63話
闘技場に空を切る音が響く。時に鋭く、そして激しく。新緑の刃が縦横無尽に踊る――。その剣の持ち主、Sランクギルド、蒼穹のメンバーであるフレイ・アルスターは滲んだ汗を拭うと、腰に下げられた鞘に自らの剣を仕舞いこんだ。
「……フレイ、今日は休日じゃろう。常に張っていては身も、精神も持たないぞ」
「マスター、僕には力が足りないんです。だから、適わない相手に適うように努力をする。制止される言われはありません」
呆れたように蒼穹のマスターであるハウエルは蓄えた白髭をさすると、溜息を零して自らの獲物――白銀の槍の石突で地面を叩く。数多の獲物を屠ってきた名槍だ、どれだけの戦いを得ても尚、その輝きは美しく穢れないままである。
「いいじゃろう……ではこれで最後とせい、相手をしてやる。本日はそれで切り上げて、しかと休むがいい」
ふん、とフレイは鼻息を荒げた。せっかく闘技場を貸切にしたのに、まだ日も高い内に上がるとは――。フレイはただ力を求めていた。エレノアのような失敗を繰り返さない為に、そして、あの雪山で見たロイの力に一歩でも近付く為に。
「……では、手合わせを」
新緑の刀身が開けた天上から差し込む光に輝いた。同時に槍をハウエルが構えて――凛とした無垢な闘気がぶつかり合う。僅かな空白の後にフレイが地面を蹴り飛ばした。刃が銀の槍とせめぎ合い、いくつもの火花が宙へ散り消えていった。
「……甘いぞ、フレイ。雑念が混じっておるな?」
縦横無尽に踊り狂う銀槍――フレイの剣閃が悉く穂先に、そして石突に、ハウエルの身体をただ一度も掠めることなく弾き飛ばされていった。金属音が無数に弾ける。攻めているが、攻めきれない――思いは次第に焦りへとなり、ほんの僅か一瞬ではあったが剣を大振りし、致命的な隙を生み出してしまう。
相手がただの冒険者レベルであれば何の問題もなかった。だが相手は、Sランクギルドのマスター、一番槍の名を得て全盛からは置いて尚、槍を片手に前線へ出る、熟練の存在なのだ。
「ぶ……ッ!?」
同然、見逃される訳も無い。裂帛の気合と共に打ち出された石突がフレイの脇腹を穿ち、衝撃に耐えられずそのまま背後へと吹き飛ばされていく。数度、地面を転がって立ち上がったフレイは、空いていた手で脇腹を押さえながら、青ざめた顔でぎこちなく一礼をする。黒い前髪に覆われてその表情をハウエルは覗くことが出来なかった。
「ぐっ、手合わせ、ありがとうございました……!」
「焦るな、フレイ。お前はまだ若い、芽を自分で摘み取るな」
言葉は返さない。鬩ぎ上げてきた、情けないという感情と、あのエレノアで見たロイの力が嫉ましいという感情が、それさえも許さない。痛烈な一撃を貰っても離さなかった剣を鞘へ納刀すると、背を向けてフレイは闘技場の出口へと向かっていってしまう。
「……マスター。最後のは本気が過ぎますよ」
闘技場、中央から外れた場所から一つの影が現れた。蒼穹の白の制服に身を包んだアイリスである。長い金の髪を揺らしながら、彼女は心配そうにフレイが出て行った先を見つめつつ、ハウエルの元へと近付いていった。
「アイリス、見ておったか。……あやつはまだ若いのに力を求めすぎる。愚直な下積み無くして咲く花などなかろうに」
「――フレイはロイ様に嫉妬をしているんですよ、きっと。だから今すぐにでもロイ様に適う力が欲しい、その背に追いつきたい、そう考えているんでしょう」
「エレノアの件か。確かにあれにはわしも驚いたな……あやつ、あれだけの実力を隠しおって。いや、元々感づいていたはいたがの。リーシャを単身で助けた時もそうじゃし、アイリス――お前が助けられた時もそうだった。まさに、死地からの生還だったからのう」
「ええ、そうでしたね――」
