70話
お互いに相手の剣閃は見ている。ロイは大熊を倒す際に振るったし、エリシアはロイのお遊びに付き合って視認さえさせない一閃を見せた。勝負は一瞬で付くだろう――ロイは後先を考えず不退転の決意を発動させる。瞬時に蒼い稲妻が弾けて、ロイのステータスを強化する。
相対したエリシアから迸る剣気に当てられてか強烈な強化が奔り、蒼い稲妻は溢れ出る水のように留まることを知らなかった。
「……さぁて、こっちの準備はいいぜ。どうせ待ってたんだろ、こいよ」
「察しが良いな――では」
まるで陽炎のようにエリシアの姿が掻き消えた。ロイ自身の常在戦場というアビリティ――不意打ちを防止するアビリティ――がロイの頭の中でがんがんと警鐘を鳴らす。それが赴くままにロイは身体を反転させ、迸る魔力によって強化された鉄剣を振るう。
甲高い金属音が響いた。直ぐそこに迫っていたのは全力で剣を振るうことに至極の喜びを感じているエリシアの瞳と、妖しく煌く刀の先。
「……では、これはどうだ?」
今度はエリシアの担う刀の切先がブレた。鳴り止まない警鐘と背筋を這う悪寒を吐き出すかのように舌打ちすると、ロイは大きく後方へ跳んで距離を取る。
「化物かよ、お前……リーシャやフィアもビックリだぞ!?」
「――ふっ」
ロイの叫びなどいざ知らず。エリシアが一歩踏み込み――刀を振るう。そしてロイの視界に映りこんだのは極限まで研ぎ澄まされた至高の閃きだった。わずか一閃に見えたそれは一閃ではなく。右から左から、そして下から上から。縦横無尽に踊り狂う刃の嵐と言っても過言ではない、無二の煌き。
常人であれば防御すら、いや、視認さえ許さず肉片と還る煌きを――ロイは真正面から受け止める。暴力的なほどの魔力で強化された鉄剣で一閃、質量で斬撃を圧し切ったのだ。あいつが虚弱じゃなけりゃ、こんなバカなもん止められねー、そう内心で呟いた後に鋭く息を吐く。
「最高だ、最高だ――私は、これを求めていた!」
エリシアが歓喜し刀を振り上げた。それに呼応するかのように周りを取り囲むように大地に突き刺さっていた剣が飛翔し、エリシアの周囲を取り囲むように回転を始める。
「……おいおい、お前、それ剣で語り合うっていうの?」
「言うに決まっている――何せ相手はお前だぞ! 私の剣を唯一防いだ、お前だぞ! 全開で挑まねば損――いや、私が満足できない!」
正面から切り込んできたエリシアの刀をどうにかロイは受け止めるが――途端にロイへ向かって飛来を始めた名剣、その内の一本に肩を抉られる。赤い鮮血が虚空に散った、が、不退転の決意で強化されたロイの肉体は、その傷さえも一瞬で治しきってしまう。
ステータスの暴力でどうにかエリシアの剣閃に合わせ防いではいるが、まるで無限に上がっていくと錯覚する程、エリシアの剣の切れは増していき、次第に、不退転の決意で常人を遥かに超越するステータスを得ているロイでさえも――手傷を負い始めた。
切先で。鍔で。柄で。踊り狂う剣の暴威を相手にぎりぎりで凌いでいたロイの額には大量の汗が滲んでいる。
ロイは天才ではない。そして神様の特別な加護も持ちえてはいない。
ただ先生から不退転の決意を受け継いだだけの凡人だ。
剣を愛し剣に愛されたエリシアに剣で勝てる理由など――どこにもない。
「――ッ、はァ――っ、手仕舞いか、ロイ!?」
どれだけ息が上がろうと、身体が重かろうとエリシアは剣を振るう。その筋に迷いはなく、そして衰えなどもなく――。今、この一時ばかりは虚弱な身体は黙っていろ。そして私に従え。一切の邪魔をするな――後でこの魂などくれてやると。燃え尽きる寸前の灯火のように、激しく燃え上がるかのように、苛烈さを極めていった。
「うるっ――せぇ、黙れ、こんのクソ天才様が――!」
天才に凡人が勝つ為にはどうすればいいか。
答えは既にロイの中で出てきた――犠牲を払うしかないと。
突如として突き出された鉄剣をいとも簡単にエリシアはいなし、弾き飛ばす。大きく吹き飛んだ剣を視界に入れつつも、これで終いだとばかりに無慈悲なる一閃をロイへ突き出した。それは急所を外しロイを止める筈だった。
「――ッ、ぐ、ぎ!?」
だがそれは止められた。刀は差し出されたロイの左の手のひらを突き刺し、強引に軌道を捻じ曲げられた形で。その一瞬――常人であれば気付けないほどの、零れ落ちた僅かな隙を、ロイは頬を吊上げ獣のような笑みを浮かべて、掬い上げる。
