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76話

 大きなダブルベッドを視界に納めたエリシアは、小さく咳払いをすると、そのまま背負っていた鞄や手荷物を木製のテーブルの上に置いて、備え付けられていた硝子の水差しに水を注ぐと、同じく硝子のグラスへ水を入れて、一気に飲み干した。


「まぁ、良くあることだな。良くあることなのだろう――気にしないでいい」


「……いや、なんで俺が気遣われているんだかわかんねーが。まぁいいや、さっさとアリーナ? だったか? そこまで行こうぜ。場所が分からないと事の際に手間だから俺も行くからよ」


 変な雰囲気にならなくて一安心したロイは、エリシアに習い手荷物を同じ机の上に置くと、腰に刺した二本の剣の鞘を確認して、そのまま部屋を出ようとし、エリシアに呼び止められる。


「少し待て。有事の際と言うなら落ち合う場所と時刻も決めよう。……そうだな、今がまだ朝の十一時だ。夕刻――十七時までにこの部屋に必ず戻る。戻らなければ有事と判断する、それでどうだ」


「ああ、それいいでいい――ていうかこの宿、部屋に硝子の水瓶やら時計まで備え付けかよ。あいつ、安宿なんかじゃなくて相当いいところ選びやがったな」


 ま、悪い気分はしないが。ロイは一人呟き茶髪をぼりぼり掻きながら、頭に十七時ね、と叩き込むとコートを翻して部屋を出て行く。それについていくかのように、エリシアも部屋を出た。

 軽く受付のお姉さんと会話をしてアリーナの場所を教えてもらい、鍵を預けると、そのまま二人で並んで街中を歩き進んでいく。ずっと深い森の中、自らの言葉魔術で世界を騙し続けていたエリシアはその光景が珍しいらしく、軒先の出店、そしてロイにとってはなんでもないような八百屋にまで興味を示していた。


「……なぁ、エリシアってあんまり外に出た事ないの? まだ生きてた頃とか」


「ああ、殆ど無いな。いくら剣に関しては天才的とは言えど、体質が体質だったから。歩けば数分で息切れ、剣も直ぐに振れなくなるし。付き人とあの屋敷の中を散歩するくらいだったよ――おお、見ろ。たくさん果実が並んでいるぞ」


 瑞々しい赤いりんごだった。その隣には野菜や、他の果物まで揃っている。自然が近いからだろうか、どうやら自然の加護を思う存分に受けて育ったであろうそのりんごは、エリシアには美しく赤く輝いて見えていた。


「あっ、いらっしゃ――」


 店番をしていたおばさんが言葉を発し――それを途切れさせる。まじまじとエリシアを見つめると、思いもよらぬ言葉を発した。


「あんた、昔話に出てくるエリシアさまにそっくりだねぇ。なんだい、生まれ変わりかい?」


 ロイはその発言にぴくっと眉を潜めると、すぐさまエリシアの前に立ち、会話に割ってはいる。


「ああ、よく言われるよ。しかも名前まで似ているんだ。なぁ――エリィ?」


 その意図を察したのだろう。エリシアはこくりと頷くと、店番のおばさんの前に座り込み、朗らかに笑いながら問いかける。


「――それは褒めていただいているのですかね? りんごを一つください。そして、よろしければその――エリシアさま、のお話も聞かせていただけると」


 腰のポーチから古い銅貨を二枚取り出すと、エリシアはおばさんの手を両手で包み込むようにそっと手渡す。あらあら、丁寧に、とおばさんは顔をくしゃくしゃにしながら笑うと、エリシアの手にりんごを二つ、押し付けるように渡した。


「私、一つって言ったと思うのですが」


「いいんだよ、何かの縁さ――おまけしとくよ。それで、エリシアさまの話かい?」


 ――りんご一つで銅貨二枚か。軒先に出ていた看板に記載されていた値段を横目で見ながら、エリシアと同じく目の前で屈むロイ。そのままロイは、エリシアは実在していた人間だしこうなるのも当然か。寧ろこの街にきて今まで良く突っ込まれなかったな――そう思考して苦く笑みを零す。


「ええ、私達は冒険者で……どうにか友人の手を借りてこの街まで来たのです。風土に疎いもので、暫くこの地で過ごす間にでも、この街のことを知り、理解したかったのです」


「この御時勢に真面目だこと。……エリシアさまはね、昔この町にいた女の子だったらしいんだよ。あたしゃ昔からこの町に住んでてね、一度貴族連中が反旗を翻して、街として機能しなくなった時があったんだ」


