71話
眩しい光でロイは眼を覚ました。朝焼けが鮮やかにエリシアの屋敷の中庭を照らし、そしてその中に刀を片手にして佇む一つの影。陽光の様な鮮やかな髪を眩しいほどの朝日に照らしながら――彼女はロイが起き上がった気配に気付き、振り返る。真紅のパーティ・ドレスがふわりと、まだ少し冷たく感じる朝の風に揺れた。
「――おはよう、ロイ」
「ああ、おはよーさん……どうだい、新しい一日の始まりは」
「分かっていることを聞くのはよしてくれ」
振り返ったエリシアの満開の笑顔は美しかった。朝風の冷たさが、そして朝日の暖かさが、手に握った剣の重さが、どれもこれもすべてが新鮮に感じて、亡霊の頃よりも鮮明に、そしてクリアに澄み渡ってて――言葉にしようがないのだ。
「あらら、これは失礼しました――」
ロイはぐっと膝に力をいれて立ち上がる。あれ程の力を引き出してしまった割には余りにも軽い反動に首を捻りながらも、両手首、両手足、そして膝――関節の痛みや、引き攣るような筋肉の痛みもないことを確かめると、困惑の表情を浮かべながらも、ぐっと背を伸ばす。
「……あー、はてさて。エリシア、ちょっとこっちこい」
ちょいちょいと指先でエリシアを呼び寄せる。きょとんとした顔でエリシアはロイに歩み寄ると、思い出したような顔で鞘へ刀を仕舞いこんだ。
「とりあえず自分の身体に起きた事わかってる? まぁ、俺もいまいち良く分かってないから誰の眼もないうちに確かめておきたいんだよね」
「身体があること、そして――あの虚弱な身体もなくなってるってこと、くらいかな。それ以外は寧ろ今までにないくらい調子がいいよ」
不思議そうに両手を眺めながらエリシアはにこにこと笑う。ロイは忌々しい虚弱体質だなんてアビリティをきっちりと消してくれてて良かったとほっと息を付くと、改めてエリシアへ向き合い、あったことをそのまま包み隠さずにエリシアへと伝えた。
神様だなんて摩訶不思議な存在、誰が言われてるも信じねーだろ、と思っていたロイはどうやってエリシアに納得させるか頭を悩ませていたのだが――。
「ああ、なるほど。神の御業なら納得もする」
「……う、うん」
すごく真顔でエリシアに頷かれたので、無駄な説明が省けて助かったと一安心していた。
「それで私の身体の誓約は――二つか? 一つ、ロイが死ねば私も死ぬ。二つ、この身体はロイの魔力で生きている」
広げた指先を二つ折りながらエリシアはなんとも無さそうな表情でそう冷静に言う。らしいよ、とロイは肩を落とすととりあえず魔力を断った場合の検証を行う事にした。集中すれば、ほんの僅かにしか感じられないが――自身からエリシアへ魔力が流れ込んでいることが分かる。
どうやらそれはロイの任意でエリシアへの供給量を増減できるらしい。どうにか感覚を掴んだロイは、エリシアに、少しの間魔力の供給を切る、と伝えて供給を断ってみた。
「……ふむ。奇妙な感覚だな、喪失ではないと思う。何か、暖かいものの中に還る感じだ」
徐々にエリシアの姿が解けていく。本人がそういうなら大丈夫か――とロイはそのままエリシアが光子に解けて消えていくのを眺めていた。そして完全にエリシアの姿が無くなると――ぱさっと赤いパーティ・ドレスと、エリシアの腰に止められていた刀がその場に零れ落ちる。
「……ん?」
思わず眼をまん丸にしてそれを座り込んで眺めるロイ。
「(おい待て、私の服に触るな)」
「(……ふーん、こうなるのね。二重人格にでもなった気分だわ)」
脳内に響いたエリシアの声に驚きつつ、そのままエリシアの触るな、という言葉は忘れてドレスに手を伸ばそうとし――ぴたっとロイの腕が動かなくなった。は? と思いっきり引き攣った顔をしながら、ロイは器用にも脳内で叫び始める。
「(てめぇ! 俺の身体乗っ取りやがったな!? 何が亡霊だよここまで来ると悪霊じゃねぇか!?)」
「(流石に私でも女だぞ!? 今まで来ていた服とか下着とか見られるのは嫌に決まっているだろうが!)」
本気で動かせない自分の身体に恐怖を感じたので、ロイはパーティ・ドレスを拾うことを諦めた。するとエリシアも抵抗を止めたのだろう、いつもどおりの身体の動きが戻ってきたので、思わずほっと胸を撫で下ろす。ハルとフィアもこんな感じだったのかねえ、と一日居ないだけで懐かしさを感じる元の世界に思いを馳せ――さっさと目的達成して帰してもらうか、と気分を改めた。最も――その元の世界ではロイが不在の間に色々と事が起き始めているのだが、それは今のロイに知る術はない。