「高くついたぜ、その一瞬!」
戻す勢いそのまま、右手の――魔力によって強化され、極彩色の輝きを放つ鉄剣を思いっきりエリシアへ振り下ろす。剣を差し出そうにも間に合わない速度、そして距離だった。それはそのままエリシアの左肩へと振り下ろされ、致命にまでは到らないが動けない程の傷を与える筈であった。そう、あったのだ。
「――っ!」
ほんの僅かに引き戻されたエリシアの刀の柄が、振り下ろされたロイの剣の腹さえ打たなければ。奇跡とも思える所業だった。振り下ろした筈のロイでさえ、軌道をずらされ虚空を切った自らの剣を呆けたように見つめてしまう。
「――終幕だ!」
赤いパーティ・ドレスが舞った。鮮やかな刃が大地を舐めるかのように下段から迸り、天にさえ届けとばかりに振り上げられる。ロイの剣はの刃の直撃を受け――強靭に強化されているのにも関わらず、何の音もなく真ん中から両断され、中庭の外へと弾き飛ばされていく。
「……お見事、エリシア様。俺の負けだよ」
そう呟いてロイは石畳に膝から崩れ落ちる。エリシアという剣の暴威が敵ではなくなったと認識したのだろう、不退転の決意による強化も徐々に失せていき、青い稲妻は霧散した。後に残ったのは――治りかけの左手の傷跡と、そして、石畳に散ったロイの鮮血のみ。
決闘とはよくいったものだ、とロイは爪先にから這い上がってくる、不退転の決意で強化されたステータスが戻ったことによる反動の麻痺に寒気を感じながら、月光を背にして、自らの愛刀を一閃し、静かに石畳に置いたエリシアを見上げる。
「ああ。そして、私の勝ちだよ。……我侭に付き合ってくれてありがとう、ロイ。お陰さまで――最後にいい夢が見れた」
意識が朦朧とし始めた。あれだけ強化されたんだ、そりゃ強烈な反動が来るか――震えて使い物にならない腕を支えにして、どうにか四肢を地面に放り投げることは阻止したロイは、静かにエリシアへと問いかけた。
「……どうだったよ、決闘は」
「堪らなかったよ、興奮した。――言っただろう、最高の夢だったって」
陽光のような、金と橙色が交じり合った鮮やかな髪を揺らしながら、エリシアは儚げに笑った。その足元は既に透過が始まり――このまま放っておけば、幾ばくもしない間にエリシア・ダナンという存在はこの世から完全に消えるだろう。
「エリシア……お前の、流派の名前は?」
「ない、我流だからな。……そうだな、ロイ。お前の下の名はローレライ、だったな」
「ああ、それが……どうかしたか?」
視界が霞んできた。
ロイは首を振り、どうにか意識を保ち、応える。
「ならば後の世にはこう伝えて欲しい――かつて剣を愛した剣士が担った流派は、エリシア・ローレライだと」
「ばか言え……婚姻かっての。もう少し、マシな名前考えーや」
そうか、ロイとの決闘をイメージした良い名前だと思ったのだが。そう不満げに頬を膨らませるエリシアの姿は、既に腰から下が光子となって虚空へと消えていた。表情は不満げ。ああ、だけども――そんなもの表向きだとロイは知っていた。
本当は怖いに決まっている。まだまだやりたいことが多くあったに決まっている。もっともっと楽しい夢を見続けていたいと思っているに決まっている。ああ――エリシア・ダナンは救われたいに決まっている。かつての自分がそうだったように、表向きの顔は繕ってもその内心は、どうしようもなく生きたいに決まっている――。
「なぁ……エリシア」
視界がぼやけてきた。だが今ばかりは邪魔をするな、と反動を捻じ伏せ、ロイは言葉を紡ぐ。
「なんだ、ロイ。……ああ、剣が欲しいなら持っ――」
「お前、まだ生きたいんだろ」
エリシアの表情が凍りついた。瞳は見開かれ、口元は僅かに震えていた。どうして今になってそんなことを言うのか、自らが諦めてきた純粋で無垢な想いを、素手で心中から引きずり出されたかのような感覚で、残り少ないエリシアの身体が震えだす。
「……まだ夢の続きをみたい、そうだよな?」
重たい首を持ち上げて、ロイがエリシアを見た。ああ――そこにあったのは仮初の表情ではない。想いを形をそのまま貼り付けたかのように、一滴の涙を零しながら綺麗に笑ったエリシアがいた。
「あたりまえだ」
ならばやることだなんて一つだ。既に反動が来ている中、ロイは自らの意思で再度不退転の決意を起動し――今にも倒れそうな体であっても立ち上がった。なにせ、お偉い存在様に会うのにこの体たらくじゃ不相応だろうと考えたからだ。
