、これ」
思わず唖然とした。傷は見る見るうちに癒え、痕さえ残らない。不退転の決意によって引き上げられた力による自傷、それはアイリスの力でも中々拭えないものであったが、マリアのこれは違った。深く根付いた傷でさえも拭い去り――消失した魔力でさえも蘇らせた。
エリシアも驚いたように、吐息を零しながら自身の腕をぐっと握り締める。
「私は仮にも聖女ですよ、ふふ。驚きましたか? 私の祈りは特別だそうで、傷は勿論、精神までも癒すそうなんです。どうですか、楽になりましたか?」
ああ、天使――あの筋肉ゴリラヒーラーとは違うわぁ。そうド失礼な事をロイは考えながら、鼻の下をだらしなく伸ばしつつ、差し出されたマリアの白い手を取るのであった。
……
そしてロイとエリシアは城へと招かれた。聖女・マリアの進言もあり、二人には多額の報奨金、そして褒美が出るという話になった。無論、ロイはだらしない笑みを浮かべてうひゃひゃと笑っていたが。恩賞の話が終わると、暫くの休憩を挟み、夜の帳が下りた頃に恩賞の手始めとして、二人は豪勢な料理が次々と出ている宴へと参加していた。
「おいおいエリシア見ろよこれ、ゼリーみたいなプルプルの中に野菜があるぜ! 食え食え!」
ロイはボロボロになった東国風の服、浴衣を着込んだまま宴会に出席していた。勿論見かねた城の人間から、ドレスコードにぴっちりと当てはまる小奇麗な服を提供されたが、着にくいとの事で無視していたのだ。
「……これはテリーヌだな。生前に食べた事があるぞ、旬の野菜の甘み、そして旨みが凝縮された素晴らしい――おい! そんなバカバカ口に入れるものじゃないぞこれは!」
「……っぷ、んぐ……っぷはー、マジで美味いなコレ。そんなこと言ってないでエリシアも食っとけ食っとけ、高級タダメシだぞ。入る分だけ入れとかなきゃ損ってやつよ」
「今ばかりはお前と並んでいるのが恥かしい……」
嫌そうに表情を歪めたエリシア。それでもそばから離れようとはせず、真紅のドレスを翻しながら優雅に食事を手に取り、味を楽しんでいた。エリシア自身もこれだけ豪勢に贅を尽くした料理の数々は久しぶりだ、食も進む。
「……で、さっきフッた男で何人目?」
「はぁ……まさか死んでから告白されるだなんて思ってもいなかったよ。貴族の性とも言えばいいのか? 周りをよく見れば私より綺麗な女など幾らでもいるだろうに」
この宴会にはロイとエリシアの二人以外にも様々な貴族が出席していた。小さな町ではないのだ、偉い身分の人間など幾らでもいる――そして、龍を屠る綺麗どころともなれば、エリシアに男が群がるのも仕方のない事であった。
「ま、素直に喜んどけよ。内心嬉しいんじゃねーの?」
「馬鹿を言え」
軽く笑い飛ばしながらエリシアは次の料理に手をつける。今度は野菜のほかに、果実も加えられたフレッシュなサラダだ。皿を貸せ、とロイの手元の皿を取ると、もっさもっさとエリシアがサラダを取り分けていく。
「……俺、生野菜嫌いなんだけど。葉っぱ食うとか草食動物か?」
「いや、お前さっきテリーヌを食べていただろう。あれも野菜だぞ?」
「アレは別物でしょ。ゼリーみたいなもんだよ、甘いし。それに比べて葉っぱは青臭い」
「……ネズミの肉と青野菜、食うならどっちがいい?」
「ネズミの肉の方がマシ」
何を言っているんだこいつは、とエリシアはロイの皿に盛ったサラダを仕方なくもりもりと食べていく。そして、不意に思ったのだ。魔力でできている身体の癖によく料理も食べられるし、そして味わう事もできるものだなと。
「……何変な顔してんだよ、エリシア」
「いや、別に。……すまない、少し嘘をついた。私の体の話はロイから聞いたが、よくこんな普通の人間みたいに料理も食えるものだなと思ってな」
どこか寂しげな横顔だった。自分自身の存在がよく分からなくなったのだろう、他人の魔力で構成された身体、他人の身体に依存する自分の精神――それは実際に陥らなければ分からない感情。ロイは自分の茶髪を掻くと、どんな普通に言葉をかけようか迷い――特に気の利いた言葉も思い浮かばなかったので、そのまま腕を、肩を組むようにエリシアへと回した。
「……なんだ、慰めのつもりか?」
「うるせーよ、そういうのに向いている性格じゃねーんだ。……まぁいいんじゃねーのか、それでも。少なくとも俺はお前が居て困る事はない、魔力的にも、人間的にも。それにお前が居てくれた方が助かるよ、ラクできるし」
「最後の言葉で台無しだな……はぁ、これは悩んでも仕方がないって自分でも分かってはいるんだけどな」
苦笑しながらエリシアもロイにあわせるように、細い腕をロイの肩へと回した。
「……剣も持てるし、人間的に生活も送れる、うん。それで満足だ――うん。よしロイ、酒を飲もう。こういう気分は飲んで晴らすのがいいと生前に聞いた事があるぞ」
「おっ、分かってるじゃーん! 酒で思い出した、さっきバカ貴族っぽいツラの奴から聞いたんだけど、この地方はワインが美味いらしいぜ。どうせタダで、一番いい奴を頼もう」
そうして宴の夜が過ぎていく。




