66話
「……あー、マジでロクな説明もなくなんかやりやがって、どこだっつーのここ」
ロイは当てもなく森の中をうろうろと歩いていた。目覚めた時からずっとだ。回りには太い樹木が生い茂り、小鳥のさえずりさえ聞こえる穏やかな空間の中を、子一時間は歩き続けた。――そう、全裸で。大事な自らの分身を隠すことなく、両腕を大いに振るって歩くその様は羞恥など微塵も感じていないようであった。
「っていうかリーシャんところで読んだ本だと、異世界転生するにも服くらいついてきて、おまけにスゲー能力貰えてなかったか? ほんと、現実ってクソ過ぎるわ。一ヶ月……三十日だなんて期限付きだし、服もねーし」
茶髪をぼりぼりと掻き毟ると――ふと、ロイの耳にずずんと地鳴りの音のようなものが聞こえた。ばさばさと小鳥が飛び立ち、何か良からぬものが近付いてきているのか、とにんまりとロイは顔を笑顔で染める。そう、ようやく自分以外の動くものと出会えるのだ。微かに感じている寂しさや不安を紛らわせることくらいはできるだろう。
ロイは全裸のまま、その音の聞こえたほうへ駆け出していく。
「ともかく、人と会わないと……まぁあの音を出しているのが獣の類であれ、皮剥いでなんか服みたいなもんは作れるだろ――」
駆け出していく中でロイは不退転の決意を発動させる。蒼い稲妻が爆ぜ身体能力が強化される。そうして木々の中を駆け抜け、続けて響いてくる地鳴りのような音の元へと近付いていった。
勢いよく木の葉の間を潜り抜けると――そこには大きな熊、五メートル程はあろうかといった大きさのものが鋭い牙を向いて、立ち塞がっていた。分厚い毛皮、血走った瞳。酷く興奮している様子である。そしてそれを見据えていたのは――二つの人影。
「――!」
陽光の様に明るい、金色と橙色が混じったような艶のある髪。長さは肩の下程度。ずたぶくろのようなみすぼらしい外套を羽織っている女だった。その腰には何故か――鞘だけが吊るされていた。その女は驚いたような青い瞳で突然の闖入者であるロイを見据える。
その瞬間だった。ロイの纏っていた不退転の決意による効力が――急激に上昇する。不退転の決意は自身の存在が脅かされれば脅かされるほど、その出力を上げる特性があった。慌ててロイは大きな熊へと振り向くと、その腕が大きく振り上げられている姿を目視して、咄嗟に声を上げる。
「おい――そこの騎士! その剣、俺に貸せ!!」
もう一つの人影――白くなった髪をオールバックにして纏めた妙齢の騎士が言葉を聞き、戸惑ったような表情で――陽光の髪をした女を振り向いた。こくんと頷くのを見ると、その騎士は手に持っていた片手剣をロイの足元へと放り投げる。そして両腕で盾を持つと、己の主を護るかのように、その女の前へと立ち塞がった。
「――ただの鉄の剣だぞ、奴の毛皮を一撃で切れるとは思うな!」
「あいよ……!」
全裸で足元に突き刺さっている剣を引き抜くと、ロイはそのまま巨大熊へ向かって走り抜ける。その姿を黙認したのだろう、大きな腕が妙齢の騎士ではなく、ロイへと向けて振り下ろされようとするが――全開に近い強化を不退転の決意によって掛けられたロイの前では、敵ですらなかった。
右手で大きく剣を背に回すほど振りかぶり――駆け出す勢いのまま跳躍する。剣を振り下ろせばごう、と凄まじい射出音が迸った。たった一太刀で、巨大熊は肩口から大きく切り裂かれ背後へ吹き飛ばされていく。
傍から見れば致命傷であった。だがロイはそれでも手を止める事はない。相手が死ぬのを確認できていない状態で攻撃の手を止めることは愚かな行為だと知っているからだ。続けて返す刃に大きく魔力を込める――ただの鉄の剣がまるで魔剣のように金色に閃いた。
「なんだよ、案外切れるじゃねーか」
金色の一太刀は僅かな狂いもなく巨大熊の首を絶ち――それだけでは止まらず、その背後にあった巨大な樹木をも一閃、切断された木々は大きな鈍い音を立てながら、次々と鮮やかな断面を残して倒れていく。
