65話
「――前世は最弱の凡人でしたが転生した僕は最強職の勇者になったので、前世の憎しみを片手に世界を滅ぼす魔王になります」
七月末。快晴、そして嫌なほどに青い空が見れる暑い季節。ハルとフィアは意気投合しアイリス手製のパンケーキを食べに行ってしまい、店に居てもやることが無くなったロイはいつもの緑色の布で出来た何でも屋特製エプロンをつけたまま、リーシャの執務室に遊びに来ていた。
ふと机の上を見たらそんなタイトルの本が置いてあって、ロイは思わず言葉に出していってしまったのである。
「矛盾もここまで来ると傑作だな。それに蛙の子は大体蛙だぞ、鷹にはならねぇ。後タイトルが長すぎるポエマーかよ」
「……あら、本気の突っ込みありがとう。最近下町で流行っているらしくてね、本自体は好きだし、買ってみたのよ」
魔術師ギルド統括の椅子に座るリーシャはいつもの白衣を背もたれにかけ、普段よりも涼しげなグレーのワンピースに身を包んで、足を組んで薄い本を読んでいた。手元の本からは目の離さず、左腕でアイス・コーヒーの入ったグラスを探すと、水滴の付いたグラスに指先が触れたのだろう、そのまま軽く掴んで口元へグラスを持っていった。白銀のポニーテールが僅かに揺れた。
そしてからん、と解けた氷が涼しげに音を鳴らす。
「へぇ……こんなのが流行ってるのね。あんまり御伽噺は読まないからな、知らんかったわ。で、面白いのかよコレ」
「まぁまぁいいと思うわよ。平民が求める最強の像が見えてくるわね、実践したら英雄になれるんじゃない?」
「てっきりリーシャはこんなの読まないと思ったけど、意外なもんだね……」
「あら、失礼ね。偶には読むわよ、こういうのも。……あんたも読んでみる? まだ読んでいないのがその机の上にあるから、適当に取っていっていいわよ」
日頃、研究所の蔵書や日々生き残る為の術を身に付けるための図鑑、そして技術書などしか読まないロイにとって娯楽として本を読むのはエロ本以外は初めてだった。適当に二十冊ほど積みあがった本の中からタイトルを流し読みし――ハーレムという文字が見えたところで、その本を手に取る。
「……ほう。やはりお前は色物を手にしたか」
凛とした声が響く。ロイのソファーの対面に、何故か正座をしているセルシウスであった。白銀の髪は足元まで伸び、いつもの無表情が今日はほんの少し、膨れたような顔になっている。
「だって俺ハーレム好きだし。野郎嫌いだし。……で、お前はなんで正座してんの」
「抗議をしている」
「抗議ィ?」
「ああ――私は仮にも原初の氷の精霊だぞ。確かに貴女――いや、リーシャと戦争の道具にはしないという約定の元に契約をしたが、冷房として顕現していてくれだなんて言われると思ってなんていなかった」
流石のロイも顔を顰めてリーシャの方向へ首を向ける。すると、リーシャは心外そうな顔をした。
「だって暑いものは暑いのよ。出力絞って冷房利かせると肩が凝るのよね、その点セルシウスなら顕現していてくれるだけで大気中の氷の魔素が集まって、涼しいし」
「いや……お前なぁ、原初の精霊サマめっちゃ拗ねてるじゃねぇか。程ほどにしてやれよ」
「本音は?」
「うちにお一人貸してくだ――痛い!?」
ごっつんと氷を頭にぶつけられたロイは、今回俺悪くないのに!? と内心で叫びながら、目の前で硬い表情をして拗ねたように正座をし続けるセルシウスを睨みつけるのであった。
「……完全に巻き込まれ損だわクソ。で、この……学園では影の薄い日陰者でしたが異世界転生した途端に最強スキル影使いを得て毎日がハーレムで困っています……えぇ、読むの……」
苦虫を噛み潰したかのように渋い顔をしながらもロイは手に取った本を開く。ぺらぺらと挿絵が入っていそうなページを開くと、どこもかしこも美少女、美少女、美少女。それを見た途端、やるじゃん――胸も大きいし――と鼻息も荒く、ロイはプロローグの章から読み進めていくのであった。
