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72話

「……おいおい、クソ汚れてるじゃねーか。お前、掃除しないの?」


「幽霊だったんだぞ。掃除なんてすると思うか?」


 エリシアの書斎に通されたロイは目の前に広がった光景に、思わずうへえ、と苦い顔をする。積み重なった服と服、そして本の山。部屋の隅には埃を被って放置されている剣の山があった。


「ていうかエリシア、お前剣を愛しているんじゃねーのか。あの剣、埃被ってるぞ」


「あれを剣という方が剣に失礼だぞ。昔の戦の名残だ、山中に放置されていた剣を拾い集めてきただけさ」


「へぇ、健気な事で」


「……それしか出来る事がなかったからな。せめて、住んでいる屋敷の周りくらいは綺麗な自然であってほしいから」


 苦笑しながらそういったエリシアは、ああ、でも亡霊だし住んでいるというのか? と首を傾げつつも旅支度を進めていく。実体として存在はしていても殆ど使われることはなかったのだろう、掘り出した背負う鞄も、革袋も、そして厚めの白いコートでさえも、須らく埃を被ってしまっていた。


「ロイ、お前はこれを使え」


 おっと、とロイは投げ渡された――エリシアが掘り出した白いコートと意匠が良く似ている、茶色の革のコートを受け取った。ついていた埃を手で払い、そしてそのまま袖を通す。昨日、風呂に入るときに渡された浴衣の上に着込んでいるので、多少見た目は不恰好であったがロイが満足するほどには質がよかった。


「なんかこれも高そうだけど、貰っていいのかよ」


「構わん。どうせ私は使わないし、ロイが着ろ」


 さんきゅーとロイがいうと、そのままポケットの位置等を確認したりし始める。特徴的なのは肘の位置に仕込まれていたボタン留めのポケットだった。細長いそれは魔術を発動させる魔方陣、或いは錬金術を発動させる為の練成陣、それらを書いた紙を仕込むのに丁度いいサイズだったから。


「……随分と、実践向けなのね。肩が動かしやすい縫い方、おまけにこの肘のポケット。大衆向けには思えないし、この革も随分といい奴だろ」


「ああ、わかるか? それは私の父が頼んでいたコートだよ、両親は元々冒険者上がりで、龍種を討ち取った功績で貴族まで駆け上がったからな。その時、お揃いで頼んだのがこの白のコートと、ロイに渡した茶色のコードだ」


 赤いパーティ・ドレスの上に白いコートを着込んだエリシアはロイの元へと近付くと、コートの襟裏を捲くる。するとそこには、リチャード・ダナンと刺繍がされていた。人様のコートだったのね、と苦笑いしながら、ロイがエリシアの白いコートの襟元に手を出し捲くると――やはり同じ様に、ヘレン・ダナンと刺繍がされていた。


「リチャードさんに、ヘレンさんか。……すんません、このコートは俺が大事に使わせてもらいます」


「そんな気を使うなよ。……それよりロイ、お前はコートの下の浴衣、どうするつもりだ?」


「ああ、これね。正直、あの夜に貰った一式でもいいんだけど、こっちの方が動きやすくて好きなんだよね。特に肩の辺りが狭いと落ちつかねーんだわ」


「ま、服装は任せるが――何せ残っている実践的なものなんて後は鎧くらいしかない。好きにしてくれ」


 そう言うとエリシアは書斎の中から色々なものを取り出すと、それを次々と鞄へ詰め込んでいく。その姿が余りにも楽しい、いや、何かを期待する子供の様に見えて、思わずロイは笑ってしまった。エリシアが準備を終えるまで、お願い事前借した甲斐があったねぇ、とロイはその姿を眺めていたのだった。


 準備を終えたエリシアの姿はなんともちぐはぐなものであった。赤いパーティ・ドレスの上には白い革のコート。背中には大きめの鞄を背負い、腰には刀を帯刀。ベルトには皮袋がいくつか吊り下げられ、その中には、古くても無いよりマシだの精神で薬の類が詰め込まれていた。


「……よし、私はこれでいい。ロイは何か欲しいものはあるか?」


「いんや、コートさえ貰えば十分よ。どうせ次は一日しかかからないらしい街が目的地だし。ま、欲を出せば――今はこの世界の通貨が欲しいが、まぁそこはいい。稼ぐ手段はある」


「ほう?」


「――エリシア、お前が働くんだ。俺は見守っててやる。初めての労働だぞ! 生きる喜びを感じれる瞬間なんだ、楽しみにしておけ!」


 腰の刀の鯉口こそ鳴らされなかったが、ロイに向けられたエリシアの瞳は冷たいものだった。


「私は知っているぞ。それはヒモというのだそうな」


「良く考えろ、金は手に入るしエリシアは生きる喜びを感じられる。どこに不満があるんだよ」


「いや、普通に考えてお前も労働をして生きる喜びとやらを感じればいいのではないか?」


 ド正論である。それを突きつけられたロイはヒューと口笛を引きながらエリシアの書斎から出て行ってしまう。呆れたような顔でそれを見ていたエリシアは仕方が無いなと呟くと、古めかしい机の引き出しを開けた。

 そのまま引き出しの――隠し底を取り外す。中に置かれていたのは、まだ自分が生きていた頃に使われていた通貨と、長い時を経過して尚その輝きを失わない宝石の数々。


「……ま、父さんも許してくれるか」


 エリシアは通貨を全て腰の皮の袋に入れた。その後で、手のひら一杯の宝石を同様に袋へ詰め込むと、そっと引き出しを閉じて両手を合わせて静かに祈りを捧げる。私はようやく、この場所から離れます。そして新しい時を歩み始めます、と。