くすりとアイリスは笑うと、ハウエルの腰へ向けて回復魔術をじんわりと掛けていく。柔らかい緑の光が溢れると、ハウエルは溜まらんとばかりに吐息を零して、歳を経て痛み出した腰が癒されていく快感を味わっていった。
「……歳には勝てぬ。いずれわしも、一番槍として前線へ出る事は適わなくなる。その時に、フレイと――あのクズが心を入れ替えて、ギルドの剣となってくれれば、気が楽なんじゃがなぁ」
不意に出た本音をアイリスは拾わない。ただ何も言葉を発さず、癒しの力を振りまいていくだけだ。きっと答えをハウエルが求めている訳ではないと理解していたから。マスターはいつもそうだった、愚痴は零せども、誰かに弱いところは見せず、蒼穹をSランクまで導いてきたから。
「(私みたいな若輩が、マスターの行動を言葉で支えよう、裏打ちしようだなんて……少し、おこがましいですね)」
闘技場には暫く、柔らかい癒しの緑光が溢れ渡っていた。
……
痛む脇腹に自らの回復魔術を施して、フレイは昼時の街中を歩いていた。自身の回復魔術だけでは足りないようで、まだ痛む脇腹に顔を顰めつつ、アイリスさんの治療くらい受けてくればよかったか……と考えたが、既に気まずい去り方をしてしまった後だったので、諦めて昼食を食べる場所を探す。
「……ここでいいですかね」
辿り着いたのは昼は酒場、夜はランチとマルチに営業している店だった。ここ最近、ゲームの大会が終わってからは良く来るようになっていた店で、人当たりのいい店主と、騒がしすぎない店内がフレイは気に入っている――木製のドアを潜り抜け、いらっしゃいませー、という声を受けながら、フレイは店の隅のカウンターへと腰を下ろした。
「ご注文どうしましょうか、決まっていればお受けします!」
元気な娘だ――。そう溜息を零しながら、フレイは適当に食べ物を注文していく。痛む脇腹のせいであまりがっつりとしたものは食べられない為、生ハムサラダとピッツァ・トースト。そしてコーヒー。注文をすると手持ち無沙汰になってしまったフレイは、ただ静かに、自身が求めてやまない力を持つ男――ロイのことを考えた。
「(あのクズ――じゃない、ロイさんもそうですが、ゲームの大会に出ていたあの少女――確かハルと言ったか)」
今でも思い出せる。僅かな停滞さえなく、そしてリーシャでさえ反応できぬ速度での超高速練成――出来上がったのが椅子だったが、その細工も非常に細かく出来ていた。並大抵の錬金術師のレベルをはるかに超えている。どうしてあの人の周りにばかり力が集まるんだ――。
「お待たせしました、コーヒーと生ハムサラダです。トーストは今焼いてますので、もうしばしお待ちください!」
運ばれたサラダ、一見して分かるのはとても瑞々しくて美味しそうだと言う事。こんなことばかり考えていても仕方ないですね、とフレイは大きく息を吐くと、フォークで野菜を次々自分の口へと運んでいった。最後まで取っておいた生ハムを一口で食べきると、フレイはふうっと大きく一息を付く。
――そんな時だ。入り口が開かれ、いらっしゃいませーという声が響いたのは。ついフレイが振り向くとそこには、先ほど頭の上で思い浮かべていた、ロイの隣に居た少女――ハルの姿があった。
「マスターさーん! ご注文のお弁当でーす!」
「あぁ、ハルちゃん。悪いね……あれ、ロイ君は?」
フレイの顔が渋くなる。そうか、この店に来るのか。鉢合わせしたら嫌だし次からは別の店にしよう――そうコーヒーに口をつけようとした時、一つの考えが頭に浮かんだ。それはあの少女――ハルに声を掛けるということ。
ロイに直接何かを学びに行くのが苦痛だったフレイに、それは妙案に思えた。いや、でも、と考えているうちにハルがありがとうございましたー、と出て行ってしまいそうになったので、フレイは咄嗟に声を掛ける。