そして太陽が半分ほど沈む夕暮れ時。適当に手にした学園では影の薄い日陰者でしたが――という本を読み終えたロイは静かにその本を机の上に置くと、深く天上を仰ぐ。
「あら、読み終わったの? で、感想はどうだったかしら」
ずっとリーシャも同じ体勢で本を読んでいたので肩が凝ったのだろう、くるくると首を回すと椅子から立ち上がり、身体を解すかのように背伸びをした。そのまま指を鳴らすと、何も無い空間から光子とともにガラス製のグラスに入ったアイス・コーヒーがこの部屋の人数分――天上を仰いだままのロイ、そして未だに正座をしてむすっとした顔をし続けているセルシウス、残りの自分自身の三人だ――が現れた。
リーシャという才能の塊が研究に研究を重ねて初めて使えるレベルの魔術なのであるが、中に仕舞える容量の少なさ故、このようにリーシャの便利ボックスみたいに扱われている。
「……氷よ、っと」
言葉一つでアイス・コーヒーの一部が急速に温度を下げ、氷になる。リーシャは器用に三つのグラスの手に持つと、からんからんと氷の涼しい音を鳴らしながら、そのグラスをロイとセルシウスの目の前に置いた。
「ほらセルシウス、機嫌直して頂戴。シロップも付けるわ」
ことんとセルシウスの前に三つほど、市販されているシロップが置かれた。首を縦に振らないセルシウスに、もう、と苦笑いをしてリーシャは更に二つ追加する。それで漸くセルシウスも、しょうがないな、と正座をやめ、優雅に足を組みソファーに深く腰を預けるのであった。
「……で、あんたはどうだったの。返事くらいなさいよ」
「いや、良かったね――でリーシャ、影魔術ってどうやったら使える?」
見事な手のひら返しである。感極まっているロイは本を手にとって、ぺらぺらとページを捲り、挿絵付きのページをリーシャへと見せつけた。そこは四方に伸びた主人公の影が、まるでヒロインを護るかのように鋭く地面から伸び、敵を穿っているシーンだった。
「呆れるほどの影響の速さね……残念だけど影魔術なんてものは存在しないわ。正確に言えば――私達が扱う陽、って呼ばれている魔術には存在しないのよ」
「はぁ……陽?」
「そ。表、って意味ね。一般人はこっちに対する適正しかないけど、何かしらの原因で――陰の方に目覚めることもあるのよ。こっちは適性がないと使う事もままならないわ、呪詛とか、負術とかって言われてる」
「つまり、俺も闇墜ちすれば……影魔術を使える可能性があるってことだな……ふんふん」
「機会があれば知ってる限りの体系は教えるわよ、あんたはこういう実践系の話好きだしね。……最も、あたしは陰のほうに適正ないから、簡単らしい術一つも見せれないけど」
溜息を零すリーシャ。その事実が悔しそうにも見えるし、適正がなくてほっとしているようにも取れる。
陰の魔術は人を呪い殺す、または暗殺するなど、酷く陰湿であり隠密性に長けた術が多かった。故に適正があるという一点だけでも、忌み嫌われる対象であったからだ。もっとも、近頃ではその存在すら隠匿され、一握りのものしか知らないという世間の事情もあって、忌避の対象からは外れてきているが。
自分にその適正があることすら気付かずに生涯を終えるものも居るほどだった。
「いいなぁ、影魔術……俺も転生してハーレムしてぇ……」
夢うつつ、といったロイを、はぁ、と溜息を零してリーシャは眺めていた。
魔術師ギルドから返る為、部屋をリーシャに追い出されるまでロイは影魔術とボヤいていたとか。
……
「でんでんで~~~~~ん! ふっふーん!」
