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86話

 圧巻の一言に尽きた。エリシアが掌を躍らせれば、それに追従するかのようにして剣の暴風が黒龍を喰らう。凡庸な一振りの剣でさえ天道剣聖の加護を与えられれば、魔剣に比類されるような切れ味と破壊力を持っていた。

 自由自在にエリシアが舞う。しなやかに、そして、見るものを魅了するかのように鮮やかに。どれくらいにの時間が過ぎたのか分からない程、ロイはそれに見蕩れ――気付けば全ては終わっていた。墓標のように突き立てられた数多の剣。そしてあれだけの再生力を誇っていた黒龍は地に伏せ、僅かさえその身体を揺らしはしない。


「……まぁこんなものかな。どうやればいいか頭では理解できていたが、実際にやってみるとどうにもすっきりしない、私自身が剣を振った自覚がないからだろうか?」


 手に持った愛刀を不満げな瞳で見下ろした後、エリシアはそれを軽く振りぬいた。ごくごく小さな空を切る音――それは遠く、決して刀の間合いではない位置にあった黒龍に鋭い斬撃を浴びせた。ずん、と巨躯を二つに分かち、大地へと沈んでいく。


「お前、そんなのあるなら最初から出せや。追い詰められないと秘奥の類を出さないのは三流だぞ? その間に殺されたらどーすんだよバカ」


「ははは、慣らしだよ慣らし。私だって実際にこの身体を得てから殆ど剣を振っていないし、まだ出してみたい技くらい沢山ある。その中でも、秘奥に頼らない基礎技術が一番気になっているからな」


 もっとも、と眉を八の字にしながらエリシアは苦笑して言葉を続けた。


「……まだまだ身体がついてこない感じがある。技は出せても、前提となる筋肉も、そして魔力の引き出し方も伴っていない。暫くして身体に慣れれば別だろうが」


 へーあれだけ動けてまだまだついてきていないと。呆れた様に苦笑いを見せたロイは、ゆっくりと黒龍に近付いていく。全身を切断され、既に形を保っていないそれは圧倒的な暴力の痕。エリシアが振るった力の一片に僅かな恐怖さえ抱きつつ、念には念を入れ、雷魔術で更に焼いてしまおうとロイが掌を向けた瞬間にそれは起きた。


「は……?」


 肉塊だったそれが急速に再生を始めた。いや、急速という言葉すら生温い。まるで爆発したかのような衝撃が走ったのだ。緑の稲妻を放ちながら再生したそれは、元の龍の姿をしていた。――時間が巻き戻ったかのような完全回復。

 大きな雄叫びを上げたそれは、巨大な翼を広げ真っ赤な口腔をロイへと向ける。常軌を逸した出来事だった。これがもしも天才であれば一瞬で体勢を整えられたかもしれないが、奇しくもロイは凡人だ。刹那の間に放たれた黒い稲妻、それは最強種が持つ息吹。辺りの魔力素をぐちゃぐちゃに取り込んで迸る息吹はあらゆる魔術的防御要素を破壊する――。


「(――さぁ、どうしますか)」


 その背後ではマリアが薄く笑みを浮かべていた。勿論、あそこまで傷付け殺されたのだ。幾ら龍種といえど、今の事象のような馬鹿げた回復なんてできるわけない。

 全てはマリアの仕業だ。今、黒い龍はその死骸をマリアによって操られている。陰属性のネクロマンス、死者の身体を自由に操る、死と生を冒涜するかのような魔術の一種だった。


「(避けれそれでよし、直撃もそれでよし。その時は死ぬ間際で私が受け止めましょう、仮初と言えど、積み上げた聖女の冠さえあれば全てはそれで納得される)」


 要は試しの一つだ。これを突破できるかできないか。ノアはマリアを殺せる可能性、そういっていたがマリア自身がその言葉を信じてはいない。ヴェルハイムであればエリシア程の腕があれば殺せる可能性はあるにしても、マリアの専門分野は魔術だ。距離さえあればマリアは絶対に負ける事はない。