「――おい。どうせ見てるんだろう、本で読んだから知ってるぜ。……叶えたい願いが出来た」
そして、届けよと思いを振り絞り、その言葉を口に出す。
「神様さんよ、お願い事の前借をさせろや――!」
――世界の色彩が反転した。ロイ以外の全ての時間は停止し、時を刻む事を止める。そんな灰色の世界の中、ロイの目の前に淡い光の玉が零れ落ち爆発する。あまりの眩しさに瞳を瞑る。そして再び見開けば――この世界に来る時に出会った、八枚羽の美しい神であった。
「……前借だなんていってきたのはお前が始めてだ。想像はつくが、何を叶えたい」
「けっ、人を放り込んでおいてそれかよ。……今、俺の目の前で消えかかっている女を救いたい、どうにかしろ」
余りにも雑な願いだ。神はため息を零し、首を振った。
「無理を言うな。既に死んでいる人間を生き返らせる願いなど聞ける訳がない」
ま、そうだよな。そうロイは初めから知っているかのように頷き――その言葉が聞けて安心したとばかりに頬の端を吊上げた。エリシアの決闘のときにも見せた、獣のような笑みであった。
「――じゃあ魂とその型を俺に寄越せ。出来るんだろ?」
ぴくっと神の眉が僅かに潜んだ。ビンゴ――とばかりにロイはその笑みを更に深める。何せロイはその魂だけの存在の実例を見ているのだ。フィア・ルーセントハートという真理に辿り着きし錬金術師が、ハルの精神と共に、ハルの身体に同居している実例を。
「型、とは何を指している」
「エリシアとしての身体だよ。虚弱体質だなんてクソなもんだけブッこ抜いて寄越せ、俺の魔力で顕現させられればそれでいい」
無茶な要求をしているとはロイ自身分かっている。そんな技術、元いた世界でも実現していないし、あのリーシャ・フローレスでさえ実現できていないのだ。だが相手は神様という存在、この程度の無茶など通してもらわなければ困る。
「……なるほど。だがそれでは、人を生き返らせる所業と変わりないのではないかな?」
冷たい視線を向けられるも、知ったことかとロイは強烈な笑みを持って言葉を返した。
「違うね。原動力は俺だ、俺が死ねば何れエリシアも死ぬ――どうだい、この条件」
「なるほど、魂だけを現世に留まさせる為に、お前の身体を依り代にすると」
面白そうに神は笑い――首を縦に振った。本来であればこんな願いだなんて切って捨ててしまうところだったが、何せ元の世界のロイの身体は生きていたのだ。それなのにも関わらず、あの空間へ辿り着いてしまい、そして今ロイがいるこの世界まで転生させてしまっている――そんな僅かな罪悪感から、神が起こした気まぐれだった。
「……じゃあ、前借成立って、ことで――」
安心した反動で遂にロイが膝を突いた。そしてそのまま石畳の上に倒れこむ。ロイ自身の時は止まっていない為、反動が遂に抑えきれなくなったのだった。薄れゆく意識の中、ロイは頼むぜ神様、と珍しくも神頼みをしていた――。
……
そうして一人になった神は静かに石畳の地面に降り立ち、倒れたロイの背中を見た。そして神という存在にのみ許容された全てを見通す瞳で、ロイの身体を覗き込む。
「――酷いな。よく生きている、不退転の決意とは良く言ったものだ」
魔術神経は許容量を遥かに超えた量を流され焼け焦げていた。そして、全身の筋肉は何度千切れたか分からない程にぐちゃぐちゃに整形され形を成していた。よくいつもどおりの生活をこれまで送ってきたものだ――どれだけ自らの力で傷付いても、それを治し続け、立ち上がれてしまうアビリティ、不退転の決意。
「ああ、そこの筋肉も一度千切れてつながった後が見える。その血管も、その魔術神経も」
仕方がないな。そう小さく呟くと――これでお前を連れてきてしまった借りは無しだぞ、とロイの背中を指でなぞった。途端に淡い緑の光が立ち上がったと思えば、焼け焦げていた魔術神経も、そして到る所の筋肉に残っていた傷が治った痕でさえも、全てが丁寧に――正しく、健全な状態へ修復されていく。
「これで反動もラクになるだろうて……ちとサービスをし過ぎたかな」
見えない傷跡でさえも治したその力は正に神の御技。安らかな寝息を上げ始めたロイを見て満足そうに神は頷くと、静かに純白の八枚の羽を広げて、その場から消え去った――。