「……ふむ、魔物とか、そういうもののせいでしょうか」


「ああ、そうだろうね。詳しいことはあたしも知らないけど――そのタイミングで街は崩れたのさ。体制も政治も何もあったものじゃなかった。それでも残った連中が奮起して、どうにか立て直して、発展していったのが今のこの街さね」


「なるほど」


「で、なんでそんな上手く建て直しがいったかって、貴族の兵が当時にはまだあったダナン家を襲撃した日に全員が死んだんだよ」


 ロイには分かる。エリシアが殺された日だ。

 その日にエリシアは全てを呪う言葉を吐いて、迫ってきた騎士全てを殺した。


「ダナン家は酷い有様だったらしい。言っていたよ、たまたま残された――いや、運よく生き延びた当時のダナン家の人間がだけど、エリシアさまの死体だけが見当たらなかったって」


「……」


「それからさ。あたしみたいな、昔から住んでた連中の間で噂が流れ始めたのは。エリシアさまがその実を持って不正たる騎士に裁きを下した、とかね。伝えられている容姿があまりにもあんたと似ていて、ついつい聞いちまったよ」


 あたしも聞きかじりだけど伝承みたいなものだから、昔からいるじじばばに聞けばもっと詳しく教えてくれるよ――そう最後に喋ると、ばあさんは他の客の対応を始めてしまう。恐らく聞けるのはここまでだろう、エリシアはそう判断して――教えてくれた礼に、と銀貨を一枚こっそりと置いて、立ち上がり、八百屋の前を後にした。


「……お前、伝説になってるじゃん」


「まさかそんな出来事が起きているとはな。……まぁ、この街が建て直せる切欠になっていたのは悪くない気分だったよ。あれくらいの内容なら名前を騙る必要はないと思うが、どう思う?」


「あーね。咄嗟に割り込んでエリィなんて言ったが、騙る必要はないだろうな。広く熱狂的に伝わっている訳でもなさそうだし」


 エリシアはおまけしてもらったりんごを一つ、ロイに手渡した。さんきゅーと受け取ったロイと共に、二人並んで甘みが溢れるりんごを齧りながらアリーナ方面へ進んでいくと――道中で武装した男三人組とすれ違う。ロイもエリシアも剣を手にして戦う人間だ。その三人組の腰や背に下げられた――豪華な鞘へ思わず目が泳いでしまう。

 ひょえー、鞘に宝石かよ、魔剣か? 金持ちはいいねぇ、と嘆息するロイ。逆にエリシアは――あっと、しまった、というような呟きを零した。


「……おい、何した。今のはそういうタイプのやつだったぞ」


「いや――私は悪くないぞ。あの三人が弱すぎるのが――」

 

 そうロイにとっては良く分からないことを呟いたと同時に、すれ違った三人の武器であるはずの剣が震え始めた。突然の出来事に慌て始めた三人組であったが、武器を押さえつけようと手を伸ばし――その腕が青い稲妻と共に弾かれる。

 剣がそのまま稲妻を纏いながら宙を直線的な軌道で踊ると――最終的にエリシアの目の前で、自らの主を見つけたかのように、石畳の上へと突き刺さった。それはまるで焦がれ続けた主に、頭を垂れる忠信のようであった。


「――おい、お前!」


 怒声が飛んでくる。エリシアは頬の端を震わせながら、眉を潜めてロイへと振り返った。


「すまない、どうやらあの三人が弱すぎて剣が自ら私の方にきた。どうすればいい……?」


 突然の出来事に騒ぎ出す街の人間。悲鳴交じりのそれを聞きながら、ロイはどうするって言われても――と頭を悩ませたが、良い考えが閃いたとばかりに手を叩くと、性根から腐っている顔をしてエリシアの耳元でプランを呟いた。


「……俺もお前も今回は悪くねぇ。ましてや武器に見放される人間にやる慈愛も今は無しだ――全力でカモるぞ!」


「なるほど、それもありか。喧嘩を売ってきたのは向こうだからな――!」


 どうやらエリシアは公正であるべき者の不正は許せないらしいが、今回のように相手に非がある場合はカモる等、多少不誠実だろうことをしても問題はないらしい。まぁ冒険者の常だ、今日この場所を剣を持って通りかかった不運を恨んでくれ――そうロイは早くもエリシアの扱い方を把握し始めながら、一歩だけその場所から離れたのであった。

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