73話
さあ、旅立ちの時だ。陽光のような髪を風になびかせ、瑞々しい風と、燦燦と降り注がれる太陽の光の下でエリシアが片手を掲げた。中庭に残された使い手を失くした名剣達が空へ舞い上がると――まるで墓標のように石畳の上へと突き刺さっていく。
それを見届けた後にエリシアはそっと言葉を風に乗せた。
「――言ってくるよ、アルフ。それに仕えてくれていた皆、そして――父さん、母さん」
別れの言葉だ。
「叶うならば――永遠の時を変わらず過ごしてくれ。誰も訪れないまま、そっとこの場所で」
祝詞が告げられた。するとまるで今まで過ごしていた屋敷が夢幻であったかのように景色へと流れ出し、エリシアにも、ロイにも認識できなくなっていく。それを見ていたエリシアは言葉に出来ない思いを胸に詰まらせながら背を向け、ロイへと振り向いた。
「さぁ、行くか。あと二十九日なのだろう?」
「――ああ、そうだね」
そうして二人は駆け出す。一人は元の世界へ帰る為の二歩目を、そしてもう一人は新しい生の一歩目を。
……
ロイとエリシアはただひたすらに森の中を駆けた。時には出くわした狼を一刀で屠り、時には邪魔な大木を切り飛ばし。川を見つければ喉の渇きを癒し、そして火照った身体を冷やし。全てがエリシアにとっては新鮮な出来事で、眩しくて仕方が無かった。
夜に成れば夜行性の鳥の声を聞き、しんしんと灯る焚き火の熱と明かりにひと時の優しさを感じた。初めて迎えた身体で見た月の光はどこまでも済んでいて、美しく輝いていた。
――あっというまの一晩が開ければまた走り出す。僅かばかり疲れが残っていたが、回復した量は以前の比ではない。羽根のように自身の身体が軽く感じたのだから。そんな気持ちで駆け出していたら、二人は森を抜け――鮮やかな緑が広がる平原へと辿り着いていたのだった。そしてその先には――大きな街が見える。
「……私の記憶とは少し見た目が違う。知らぬ間に発展したか、或いは一度終わりまた始まったか。どうするロイ?」
思案するかのようにエリシアはロイへと問いかける。だがロイがそんな考えるだなんてすることもなく、前に歩き出す事によって答えとした。ま、行かなければ始まらないしな――そう、くっくっとエリシアは笑うとその背を追っていく。
どうやら向かっている場所は――正門らしい。どうやら揉め事が起こっているようで、近付けば近付くほど――大きな声が耳へと入ってくる。なんだなんだと更に近寄れば――門番であるだろう、鎧を纏う兵士と、商人の風体の男が言い合いをしていた。
「……だからなんど言えば分かるんだ、いつからこの街はこんなお粗末な衛兵を門番へ据え置いた!? 通行証はあるだろう、早く通せ!」
「だから言っているじゃないですか……これは期限が切れている! 期限が、切れているんだ!」
あーあーめんどくさそうだ。ロイは溜息を零すと別の門がないか、街の外周を辿ろうとしたところで――目ざとく、その姿をみつけた門番がその背中へと声を掛けた。ねっとりとした嫌な声の質だった。
「……おい、そこの。門はここにあるぞ?」
「あー? こっちに用があんだよ。少し黙ってろ」
「ほぉ? 先に言っておこう、通行証がなければここを通るには、確か、金貨二枚――」
ふざけんじゃねーとロイが腰の剣に手をかけようとしたところで、それよりも早く隣にいたエリシアが――腰の刀に手を掛け、閃光のような速度で抜刀し峰で兵士の頭をごんと打ち抜いていた。
「――ほざくなよ。金貨が一枚幾らの価値があると思っている?」
盛大な金属音を放って大地を転がっていく兵士。えぇ……とロイは苦笑いして転がっていった兵士へと近寄っていった。その間もエリシアは酷く冷めた瞳で、転がったままの兵士を見下し続けている。
「お前、仮にも騎士なのではないか? なのにその体たらくは一体なんなんだ? 金貨一枚は一般家庭であれば……三ヶ月相当の給金だぞ。そんな暴利がまかり通るとでも思っているのか?」