「すまない、ハルといったか。君はゲームの大会に出ていたと思う、それで話を聞きたいんだが――」
怪訝な顔で振り向いたハル――。ハーフアップの黒髪につけられた髪飾りがちりんと音を鳴らしたその瞬間、フレイは彼女の何かが変わった事に気付く。それはまるで可愛らしい小動物だと思っていたものが、一転して、決して触れてはいけない獣に変わったかのような変化であった。
「――なんでしょう?」
それは主となる人格がハルからフィアに切り替わったことによるものだったが、フレイにそれを知る由は無い。何なんだ、この寒気は――背筋を這う悪寒を味わいながら、フレイはどうにか言葉を続ける。
「急にすまない。……君はあの時、リーシャ様――対戦相手だった方に反応させる隙も無く錬金術を行使した。それほどの力を得るまで、どんな苦労をしてきたんだ?」
とても昼時に離す内容ではない――それほどまでにフレイは焦っていた。焦がれていたのだ。この四方八方から押し潰そうとしてくる無力感に抗いたかった。頭ではそんなこと教えてくれる訳がない、そう理解しても感情がそれを許容しない。何かに縋らなければ、どうにかなってしまいそうだったのだ。
始めこそ怪訝な瞳でフレイを見ていたフィアであったが――その瞳に何かを見たのだろう。軽い溜息を零すと、肩に下げられた鞄から赤い携帯を取り出すと、少し待っててください、と店の外に電話を掛けにいってしまった。
背筋を這う悪寒から開放されたフレイは、何をやっているんだ僕は、と嫌悪感に苛まれつつ、一杯くらいは何か奢るべきだろうと店員へオレンジジュースを注文した。そしてオレンジジュースが出てきた頃――フィアが戻ってきた。
「……フレイさんですよね、お時間あれば――ここで離すのもどうかと思いますので、別の場所に移動しましょう。そうですね、貴方の問いに解を返すなら……闘技場辺りがよろしいかと」
……
言われた言葉のままにフレイはフィアの背を追うようにして歩いていく。本日二度目となる闘技場だ。いったい何があるのか、そんな問いは出来なかった。自分の闇雲ではた迷惑な問いにもこの少女は何かを答えようとしてくれているのだから。
そうして闘技場に付いた時――その入り口で腕を組んで待っていたのは、フレイが嫉妬し、その力に執着する男。ロイ・ローレライ本人であった。街中を散歩するかのような格好なのに、腰に剣を下げているのがどこか物珍しかった。
なんであなたがここに、と言葉が出掛かったが、ぐっと飲み込んで、そのまま奥へと進んでいく。
そして闘技場の中心へ辿り着くと、まだ中に居たハウエルとアイリスが驚いたような瞳で、フレイとハル、そしてロイを見た。
ハウエルがなんで貴様が――と言葉に仕掛けたが、ロイの一睨みで黙らせられる。それほどまでに今のロイは只ならぬ剣呑な雰囲気を身に纏い、どこか近寄りがたい雰囲気を出していた。ロイの昔を知る者――例えば遊楽・桜の店主でもあるレンが見れば、こんな感想を口に出すだろう。
――昔に戻っちまったみたいだよ、やめておきな、と。
「……おい、フレイ」
「なんでしょうか、ロイさん」
「――おまえが容易く、フィ……いや、ハルの努力を聞こうとするなよ、反吐が出るぜ」
感情のままの声だ。溢れ出る苛立ちを隠そうともせず、フレイの感情を探るようなこともせず、ロイはただただ棘のある言葉をフレイへと吐き出し続ける。
「何楽して強くなろうとしてんだよ。力に近道なんてねーから。地道に、自力を重ねて、研鑽してくしかねーのに……何がどんな苦労をしてきただァ? 話にならないね、さっさと剣なんて捨てちまえ」
「っな……なんてお前にそんなことを言われる筋がある!?」
「あるさ。悪いが、お前はこいつの努力を安く見すぎている、俺はそれが許せねえ、それだけで十分だろ。……強くなりたいんだろ、お前が剣を捨てる前に俺が稽古してやるから、構えたらどうだ?」