動かなくなった熊をしばし見つめると、こんなもんかね、とロイは妙齢の騎士に今しがたまで金色に煌いていた剣を放って返した。
「……わりーね、剣、壊しちまった」
その言葉と同時に、バキンと奇妙な音を立て、剣がまるで砂になったかのように解けて消えていく。その現象が収まるまで、騎士は声を出せぬままそれを見つめていた。呆気にとられていたのだ。突然の闖入者が放った力の強さと、そして、全裸の姿に――。
……
「いやー悪いねほんと! こんないい布まで貰っちまって!」
今、ロイは腰にボロ布を巻いて大事な部分を隠していた。
だが全裸は卒業したといえ、腰みの一枚の変質者と呼ばれても過言ではない状態だ。
「気にしないでいいよ、流石に私も……全裸の男を連れて帰ると視線が痛いものでな。護衛として付いてきてくれていたアルフの評判にも関わる」
「……しかし、全裸とは言え見事な太刀筋でした。私自身は見たことがない流派でしたが、ええと」
「ああ、俺はロイだよ。ロイ・ローレライ」
「ロイ殿ですか。私はアルフ――平民の出故、姓はありません。……それで、ロイ殿はどこの生まれなんでしょうか」
三人は並んで歩いていた。妙齢の騎士――アルフを先頭にし、その背後に陽光の髪の女、ロイと並ぶ。
「あぁ、信じてもらえるか分からないんだが――神様に言われて異世界転生してきた。眉唾もんだろ?」
「……なんと、流浪人でしたか」
「え、割とよくあるやつなの」
「いえ、数は多くありませんよ。ですが彼らは、多くの場合その知見と力で国に富をもたらします。故、御伽噺のように語られているので有名なんですよ。私の国では流浪人、ほかの国では落ち人だとか、勇者だとか、呼び名は様々ですがね」
先ほどの巨大熊以降、何も敵らしいものは出てきていない。それでも妙齢の騎士は、会話の間も油断せず周りに気を配って先へと進んでいた。へぇ、どっかで聞いたことがある話だね、とロイはまるで他人後のように、両腕を頭の後ろで組みながらその背を追っていく。
暫く進んでいくと――急に木々が開き、大きな大きな館が姿を現した。館を囲うのは鉄の柵、大きな噴水と、美しい花々が植えられた花壇。そして屋敷自体も――非常に大きい。リーシャんちの二倍はありそうだな、と眉を潜め、ロイは呆れた瞳でそれを見つめた。
妙齢の騎士は――入り口まで辿り着くと、大地に肩膝を付き、深く頭を下げる。
「――遅れてすまない、ロイ」
陽光の髪の女がロイへと振り向いた。鮮やかに輝く髪に静かな笑みを携えたその姿は、どこか神秘的なように見えた。
「私は――エリシア・ダナン。ダナン公爵の一人娘だ……あぁ、とは言っても当主はもう亡くなっていて、私が当主だけどね」
つーことは、こいつがこの家やら雇い人やらこの騎士やらの主様かと、とロイは格差社会に項垂れる。豪遊できるじゃねーか羨ましい、などと浅はかな感情をこのタイミングで抱くのはロイくらいだろう。ははーっエリシア様、と適当に頭を下げ、ロイはこれからどーすっかなぁ、と頭を悩ませるのであった。
「……ところでロイ、お前は流浪人だったね。なら少しの間、私の屋敷でゆっくりしていくといい――この世界のことも何も知らないのだろう? なに、助けてもらった礼もある。食事も、寝床も出すよ」
期限は一ヶ月――決して悠長にしていい時間などない。ロイとてそれくらいは承知していた。だがそのエリシアの言葉は何故か深くロイの心に落ち――そうしてもいいかぁ、と思わせる何かを持っていた。準備だけさせてもらって、早めに出よう――そうロイは結論付ける。
「あぁ、そうさせてもらうよ。しかし悪いね、こんないいところに泊めてもらって」
「気にしないでいい。ゆっくりしていってくれ――」
エリシアはそう笑みを浮かべると、屋敷の敷地へと足を踏み入れていくのだった。