夜も深い暗闇の中、ロイは頬を赤く染め、ご機嫌な様子で自宅――何でも屋への帰路へついていた。夜風は酔っていなければ少し肌寒く感じる……が今のロイはぐでんぐでんの頭パッパラパーである。気持ちいー! とか思いながら両腕をぶんぶんと振って、千鳥足での行進を続けていた。
魔術師ギルドの帰り道、いつのも酒場に寄り道をした結果である。
「いやぁ……気分いーわぁ……。ここ最近はよー、大会でクソゲーされたり? フィアカッスの件で危うく死に掛けたり? ロイさんらしくねー程にハードル高い日々だったからぁ……」
いつものマスターの店でガバガバと酒を飲んだロイ。マスターが珍しい酒が入ったよ、と言ってロイへ出したのが、これはまた見事に、赤色かと言うほどに熟成された年代もののウィスキーだったのだ。そりゃロイのことだ、限界なんて超えて飲んでしまう。頭パッパラパーにもなろうというものだった。
「……せっかくハメ外すなら、このまま桜でしっぽりすんのもありだよなぁ?」
唐突に真剣な顔をして考え込む。とはいっても、ロイの頭の中は既にアルコールが回ってぐちゃぐちゃであり、一見して真剣に考え込んでいるように見えるが、実際のところ何も考えていないが。ポーズを取っているだけなのである。
「…………決めたぞ。俺は桜いって、可愛い子ちゃん囲うぞ。そうだよ、ここ最近バタバタしてたせいでご無沙汰じゃねぇか!?」
ちなみに遊楽・桜は中で飲む分には構わないのだが、飲酒した人間の出入りは禁止である。迷惑な客を入れないための方針だそうだった。その為、今のロイが行っても店主であるレンに小言を言われ、適当な小部屋にぶち込まれて朝までお一人様快眠コースであったが。
「善は急げ急げ……っ、とっ、と?」
酔っ払ったロイはご機嫌なテンションで来た道を戻ろうと身体の向きを変え――そして足元の小石に躓いた。ああ、それが素面――アルコールが入っていない状態であればなんてことはなかったのだ。そのまま綺麗に傾いていったロイは、視界がぐるんと回ることにも気付かないまま――石の塀に頭を強打する。ごん、と一帯に響く鈍い音。
「……あ、あ……ァ?」
衝撃は一瞬で意識を刈り取っていく。以前の――フィア・ルーセントハートと相対する前のロイであれば無意識下でSSランクアビリティの不退転の決意が発動し、この程度の衝撃はなんともなく済んだのだが、フィアの手が加えられた結果、任意での発動が可能というメリットと引き換えに自動発動は殆どしなくなってしまっていた。
当然、ロイは人間である。打たれ強さなどその程度しかない。そうしてロイはいとも呆気なく――深夜の帰路の道中で、意識を失いゲロを吐きながらアスファルトの上に倒れたのだった。
……
「――というのが事の顛末であるが、異論はあるか?」
「俺めっっちゃ最低な結末迎えてるじゃねーか!! 気絶ゲロまでしてるし!! ノーカン! ノーカン!! というかはよ俺を帰せ!!」
――本日の昼間、魔術師ギルドで読んだ御伽噺に出てきたような白い空間で、ロイは声を荒げていた。目の前に浮かぶのは八枚の純白の羽を背にした、純金のように輝く長髪を携えた美女である。
無機質な材質さえ想像つかぬ白の地面。そして天に広がるのは僅かな青みがかかっている無限に続くかのような空だった。
「すまぬが、起こった事象をノーカンには出来ないのだ」
「うるっせぇよお前神様つったろ!? リアル異世界転生なんて誰も望んじゃいねーんだよ!!」
そうなのである。ロイは――リアル異世界転生を行う寸前であったのだ。目が覚めたロイが目の前に居た美女――神様とやらに死んだと告げられてからはこのように暴言を繰り返し、呆れ果てた神様が先ほど、実際に死んだシーンをロイへと見せたのだった。
「だが輪廻転生は絶対の理――決して破る事は出来ぬ」
「それをどうにかするのが神様の仕事でしょうが!?」
「……もう良いか、私も手間になってきた――」