 部屋の外で立ち尽くしていたロイは扉の隙間からそれを眺めていて――あれは流石に使わせられないねぇ、と苦い笑みを浮かべエリシアが出てくるのを待っていた。



 ……


 エリシアと並んで中庭に再度出てきたロイは、落ちていた剣をいくつか拾い上げる。何せこれらの剣は全て名剣と呼ばれるものであり、並大抵の値段では買えない物だ。置いていくのも勿体無い――片手用の直剣を二本拾い上げると、エリシアへと声を掛ける。


「なぁ、これ俺が使ってもいい?」


「構わんが――このような剣はお前の好みではなかったんじゃないのか?」


 手に取った二本――銀色に輝く細い刃の剣がシリウス。そして黒く、そして黒曜石のように鈍く煌くのがレグルス。共に秘めた力を持つ特異な剣、魔剣と呼ばれるものであった。だがしかし、この中からその二振りを選ぶのかとエリシアは溜息を零す。


 シリウス、レグルス共に星の加護を受けた剣。シリウスは眩い星の怒りと思うほどの炎を、そしてレグルスは相対するものを深遠に陥れるような黒焔を纏う。もっとも、亡霊であり、そして虚弱体質を持ちえていたエリシアには消費する魔力量が大きすぎて一度とて担うことが出来なかったが。


「まぁ頑丈ならなんでもいいよ。似たような形で振り心地も違わないだろうし」


 そう言ってロイが剣を構えようとした瞬間――エリシアがはっとしたように声を上げた。


「待て、今は構えるな――!」


 だが既に遅い。既にロイはその剣――シリウスを、今から振らんとした心持で構えてしまった。その途端、シリウスから拒絶するように蒼い稲妻が迸り――ロイの手中からはじけ飛んでしまう。そのまま宙をくるくると回ると、少し離れた場所に突き刺さる。


「……いって、なんだよこれ。ちょっと振ろうとしただけなのに」


「はぁ、すっかり忘れていた、すまない。その剣の所有権は私にある、言わば――そこの名剣達はすべて私が統べているのだ。マスターとでもいえばいいか? 故に、私以外の者じゃ飾りにすることは出来ても武器として振るうことは出来ん」


「え、お前決闘の時に俺に渡そうとしたよね? なに? 元々使わせる気ありませんでしたーってか?」


「――ははっ」


 そっぽを向いて笑うエリシアに、思いっきり拗ねた表情でロイは視線を向ける。


「そ、そりゃあ忘れるだろう! だってロイしか言葉魔術を見抜けなかったんだ! 決闘する機会もなかった!」


 少しだけ恥かしそうにそう叫ぶと、エリシアは飛んでいったシリウスを拾い、ロイへと手渡す。まだ振るおうとしていないからだろう、特に拒絶反応が出る事も無く素直に手中へと収まった。


「だからお前が上書きをしろ、拒絶反応を力で押さえつけるんだ」


「えぇー。クソ手間なんだけど……だけどこの剣は勿体無いし……」


 渋々、ロイは剣を手にとって振るうために空へ向かって剣を振り上げた。途端に拒絶する蒼い稲妻が迸り、ロイの手の中で剣が暴れ始める。それを不退転の決意の力を利用して、無理やり魔力で押さえつける。ロイに魔力を巧みに操る技術はない、溢れ出る魔力の奔流を叩きつけているだけだ。


「……づ、っ!」


「――私が抵抗していないとはいえ、やるな」


 暫くすると拒絶の稲妻は収まり、暴れていた剣もロイの手の中で大人しくなった。気合を込めてロイが剣を振るっても先ほどのように抵抗されるような事もない。魔力を流し込んでみれば、呼応するかのように剣が光り輝き――まるで焔の様に波打ち始める。


「玩具かよ」


「星の加護を受けた剣は決して玩具ではないのだが……」


「ま、使えればいい。次はこっちか――」


 先ほどと同じ手順でもう一振りの剣、レグルスも押さえ込むと、ロイは掲げたその剣に魔力を流し込む。シリウスとは対照的に闇が纏われ始め――そしてぼとりとそれが地面へ落ちると、辺りを蝕むかのように進行を始めていく。


 それを見てロイは――ピンと閃いた。これって影魔術では? と。


「おいおいおい! 見ろよエリシア! 影魔術だぞ! ヒュー! やっべ……一番テンション上がるわ……」


「……う、うん。そうだな。――だがあまり放置するのも止めておけ、余計なものも飲み込むぞ」


 拡がり続ける剣から零れた闇の泥に、エリシアは帯刀していた腰の刀を抜刀し突き刺した。途端に衝撃が二人を襲い――闇の泥の進行が止まる。不可思議な現象の答えを求めるかのように、ロイがエリシアを振り向くと、ああ、とエリシアが回答を口にした。


「私は天道剣聖だから。多分、剣であればどんなものでも――黙らせることができる。存分に振るうことが出来るのは初めてだから、確信ではないけど」


「……御伽噺もびっくりだな、お前」


 呆れたようにロイが笑うと、そのまま転がっていた鞘へレグルスとシリウスを納めて、腰へと吊るし込む。多少手間なことはあったがいい剣を二本も手に入れた、と得した気分になったロイはぐーっと背を伸ばすと、大した反動も来ていないことに疑問を抱きながらも、空を仰ぐ。


「うっし、準備できたし……飯はちょっと我慢して旅立ちますか。あと二十九日しかねぇ、急がないと」


「……ああ、そうだな。新しい一日の始まりだ」


 そうエリシアも呟くと、思い馳せるかのように屋敷を見上げたのだった。

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