ロイが腰の鞘から剣を引き抜いた。刀身は無垢なる金色――その圧に押されながらも、フレイは苛立った心そのままに、鞘から新緑の剣を引き抜いた。
これほどまでロイが荒れているのは理由があった。彼は自身の努力などあざ笑われても決して気には留めないのだが――それがこと身内、ハルやリーシャ、そしてフィアの事ともなれば黙ってはいられない。決してフレイの問いは些か失礼なものであったが、所詮はそれまでの話だろう。だが、その問いが、ロイには――フィアやハルの過去を知っているロイにとっては、まるで自分だけが崇高に、そして殊勝に深い悩み事抱えてますと、君は力があるからいいですよね、と、小ばかにしているように思えて仕方がなかったのだ。
「……あー、でもなぁ。雑魚相手に俺が出張るのも無駄か」
雑魚。そう呼ばれフレイは怒りと共に剣を構え、地面を蹴って駆けださんとした。
だが続くロイの言葉に、思わずその歩みさえ止まってしまう。
「おい、フィ……じゃねえ、ハル。お前が相手してやれ」
「……それは構わないが、いいのか?」
ちらりとハルはフレイを見た。その瞳に――フレイは困惑の感情を読み取った。なぜ困惑だなんて感情を抱く。彼女にとっても、僕は取るに足らない存在なのか――そう考えてしまうと、それは一瞬の内にフレイの僅かに残っていた冷静さをも奪い去っていく。
「いいぜ、好きにやったれ。――お灸を据える意味もあるから、全力で煽りながらやれ」
フレイ、そして周りのハウエルやアイリスにも聞こえないように、フィアは小声でロイへと言葉を掛けた。
「はぁ……物好きな奴だな。嫌いならば放っておけばいいのに」
「俺もそうしてえが、まさか弁当届けにいったハルに大会のこと思い出して、二言目にどんな苦労したーだぞ。流石にやべーだろ。あいつにゃ蒼穹の前線を張ってもわねーと俺が困るんだよ、あんなクソギルド二度と呼ばれてもいきたくねーし」
「ロイ、お前も大概めんどくさいぞ。……まぁ構わん。圧倒していいのだな」
「いいぞーやれやれ。あ、でもハルの身体に負担掛かるようなことはすんなよ」
その言葉を背に受けながらフィアは怒りの形相で剣を構えたフレイに対し、臆面もなく、ただの笑顔のまま――言葉をかけた。
「――ご指名なので私がお相手させていただきます。あ、でもその前に――フレイさん、貴方はその剣の本懐を引き出せていないようですので、可能であればこちらを利用した方が良いと思いますが、どうでしょうか?」
一瞬だけ怪訝な顔をしたフレイだった、次の瞬間に起きた現象に、絶句する。赤い練成陣が闘技場の地面へと展開され、一瞬の内に様々な形の剣がそこから練成されていったのだ。次々と並び立つ剣は、どの刃を見ても一級品だと分かる仕上がり。馬鹿な、とフレイがハルを見れば――既に彼女はいつの間にか練成された椅子に座りこんで、面白そうにフレイを眺めていた。
「ああ、足りませんか。そうですよね――では、これで」
今度は赤ではない――極彩色の稲妻が弾けた。余りの眩しさにフレイは瞼を閉じ――そして再度開けた時には、突き刺さっている全ての剣が、鉄のような銀色ではなく、黒味がかった重たい色彩へと変貌していた。
「……まさか、これは」
「お察し早くて助かります、アダマンティア鉱石です。……さぁ、お好きなのをどうぞ?」
いやー煽り力高いわー、とロイが感心したようにフィアの背後で頷いていた。フレイはといえば、剣士でもある自分に、その剣の実力を出せていないからこっちを使えなどと、そして産み出されたのがアダマンティア鉱石の剣だということ。合い重なって、怒りさえ越え、悲痛の表情で、剣を構えていた。
「これ以上、僕を、僕を――下に見るな!」




