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79話

 始まりの合図などない。エリシアでさえ反応が遅れるほどに老剣士の抜剣の動作は静かで自然なものだった。音もなく姿を現した刀身は純粋無垢な白銀、幾多の年月を得て尚、その輝きを失う事はない名剣。ヴェルハイムはゆっくりと、緩慢にも見える所作で一歩を踏み出した。

 ――そしてその場から消え失せた。少なくとも、周りの観客からはそう見えた。


 例えるならば不可視の一閃か。凄まじい速度で振るわれたヴェルハイムの正面からの一撃を、エリシアは構えた刀を僅かに斜めへ傾かせ受け止める。歪な金属音と火花が散り、相手の圧す力を利用して真横へと一閃を流していく。

 ヴェルハイムは瞳を見開きながらその鮮やかな流しの技術を見た。今まで経験してきたどんな戦でも、そしてどんな決闘でも、自らの一撃がこうも鮮やかに、児戯のように遊ばれるだなんてことはなかったから。


「……試しなど不要かと」


 確かにヴェルハイムはエリシアが本物か見極める為、僅かばかりではあったが手を抜いた。だが、それが高ぶっていたエリシアの怒りに触れたのだ。一閃を流しきったエリシアはそのままヴェルハイムの懐へ潜りこみ、腰の回転と踏み出した勢いを利用し、老躯の心臓の位置を強く右肩で穿つ。


「ぐ……!?」


 思わず蹈鞴を踏んだヴェルハイム。呼吸が止まりそうな衝撃を堪え、僅かに伏せた顔を上げた先には――瞬きすら惜しいと思う、踊り狂うような剣の暴風。即座に自らのギアを最大へ引き上げたヴェルハイムは、殆ど同時に襲い掛かる銀の閃きを寸分違わす自らの剣で払いのけていく。


 その光景を見ている観客席。ロイ以外の冒険者や、たまたまこの場に居合わせた職員らはその剣戟にすっかり視線を奪われていた。決して彼らに視える速度ではなかったが、響く金属音、そして迸る鬼神の如き剣気が、視線をはずす事など許さないと彼らに訴えかけているのだ。


 ――天才同士か。ロイだけはその光景を見ることもせず、ただ瞳を閉じて静かに思う。天から授かった他の追随を許さない才を持ちえているもの、それが天才。何度も何度も羨んだが自分にそのような才などなかった。今でこそ自分の限界を理解して諦めてしまって入るが、やはり目の前で何度も何度も見せ付けられれば、少しは嫉妬する気持ちも沸いてしまう。


「……俺の回りにゃそんな奴らばっかりだわな。エリシアにリーシャにフィア、まだ花開いてはないけどハルもか。アイリスも直ぐSまでいきそうだし。お仲間ってーと、あのフレイくらいか……いや、あいつも剣だけで言えば俺じゃ届かないか、カッスのくせに」


 事実だ。純粋な剣技でいえば、ロイではフレイには届かない。不退転の決意による暴力的なステータスの上昇、そして今まで戦場で生きてきた経験があってこそ、ロイはフレイに勝つ事ができるのだから。先生と出会ってなかったら、不退転の決意を受け継いでいなかったら、そこらへんで死んでるか、腐って引きこもってたわな――そう苦笑いし、ロイはぽつりと、珍しくも弱気とも取れる言葉を吐く。


「あいつら、元気にしてるかね……」


 ……


 時、場所、世界変わりて。

 静まり返った朝の病棟、その一室では複数の影が沈痛な面持ちでそれを見ていた。


「……何をしているんだ、お前は」


 くしゃくしゃと自らの黒髪を掻き毟りながら、フレイは悲痛とも、怒りとも取れる声色でぽつりと呟いた。目の前でベッドに横たわる肢体には数多の管が繋がれ、横に並べられた機械からは規則的な電子音が響いている。青色、緑色、様々な点滴がその肢体――酷く冷たくなり、青白くなったロイ・ローレライの身体に流れていく。


「朝、ハルちゃんの所に運ばれてきたらしいわよ、この馬鹿は。道路で死んでたらしいわよ――今は心臓も動いているけど。でも、アイリスが本気で治癒してこれだから、どうなるかは分からない」


 言葉尻を震わせながら淡々とリーシャは事実を告げる。この部屋に立っていたのは、リーシャ、ハル、フレイ、ハウエル、――急遽業務を休み、足を運んできた受付嬢のフィル、その四名だった。アイリスは治癒に魔力を使い果たし、これ以上は後遺症が出るというところをリーシャに止められ、今は別室で寝かされている。