 それほどの圧倒的自身と、誇りをマリアは胸に抱いていた。


「(さぁ――私を殺せる可能性を見せてください、今、ここで)」


 エリシアも間に合わない。ロイに打つ手は存在しない。

 息吹の特性――大気中の魔力素をぐちゃぐちゃに取り込むそれを知っているロイは、眼前で炸裂した黒炎を前に思考を巡らせる。魔術以外でそれを防ぐ術がないか、時間が引き延ばされたかのような錯覚を抱きつつ、必死に頭を回す。


「(魔術――無理、構築しても息吹に喰われて終わる。剣術――俺にそんな腕は無いし剣もない、盾――んなもん持ってねぇ、錬金術――あんなモン何で構築されてるか分からねぇから分解なんて無理、祈祷――神様に祈るなんて論外、儀式――こんな刹那で終わる儀式なんてのは儀式じゃねぇ!)」


 無理。ただそれだけの結論が導かれる。そして走馬灯のように頭を過ぎりだす過去の景色――たった一人きりだった世界で、先生に手を引かれたあの景色をロイは脳裏に見た。臓腑と、焼けた平野で絶望に項垂れていた自分を救い出したの光景を、ロイは見た。


「(……マジかよ、マジで死ぬのかよ)」


 なんて安い死だ、そうロイは思った。そして相反するかのように――まだ誰も救えていないじゃないか、そう感じた。ロイが自身の根源的な有り方を理解した瞬間だった。今まで、先生に手を引かれてから深層心理で眠っていた、己の有り方を引き出されたのだ。

 脳裏で、過去の亡霊となった先生が、ロイへと語りかける。


『それはそう使うものじゃない。ステータスの上昇? そんなものは只の結果に過ぎない』


 ロイにはそれが何を示しているのかわからない。

 それでも、囁きのようなそれに、必死になって耳を傾けた。


『意思を曲げるな。お前はそうするだけでいい。決して折れない意思を持ち続けろ』


 意味が分からなかった。ステータスの上昇以外に、ロイが継いだアビリティである不退転の決意の使い道があるだなんて考えすらしなかった。


『不退転の決意はただの暴力じゃない、意思の力だ。分かりやすく言葉で説明すれば――それは結果を得る為の動力源。お前の意思が折れない限り――常に意思に基づいた未来を選択する。あらゆる要素を覆し、未来を取捨選択し、得る。……言っている意味が分かるか?』


「(おいおい、耄碌したかよ先生――んなもんがあるなら、とっくに俺は英雄になってるんじゃねーのかよ。あの天才連中みたいに)」


『お前がそれを望んでいないだけだ。お前が得ようとしているのは誰かを助けてあげた、救ってあげた、その快感だけだよ。エゴの塊だ――それでも、俺はそれを望ましく思うよ、ロイ』


 鋭い言葉のナイフ。


『ならばロイ、お前がここですることは一つだろう』


「(……俺を、エリシアを、マリアを救う)」


『いいや、違う』


 走馬灯の中の先生が一歩近付いた。奇妙な違和感を持つその動作に、ロイは一歩足を引こうとした。だが所詮は走馬灯――引くことなどできず、徐々に、徐々に、先生が近づいてきて――僅かに吊り上げられた頬で、囁いた。


『――殺す意思だ。お前達に害を為すのは黒龍だろう。ならば殺せ、立ち塞がるものは全て殺すといい。これからの未来を取捨選択するんだ、その使い方が一番正しいんだよ、ロイ』


 確かにそれが正しい。殺してさえしませばもう二度と壁になることはないから。長い長い走馬灯を視終えたロイは――迫り来る息吹に対して、左手を突き出した。先生が言っていたことが正しいなら、不退転の決意は無謀な挑戦でさえも、未来を掴み取ると言うのだ。ならば――出来ないわけはない。


 青い稲妻が迸り未来を得る為ステータスが加算されていく。ステータスの加算で足りなければ望んだ結果を得る為に因果さえも捻じ曲げていく。突き出されたロイの左腕が黒龍の放った息吹と衝突し、そして握り潰した。ぼぎゅんという奇妙な音を響かせ、黒炎のような息吹は消失し――ロイの左腕から血飛沫が弾け飛ぶ。

 襲い掛かる強烈な痛みを無視して、ロイは苦笑した。


「……演説どうも、先生。でも痛くない結果って選べないのかよ、クソ」


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