「……さて、魔力の供給再開してみっか」
「(……おい、待て、目を閉じていろ!)」
エリシアが咄嗟に静止したが時は既に遅い。そしてロイ自体は魔力の扱いが上手い訳でもなく、急激に魔力を注がれたエリシア。不意打ちのように全裸のエリシアがロイの目の前に光子に包まれて姿を現し――ロイがひゅーと口笛を吹いた。
「へぇ、着痩せするタイプ? 俺、そういうの好きだなぁ」
「…………」
ほんの僅かに頬を赤らめたエリシアが、落ちていた刀を拾い上げて鞘で思いっきり鼻の下を伸ばしていたロイの頭を打ち抜いた。冗談では済まされない音が響いてずしゃっとロイが石畳の地面へと転がっていく。その打ち抜く技の速さは、天道剣聖の名に恥じない速さであった――。
頭に特大のコブを作ったロイが涙眼で、おーおーいてーいてー、と喚くのを尻目に、再度赤いパーティ・ドレスを纏ったエリシアは色々と試行していた。どうやら先ほどは勢いのままに全裸で出てきてしまったみたいだが、どうやら――ロイの魔力を消費して簡易な服を着て出てくることも出来るらしい。
消えたり出てきたりを繰り返して得た知見だった。
「……まぁ、服はいい。だが剣だけはどうしようもないみたいだな」
「そうみたいねー。ていうかお前、本気で鞘振っただろ。謝罪しろ謝罪」
「清らかな乙女の裸を見た代償だよ。安いものだろう、受け入れろ」
「じゃあエリシアも出会い頭に俺の全裸を見たよな。これで半々の筈……いや、なんでもない……です」
本気で冷めたような冷たい瞳で刀の鯉口を鳴らされてはロイも黙るしかない。はぁーと深い溜息を零しながらも、ロイは石畳の上に落としていた重たい腰を持ち上げ、最後に一つと前置きをした上で――エリシアに確認を取る。
「……本気で刀を振るってみてくれない? 流石にこの魔力量でお前が全開で動けるとは思えん、万が一の際に、どれだけ動けるか計算だけは出来るようにしておきたい」
「確かにそうだな――本気でいいのか?」
「やったれやったれ」
刀を抜いたエリシアはだらんと全身の力を抜いて瞳を閉じる。亡霊であった頃とは比べ物にならないほどの身体の調子の良さ、そしてこれからも剣を振るい、生を繋いでいける喜びが否応にも感情を引き上げていく。
鋭さを増していったその気配に、天才と自分の格の差を感じ取ったロイは僅かな嫉妬心を感じながら、その光景に見入っていく。
エリシアが刀を掲げた。途端に今まで細かった魔力の供給線が唸りを上げ大きさを増していき、容赦など欠片もなくロイの魔力を汲み上げていく。朝の風が吹き抜けた瞬間――エリシアが刀を振り下ろした。虚空へと振り下ろされた刀は――静かに腰の鞘へと納められる。
「……おい、何切ったんだ?」
「何も切ってはいないさ。だが普段剣を振るうときはこれくらいだろう、と想定して剣を抜いた」
ああ、そういうこと。納得したロイは今し方持っていかれた魔力を測る。といっても憶測でしかないので、実践を得てその憶測を確かな値に近づけていく必要があるのだが。まぁ暫く全開で戦わせても大丈夫だろう、と仮の結論を出したロイは、よっし、と検証を終わらせる。
「……悪いけどエリシア、この場は離れるぜ。あと二十九日で俺は魔王様を見つけてボコってこなきゃいけないんだ。手伝ってくれ」
「はは、わざわざ了承を得る必要もあるまい。何せ、私はロイと共に在るしかないのだろう」
「ま、そーね。エリシアから聞いてた戦争だったっけ、そんな話も気になるし――まずは近くの村でも目指すか」
「なら私の屋敷にあるものを好きに持っていけ。私も適当に見繕って準備をしよう――昼頃までにしておけばいいかい?」
「ちっと遅いけどそれでいいだろ。……あ、気になってたんだけど昨日の夜の晩飯って何の肉だったの? 美味かったけどあれも言葉魔術で俺が誤認識させられてただけ?」
「――鼠の肉とその辺を歩いてた熊の肉だ」
言わない方がよかったか、と中庭からボロの屋敷の中へ二人で並んで歩いていく最中、エリシアが僅かに眉を潜めて不安そうにロイを覗き込んだ。美味けりゃなんでもいーわ、と特に抵抗を見せないロイに、エリシアはそうかそうか、と上機嫌で一歩先を歩き始める。
「じゃあ朝ご飯にはまた鼠を焼こうか!」
「いや、普通に食えそうな肉を狩ろうぜ……」
戦場を渡り歩いていた時代があるロイは多少のゲテモノなんて抵抗なく食えるのだが、余裕があるときくらいはいいものを食べたいのである。生きる為の狩りだー、と笑顔で腕を上げるエリシアを見て、ロイは思わず苦笑して、へいへいと呟いた。