――騎士に殺されたエリシアは騎士の愚行を許せない。心中に燃え盛る怒りを抱きながら、返事が無い騎士の首元へ刀を添えようとしたところで――ロイの革靴がばっこーんと兵士の頭を蹴っ飛ばした。エリシアの一撃ほどにではないにせよ、僅かながらも不退転の決意を発動させた上での蹴りだった。
「無駄に剣を振るうなよ、エリシア。クズに振るうにゃお前の剣は勿体無さ過ぎる」
「……ふん」
納得はしていないが渋々とエリシアは鞘へ刀を納めた。あーあー苛立ってまぁ、と苦い笑みを浮かべつつもロイは呻き声を漏らした兵士を仰向けに転がすと、兜を無理やり剥ぎ取って、おいすーと屈みこんでいく。
「なぁ、兵士ちゃん。俺達来たばかりで金が無いんだよ……お前がやってたことは黙っててやるから、ちょーっとばかり未来の英雄にお布施する気分にならない?」
「ば、馬鹿な事をしたな、貴様ァ……た、だで済むと――ひぃっ!?」
素直にお布施する気がないと知ったロイは呆れたような笑みを浮かべ、腰の剣――レグルスを鞘から引き抜いて大地へと差し込んだ。黒曜石のように煌いた刀身に魔力を流し込めば、たちまちのうちに闇が刀身からぼとりと零れ落ち――じんわりと、その闇溜まりを大地へと広げていく。
「三つだ。三つ数えてやる。お前の気分が変わるといいな?」
極悪人のような笑みを浮かべたロイとは対照的に、悲痛な表情を浮かべた兵士が悲鳴を上げようとしたところで――門の中から一人の男が、ぱちぱちと乾いた拍手をしながら現れた。金の短髪にラフなジャケット、そしてタイトなズボンに皮のサンダル。目は垂れていたが――その奥の瞳は黒く輝き、鋭く、威圧感のようなものを辺りへ漂わせていた。
「……クールだね。悪いけど現行犯だ、その身柄はこっちで貰いたい」
「……誰だよお前」
「んー、そうだねぇ。この街の権力者――ああ、それじゃあつまらないか。やっぱりやめた、ただの冒険者さ」
固目を閉じ無邪気に笑みを浮かべたその男は、ロイではなくエリシアの元へと歩いていく。なんだなんだ、とロイは地面に転がった門番の鎧の上に腰を降ろすと、その金髪の男が何をするか見物し始めた。見物とは言っても何をするかは分からないので、直ぐに動けるよう不退転の決意を発動させてはいたが。
「……なんだ、お前は」
「綺麗なお嬢さん、君――幾らでオレに抱かれる?」
げっとロイが顔を歪めるが――それよりも早くエリシアの刀が抜かれた。首元に突きつけられた冷たい刃、その感触をまるで味わうかのように金髪の男は歓喜の笑みを浮かべる。
「……侮蔑の言葉と取ったが」
「なーに、本気なんだけどね? ああ、君が駄目なら――どうだい、そこの茶髪の君。オレ、男相手もイケるんだけどどうだい、幾らで買われる?」
にっこりと笑いながらロイへと振り向いて、指を一本、二本と折り畳んでいく。それにはエリシアも困惑の表情を浮かべた。一体なんなんだこの男は、何を考えているんだと。最も貞操を狙われたロイとしては冗談でもたまったものではない。即、不退転の決意の出力を上げると、黒曜石の剣――レグルスを金髪の男へと向けて、ぞっとした表情で声高に叫ぶ。
「おいおいおいおい冗談じゃねーぞ。まだ可愛いぼいんの姉ちゃんに掘られるならマシだけど、てめえみたいなイケすかねークソ男に俺の貞操やるわけねーだろうが!?」
「なっ……!」
はっとエリシアは自分の胸元を見る。多少はあるが――ぼいんと言うほどではない。これはどうなのだ、ロイの良いと思うラインを超えているのか――そんな思考をしたところで、何を考えているんだ、とぶんぶんと首を振った。
「……はぁー、まぁいいけど。君を買う買わない、それは兎も角、ちょっとやりすぎだと思うよー二人とも。剣は抜いちゃダメだよ、剣はね」
面白そうに二人の様子を見た男はけらけらと笑ってそんなことを言った。そして、ああ、挨拶もまだだったね、と独り言のように呟くと――笑みを浮かべながら男は優雅に一礼をする。
「ハジメマシテ、お二人様。しがない運び屋、ノア――だ。ああ、貴族だなんて良い御身分じゃない。姓はないよ」
顔を上げたその男、ノアは優しく言うと――首元から僅かに零れた赤い雫を指で救うと、舌で舐めながら吐息を零すかのように薄い笑いを零したのだった。