繰り返される埒の明かない応酬に神様も嫌気が差したのだろう。そのまま右手を振って、次なる世界にロイを飛ばす――輪廻転生させようとしたところで――不意に、神という存在だけが知覚できる現実でのワンシーンが脳裏を過ぎっていく。
「(……これは、泣いている神官と、青ざめた小娘)」
そのワンシーンをより鮮明に見るため、神はロイのことなど放置して瞳を閉じた。特別な何かを感じたのだ。そうしてより深く、その二人や――背後で凍っている黒髪の少女が持っている加護を感じ取る。
「(――馬鹿な。歪な形をしているがアレは確かに真理の守護者だ。それに、まだ覚醒も、自覚さえもしていないが、陽の魔術の神に、治癒の神だと)」
片目だけ神は瞳を開いて、無機質な白の地面に転がるロイを見る。どうしてコレがあんな加護を受けた者達に生を惜しまれているのか――考えれば考えるほど頭痛がしそうだったので、それはいったん置いておき、再び現実でのワンシーンへと意識を集中させる。
「(……まさか、加護持ちは置いておいても、この男は――生きている!)」
奇跡の類だった。幾億とも分からぬ間を過ごし、幾億とも分からぬ命を輪廻転生させてきた神とて、初めての出来事だったから、奇跡と呼ぶに他ならなかったのだ。この白の地平を訪れることが出来るのは死した者だけ――そう摂理で決まっているのに。
実際のところ、死ぬ寸前に不退転の決意が起動し――肉体は生きていても魂だけが持っていかれたのがロイの事情であった。少なくとも、現実で生きている以上、輪廻転生をさせることは出来ずこのままロイの魂を現実に返すしかないのだが、神様は――悪戯げな笑みを深める。
「(成るほど。……この男の、特異なアビリティのせいか)」
神に隠し立ては通用しない。今もおいおいと地面を転がっているロイを一目見れば、その魂に刻まれたアビリティを覗く事ができるのだ。今、神の目に映るロイのアビリティ――不退転の決意は、二重にブレて見えていたのだ。まるで同質の存在が、二つ重なっているかの如く。
「(――これは使えるかも知れぬな)」
現実のワンシーンを見ることを止めた神は、白の地平に降り立つと、情けない声を上げて地面を転がっているロイの元へ近付き、ゆっくりと腰を下ろす。そんな些細な動作でも――これだけの美貌をもつ女が行えば、まるで映画のワンシーンのように、とても映えて見えた。
「……ならば期限を設けよう。お主の時間軸で、三十日――その間にこれから行く世界で、あるものを壊してもらう。そうすれば、お主の魂は、あの現実に、あの肉体に還そう」
ぴこーんとしてやったりとばかりにロイは勢いよく顔を上げた。そして目の前にあった神の、透き通るかのように白い手を両手でぐっと握り締める。
「お慈悲をありがとうございますゥ! 神ィ! ……はー、ほっとしたら何か落ち着いてきたわ。夢であって欲しいと思ってるけどよー……で、俺は何を壊せばいいんだ?」
切り替えが早い魂だな、と溜息を零しながら、神は告げる。
「黒の玉――お主にも分かるように言えば、魔王という存在を産み落とす、世界のバランスを崩すだけの悪玉よ」
「で、それはどこにあんのよ。次の世界とやらも俺はなんも知らないんだが」
「――それを探すところからじゃよ。ほら、行って参れ――成功すれば、お主の願いを一つ、叶えてやるからの!」
途端に白の地平が振動を始めた。薄い青はゆっくりとだが確かに赤色に染まっていき――唐突に硝子細工のように砕け、上も下も、そして左右も星空の海――そんな場所へロイは投げ出された。ふざけんな雑すぎる、と叫ぶ余裕も無いほどの強烈な重力感――押し潰されるかのようなそれに、ロイは遂に意識を手放した。
こうしてロイの余りにも情けない死にかけ方によって、右も左も分からない異世界での三十日間が幕を開けるのである。