 部屋の片隅ではハルが――いや、フィアがぶつぶつと山積みにされた書籍に眼を通しながら瞳を金色に輝かせている。完全治癒薬の効能、そしてその派生について調べているのだ。時間が惜しいとばかりに、ハルと協力し文献の記録と、真理に対してアクセスを行い余りにも大きな情報の海から、ロイを救う手立てを探っている。


「でも、ロイさんなら……大丈夫ですよね。何度も、何度も、負け戦から帰ってきた人ですよ、勝利をもぎ取って、へらへら笑いながら」


「――フィル。それは希望的観測よ、そんな空想に縋るのはしないほうがいいわ」


「でも、リーシャさん!」


 ああ、縋りたいのは自分だってそうだ。リーシャは強く奥歯を噛み締めながら整理した現状を振り返る。確かにロイは何度もそれを行ってきた。そこはフィルのいうとおりだ。だが――何のアビリティか分からないが、何度も奇跡的な力を出してきた時に発現するはずの、あの青い稲妻がない。

 それがないということは、今のロイはただの人間も同然。

 奇跡を起こせるはずだなんてないのだ。


「あたしは仕事に戻るわよ――何かあったら教えて、フィア」


「――ん、あぁ、わかった」


 それだけ言うと、リーシャは銀髪を翻して部屋を出て行ってしまった。そんな、とフィルがその背を追おうとしたが、ハウエルの大きな手がその肩を掴み、静止させる。きっとフィルが強くハウエルを睨み付けた。


「……あまり、突っかかるでない。ああ見えて、一番堪えているのはリーシャじゃないかのう」


「でも……!?」


 その直後、リーシャが出て行った扉の外から、ずどんと大きな音が響いた。やはりな、とハウエルは溜息を零し、フィルはびくっとその身を震わせる。それとは対照的に、フィアは軽く舌打ちをすると、邪魔をするなとばかりに音の出先を睨みつけ、再び情報の海へと溺れていく――。


 扉の外では、少し歩いた先の廊下で、青い紫電を纏わせた拳を壁に叩き付けたリーシャが立ち尽くしていた。その傍には氷の原初の精霊――セルシウスがふわふわと宙へ浮いている。


「貴女、ここは病院というところだ」


「知ってるわよ」


 銀の前髪の下では赤い瞳が大きく揺れている。


「――私も見はしたが魂がない。あの身体は虚無の有様だ」


「ええ、聞いたわ」


「そうか」


 精霊は特殊な瞳を持つ。特に原初の精霊ともなればその効力はとても強い。文献の中でも一部にしか記載がないその瞳の名前は精霊眼。魂のありようを見定める、精霊が精霊である為の瞳だ。それで見たのだ、セルシウスが言うのであれば――魂がないというのは事実なのであろう。

 だがそれでも、リーシャは納得できていない。先ほどフィルに自らの口で否定するような事を言いはしたが、その実、希望的観測に誰よりも縋っていたのはリーシャ・フローレスであった。


「――セルシウス、仕事の予定はすべてキャンセルよ。知恵を貸して」


「構わないが……何をするつもりだ」


「手段はこれから選ぶ。時間を巻き戻してもいいし蘇生させてもいい。禁忌だなんてクソ喰らえ――ああ、もしもセルシウスがそんな契約者を嫌うなら、あたしがこの場で契約を破棄するわ。それでも、エレノアの浄化作業は続けるから安心して」


 原初の氷の精霊は驚いたようにリーシャを見つめた後、軽く笑みを浮かべる。


「それは――面白そうだ。貴女に付き合おう」


 最高ね、そうリーシャが小さく笑みを浮かべ、病棟を出る為に出口へと向かった瞬間だった。まるで警報の様な鐘が鳴り響きだしたのは。ここ数年では一度も聞かなかったそれは――外敵の襲来を告げる、戦の始まりを告げる、災厄の鐘の音。なんでこんなタイミングで――うっとおしい、頬の端を歪めたリーシャは、街中を飛来する自らの使い魔である青い鳥に視界を転換する。

 高く飛び、そして大きく周囲を見渡した。その先に見えたのは――鈍い色合いの機械の軍勢。


「――機械の国、東国」


 ロイの不在を知っていたかのようなタイミングで、東国は戦の引き金を引いてきたのであった。

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